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2009年7月

都営バスの車掌は楽しい

  バンコクには都営バスが約250系統走っているが、すべてに車掌が乗務している。
このバス車掌の大半が、年齢不問の女性である。
 運転手と冗談を言い合いお菓子を食べながら走るバス、途中で停車して宝くじを買いに走るバス、車掌が子どもを連れて乗務しているバスなど、すべてではないが、見かけることはままある。

 乗客もこんな事には驚かない、非常に寛容なタイ人なのである。 人件費の問題もあって、日本の
公営バスのほとんどは味気ないワンマンカーである。
 タイのバスもワンマンカーへの移行も考えたのか、整理券を取る装置や料金の投入する箱が付いているバスもあるにはある。

 だが壊れているのかいないのか、誰も使用などしていない。料金の収受は車掌の重要な仕事として定着していて、独特の料金箱を手にがちゃがちゃ音をさせながら、料金と引き替えに薄っぺらな紙切れのような切符を渡してくれる。

 この切符は簡単に捨ててはいけない。時々偉そうな監察官が乗り込んできて「切符を拝見します」
と検札をする。失っていればもう一度買い直さねばならない。そして車掌は叱られる。(疑われる。)

 バスそのものの系統も、バンコクを後にして隣の県まで遠征する都バス、高速道路に入る都バス(停留所もないのに誰も乗らない。)などたくさんあって、要するに細かいことには気にしない。

 私はバスに乗るのが大好きなので、時間を気にしないときはよく利用している。
クリッタイマンションから気分を変えるため、スリウォン通りのタンタワンプレイスホテルへ
移動するために、近くを走る16番の赤バスに乗った。 冷房のない1乗車20円のバスであった。

 昼過ぎのバスは、渋滞にもかからず、のんびりと気だるい雰囲気を醸し出しつつ走っている。
乗客もまばらなので、車掌の女性も私の後ろの座席に座って、まだ客の乗降が済んでいなくても
眠そうな声でアラーイ(オーライ)と運転手に発車の合図を送っている。

 しばらくすると、呪文のようなアラーイの声が聞こえなくなったので、後ろを振り返ると女性車掌は
気持ちよく居眠りをしていた。さすが母系制度のタイなので圧倒的に女性が強いのである。
運転手も黙って笑っていたが、こうなれば貴方だけが頼りです。どうか頑張ってください。

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屋台は決まった時間に、いつもの場所で

  再びオフィスからゾロゾロと出てきた社員達は、いつもの屋台でお好みの食べ物や飲み物を
楽しみながら買って、ビニール袋をぶら下げながら、再び出勤のし直しである。
 この袋の中味が同僚とおしゃべりしながら食べる朝食なのだ。何も感心する必要はなかった。

 昼は昼でまたゾロゾロなのだろう。 だから屋台はいつもの場所に、いつもの時間に出ていなければ、買う人たちの生活リズムが狂ってしまう。

 このようにタイの人たちは、休憩時間だけでなく仕事中でも何かを食べて、おしゃべりしている。
仕事の効率は悪いだろうが、それでも肥満にならないのは、高い気温や唐辛子を中心とした食物の影響なんだろうか。

 馬鹿なおじさんが、いつも眺めていて気にかかることがあった。それは調理台(単なる板)を拭いている布とシロップの表面が黒いことである。
 わざわざホテルを出て屋台まで行って見てきた。予想通り調理台を拭く布は、黒く汚れたタオル、シロップの表面が黒く見えたのは、群がった蜂と無数の蠅であった。

 これぞ天然物のオレンジジュースと安心した。誰も些細なことには気を遣わないで、次から次へと
よく売れていた。 このジュース屋さんは、会社の昼休みが終われば、営業も終わるのだ。

 日本の米には虫はわかないし、野菜にも虫の食べた後は見かけない。 時々白菜などに虫の食べた後などがあると、何かしらホットする。
虫たちも人間も安心して食べられる食物でなければならないと思うのだが。

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オレンジジュースの屋台

  高架鉄道の終点ナショナルスタジアム駅の近くには、安いホテルやデパートのマーブンクロン、 有名なタイシルクの専門店ジムトンプソンの家などがあって、なかなか賑わっている。

