« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

2009年9月

飛行機のしっぽ

  昨日書いたように、毎日4便飛んでいるタイ航空も乗りづらくなってきた。
現在の帰国便の時刻を見てみると、午前中に飛び立つのは、時間のかかるマニラ経由関西空港行き1便だけ、午後便は無くて、深夜23時から24時までの間に残り3便が続けて飛び立つのである。

 深夜の3便は何もすることがないので、皆さまシートを深々と倒してお休み。トイレを考えると、どうしても通路側の座席を確保したいのである。
 いつものM氏と旅をすべく、京都の旅行社で航空券を購入したとき、うっかりと座席の予約を忘れてしまった。 

 往路は昼便を使って問題はなかったのだが、帰りは3便全部が深夜便だ。 航空券をチェックインカウンターで搭乗券と引き替えるとき、私はアイルサイド(通路側)とリクエストをした。
係の女性がパソコンで検索してくれた結果、通路側が一座席だけ確保できた。ヤレヤレ。

 搭乗券の座席ナンバーは、77ーB であった。  ボーディングタイムとなり私の座席を見て驚いた。
77は客席の一番後ろ、つまり飛行機のしっぽなのだ。飛行機は後ろになればなるほど、揺れが激しいのは常識、苦難を自分で引き寄せてしまった。

 機内での慌ただしい軽食が終わり、ベトナム上空にさしかかった頃、「本日、当機は非常に気流の悪い所を飛行しますので、シートベルトは絶対にはずさないでください。」 誰だ、こんな機内放送をしたヤツは。

 そんな殺生な。 しかし台湾付近に台風があることは承知していたし、しかたないか。
うとうとして、30分も経った頃それはやって来た。 船が大きな波に弄ばれるような、上下の揺れと
左右の揺れが交代にやって来る。

 まさに天空のエレベーターである。 高空では当然の事ながら、足は地に着いていない恐怖があって、眠るどころではない。

 飲み物も飲めず、本も読めずの2時間30分は、時間の経つのがとても遅かった。 

 私は一睡も出来ず、墜落死亡による補償は3,000万円であったか、5,000万円に加入したかを真剣に思い出していた。

 関西空港に着陸し、M氏に揺れましたねえと話しかけると、少し揺れましたがぐっすり寝てました。
なんと、やはり尻尾はあかん。 これからは出来るだけ頭に近い座席を確保したいものである。


|

やはり私が悪いのか

  私がタイへ行きはじめた最初の頃は、シンガポール航空ばかりを利用していた。
これは機体と食事がいいのと、格安航空券の運賃が安いからという理由であった。 

 ただ、この航空会社は、往復とも同じ航空会社を利用しないと、格安航空券が購入できないのは仕方がないが、一に日1便しか運行していなかったので、使い勝手が非常に悪かった。
 そこで、大阪から一日4便飛んでいるタイ航空に変更してみた。

 関西空港を一番早く飛び立つタイ航空は午前0時30分発で、バンコク国際空港へ着陸するのは午前5時である。 
 深夜に出発すれば時差の関係で未明の着くのだから、タイでの行動スケジュールは大きく広がり魅力的だ。
 実際に利用してみると、午前0時30分に出発してバンコクで乗り換えれば、同じ日の午前9時にはチェンマイに降り立っているのだから便利であった。

 こんな理由によって、タイ国際航空ばかりを利用するようになったのだが、深夜便はシートを倒して睡眠を取るので、窓側の座席などトイレを使うとき非常に苦労する。
 そこで、私は航空券を購入する時点で、通路側の座席を予約することにしているのだ。 

 ところが、先日苦い経験をした。 座席番号が決まっているので安心していたら、そこにはタイ人の女性が座って、隣には小さな子どもが寝ていたのだ。
 俺の席に他人が座っている。座席の番号を更に確認して、客室乗務員に搭乗券を示して申告した。

