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2009年12月

マハチャイ線のディーゼルが発車する

 バンコクの下町の更に下町、ウォンエンヤイ駅から4人グループでマハチャイへと計画を立てたことがあった。私がタイに行き始めた頃の事である。

 まずマハチャイまでの切符を買うのが私の役目、どんな事が起こっても誰も手助けしない約束なので、かなり緊張したのをよく覚えている。四人分だから窓口で 「マハチャイ、フォー」 と云っちゃった。
手渡された切符は6枚だった。 こんなに要らないよ。

  安い授業料である。冷静であればこの程度のことは分かっているのだが。 つまりタイでは1~6
の数を ヌン、ソン、サーム、シー、ハー、フォッ、と云うのだ。 そこで言い間違えと聞き違えが同時に起こって、6枚の切符が手渡されることになったのだ。 その頃も人一倍気は弱かったので、涙をのんで6枚とも受け取ってしまった。

 余分に買った2枚は密かにポケットに入れて、残りを3人に配ると、おいこの切符全部2等の切符やで。
2等車はどこに付いとるんや。 知らんがな。 初めて自分で動き始めた頃の苦い思い出である。

 この線の列車は全部ボロ気動車で、名前はすべて2等車となっていた。ただ料金は3等車なみと不可解な設定であった。 そんなこと、分かるはずもない。

 こんな事を思い出しながら、乗車した列車は、さらに古ぼけて硬いプラスチックの坐席、開閉できない窓、故障の扇風機などと、可哀想なほどの年代物となっていた。

 列車の古さなど云える義理か。古くなったのは自分の身体ではないか。百円ショップの座布団持参でなければ、たった1時間のプラスチックの椅子さえ辛いのだ。

 ウォンエンヤイ駅から動き始めた列車の車窓は、名も知らぬお寺や学校、スラムの密集地などを見せてくれ、沼地や荒野をも後にする。
時々停車する駅も駅舎が小さくなり、ついには駅のホームすら無くなった。

 そんな駅でも数人は乗降しているが、お婆さんや子ども達の乗降には、必ず誰かが手をさしのべて介助している。 駅に停車したので周りを見渡してみても家がない事がある。

 注意してみると木陰で昼寝をしている若いのがいて、降りてきた人を横に転がしてあるバイクに乗せて走り去る。 これで生計を立てているのだ。

 海沿いの線路の状態は悪く、左右上下に揺れながら列車は1時間かかって、マハーチャイに近づいて、警笛を何度も鳴らしていた。 この弱々しい警笛は 「汽車がやってきましたよ。通してくださいよ」 と哀願しているのだ。

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メークローン線に乗って 鄙びた漁村へ

  終着駅に列車が近づくと、もの悲しそうな汽笛を鳴らして古ぼけたディーゼル車は最徐行を始める。 すると前方に佇んでいた多くの人々が、「またか」と言わんばかりに、ゆっくりと列車の通る場所を空けるのだ。

 つまり、駅の近くは、レールが市場に占拠されていて、汽車は遠慮がちに市場の中の終着駅へ入線するのだ。そんな馬鹿なところが有るんだろうか。
こんな港町へ向かう、タイ国鉄で一番古いメークローン線の列車に乗車した。

 昔はシェラトンホテルの横から出る渡し船で、対岸のクロンサーン桟橋に降りると、そこから列車に乗車できたそうだが、時代の流れか始発駅は次第に後退して、現在のウォンエンヤイ駅がメークローン線始発駅に昇格したのである。

 いままでは、このトンブリー地区にあるウォンエンヤイ駅へ行くのにずいぶん苦労をした。
しかし、BTS高架電車(スカイトレイン) が今年からチャオプラヤ河を越えて、ウォンエンヤイまで延伸されたから、簡単にメークローン線の始発駅であるウォンエンヤイ駅に行くことができる。

