空港でこんな光景を見た

 私は観光都市に住んでいるので、外国人はイヤと言うほど見ている。私だけでなく日本人の多くがこれらの人を「外人」と呼んでいる。

 ところが韓国や中国、その他のアジアの人に対しては何故か「外人」とは呼ばない。「外人」というのはどこの国をさしているのだろう。 

 私がよく行くタイでもやはり同じである。日本人、韓国人、中国人、台湾人は一目で国名がわかって、私などコンイープンと呼ばれてしまう。ところがタイ人は白い肌の人達をすべて「ファラン」でかたづけてしまう。

 タイ近隣の人達や日本、韓国、中国、台湾以外の国は全部がファランなのだ。そしてこのファランが一番エライ国の人達だと信じているから困ったものである。ホテルなどでもその扱いは鄭重そのもののように見える。

 こうしてチヤホヤされている内に馬鹿な白人でも、自分がひょっとすると、尊敬に値する人間だと錯覚するするようになるらしい。

 昨秋スアンナプーム空港で、タイ航空のカウンターへ行くと大きな怒鳴り声がしていた。見ると立派な黒い背広をリュウと身に着けた、背の高いファランである。どうやらスーツケースの重量オーバーの超過金で揉めているらしい。

 可哀想に担当の若い娘さんは、オロオロしている。ファランの剣幕に負けてそのまま受け付けることにしたらしい。 重いスーツケースをレーンで動かそうとした時、荷物が横に倒れた。その拍子に偶然扉が開いて3~4個の荷物が転げ出た。

 何としたことだ。転げでた荷物の中に、きちっと巻いたタイ航空の毛布が2枚あったのだ。紳士然としたファランのオッサンよ。往路の機内からパクって来たのだろうが、立場が逆転してしまったな。

 偽紳士は毛布2枚をカウンターに置いて、逃げるように去っていった。

 担当の若い娘さん、私もそうだが白人とゆうだけで、大きな顔をさせることは無いのです。いくらファランといっても、居所もなく世界を放浪しているのも、自国で食い詰めたヤツや犯罪を犯して逃げ回っているのもいるのだ。

あなたはさすがに微笑みの国の女性だけあって、笑顔で立派な対応でした。

 

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誰のための エアポートリンク?

 待ちに待った、空港から都心に向かう電車がこの8月についに開通した。しかし利用した人の感想は悪評ばかりで、よく言う人は少ない。空港から辺鄙なところばかりを走って地下鉄、BTSに乗り換えられるというが、どうも接続に問題があって役に立っていないそうだ。

 エアポートバスもタクシーも不安定要素が多いので、新たに完成した電車に大きな期待を抱いていたタイスキおじさんは、またかいなあ。と落胆しきりであった。エアポートリンクなんて生意気な名前が恥ずかしくないのか、よう走れたモンや。

 そこで重さ15㎏のスーツケースを引いて、エアポートリンクに乗車してみた。空港2階の到着階からエスカレーターで地階の左端までやって来た。人の少ない寂しい場所だが、それでも切符売り場はある。

 まだ開通して3ヶ月しか経たないので、切符は全線15Bの大サービスだ。それでは改札機は、ない! まだ暫定なので改札口付近に立っているおじさんに切符を見せるだけだ。40メートルほど進むと外観は立派な3両編成の電車が停車していた。

Photo_3  乗車してみると1車両に5人くらいはスーツケースを持った客が座っていた。どうも落ち着かない綺麗な電車だ。

 客の少ない電車も時間が来ると定刻発車である。

 バン! と車内に響き渡る大きな音がした。一瞬度肝を抜かれるような大きな音である。 この音はドアーが左右から閉まって、その後手前にバンと引かれて安定する仕組みだった。

 それはなかろう。その時足を挟まれたら骨折は免れない。骨折事故は時間の問題と思うのだが。 心臓に響くようなこんな大きな音が、駅毎に鳴り響くのだから、眠気を振り払うには役立つだろうが、やはり欠陥電車だと云わざるを得ない。