 男性のキャビンクルーは、この席が違うことを説明して、自分の座席に戻るようにと云うのだが、
子どもの座席の隣でないと困ると動かない。
 困り果てたキャビンクルーは、私に座席を変わって欲しいと頼みに来た。

 私も事情が分かるので、通路側であればいいですよ。と誘導された5席ほど後ろに座った。
ところがその座席番号を持った客が現れたのだ。 せっかく京都で確保していた通路側の座席権は霧散し、窓側の席になってしまった。

 このトラブルで、なかなか自席につけなかった乗客に、すぐに座るのが常識だろう。と苦情を言われたが、その通りですなあ。

 しかし、私だって善意で動いたつもりなんですが。こんな時どうすればよかったのだろう。
子どもを連れて困っているお母さんを、無理に子どもから引き離すほどの無情さはないし、
この鬱憤を、誰に向かって云えばよかったのだろう。 予想通りトイレへ行くのに苦労した。




|

旅に出ると困る女性

  ある女性が地方都市で、ホームステイで2泊してバンコクへ帰ってこられた。 前述のグループの
お友達とのことなので、ご一緒することにしたのだ。 が。

 そのEさんに、ホームステイはいかがでした。 と尋ねたところ、出される食事全部がパクチーの匂いがして、とても食べられませんでした。それでどうされました。と聞いてみると、何も食べないで日本から持って行った、オカキだけで通しました。

 それはお困りだったでしょう。と云うと、そうでしょう。もう大変でした。

 違うんです私が言ったのは、ホストファミリーがお困りになったのでしょう。 と言うことです。
2泊3日いろいろ案内してくださり、食事のお世話をしていただいて、何も食べなかった。 このことが
ファミリーをどれほど悩ませ苦しめた事だったかを、(ステーで)旅をする資格なんかありません。

 そのうえ、バンコクは初めてなので、明日はエメラルド寺院とワットポー、暁の寺へ行って、その後はジムトンプソンの家で買い物、夜はニューハーフショーへ行きたいそうです。

 △△さん案内をしてくださいね。 冗談でしょう。 明日はグループの皆さんと、サムットソンクラーンへの日帰りに旅を予定しています。 よければ一緒に来られたらいかがですか。と断った。 

 私はガイドではないし、あなたがたと同じ費用をはらって、楽しみに来ているのですよ。
わからないのかなあ。

 自分のことしか考えていない女性も、やはりあるものだと実感した。吉本の漫才師だと言い放った、憎めない女性を見習っていただきたいものだ。

 このグループには、関西空港で△△さん大変お世話になりました。 今度の旅では タイとバンコクの 2つの国を回ってきました。と友達に話が出来ます。とおっしゃるご婦人もあった。 オイオイ

|

たくましい日本の女性

  一人で旅をすることが多いのだが、男女を問わず数人で旅へ出ることもある。 男性の場合は
驚くことがあまり無いのだが、年配の女性はドキッとすることがある。

 私のグループに娘さんが参加予定だったのだが、急用が出来て行けなくなったので、代わりに私が行ってもいいですか。と母親から電話を頂いたのが、航空券を買う数日前であった。
 まだ間に合いますからぜひいらっしてください。とお答えしてグループに入っていただいた。

 出発の最終打ち合わせで、はじめてお目にかかったAさんは、まったく物怖じをなさらない奥さんで、これは楽しい旅になるぞと思ったのだが、その通りのかたであった。

 タイ語とは無縁のかたで、すべて堂々と振る舞われるAさんは、見ていても小気味よく感心することが多かった。

 ホテルについてもおしゃべりが止まらない。 エレべーターや夕食で出会った初対面の日本の男性にも、気兼ねなく話しかけ、冗談で煙に巻いていた。
 男性に日本で何をしているのと聞かれると「知らんのかいなぁ、うちは吉本で漫才してるんやで」と、のたまう。