 ただBTSの駅と国鉄ウォンエンヤイ駅が離れているから困るんだ。駅から駅へ連絡するバスが無いので、タクシーを利用するか、へそ曲がりの私のように歩くしかない。

 BTS高架電車ウォンエンヤイ駅(終着駅)、右側の階段を降り進行方向へ200メートル進みタークシン通りを渡って、通りの左側歩道を徒歩10分、めでたく国鉄ウォンエンヤイ駅へ到着する。
この始発駅は、日本の常識では考えられないような駅なので、十分に気をつけないと通り過ぎてしまう。

 注意していると、ン これは? と思われる所があるから、これが駅である。 入ってみるとさすがにレールは2本敷いてあって、ホームには食べ物や雑貨の屋台やお店が雑多に並んでいる。
時にはホームをバイクで走っているヤツさえ現れるので困ってしまう。

 以前は入るのにも躊躇するような、うすぎたないトイレだったが、今年から改装して新しくなったので
無理なく利用できるようになった。美しくなっても前と同じ3バーツの料金である。

 ホームに入ったすぐに切符売り場があり、買いに行っても大概閉まっている。これは発車10分前くらいに窓口が重々しく開いて、行き先を 「マハチャイ」 と告げるとパソコンから打ち出された切符が手渡される。終着駅マハチャイ駅までの料金は30円であった。

 ここで切符を買っておかないと、時には災難が降りかかる事がある。 車内でも買うことが出来るはずだが、列車内には注意書きがタイ語で書いてある。それに 「切符を持たないで乗車すると、罰金として300円を徴収します。」 と書いてある。とタイ人が教えてくれた。

 タイ人以外には、そんな貼り紙を読める者はおらんで。 でもときどき捕まって哀願しているのを見かけることがある。 やはり時にはあるんだ。

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市場の中には 見慣れぬものもある

  タイという国は大きな都市はもちろんのこと、どんな小さな山あいの村にも必ず市場があって朝早くから、売り手買い手の人たちで活気に溢れている。そして市場で働く人の大多数は女性である。
この市場がなければ一日が始まらない。

 だんだん歳を重ね目覚めが早くなって、もう市場が始まっているだろう。などと思うといても立ってもいられないから、ついついホテルから抜け出してしまう。

 時には大声を上げて宴会の続きをしているような馬鹿なヤツがいたり、昼は死んだように眠りこけている犬が、夜になると犬族の世界だと勘違いして、大群をなして吠えかけ威嚇する。そんな夜明けの街をひたすら煌々と照らされる市場の明かりを求めて、歩く私なのである。

 今日はどのような物に巡り会えるか、など胸を高鳴らしながら執念のように出かけるのは何故だろう。と我が身に問うても答えは返ってこない。 市場と言っても色々あるが早暁出かけるのは、殆どの場合食材の市場である。

 全く買う意志がなくとも行きたいのは、食い意地が張っているのか、こんな物を食べているのか、と探訪するのが目的なのかよく分からない。

 どこの市場にも売られている「カピ」と呼ばれるものは、小エビを塩漬けにして、発酵・熟成させたペースト状のもので、見ていると日本の味噌と同じにしか見えない。
このカピが樽の上にドカッと山盛りにして売られている。どうして食べるのだろう。

 ある時、カピ飯なる物を食べてみたらすごくうまかった。
カピ独特の臭いあの匂いは、火を通すことで突然変異のごとく美味しそうな香りと味に変身してしまうのだ。エビと塩だけを原料に作り上げた素晴らしい調味料であった。その後あちこちで、このカピ飯を注文してみるがなかなか出会えない。 

 特有の味と匂いを持つタイの醤油 「ナンプラー」 、これもタイの料理には絶対に欠かせない調味料だが、日本からの旅人には歓迎されない場合もある。

 ナンプラーは、小魚を塩漬けにして発酵させたもの(日本のクサヤや塩汁などと同じ魚醤)の上澄み液から作るもので、少しクセがある調味料である。この匂いに拒否反応を示すとタイ料理は食べられない。