 空港を出た電車は途中7駅で、終点パヤタイ駅に約30分で到着した。重いスーツケースを持つと、ここからが問題だ。パヤタイ駅の到着ホームは4階にある。当然次は3階に降りるのだが、何とエレべータ-もエスカレーターもない立派な駅なのだ。

 ここで足腰の弱ったタイスキおじさんに、15㎏のスーツケースを担いで下りろとはい何と言うことだ。階段を約25段も数えてやっと3階に降りる事が出来た。

 3階から2階へもエスカレーターもなく階段だ。金はないけど時間には余裕があるので、入念に調べてみるとエレベーターが1基隠してあった。エレベーターのドアーには車椅子のマークしかなかったが、重い荷物でも当然利用できるはずだと乗ることにした。それを見ていた係員もないも云わなかったからいいのだろう。

 2階まで降りるとなめらかな傾きを持った通路があって、20メートルも行くとBTS高架電車のパヤタイ駅に無事接続していた。BTSのホームには登りのエスカレーターが1個所あるので、階段の恐怖はない。

 空港からBTSにたどり着く場合の恐怖は3個所だ。ドアの閉まるド迫力ある大音響。時間によっては日本の通勤電車さながらの混雑。パヤタイ駅にある25段の階段。大阪からの午前便で到着した乗客は、間違いなくラッシュにかかって、エアポートリンクもBTSでも肩身の狭い思いをしなければならないだろう。

 念のために書いておくと、急行駅のマッカサン駅で下車してタクシーを拾うか、地下鉄に乗り換えればいい。などと物の本には書かれているが、これは歩き回って迷うだけ、私はパヤタイ駅まで行ってBTSに乗り換えるのが一番いいと思っている。

帰途の空港行きの場合はどうだろう。BTSパヤタイ駅からエアポートリンクのホームまでエスカレーターが一応完備しているので、帰国する場合は問題がない。

 エアポートリンクと名付けた電車が開通したと聞いて、これでタイへ出入国する観光客やビジネス客も、アクセスに気を遣うことなくなったはずなのだが、これには但し書きがある。

 それはラッシュ時間を避ければ、観光客も快適に利用できると言うことだ。大阪から到着する便は2便とも朝夕どちらかのラッシュにかかるので、気持ちよう使うことは出来ないのである。

 現在の全線15Bのサービス期間が終わり、通常料金になってラムカムヘンあたりの学生の乗車が減少すれば、多少は混雑が緩和するのかも知れない。色々と調べてみたが、タクシーを利用するしかないか。と落胆している。

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スワンナプーム空港からのアクセス(タクシー)

 空港から都内へのエアポートバスが役にたたないのなら、私があまり好きではないタクシー利用の選択もいたしかたない。とスーツケースを引っ張って空港一階のパブリックタクシーの乗り場へ行った。

 そこには受付のデスクがあって、係員が客から行き先を聞いて、列を作って客を得るべく並んでいる運転手を順に呼んで、客の行き先が分かるかどうかを確認の上で、客を運転手まで誘導する。その時点で何やら書いた書類を客に渡すのでこれは、下車するまで保管する。

 この用紙は途中でトラブルが起こった場合解決できるよう、車のナンバーと送り先、運転手の名前が記されているので、無事に目的地に着いた時点で運転手に渡す。乗車してすぐ書類を手渡すよう要求する運転手もいるが、到着後渡す方がいい。

Photo_2  私の乗った運転手はハイウエー ? と聞いてきたので私はOKした。高速を走っても私の目的地までなら高速料金はせいぜい60~70Bだ。

 高速料はその都度客が運転手に渡すシステムなので、私はOKした時に、ハイウエーと言いながら100Bを渡しておいた。

 こうしておけば運転手は、料金所を通過する毎に律儀に支払って、釣り銭を私に返してくれる。

 途中で高速を乗り継いだが、一般道へ出たのは思った通りオンヌット付近だった。この頃から運転手はソワソワキョロキョロし始めた。目的のホテルを知らないのだ。 そして「どこだ」と言い始める。 こんな時は地図など見せても何の役にもたたない。子供の頃から地図など読んだことがないからだ。