 駅を降りたすぐのところに、クリッタイマンションという安いホテルがあって、気まぐれに数日間滞在したことがあった。
 急な階段を上がった2階にフロントがあって、その階の西側がレストランになっていた。

 私は7時になると、決まってレストランの窓側に席にをとり、決まり切ったアメリカンブレックファーストなる トーストとコーヒー、それにゆで卵を食べていた。

 時間に追われるでもなく急な用件があるでもなく、ただ日本での仕事を離れて、ホテルを移り変わりながら、ぼーっとするのが日課の12日間であった。

 窓から道を急ぐビジネスマンや学校へ行く生徒達を、見るでもなく眺めていた。

 人の行き交う歩道におばさんが、毎日オレンジジュースの屋台を出していた。
 籠の中から出したオレンジを半分に切って絞り器で絞る。 絞りためた果汁をカップに2杯、ビニール袋へ移して砂糖2さじ、シロップを小カップ2杯入れて更に細氷を加えて、輪ゴムで止めて商品は出来上がりだ。

 次から次へできあがったビニール袋は、横に置かれた氷り入りのクーラーボックスへ放り込まれる。 あまりの手際よさに毎朝時間を忘れて見入っていた。

 隣には15階立てのビルが、その隣にも日産の大きなビルが建っている。7時頃から原色で色とりどりの服を着たOLが、白の長袖のシャツにネクタイを、きりっと締めた男子社員が、続々とビルに吸い込まれていく。

 早い時間の出勤は、タイ人の勤労意欲がとみに増してきたか、と感心していたらしばらくすると、またゾロゾロとビルから出てくるのである。


 

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バックパッカーの聖地なんだと

  バンコクには、安宿街が何カ所かあるようだが、その中でも特に有名なのがカオサンである。   バックパッカーの聖地だと云われるカオサンを、時代遅れのおじさんが訪ねてみることにした。

 王宮前広場の北側付近にあって、世界中からバックパッカー達が誘蛾灯の灯りに集まる虫のように集まって、群れて暮らしている一角である。
 カオサン通りを歩いてみたが、通りそのものはさして大きい物ではない。しかし裏通りのさらに裏通りなどが入り組んで複雑に広がっている。 

 いたるところに英語の看板を掲げたゲストハウス、食いもの屋、バー、クリーニング屋、、コンビニ、薬局などが軒を連ねて、さらに歩道には焼き鶏屋、フルーツの切り売り、アクセサリー屋などが、あるだけの空間を埋め尽くしている。

 この付近だけでも100軒を超すゲストハウスがあって、日本はもちろん世界中から、金のない若者達がやって来て生活している。
 一泊300円から500円くらいで寝る場所を確保して、一杯30円くらいのラーメンをすする。
ここで数日を過ごして、インドへ向かう者やラオスへ行く若者などの中継地として使われる場合もあるし、薬にはまって服役する人も出てくる。

 ゴム草履をはいて、破れかけた短パンと薄汚れたTシャツを身にまとい、大きな真新しいリュックを
担いだ日本の若者が数人歩いてきた。 猿岩石かなんかにそそのかされた新入りだろう。
 こんな情けない姿で外国の大都市をさまよう息子を、親は分かっているのだろうか。 息子だけではない、娘もたくさん見かける。

 バックパッカーのこの姿が格好いいと思うのなら、私たちは時代遅れも甚だしい、化石に近い老人と云わねばならない。 マッ、そのとおりか。

 喧噪と訳の分からない音楽と酒とたばこ、人間の衣服とも思えない服装、これらが無秩序に存在して、英語やいずことも知れぬ言語が飛び交っている。

 一種独特のものうげな雰囲気が漂うカオサンであり、タイにありながらタイではない、人種を問わない表現のしようもない街であった。

 時代遅れのおじさん二人は、まるで未来か過去か分からない場所にタイムスリップしたように、呆然としていたのであった。

 

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ピマーイからコラートへ

  ピマーイ遺跡を見学した後は、今日の宿泊地であるナコンラチャシマーを目指した。
ナコンラチャシマーは通称コラートと呼ばれる大きな街で、東北タイの玄関口にあたる大都市である。

 バスばかりの旅であるが、ゆったりした日程を組んでいるので疲れはない。南国の田舎の風景は
とにかく興味深く面白い。 
 ところどころに沼があって、日本ならば花見にくるような睡蓮の花の群生が見られる。その中に水牛が3頭もいて、踏みつぶしながら花ごと食い荒らしている。