 興味津々に歩いていると、台に置かれた豚の頭が、目を開いてにらんでいたり、鶏の鶏冠だけが売られていて驚くこともある。 魚屋では生きた大きなナマズを、綺麗な娘さんがナタで頭を叩切って、返り血を浴びながら、呼び声を張り上げている。日本で見られない光景があるから面白いのかも知れない。


 

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食べること ばかり

  タイという国は恵まれた国だとつくずく思うことがある。よく働く人も働かぬ人も食べることには事欠かない。
 食べるに困らないので、少々のことでは餓死することはないし、年中が日本の夏以上の気温だから、気取らなければ衣類などはどうでもよい。 

 湿潤な気候と気温が高いせいもあって、作物の種類は多く、主食となる米などは年に2回も収穫できて、さらには完熟した果物も種類が多く、その味はたまらなく美味しい。日本で食べるバナナなどは収穫して船に積み込まれるまで、緑豊かな房のままで芳醇な甘さなど望むべくもない。

 タイではバナナは皮をむいて生で食べるのではなく、皮をむいて叩いて焼いて、タレを着けて食べたり、フライにして食べるものなのだ。

 日本のように海と接しているので海産物も多い。 ただ海水温が高いので、種類は多いのだが色鮮やかな魚たちを見ると、熱帯魚のようであまり食欲はわかない。そこで私などは慣れ親しんだアジ、サバ、サワラなどの背の青い魚に食指が動く。

 日本では天然記念物に指定されているカブトガニなぞも、食用とされている。あの尻尾が長く、甲羅の堅いグロテスクな姿のまま、ボイルして大きな皿にのって食卓に出てくる。

 初めて食べたとき、どこもかしこも堅くて歯が立たないので困っていたら、それを見ていたタイ人の子どもに笑われた。

 そんな恥ずかしい思いをしたことがあったが、カブトガニは腹の外についている卵だけを食べるのだそうだ。 雄のカブトガニには卵がない。これは役に立たないから全部捨てる。何かやるせないものである。  獲った時に裏を返して雄と分かれば逃がしてやればいいものを、雌と一緒に食卓まで運ぶとはそりゃむごい。

 そしてタイ人は満ち足りた食物にありつけるから、顔は自然にほころんでくるのは当然のことだろう。
 町に住む人々には満足な台所なんか無い場合が多い。 晩ご飯も朝ご飯も買ってきて食べるのが普通なのだ。 

 作るのが面倒なこともあるのだろうが、家より遙かに美味しく作る専門家が、道路脇に屋台を出して並んでいるから、まったく心配は要らない。 おまけに毎日同じ料理を作るため、決められた材料しか必要はないため、家庭で作るより安く作ることができる。

 おばさん達の、天才的な腕によって作り出される食事は、 ご飯も、おかずも、スープも、デザートも熱々のまま、あるいは冷たいまま小さなビニール袋に入れられて輪ゴムでクルクルと巻かれ、家庭に、会社にと運ばれていく。

 手ぶらで学校へ行く前のお手伝いに、子ども達が友達と3~4軒の屋台を回って、食事を買い整える姿など、日本では考えられないタイの文化である。

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いつもと変わらぬタチレク

  ここのイミグレーションは、入国形式が何度も変動するので気をつけねばならない。
ある時は両国で発砲事件が起こって、出入国が停止になるかと思えば、パスポートのコピーにスタンプを押して入国を認める時もある。

 しかし最近は正規に近い出入国となっているようだ。そこでどのようにして、入国が行われているか確かめるために寄ってみた。

 タイ側の係官にパスポートを提示して、ノービザと告げて様子をみてみると、あっと云う間にパスポートに添付されていた帰国用の出国書類をはぎとられ、同時にパスポートには出国のスタンプが押されてしまった。
タイに入国した翌日には早くも出国し、弾みでミャンマーに入国してしまうことになったのだ。