 翌日の朝食、ホテルの日本人男性はあれが吉本の漫才師やて、と一斉に見て噂をしながら振り向くので、こちらまでオドオドしてしまった。 さしずめ私などは年を食った貧相な付き添いなどと、さげすまれていたに違いない。

 彼女は朝食後、突然姿が見えなくなった。心配してホテル内を探し回っていたのだが、10時頃颯爽と ご帰還されて、△△さんこれどうですか。 云われてみると髪が美しくウエーブしてすごく若返っていた。  タイの美容院結構いけるで、と堂々たるものであった。

 タイは初めて、タイ語は何も分からないのに、一人で美容院とは人間のスケールが違うのだった。
日本に帰ったらまたバイトや、帰らんといたろか、と言いながら無念の帰国をされてから、まだお目にかかっていないが、もう一度一緒に旅をしたいものである。

 彼女一人が参加してくれたおかげで、一週間の旅がどれほど楽しく過ごせたことか。 おとなしい、あの娘さんと母子とは、いやいや何たる違いかと思っただけです。

|

タイのうどん屋台はどこにでもある

  お昼の食事は麺類でもいいか、と思って実際に食べることが多いので、注文の仕方を書いてみる。

 タイでは麺類をクエティオというのだが、クエティオをくださいと言えば、日本のうどん屋でうどんをください、と云うのと同じで注文した事にはならない。

 タイの麺は日本の小麦麺と違って、米麺である。  クエティオ屋の前にはガラスのケースが置いてあって、白い麺が普通三種入れてあるからすぐにそれと分かる。
 この麺の一番細いのがセンミー(センは線)、うどんのようなのがセンレック、きしめん状の帯のようなのがセンヤイである。

 そこでセンミーナームとかセンレックナームなどと注文すればよい。 たとえばセンミーナームといえば、ナームは水(汁)なので 「極細麺に汁を入れてください 」 という注文になる。
 もしもガラスケースの隅の方に、遠慮がちに黄色の麺が置いてあれば、それは中華麺なので、  バーミーナームと注文すれば、中華そばが作られる。

 次は麺の中に何が入ってくるかであるが、黙っていればその屋台のお定まりの、焼き豚、蒸し鶏、魚のつみれ団子、訳のよく分からない内臓などが入れられて出てくる。
 できあがって出されたクエティオは、超薄味の汁なので驚くのだが、勝負はこれからである。

 薄汚れたテーブルの上には、ナンプラー(小魚を発酵させた醤油)の瓶と酢、砂糖、唐辛子粉、ピーナツ粉などが置いてあり、これを使って自分にあうよう味を整えるのである。
 うまい麺、まずい麺は自分の腕で作り上げることになる。 日本でうどんを注文して、醤油やら酢などをガバガバと入れたりすれば、店を追い出されかねないが、これはタイの常識なのだ。

 まれに見かけるのだが、汁がやや濁っている場合がある。これは豚の血を混ぜて、深みのあるいい味を出しているからである。苦手の人は今日は運が悪かったと、諦めてもらうことだ。
これらの麺はだいたい、50円~90円くらいで、昼食としては最高であろう。

|

お昼ご飯が食べられるだろうか

  タイの食事は辛くて酸っぱくてスパイスもよくきいて、とても美味しく大好きだ。 でもレストランや 田舎の食堂で料理を頼むと、出てきた料理の量が多量で驚かされることがままある。
 この量の多さを頭に入れて注文しないと、大変なことになる。

 東北タイの、ある街で夕食を取るため、ひなびた食堂に入って焼きめしと野菜炒めとスープ、いかの唐揚に加えてビールを注文した。
 一人旅をはじめて間もない頃であった。今思えばバカを絵に描いたような行為である。

 最初に焼きめしが出てきて、見ると3人前はあろうかという量である。 タイでは一人で食事をすることなど、めったに無いので、この量はタイの常識であったかも知れない。
 この悲劇の結末は、ご想像の通りであった。 タイの旅で食事をする難しさは、この後も長く悩みの種となった。