 地下から吹き上がる塩分のため、僅かな雑草しか生えない平原には白いやせこけた牛が、舐めるようにして草を食べている。 タイ人が痩せて堅い牛肉をあまり食べない理由が分かるような気がする。   それに引き替え丸々と太った水牛がなんと美味そうに見えることか。
 
 ちなみに、タイの肉と云えば豚と鶏肉が主力である。(日本人が食べない肉も虫も多々あるが)

 道路沿いに中学校があって集会をしていた。ボーイスカウトのような制服を着用した生徒達が、
暑いグランドで列を整え先生の話を、一見熱心そうな顔で聞き入っている。

 タイの先生は、日本の先生に比べ社会的地位が高いので、尊敬され、みんなその指導にたいしては全幅の信頼をおいている。つまり先生は偉いのである。
日本で時々見聞きする 親が先生の指導にたいして、抗議をするようなことは夢にも考えられない。
       
 日本の中学校なんかは学校にもよるが、集会で話を聞く生徒を教師がそれとなく取り囲み、逃げられないように気を遣わねばならない。 タイの先生はいいなあ。

 コラートのバスターミナルからトゥクトゥクに乗って着いたのが今日の宿 「ロイヤルプリンセスコラートホテル」 であった。  大都市の高級ホテルは私には敷居が高すぎる。落ち着かない物ですな。

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ピマーイ遺跡公園は

  バスを使っての 旅で困るのは、自分の目的地が終点ではないところで下車して、聞く人も無く、次のバスに乗り換えねばならぬ時である。

 車掌はここで下車して××行きのバスに乗り換えなさい。と優しいのだが、疾走しているバスの行き先表示がタイ語なのにどうすりゃいいの。 バスが停まって昼寝をしていたって読めないんだから。

 私などはそれらしいバスを次々に止めて、××に行きますか。と尋ねるのだが、気が非常に重い。

 今日はカーラシンを発って、途中何もないような寂れたT字路で下車して、ピマーイ行きのバスに乗り継がねばならない。面白いが鬱陶しいな。

 いつものように、ピマーイ遺跡に行きます。と車掌にも周りの乗客にも伝えて布石は完了である。
これで私がピマーイへの分かれ道で下車することが多くの人に認知された。後は待つだけ、タイ人はことのほか日本人には優しいのだ。

 ところがなんたる幸運、 M氏と一緒にピマーイ遺跡へ行くと宣伝中に、無口のおっさんが俺も行く
ついてこい。 うまくいく時はこんなものです。
「旅は道ずれ世は情け」なんて云いますが、無口のおじさん、世は情けは確かにいただきました。

 タイのアンコールワットと呼ばれる、クメール様式で作られた「ピマーイ遺跡」は緑が溢れて
よく整備されていて、素晴らしい美しさであった。
 しかしへそ曲がりの私は、遺跡は往時の面影を色濃く残していないと気に入らない。これだけ綺麗だと、遺跡もあるただの公園のように見えてしまう。

 改めてガイドブックを開いてみると「ピマーイ遺跡公園」と書いてあった。すみません公園だったのですね。。

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カーラシンのリンパオホテル

  おばさん車掌に声をかけられて目を覚ますと、エアコンの効かないエアコンバスはカーラシンの
町へ近づいていて、わざわざ大きな建物の前で降ろしてくれた。
 そう、ここが町一番のリンパオホテルなのだ。(誰かの旅行記にそう書いてあった)

 オッ 広い駐車場が満車になっている。 大きな会社の親睦旅行か、警察か学校が研修会を開いているのか、まさか満室ではあるまいな。
 ど田舎の町だ、どうせホテルはガラガラだろうと、舐めていたのが甘かったか。

 ホゾをかみながら、レセプションの女性と交渉するのは約束通りM氏で、私は薄情にも知らんぷり。
よかった。部屋はありました。 改めて眺めると内装は整い、部屋は広く豪華、そのうえ従業員は優しい、と申し分なしである。

 明日のバスを調べに町へ出た。 近くですとの声に送られ歩き始めたが、暑季も過ぎた雨季の7月と言うのに、この暑さは何だ。 おまけに遠い!
 日が落ちて少しでも気温の下がる、夜になってから夕食に出かけることにしてホテルでくつろいだ。

 ところが悪魔の存在を忘れていた。 また南の空に真っ黒な顔を覗かせて、私たちの外出を阻もうとしているではないか。
 
 しかたなくホテルのレストランで夕食をとったのだが、これが正解! すごく美味しいうえに、料金
も信じられないほど安い。 こんなディナーは初めてだ、必ずまた来ますよ。

 その後、窓外を見てみると雨はまったく降らず、悪魔は北の方角にそれていた。
まあこんなものでしょう。 それにしても今日はよかった。

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バスターミナルの風景は面白い

 出発して3時間30分でコンケーン のバスターミナルに到着した。ここからはいつも愛用している、
昔は確かにバスであっただろうと思われるバスに乗り換えて、タイの東北部(イサーン)の中心に位置するカーラシンへと向かう。

 発車までに少々時間があったので、ボロバスの車窓からターミナルの風景を観察した。
このあたりの人たちは大体がラオ(ラオス系)なので、色浅黒く背丈は低い。トゥクトゥクを運転する
おっさんが、カオニャオ屋でジュースを買って、汚い手でつかんだ氷を入れて汚れた手でかき回しながら持って行く。

 麺を食べさせる屋台のおばさんは、食事後の食器を汚いバケツの水でゆすぎ、洗剤が泡立つ
バケツの水にすっと通す。次に薄い濁りのある水をかけて食器洗いは終了である。
 とにかく手際はいいのだが、次の客がお腹を壊さないだろうか? そんな結果は時間が経ってみないと分からん。

 タイ人は免疫があるから大丈夫、などと云う人がいるけれど、日本人の私でも、まだ食あたりはしたことがない。ま、せいぜい生水には注意をしよう。

 ジュースやコーラの中に氷が入っていたら飲まない方がよい。などとふざけたことを書いているガイドブックもあるが、無菌培養で育った人間ではあるまいし、異国に何を求めて旅をするのか。
 何事も経験だ、チャレンジするのも必要だし、その国への礼儀でもあるだろう。
これは言い過ぎました。
 
 これを不潔だと思い悩むなら、(本当は不潔なのだが)イサーンの旅は止めた方がいいだろう。

 走り始めたボロバスは、まだテレビが生き残っていてホラー映画を流していた。 本当はおしゃべりで姦しいイサーンの人々なのに、怖い話が大好き、話し声一つなく目はテレビに釘付けとなっていた。


 

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車窓に見るイサーンの風景

  雨の洗礼を受けながらノンカーイを後にしたエアコンバスは、広い道路を南下していく。
 湿原や湖には、がまの穂が繁茂し、田園脇の木陰にはサーラー(昼寝と休息の吾妻屋式のバラック) が所々に見られる。 少しだけ働いて長く昼寝はいいなあ。

 10数人の人たちが横一線に並んで田植えをしている。機械があれば手軽に出来る田植えも、多人数が集まって話をしながら、楽しく作業する習慣を大切にしているのかも知れない。
 この風景は昔の日本を見るようでとても懐かしい。

 高床式の家々の横には、ひさしまで届くような超大型の水瓶が2~3個ずつ置いてあり、雨季の今では毎日のように悪魔がやってくるので、瓶は短時間で満杯になる。
 茶色く濁った水があたりまえのタイでは、水瓶に蓄えられた水は貴重な「透明な水」として、日々の生活には欠かせない。

 最近はバンコク以外のどんな町に行っても、黒い壷のようなものが、50メートルほどの間隔でおいてある。 実はこれ、古タイヤで作ったゴミ箱なのだ。
 そのせいか、以前のようなゴミの散乱が少なくなって、年を追うごとに町は美しくなっているように感じられる。

 京都の市街地を歩いて思うのだけれど、ゴミ箱の設置が非常に少ない。
これはすぐにいっぱいになるから? それともゴミ箱の近くの家の人に迷惑がかかるから? 収集にお金がかかるから?