 今日のホテルはBTS高架電車のオンヌット駅とプラカノン駅の間で、プラカノン寄りと聞いていたので、運転手に電車のプラカノンは前方か後方か、と聞いたら前方だと言うから、じゃあもう少し走れと指示した。

 暫くすると道路が坂になった部分に差しかかったので、ここはプラカノン運河の上だ。あと150メートルでホテルに着くと予測できた。こうして無事にホープランドホテルに到着したのである。

 メーター運賃170B+高速料70B+空港使用料50Bの合計290Bだったが、Photo 空港使用料50Bは空港が定めた使用料なので、運転手がボッテいるのではない。 

 ここのホテルから150メートル離れたところにある、プラカノン運河は素朴で古の運河風景を、今に残したような風情があって実にのどかである。

 船頭にパイオンヌットと告げて頷けば、地元客と混乗だが40分ほどゆっくり時間をかけて終点まで乗ることが出来る。

 乗船料はわずか10B(30円)である。

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空港からのアクセス 何でまた

 このブログは一昨年書いたものである。

 マニラ経由のタイ航空で定刻に到着し、ホテルに向かおうとするとき懐かしい事態に遭遇した。新しくできたスアンナプーム国際空港から、バンコク都内へのアクセスは、現在タクシーとエアポートバス しかない。これでは謳い文句のアジアのハブ空港が泣きまっせ。

 私が宿泊を予定しているホテルは、スクムミット通りにあるので、その通りを走る AE3 系統のエアポートバスに乗った。 このバスが、渋滞の名所である伊勢丹前を迂回してから、スクムミット通りに逆方向から入ってくることになっていたのである。 このことに気づいたとき、昔の苦い思い出が頭をよぎった。

Photo  空港を出てからしばらくは、広い道路を快調に走っていたバスが、バンコクの都心に近づくにつれて速度を落とし、道路が高架になった場所で大渋滞のため完全に停車した。 停車した車列はそのまま道路に張り付いて、なんと1時間40分経過した。

 昔のバンコクが戻っていた。これは懐かしい。  外国人旅行者はドアを開けろ! の大合唱だ。    運転手がやむなくドアを開けると、10数人いた乗客は高速道路にもかかわらず、停車している車の横を大きな荷物を背負って36℃の暑さの中、一列になって行儀良く歩き始めた。 

 私は夕食を取ってあとはホテルで寝るだけなので、バスの成り行きに任せて「まな板の鯉」を決め込んだ。その時車内に残ったのは、私を含めてたった2人だった。

 夜の帳が降りて、ホテルに着いたのは、空港を出て3時間20分後であった。日本からマニラまで3時間30分、マニラからタイまで3時間5分、空港からホテルまで3時間20分だ。

 空港からホテルまでの所要時間は、フィリピンからタイへ飛行機で来る時間より長くなってしまった。まさにバンコクの渋滞は国際級に逆戻りしたのである。

 赤シャツを着て道路を封鎖してみたり、のんきに空港連絡電車の完成を伸ばし続けたりしている場合か。空港とのアクセスである電車の開通が待たれているが、毎度の事ながら延々と遅れている。プミポン国王の誕生日である12月5日の開通予定も、当然のごとく延期された。 

 最近の公式発表では3月に開通となっていたが、今はもう4月でっせ。開通などは誰も信用してませんって。

 などと以前、私はブログでぼやいていた。 このエアポートバスAE3系統は、スクムミット通りを走って、客が降りたい最寄りのバス停で客を順次降ろしていくバスなのだ。便利なので150Bと少し料金は高いが使っていたが、何と巡回コースを逆にしてしまったのだ。

 空港を発車したバスは高速道路をバンコクの中心まで走って行って、そこから渋滞の中を牛歩のごとく、十分時間をかけてスクムミット通りをのろのろと空港方面に向かって走りながら客を降ろしていく。アホとちがうか。

 従来は空港から客を降ろしながら都心へ走っていて使い勝手が良かったが、もう乗るのは止めた。

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久しぶりのタイ

 九ヶ月ぶりのタイはマンゴーが全盛期を迎えていた。タイは3月から政情不安で荒れ狂っていた。海外の目から見れば、やっと終止符が打たれたかと目に映り、私も長かったのう。と呟きながらの訪タイであった。

 関西国際空港からバンコクに向かうタイ航空も、一日に2便と縮小されて寂しくなってしまった。現在もまだバンコクは非常事態宣言が出されたままで、そんなこと嘘でしょうと思われがちだが、やはりまだ警戒は必要だ。

 今回はバンコクに到着した日に、名刺を新たに作ろうと街にでかけた。BTS高架電 車のチットロム駅を降りると何だか騒々しい。思わず下を見ると地上が赤く染まっていた。

Photo_2 

 これはラチャダムリ通り(伊勢丹の前)で、タークシン派のデモである。陸橋を歩いてサイアムへ行こうとすると、陸橋の各所にこのような四人一組の警備がなされていた。

Photo_4 そして地上では交差点を中心に赤色の世界が広がっていた。

 何千とも知れぬ赤シャツ軍団が(タークシン派)大声で気勢をあげ、笛やクラクションを鳴らしながら派手なデモを繰り広げている。

 何百人もの警官が防弾チョッキを身につけ、楯を前に横隊を組んでデモ隊に進んでいくが、必死で阻止しようという気配はない。緊迫感が全く伝わってこないのだ。

道路脇では、赤シャツのお母さんやお姉さん達が、ミネラルウオーターやお菓子、果物の差し入れに余念がない。

 バンコクで読むことが出来る、翌朝の読売新聞の衛星版には、またまた騒乱か。と思わせるような記事が出ていたが、高架橋から見た限りでは、踊って歌って笛吹いて、赤いユニフォーム姿の田舎の大人が、バンコク都内の道路を占拠して、子供さながらに一日を楽しむお祭りとしか見えなかった。

 いくらガス抜きとはいえ、はやく平静に戻ってほしいものである。

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旅に支障の多くあった年だった

 今年の2月には、タイ西部のメーソットへ行こうと計画をしていた。一昨年まで運行していた飛行機がなくなり、それではバスに8時間乗れば行けるだろうと、その気になって調べていくうちに、メーソットからタークにかけてマラリヤがかなり蔓延していることが分かり断念した。

 仕方がないのでメーソットは、顕著なマラリヤの兆候が収まってから行くことにして、北タイとバンコクの近辺の旅に切り替えた。そうして時期を待つうちに、赤シャツや青シャツがアメーバーのごとく街に氾濫して、非常事態宣言が出てしまった。

 バンコクではまだ非常事態宣言が出たままだが、やっと街の動きも平静になった。待ちに待って、もうよかろう。と熊が冬眠から目覚めたかのように、HISに行って航空券を購入してしまった。

 今回も一人旅、密かに策を練っていた。バンコクに着いたらすぐに北バスターミナルへ行ってメーソットまでのVIPバスのチケットを手に入れてしまおう。タークで1泊してメーソットで2泊くらいか。うまくいけばそのうちの1日くらいはビルマに入れるかも知れない。

 ところがビルマ (ミャンマー) はこの時期総選挙だ、メーソットとビルマのミャワディー間のイミグレーションは閉鎖されている。

 それでも勇敢なというか、無謀というか元気のいい人もいて、深夜小舟でモエイ川を渡り国内にビザ無しで入って、完全秘密下で実施されている総選挙投票所の様子を撮影した。当然拘束されて取り調べを受けたが、幸いにも昨日の夕刻メーソットで解放された。