 朝食はホテルで取るので何ら悩むことはない。 夕食はドキドキしながらも町の食堂で何とかなる。
 昼食は小さな田舎の集落か市場近辺で、粗末な屋台をやっと探して、食べないといけないので、これが大変なのだ。

 幾度も失敗を重ねているので、京都で留学生に教えを請うた。焼きめしの発音からの学習である。
何度も何度も 「カオパット」 と繰り返し、やっと発音のOKをもらい、勇躍旅へ出てメーチャンという田舎の村で小さな食堂に入った。

 こんにちはと言いながら入っていくと、ご主人と奥さんが固まってしまった。いきなり外国人が入ってきたのだから、驚くのも無理はない。

 ご主人はアワアワいいながら、奥へは入り込んで高校くらいの息子を引っ張ってきた。
息子が学校で英語を習っていることを思い出したのだろう。
 残念でした。この外人は立派な日本人なので、英語は何一つ身に付いておらんのだ。

|

朝の風景

  パトンコーが手に入らないと、朝は何かしら落ち着かない。 というのも、私のお気に入りのパトンコー屋台は、7時30分頃にはその姿を消していて、買うことが出来ない。
時間が少し遅れて行ってみると、もうそこの場所には宝くじ屋のお婆さんが座っている。

 屋台は一日中あるけれど、時間と共に入れ替わって靴の修理屋、ミシン屋、時計修理の店、果物屋台、お菓子屋などとが、毎日決まった時間に決まった場所で、商売をしている。

 花屋や焼き栗屋等の屋台を眺めながら、ホテルへ帰るのだが、視覚と嗅覚がしっかりと稼働しているので、ことのほか朝のブッフェがおいしい。
時間をかけて少量ずつ取り分けて、味わいながらいただく事にしている。

 ホテルのブッフェには豊富な果物と飲み物があるので、美味しくいただいているが、コーヒーだけは
煮詰まって苦いので、避けている。
コーヒーの味はどんな物か、タイ人も一度味わって、その苦さに顔をしかめて欲しいものである。

 ブッフェで思い出したが、いつか「ホテル日航関西空港」のバイキングランチを食べたことがあった。
ちょうどご婦人10人ほどのツアーと一緒になって、見るともなしに見ていたところ、かなり年配のかたが、大皿にビフテキをはじめ、溢れんばかりの料理を持ってテーブルへ、さらに席を立ちもう一皿、その上にご飯に果物、唖然として見とれていた。 

 なんぼなんでも食べられるわけがない、眼を白黒されて頑張っておられたが、空しく半分以上は放棄された。

 これは終戦直後の食糧難を体験された、私と同世代の身に付いた悲しい習性をお持ちだ。
この方をいじましいと思うより、飢餓の時代を生き抜いた戦友のように私には思えた。

 以後、ご婦人の行動を他山の石として、ブッフェなる食事は少なく、多種にわたって食べるように心がけている。


 

|

バンコクで果物を味わおう

 さすがに南国、雨季ともなると見たことも聞いたこともないような、果物達が溢れんばかりに店頭を賑わしてくれる。
 しかし観光シーズンといわれる、11月から2月の乾季には種類がぐっと少なくなって、バナナ、スイカ、パインナップル、パパイヤなどと限られてくる。

 バンコクで果物を食べようとすれば、果物屋で買ってきて、ホテルなどで食べるのが一般的であろうが、皮をむいたりカットをしたり、テーブルや床を汁で汚したりと、悪戦苦闘しなければならない。
そこで、果物屋台が登場するのである。

 この屋台はなぜか比較的若い男性が多い。いつも決まった歩道上で、簡素な台の上に氷を入れたガラスケースを置いている。
 その中に、4~5種類の中サイズにカットした果物をいれて客を待つのである。