 ゴミの捨て場が無くて困っている観光客をしりめに、山科方面からくる赤いバスは、「世界で一番美しい町京都を実現しましょう」と今日もアナウンスを続けている。 いつまでこのアナウンスが必要なのだろう。 文化観光都市京都が泣きませんか。

 腹立ち紛れにもう一つ、市営地下鉄の北山駅を上がると京都コンサートホールがある。
いろいろなコンサートが開かれて、多くの人たちが良質の音楽に触れる、貴重なホールなのだが、何とこの駅に地上へ上がるエスカレーターが無いのだ。
 
 お年寄りが地上まで上がるのに難行苦行していても、やはり文化観光都市京都のなだろうか。
 エスカレーター1基で、市民を中心に多くの人たちが、何度も立ち止まって息を整えることなく、地上に出られて音楽を楽しめるのです。
 おじさんは怒っています。是非にも京都市に設置をお願いしたい。
 



 

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悪魔に捕まった

   せっかくビエンチャンの近くまで来たのだから、行けるところまで行ってみようと、あさはかな
おじさん達は眺めるだけでは物足りず、国境に架かる橋をビザもないのに渡り始めた。

 テクテクテクテクと暑い中を汗を拭きながら、橋の中央まできた。 ここから先はラオスか、でも
誰かに阻止されるまで行きましょうと歩き続けた。
 ふと振り返ると、東の空に悪魔が顔を出しているではないか。悪魔としか表現できないような真っ黒な日本では見たこともない気持ちの悪い雲である。

 タイの雨季は日本の梅雨と異なって、午後になるとこの悪魔が顔を出し、ドカッとバケツをひっくり返したような水が落ちてきて、道路などは瞬時に川と変身する。
 したがって、スコールがやってくると、屋外の人の動きは数時間ストップしてしまうのだ。 
その中で時間に追われる哀れなツアー客だけは、蛮勇をふるって走り回っている姿をよく目にする。

 笑い事ではない。我々も走るようにタイ側に戻ってトゥクトゥク(客用オート三輪車)を探して、値切る余裕すらなく、運転手の言い値でホテルへ向けて走り始めた。 頑張れ!  ところが悪魔はホテルのわずか50メートル手前で我々を捕捉し、大量の水を浴びせてほくそ笑んでいた。

 ノンカーイへ来た目的は、有名なケーク寺の奇怪な仏像などを見ることではなくて、ラオスを目の前にして、メコン河のディナークルーズを楽しむことであった。
 このクルーズはハイソーク寺の近くにある、レストラン「ルアンペンハイソーク」から出航する。

 スコールも上がったので、待望のディナークルーズに繰り出した。 ところが大雨の影響で客は
我々の二人だけ、少ない客では採算が取れず出船しないと、おばはんは云っている。

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空には黒い悪魔が住んでいる。

   7月の午後、雨が降りしきるバンコクへ到着した。空港では田舎歩きに不必要な荷物は
一端空港へ預けて、東北タイの中都市ウドーンタニへ行く飛行機に乗り継いだ。
 ウドーンタニ空港へ降り立ったのは、あたりが暗闇に支配された午後8時だった。

 今回の旅はタイ語教室の仲間である、奈良県の公立中学校を退職されたM氏との熟年
ふたり旅である。 予約をしていた「チャルンシーグランドロイヤル」は、名前負けをしない立派なホテルであった。

 私の旅はこれまでもそういう傾向にあったが、口では田舎の人たちと同じ食事をし、同じように
ボロバスも使って、彼らと同じ目線で、大家族が支え合って生活している田舎の姿を見てみたい。
などと格好をつけているが、夜だけは街一番のホテルにくつろぎもしたい。
 云うこととなす事がまったく矛盾した甘ったれた旅である。 

  まあ旅をするのに無粋な理由づけなどは、まったく必要ないのである。
 大多数の人たちが仏教を信じ、王様をあがめながら穏やかに生活している。そんなタイの
田舎の生活の中に、日本の原風景をかいま見ることがある。
 こんな瞬間にホットするのはなんでだろう。

 翌日、東北タイの最北の町ノーンカイに移動した。 雨季のメコン河は濁水を集めて、雄大な
眺めを見せていた。

 毎日午後になると決まって、空に墨汁を流したような黒雲がわき出て、土砂降りの雨が
時間に狂いなく落ちてくるので、空のようすが気になるが、上流にある「タイ・ラオス友好橋」まで
足を伸ばす。
 この橋を渡れば、ラオスの首都ビエンチャンは目の前である。

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