 国外退去処分でタイに追放されたのは、東京のAPF通信社のYさんだが、日本人に対する規制の目がぐんと厳しくなることだろう。 今後の推移を見なければならないが、どうも今回もメーソットは難しそうである。

 メーソットにはこの前も、夜間に300人ほどの人がビルマから逃げてきていて、タイとの国境付近では逃げてきたビルマ人は15万人に達していると云われている。

 それにしても、困って逃げてきた人を、暖かくそのまま迎え続けているタイは、仏教国だけあって心優しい国民である。

 いつもブログに目を通していただき有り難うございます。 自分の目で見たいことも出来ましたので、投稿はしばらく休みます。

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小さな飛行機に乗ってスコータイヘ

 彼女との再会で積年の悩みの一つが解消されて、平静な気持ちに帰る間もなく飛行機への誘導が始まった。チェンマイは曲がりなりにも国際空港である。しかしこの日の機影は大きいのや小さいのや併せて6機であった。

 私が今日乗る飛行機は? ありました。  搭乗は徒歩で飛行機まで行くのだ。これって普通はバスで移動するのだったと思うのだが、空港の中の一番端に駐機している所までかなりの距離だった。

 これでもインターナショナルエアポートか、そして飛行機にたどり着いて驚いた。小さな飛行機にプロペラが1つしかない。 プロペラが故障すればそれまでか。

 タラップを登って機内に入って更に驚ろいた。座席は全部で12席しかないぞ。私の席はどこ、とオバサンスチュワーデスに聞いて案内されたのは、幸運にも一番前の座席だった。 

 操縦席のドアが故意に開きっぱなしになっていて、機長は私の2メートル前で操縦している。おまけに機長は後ろを振り返り、ピクチャーオーケーなんて云ってくれるではないか。操縦中の写真が写せるなんて、なんと豪勢なのだろう。

 こんな低空を飛行するのは始めての経験だったし、眼下に広がる地図の縮尺も大きくなって、何もかも見えてしまうようでとても楽しめた。

 スチュワーデスは狭い通路を苦戦しながらも、ケーキとコーヒーを運んでくれる。もう少し広ければ自由に行き来できるのだろうが。機内は観光地から遺跡に向かうコースなので、タイ人は見当たらず旅行客ばかりだ。

 こんなに楽しい飛行機なのに40分のフライトで、スコータイ空港に着陸してしまった。
この飛行場はサムイ空港と同じく、バンコクエアウエイズの専用空港なので、他の飛行機の影はまったく見当たらず、野原のなかの空港は寂しい限りだった。

 バンコクエアウエイズ航空のリムジンバス(5~6人乗り)に乗って、スコータイ遺跡まで行った。
スコータイと告げれば、現在の町(新スコータイ)まで、遺跡まで行きたいときは、ムアンカオ(古い町)といえば遺跡まで送ってくれる。

 今回は城壁だけを丹念に見学した。城壁から出て自転車を返しに行くとオバサンは、これからバンコクか? と言うので「ピサヌロークまでだよ」と答えると、座ってバスを待つように云い、小学生の子供を道ばたの木の椅子に座らせた。

 その男の子は、タークからのバスが坂道を下ってくると、停車の合図をする役を仰せつかっているのだ。 止めてくれたバスに乗って、居眠りしていればピサヌロークへ着く予定だ。しかしまあ、小学生とすれば客からのチップが入るのでいいアルバイトではある。

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思いがけぬ出会い

 この記事は過去に一度投稿したものである。バンコクで友人と話しているとき、チェンマイからスコータイまで小さな飛行機に乗って面白かったと云う話を聞いた。

 それなら私も一度は乗ってみたいものだと思っていたが、数ヶ月後にチェンマイに行くことがあって、これはチャンスとばかりに、飛行機の手配をした。そして翌日空港へ向かうのだが、ここから先を書くと私の前職が分かってしまうので躊躇したのだが、犯罪の前歴ではないのであえて書くことにした。

 私は公立中学校で教科の指導するかたわら、女子運動部の顧問兼監督を28年間やっていた。その間、何百人の部員と関わってきたが、運動技能に秀でた生徒と、若干運動には不向きな生徒がいることは事実であったが、まあこれは仕方がない。

 しかし能力的に優れていても、家庭の経済的な理由等によって、力が発揮できない部員だっている。この年もそんな生徒が在籍していた。

 彼女は2年生から3年生まで、用具やユニフォームも満足に整えられぬまま、先輩の残したものを使って、レギュラーの座を守り続けた非常に明るい生徒であった。この年は京都府で優勝はしたものの、近畿大会では力及ばず涙をのんだ年であった。

 しかし彼女にとっては、高校進学を断念しただけに、中学校のクラブ活動が忘れ得ぬ思い出となったはずである。 ところが卒業して間もなく、突然家族共々消息を絶ってしまい、いつまでも気になっていた生徒だった。

 さて、翌朝スコータイを目指して、チェンマイ空港へ行き航空券を搭乗券と引き換えて、搭乗案内を待っていると、今バンコクから到着した飛行機からたくさんの乗客が吐き出されてきた。

 その中には日本人のツアー客が何組かあって、初めてのチェンマイに、興奮気味な様子を見せながら賑やかに出てきた。

 そのツアー客の最後に出てきた女性、どこかで見たよう顔があった。その女性は「先生ですか!」と駆け寄ると涙が溢れ出て、しばらくは言葉が出なかった。 行方不明になっていた中学生に、日本を遠く離れたチェンマイで逢うことが出来た。

 私も万感胸に迫って、しばらく会話すらできない。彼女が中学校を卒業して38年ぶり、奇跡の再会であった。 

 今は滋賀県で家庭を持ち子供が2人いて幸せに生活していています。思いついて初めての海外旅行にタイを選びました。 嘘じゃあないですよね。

 彼女はツアー客を待たせ、私はボーディングが始まって、10分間の再開であったが、長い間の胸のしこりが消え去ったようで、ほんとうに嬉しかった。 これからも幸せに暮らせよ。

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トップランドホテル

 ピサヌロークのトップランドホテルは、街の北側を東西に貫く国道沿いにある。
このホテルを利用し始めたのは、街で唯一のデパートとつながっていて、一人旅には
非常に便利なためであった。

 特に雨期には雨の心配なく、買い物も食事も、更には古式マッサージも建物内ですませることができる。

 デパートの最上階のフードコートには、十数軒の屋台が並び、ビールすら置いている。雨で足止めをくらったときなど、一人座って時間をかけてビールを飲みながら食事をするのは、 これは便利なものである。 眠くなればここがホテルだ。

 古式マッサージもホテル内にあるのだが、普通の独立した古式マッサージ屋に比べると便利ではあるが、いろんな意味でお薦めは出来ない。

 市内を走るバスや郊外に向かうバスの停留所がホテル前にあるので、何処へ行くにも道路を横切る必要も無く便利である。

 ホテルの裏側にはこの町でも有名な、長い名前のお寺があって朝の散歩でお参りしてみると、参詣の人がとても多かった。これはお参りすれば霊験あらたかで、必ずご利益があると云われていた。

 珍しく長雨が続いた9月のある日、急に思いついてスコータイ遺跡へ行くことにした。ホテル前の停留所から、バスターミナルへ向かう小さなバスに乗りこんで、ターミナルについてみると、まさにスコータイ行きのバスが出るところだった。

 バスの車掌が、パイナイカ (どこへ行くの) と聞いたので、スコータイと答えると、更にムアンカオ?(古い町?)と聞き直したのでうなずくと、乗るな。

 スコータイというのは新しい街のことで、ムアンカオは古い町つまり遺跡のことなのである。だからスコータイ行きに乗ると、ソンテウに乗り換えて更に14㎞は走らねばならないので、ターク行きのバスが良い。ターク行きのバスは遺跡の中の道路を通るので、直接遺跡前まで乗ればよく、この方がはるかに便利である。

 遺跡前の自転車屋で自転車を借りて、水とパトンコーやお菓子を入れたリュックを背に、明るい日差しの中でのんびり遺跡を探訪する。スコータイには遺跡が300個所以上有りとても一日では見ることは不可能だ。そのため城壁内の主立った10個所くらいの遺跡にとどめてもいいだろう。

 その上、アユタヤとは異なり交通の便が悪いので、観光客は非常に少ない。このように広大な遺跡が熱帯雨林の中に、数百年間も放置されていたとはとても信じられないが、現在は立派にその姿を見せているので、是非とも探訪したいものである。

 

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ピサヌロークの街

 ピサヌロークという街の名前は、タイらしくない名前のように思うのだが、バンコクとチェンマイのおよそ中間に位置し、有名なスコータイ遺跡にいく玄関口に当たる街である。
 
 街の中央にはにはナーン川が流れ、その川には水上生活をしている人たちの家々が数多く浮かぶ、夕暮れも近い時刻などに散歩をすると、学校帰りの子供達が細い渡し板を上手に渡り、家々をゆらしながら屋内に消えていく。

 こんなのどかな田舎の町ではあるが、バスはもとより国鉄北本線の駅もあり、その上タイ航空の飛行機も飛んでくる。この街から西へ向かえばスコータイからターク、もう少し進むとメーソットというビルマとの国境である。

 また北へ進路をとればチェンマイやチェンライに達し、ビルマやラオスに接している。そして東へ行けば天険の山脈を越えて東北タイへ抜けられる。このように東西南北へ進むことが出来る要衝の地なのだ。

 夕日に照らされたナーンの川面は、キラキラと輝きまことにのどかである。その川に沿った通りが薄暗くなる頃、あたり一帯が屋台となって、街の人や旅人を誘ってくれる。とても風情があって、食欲をかき立ててくれる。

 この屋台通りの入り口には大きな看板があって、その看板には日本語で「空飛ぶ野菜炒め」と書かれていた。野菜炒めを注文すると空から皿に乗って飛んでくるらしい。誰が書いたか知らないが、せっかくの旅の気分を台無しにしているように思えて気に入らない。

 適当な夕食を簡単に食べて、いったん近くにあるパイリンホテルに引き返した。ホテルに帰って驚いた。 ロビーには20人くらいの女子高生が制服姿で立っていて、私がロビーに立つと一斉に「サワディーカー」 お、なんだなんだ。

 ああ驚いた。彼女たちはこのホテルで体験学習をしている高校生なのだ。そして彼女たちは何人かづつに別れて各階に配置されていった。今回パイリンホテルに宿を取ったのは、このホテルからナーン川が一望出来るからだったが、暗い川面を眺めてみると水上家屋やレストランの明かりが、優しく揺れて幻想的であった。

 年を重ねると朝の目覚めが早いので、まだ暗い4時頃からそっと散歩にでかけようとした。何と各階の廊下には数人ずつの女子高生が立っていて「サワディーカー」。ロビーに降りても、また「サワディーカー」だもの。全く落ち着かない。

 幾ら実習といえども夜を徹してまでやって大丈夫か。日本の高校が同じ事をやったら、いっぺんに親から人権蹂躙と抗議が来るぞ。

 駅の近くまで歩くと、何と煌々とした裸電球に照らされた道路が出現し、その道路には
名も知れぬ野菜、取れたての魚類の数々、美味しそうな果物、鶏や豚の肉、亀や虫などが山積みにになって売られている。これは朝食後にもう一度来なければならぬ。

 ホテルに帰って朝食を済ませ、興奮冷めやらず、7時30分頃にもう一度駆けつけてみると、夢か幻か朝市は跡形もなく消え失せて、車やソンテウが行き交う普通の道路であった。

 霊界から出た悪魔のように、光と共に消え失せた朝の市場は、チェンライの朝市と同じ形態であった。

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