 入国手続き料を 800 円ほど払って、ミャンマー1日滞在の仮ビザが発給されたのだ。 ということで、図らずもミャンマーの市場を一回りすることになった。

 しかし、買いたいような物はなし、物乞いは多い。押し売りも多い。早くタイへ帰りたい。
次から次へと現れる押し売りも、日本人と察するとバイアグラ安いよ と口を揃える。よほど日本人はよく買うらしい。

 ミャンマーから出るときはいいのだが、タイ側に再入国するときにイミグレーションカードを書かねばならない。

 書くためには、ホテル名や入国手段などを記載しなければならず、英語なのでスペルなど誤記を書き連ねる事になった。
 汗をかきかき提出したら、笑いながらタイへの入国スタンプを景気よくポンと押してくれた。要するにこの程度しか書けない輩が多いと言うことだろう。少々の間違いは気にしないのである。

 繰り言になるが、日本を出国してタイに入国、翌日にはタイを出てミャンマーに入国して数時間でタイに再入国した。いい歳をして荒技というか無節操というか、自分でもあきれかえる行動であった。

 メーサイからチェンライへ帰り数日を過ごした後、VIPではなく身の丈にあったエアコンバスで再びチェンマイへ向かった。

 

 

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いつもの旅が取り戻せるか?

  夜が明けて耳を澄ますと、なにやら裏手の方が騒々しい。 さっそく朝起きが苦手のM氏をうながして探索に出かけた。 するとホテルの裏手はかなり広い市場になっていて、喧しいのは当たり前、地元の人や山を下りてきた人 (山岳民族) 達が食材を中心に商いに精をだしていた。

 この市場を抜けるとワットドイワオと呼ばれるお寺が山上にあって、何故かしら大きなサソリの像が鎮座している。 このお寺の展望台からは、メーサイの街もミャンマー(ビルマ)の街も一望できて、霧に煙る絶景である。

 山を下りるとサーイ川に沿った道が上流に続き、ミャンマーから送られてきたクズの宝石が研磨されていたり、小さな石像が加工されたりしていて面白い。 この道を通って山岳民族の人がたくさん登り降りしていて、衣装や籠などの持ち物が珍しい。重い籠一つ背負うにも持ち方があるそうで、M氏が
女の子に聞いたところ、丁寧に教えてくれた。

 さらに上流に遡ると、コンクリートの杭3本が小道を遮り、ここでタイ王国は終わりとなっている。
上流を杭の間から覗き見ていると、近くの人にアンタラーイ(危ない)と制止された。ここは忠告を聞いて無理なことはすまい。
 
 前々回一人で来たときは、知らずに先に進んで、藪道になったのに不審を抱き、ちょうど降りてきた少数民族の人に、ここはどこですか。と聞くと 「ここはパマー」 (ミャンマー) と教えられてあわてふためいたことがあった。

 引き返す途中には川の側に、目立たないゲストハウス兼茶店があって、いつも立ち寄ってコーヒーを喫して休息をする。 川は5メートルほどの浅く狭いものだが、これが国境である。そんな近くで生活をしているのは、軍事政権に抑圧されている有名なミャンマー(昔のビルマ)の人たちである。

 15分ほどぼーっとして、洗濯をしている女性や、水遊びをする子ども達を眺め、トイレを借りるのがいつものパターンとなってしまった。ここは本当に気持ちが安らぎ、楽しいのである。
コーヒーの味も、日本のものとよく似てそこそこ美味しい。 どなたかまた寄ってみてください。

 そのまま下流へ15分ほど歩くと、多くの人と車が国境のゲートが開くのを待っていた。午前7時にゲートは上がるのだという。

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宿探しの おそまつ

  生意気なワントンホテルに舐められて、何と腹の立つこと、こんなホテルは強度不足か何かで早くつぶれてしまえ。

 何とかの遠吠えでは駄目ですねえ。M氏と二人で夜の町をさまようが、人通りもまばらとなり心細いことだ。 すると大通りの反対側に、明かりをつけて営業している食堂があった。
宿泊の出来るところを尋ねてみると、なんと! 店の奥が一応ホテル? になっている。と云うではないか。

 応対してくれるのは中国系の気安いおっさんだ、 おっさんは言う エアコン付きの部屋なら1,600円、ファンなら 1,000円だ。 ここは熱帯の国、当然エアコン付きの部屋だ。 私はこの年になってもまあ人並みの判断は出来ると、思っていたのだが、全くのうぬぼれでした。バカでした。

 話はまとまって、おっさんに夕食をオーダーしたところ、にやりと笑い「閉店した」 ビールならあるよ。 云ってくれるじゃあないか、今日日本を出てきて腹ペコのお年寄りですぞ。
しかし云ってみても、遅い時間に来たのだから仕方が無いか。

 寂しい夜の町を、屋台を求めて彷徨うことになったのだが、ミャンマーとの国境の町は、左から山が迫る田舎中の田舎で、夜9時にもなると街は寝静まったかのようであった。やっとの事で店じまいを始めかけた屋台を見つけて、何かしらねど食べることはできた。

 ホテル? へ帰り、部屋に初めて案内されてみると、ホテルという名前が逃げ出しそうなくたびれ果てた部屋である。 見回してみるとテレビは有るのだが、持ち逃げされないように鉄枠で固定されて南京錠がかけられた小型の古ぼけたソニー。

 その横には故障して使えないサンヨーの冷蔵庫、浴室にはリンナイの小型給湯器が息も絶え絶え動いていた。 日本の電化粗大ゴミの展示会である。
何たることか。タイ王国への旅の一日目がこれでは、日本のおじさんの二人旅も落ちたものだ。

 熱帯のタイでも最北の町ともなると、夜間は急激に気温が下がる。粗末なベッドには毛布が一枚置いてあったが、いくらくるまっても寒くて眠れない。
こんな状況を予測できない私、見栄を張ってクーラー付きの部屋を選んだ私、自分の馬鹿さ加減を満喫した夜であった。

 それでも眠る所があっただけ、まだましか。 諦めと寛容はまだ持ち合わせているようだ。
翌朝ホテルの上を振り仰いで見ると、看板だけは 「トップノースホテル」 と威張って掲げられていた。
今日こそは、普通の旅に帰りたいものである。

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高級バスは困るのだ

  アーケードバスターミナルへ着いて時刻表を見ると、少し待てばメーサイ行きのVIPバスがあった。これはラッキー、チケットはまだ残っているようだ。
このバスはベンツの大型で横3座席、縦8列の24人乗りである。横の間隔も縦の間隔も非常に広く、さすが高級車は違うとひとしおの感激であった。

 走行してからは、ジュースはもちろん、お菓子や果物のサービスがふんだんにあり、文句の付け所はない。 しかし、しばらくして困った現象を意識し始めた。
リクライニングシートを倒して、くつろいでいたのだが、昭和の10年代に産まれた日本男子の体型には合わないのである。

 アジアの平均身長しかないタイなのに、アメリカの大型車を生意気に輸入するから、こんな事になるのだ。 私など足の短い典型的な日本人の代表であるから、座れば足は床に届かずシートを倒してみれば、ふくらはぎの中間から先は宙にさまよう。

 座るも寝るも、高級車はしんどいばかり、一番楽な姿勢はアグラをかくことであった。私の横の座席のオバサンはと見れば、オバサンも座席にアグラで座って困っていた。
アメリカ仕様のVIPバスなんて、足の短いアジア人には猫に小判だ。どう考えてもタイの輸入業者が悪い。

 こんな事を考えながら5時間30分、バスはメーサイのバスターミナルに到着した。
タイのバスターミナルは、殆どが町はずれにあるから不便この上ない。ターミナルから町の中心部への足である、ソンテウやトゥクトゥクの運転手に配慮して客に不便を強いているに違いない。

 バスの到着を待っていたソンテウに乗り込んで、町の中心であるミャンマーとのイミグレーション前終点で下車した。イミグレーションは6時を過ぎて閉鎖され人々の往来も絶えかけていた。それにしても今日の日付の午前1時頃に日本を発ったので、よくも一日でこのような遠隔地まできたもんだ。

 まずはホテルの確保が最重要の課題、とばかりに町一番のホテルに立ち寄って空室の有無を聞いてみた。空室は有るには有ったのだが、一泊朝食付き8,500円と言い張る。
遅い時間にやって来て泊まるところの無い客と踏んで、完全に足元を見ているのだ。

 M氏と共に出ましょうと、出たものの、後を追ってくるはずのレセプションのヤツが追ってこない。
普通なら追ってきて、これだけまでダウンできます。と言う目算であったが、読み違いである。

 このワントンホテルは、ガイドブックの公定価格が一泊2,500円と分かっているだけに無性に腹立たしいことであった。 こんなホテルになんか絶対泊まってやるかい。と言っても 負け犬の遠吠えである。


 

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一大事だ 飛行機がない 

  深夜便でバンコクへ着いて、その足でチェンマイへ向かった。ここから飛行機を乗り換えて30分で、山あいの秘境メーホーソンの町へいける。

 山深いビルマのすぐ近くで、周囲に連なる山々に囲まれた小さな盆地である。その山にはミャンマーから逃れてきた人たちや、たくさんの少数民族が生活を営んでいる。

 憧れと希望に老いた胸をふくらませ、メーホーソンのチケットを手にして、搭乗券と引き替えるためにカウンターへ歩み寄った。
ドル箱路線なので、大変な混雑を予想していたのだが? 閑散としているではないか。

 ここにいたタイ航空のお嬢さん係員は一言 「飛ばない」 エ 今なんて云ったの。 私たちは今日の航空券を持っているのに何でや。 と詰め寄るが、お嬢さんはにべもなく「飛ばない」。 こんなんありか。

 更に彼女は云う、メーホーソンまでどうしても行きたかったら、無料バスを用意しています。どうしますか。  バスなら何時間かかるの。 5時間くらいでしょうか。
そんなことはない。 前回来たときに調べたら、8時間30分曲がりくねった山道を行かねばならない。とあったから飛行機にしたのだ。

 ここはタイである。彼女にいくら抗議をしても、騒いでも飛行機が飛ぶことはない。 M氏には申し訳ないが、こういうアクシデントは、この後どうしようか、と善後策を考えることが、また楽しいのである。

  明日のフライトはありますかか。(明日も飛びません)   ならもうメーホーソンには行かない。
 欠航の証明をしてください。(欠航証明をします) これで旅行会社からの返金は大丈夫。

 次に、今夕のホテルのキャンセル連絡だ。ここはタイ語の堪能なM氏にお願いして伝えることが出来た。 私一人なら悪戦苦闘なんだが、M氏のおかげで連絡はうまくいった。

 それでは、今日はどうしたらよいか。ゆっくり二人で話し合って結論を出した。
 チェンマイで宿泊する。  チェンライまで行って宿泊する。  ほかの町を探す。 この選択肢の中から二人が選んだのは、ほかの町を探すことであった。

 そのほかの町として、チェンライを通り抜けて、ミャンマーとの国境の町メーサイはどうだろうかと言ってみたら、M氏はそうしましょうと同意された。

 今なら5時間はある。夕方にはメーサイの町に入れそうだ。即刻出発である。 トゥクトゥクに乗って
チェンマイアーケードバスターミナルへ急いだ。

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再びメーホーソンを目指して

 私がタイ語教室に通っている頃、親しくおつきあいするようになった奈良県在住のM氏とは、毎年一回は一緒にタイ旅行をする間柄である。M氏は私と違って学習に対する熱意が旺盛で、タイ語についてはかなり造詣が深いかたである。

 タイに対する感性は私と似たところがあり、意気投合するのである。 私がメーホーソンの話をして、もう一度訪れてみたいところです。と話をしたことがきっかけとなり、メーホーソンを含む北タイの旅をすることになった。

 もう一度ビルマにほど近いメーホーソンの町をゆっくりと歩き、私のお気に入りのチェンライを起点として、ラオスとの国境付近を歩こうという計画を立てた。

 深夜便で関空を発って、バンコク国際空港へ着いたのは、定刻よりやや早い時刻であった。
早暁の入国審査の列がなかなか進まない。決して入念な審査をしている訳でなく早く云えばトロイのだ。 にも関わらず中東系らしき人に対しては、時間をかけて意地悪く扱っている。

 意地悪く見えるが、実際は書類の書き方に、ずさんな個所が多すぎるのかも知れない。ひどいのは自分の名前だけしか書いていないのもあるようだ。お互い言語の違いから会話が成立せず、その上彼らに対する差別意識が働くから、話がかみ合わず感情的になっていく。まあ早くしてくれ。

 私とM氏は日本で慎重に記載事項を記入して来たので、審査は3分もかからない。ただ、これはタイ航空にも責任がある。入国審査書類を乗客に渡すのが何とも遅い! 間もなく着陸態勢に入ろうか。と云う時間に配り始める時もあって、慣れない人には無理なんですよ。

 いつものように、大きな荷物は空港に預けて、身軽になって国内線に移動した。
国内線のロビーで待機していると、黄色の制シャツを着た50人くらいの小学生が集団でやって来た。

 先生に引率された修学旅行か? 初めての飛行機なのかガチガチに緊張して顔を強ばらせている姿はとっても可愛い。 そして生徒の皮膚がみんな少し黒い、男の子も女の子も先生方も黒いのである。 タイ語を話しているから、タイ人には違いないのだが。

 
聞いてみると小学生達は、ロッブリーから出てきてチェンマイに向かうらしい。格安航空会社ノックエアーのロビーに消えていった。 楽しい旅をして欲しいものである。

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タイを旅する季節は

  タイを旅する季節は、11月から2月の終わりまでが最高である。この間は乾季で雨も降らず、気温も穏やかなので、絶好の旅日和が続くのである。

 これだけタイへ行き続けているが、私はまだ4月に出かけたことは一度もない。 3月の下旬から5月頃までは気温40℃を超すことも珍しくなく、間違って行けば炎暑地獄巡りを覚悟しなければならない。当然タイの学校は、この間は夏休みである。

 少々の暑さには汗もかかない南の国の生徒さえも、屋内で気息奄々昼寝をしているというのに、クーラーに冷やされ続けている柔な日本人が、高い旅費を出して猛暑の国に行くことはあるまい。

 5月から10月までは雨季なので、旅は雨と心中することが覚悟の上でないと行くことは出来ない。
差し引きすると、やはり 11月から2月の終わりまでが最適なのである。

 ただし、しょぼしょぼと年金で糊口を凌ぐ我々後期高齢者予備軍は、せめてヒコーキの安い時に狙いを定めなければならない。

 まず年末年始を避ける。ゴールデンとかシルバー何とかの連休も、お盆も避ける。就職難で大変であろうが大学生の卒業旅行にまで気を遣う。 その上、最近では高校生まで卒業旅行などと言うご時世だ。

 私たちが高校の頃なんか、海外旅行など認められず、ましてやビザも発給されないのであり得なかったのだ。まあ昔のことは云うまい。 お分かりにならないだろうが、私たちのご幼少の頃は、まだ複葉機が飛んでいたんだ。

 話は戻るが、今までの経験から、1月の8日~2月下旬。 5月の中旬~7月中旬。10月中旬~12月20日 の航空券はかなり安くなる。

 ときどき5月、6月、9月にも行くことはあるが、この雨季には沢山の果物が一斉に実り始め、それらを十分賞味したいとの、衝動を抑えきれないからである。

  さて、こうしてみると1月、2月はどうしても、タイへ旅をしたいと思ってしまう。そこで寅年の 1月、2月は、連続2回タイを訪れようかどうしようか思い悩んでいる。

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