 客が来て注文を受けると、実に手際よく皮をむき一口サイズにカットして、ビニール袋へ串を添えて
に入れてくれる。スイカ、パインナップル、パパイヤ、メロンなど、どれでも10バーツ(28円)である。

 この袋を酔眼朦朧ぶら下げてホテルに帰るのであるが、食べきれないほどの量があって、しかも南国の甘みが十分なので、フルーツの好きな人には堪えられない。
 食べきれない果物は冷蔵庫へ保存しておくが、朝食時にはまた新たな果物が出てくるので、残念なだらゴミ箱に入って頂くことになる。

 私などいつも決まったお兄ちゃんの屋台で、甘いかい。 と聞くと必ず、今日のは美味しいよ。と
答える。 じゃあ日頃の果物は味が悪いのか。とつっこみたくなるがタイ語がしゃべれない。

 まあ美味しくないと答えることは絶対に無いのは分かっているが、一応声をかけてから、食べきれないけれど二種類ほど買って帰るのが常である。

 煤煙やホコリ舞う中で、カットした果物など不衛生きわまりない。とおっしゃる日本の紳士淑女も沢山いらっしゃるけれども、うまいフルーツはうまいのである。

|

朝の屋台 パトンコー

  タイでは人がいれば必ず屋台がある。 特にバンコクでは小さな露地や大通りの歩道、誰も気が付かないような小さな空き地を見つけると、知らぬ間に誰か屋台を出している。
よくは知らないが、使用許可などは全く必要なさそうだ。

 このような屋台が庶民にとって、どれほど役立っていることか。 タイ政府が月曜日を屋台禁止の日に決めたらしいが、当然のように朝令暮改となってしまうはずである。

 トンロー駅の側には、朝の5時30分頃から屋台の準備が始まる。 まず先陣を切るのは、朝ご飯関連の屋台である。
 おかず屋台にはおかずだけでなく当然ご飯もある。 パンの屋台、パトンコーの屋台、揚げバナナの屋台、焼きバナナの屋台、豆乳屋、クエッティオの屋台などが、わずか100メートルの通りにぎっしりと立ち並ぶ。

 それらの屋台では、豆乳でも、おかずでも、何でもビニールの袋に入れて客に渡してくれる。 その手つきたるや天才的なんだなあ。 おばちゃん一人で作るから、人件費はほとんどかからず、安くできあがった食べ物を持ち帰って家族の朝食にしたり、会社に持って行って朝の食事とするのが一般的なのだ。

 私は朝食前の6時30分に、判で押したように屋台に出かける。まず一番はパトンコーの屋台に寄って、大鍋でパトンコーが揚がるのを眺める。
 パトンコーは中国系の人が、朝食としてこよなく愛して止まない、薄塩味の揚げパンのような、ドーナツのような X形の5センチほどの食べ物で、ほんのり甘みをつけた丸形もある。

 客がとぎれると、今気が付いたかのように笑顔で 「おはよう元気かい」 と云いながら、新聞で作った袋を持つ。 手作りの袋の大きさは三種類で、私の場合は黙っていてもいつもの小袋である。
 その袋に熱々のパトンコーを5個いれて、私の顔を見ながらゆっくりと、薄塩味のヤツをもう1個おまけしてくれる。

 このおばさんの屋台の隣は、オミキとトックリのように豆乳屋のおばさんが屋台を出している。
わずかにシロップを入れた豆乳は、パトンコーと、とても相性がよく、無くてはならない物なのだが、
朝食のあと出歩く身であれば、豆乳まで持って外出は出来ないから、あまり買わない。

 ホテルへ帰ると、めざとくボーイが見つけて 「ナーム タウフー(豆乳)が無いな」 とにやりと笑う。
こちらにも事情があるんだ、ほっといてくれ。 蛇足ながらナームは水、タウフーは豆腐である。
パトンコーは、おやつ兼非常食として外出のお供に欠かせない。

|

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »