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2010年3月

タイ最北の町メーサイの様子

  イミグレーションのある中心部に向かって歩いていると、市場などで用事を済ませた、ミャンマーの山で暮らす女性達が三々五々大きな籠を背負って帰ってくる。民族衣装を身にまとって、いつものように縦に一列に並んで歩いている。 何で縦に並んで歩くのだろう。

 イミグレーションではパスポートと250B(750円)を出せば、出国のスタンプを押してくれ、ミャンマーのイミグレーションでパスポートは預けることになる。 (手元には預かり証だけになってしまう)。

 預かり証を片手に歩けるのは、ミャンマーのイミグレから5キロ平方メートル。しかも一日だけ有効となっている。(6時頃に閉門するから気をつけよう。)帰りにはタイ側で改めて入国手続きをしなければならない。
何度行っても代わり映えしないので、私は滅多に入らない。

  イミグレーションの近くに、ワントンホテルというこの町一番のホテルがある。超田舎のことなので
一番と言っても一泊の料金は1000B (3000円) 位であるが、品位に欠けるので好きにはなれない。 10年も前に私が宿泊した時は、ボーイがミャンマーの子供の売春斡旋に精を出していた。

 白人のオヤジにと連れだって部屋にはいるのを目撃したが、少女は何と小学生か中学生くらいに見えた。いくら貧しいからと行って、ボーイが少女の斡旋をするようなホテルは品格乏しく、見下げ果てた存在である。

 奈良県の友人のMさんと、国境が閉じて夜の帳が完全に降りた頃、空室があればと聞いてみると、
完全に足元を見られて、3000B (9000円)とふっかけられたことがある。私の経験では堂々のワースト3に入るホテルである。

 ただトイレはそれなりに美しいので、今回も使用してやった。 お昼が過ぎてレストランがすいていたので、昼食を食べてみたが、予想通り美味しくなかった。

 ホテルから大通りへ出たところが、ソンテウの乗り場になっていて、パイボーコーソーと聞くと、行くというので料金を聞くと15Bとのことだった。 一人の客で発車するときは、時にチャーターだからと法外な料金をとる場合があるので、気をつけねばならない。

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もう一度はメーサイに泊まってみたい

 ミャンマーの竹藪の小道に続く裏のボーダーが、外国人は兵士によって阻まれて通過できないので、無理をしないで引き返すことにした。 この国境検問所は仮にビザがあってもまず入ることは不可能である。 もし入ることが出来てもミャンマー領にある、少数山岳民族の村であろう。

 引き返す途中に小道から川に降りる坂道がある。この下にあるのがメーサイゲストハウスだ。
今までに何度か立ち寄ってみたが、見栄えはよくないがコーヒーがうまい。 そして粗末なトイレもあるので気軽に利用できるのが有り難い。

 今回も休憩してコーヒーを飲もうとすると、奥さんがあっちがいいだろうと、川にせり出した吾妻屋風
の休憩所に誘ってくれた。眠気を誘うような静かでのどかな風景の中に身を置いて、30分ほどメモをとって、渓谷や川のせせらぎなどを聞きながら時を過ごした。

 10メートルほどの対岸では、ミャンマーの女性が4人で話をしながら洗濯をしている。日本でも昔はあのように川で 手洗いの洗濯などしていた。 一年中が夏であるタイやミャンマーでは、水を使うことは気持ちが良いに違いない。

 吾妻屋で一人ぼんやりしがら、子供だった頃のことを思い出していた。地図を見ると日付変更線というものがあって、太平洋に縦に線が引いてある。  私は子供心に太平洋には本当に赤い線が引いてあるのだと信じていた。

 また同じように国境にも線が引いてあって、国が特定されているのだと思っていたが、現実には、線はなかった。  子供の頃は無邪気なことを考えていたもんだ。

 いま現実には線は引いてないが。10メートル先が国境を越えた隣の国なのだ。そこで話しているあの女性達は異国の人なんだ。
そして時計を見ると、空腹を覚えるはずだ。ちょうど1時になっていた。 

 しかし待てよ、あの洗濯している女性達は12時30分の世界の人なんだ。 10メートルしか離れていないのに、私のいる国は午後1時で彼女の国では12時30分なんて、時差とは不思議なことである。  (これまで考えても見なかったが、タイとミャンマーには30分の時差が存在する)

 つまらぬ事を考えていたが、コーヒー代を払って道を下り始めた。 そしてまた山の方へ伸びる別の道を発見てしまったのだ。
どこへ行くのだろう。何があるのだろう。 一人でする旅はなんでも気になり歩いてみたいのだ。

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ミャンマーとの国境の町 メーサイへやって来た

 メーサイの町は、イミグレーションを中心にして町は成り立っている。そしてあらゆるバスが到着するバスターミナルからは、ご多分に漏れず、とてもじゃあないが歩ける距離ではない。

 ここからイミグレーションまでは、ソンテウに乗り換えるのだが、バス一台の客を出来るだけ乗せようとするから超満員になる。 ターミナルがわざわざ遠くにしてあるのは、トゥクトゥクやソンテウ運転手の生活を保障するためだろうが、客には迷惑な話である。

 満員になっているのにソンテウの客は、私が行くと乗れ乗れまだ乗れる。と言いながら席まで用意してくれる。この優しさが、タイ人の真骨頂であろう。
このソンテウの料金は15B、つまり43円だから、一日に何回乗務したかは知らないが、、相当な稼ぎになっていることだろう。

 イミグレーション前が、ソンテウの終点になっているから下車した。 見慣れない服装、人の流れや様子を眺めて、少し引き返して市場を散策していると、山へ続く道があった。
ドイワオ寺への道だ。 久しぶりにその気になって登ってみた。

 私は山に登るのが嫌いだ。か弱い足が、水平移動をしながら60㎏の体重を上方向に押し上げねば登れないからだ。 足は交互に動くので片足ずつ交代で、60㎏を押し上げる重労働を強いることになる。このことが辛いし、最近は膝にも来るようになった。

 頂上にたどり着いて、寺の境内から眺める風景は、眼下にメーサイの村を、左側にイミグレーションとミャンマーの町タチレクを詳細に見せてくれていた。

 一転裏側の展望台から下を見ると絶景だ。サイ川の流れが高い山の谷間を流れ下って、俗界に汚されながら移動していく。

 神秘的な流れの左側はタイの集落がまばらに見られて、右にはミャンマーの家々が散在して一幅の絵を演出している。  やはり今日もサイ川に沿って奥深く歩いて自然を楽しんでやろう。
商店街を抜けると、自称宝石屋が石を選別していた。

 ミャンマーからの原石を選別をしているとの事だが、中に入って見てみると1㎝ほどの石を選別していた。 これが宝石か? ただの石ではないか。 
 でもこの大きさなら砂ではないし、石の大きさでもなく「礫」の大きさだ。気の毒だがこれの加工したものを買う人はないだろう。

 さらに上流へと足を運ぶと、国境であるべきサイ川の幅はさらに細くなり、狭いところで5メートルくらい、これが国境になっているなんて、不思議な思いがする。   行け行け登れ登れと歩を進めると
人家は途絶えて、最後の家となる。

 この最後の家を近くから覗いてみると、若いタイの兵士が5人詰めて談笑していた。
その横には倍率が高そうな双眼鏡が二つ三つ。本物の銃が6丁ほど立てかけてあった。 私は知ってはいるが念のため、この先へ行けるのか?  と聞いてみると、行けないパマー(ミャンマー)だ。
 アンタラーイ(危ない)と止められた。

  川の上流ではミャンマーが川を渡ってタイ領に入り込んでいるのだ。 以前もこの道を進んでいって小屋に兵士がいなかったので、そのまま竹藪の小道を上っていって、心細くなった。
ちょうど山を降りてきた少数民族の人に聞いてみたら、やはりここはパマー(ミャンマー)だと云われて引き返したことがあった。 危ないことは止めよう。

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この付近で思い出す人

  この国道を通るたびに「マンゴーが空から降ってくる」の著者である、水野 潮氏の以前の生活を思う。  水野さんは著書の序文にこんな事を書いている。
ここはタイ最北の県チェンライから少し離れたありふれた農村である。私がここに住むようになったのは、深い理由はない。

 たまたまチェンマイへ出ていた、うちのヤツと知り合いになって、彼女の実家に行って気が付いたらそのまんま居着いてしまったのだ。
どうしてタイ人と結婚したのかと聞かれると困るが、ふとしたことから一緒に暮らすことになった。そして「彼女の実家が、チェンライ県であったと言うだけでのことである。運命とはこんなものだ。

 動機はさておき、この本の中味が非常に面白い。 たとえば水野さんがバイクの運転免許を取りに行ったときの事などには、「いつまでも無免許では悪いので正式の試験を受けることにした」。

 運転免許試験場で「英語のテスト用紙はありませんか」と係官に聞くと「ありません」。ホットした。英語であってもどうせ読めないのだ。
試験場は親切にも可愛らしい女の係官を一人、外国人の私に付けてくれた。

 試験は一つの質問に対して答えが四つあって、正解を選ぶ形式であった。 二十問で十五問
出来れば合格である。
彼女が質問を読んでくれる。 「正解は何番?」  [一番]  といい加減に答えると「本当にそれで良いの?」  [じゃあ二番]。 「本当に?」  [ひょっとすると三番]。 「そうね」 と言って 微笑んでくれる。 

 万事この調子で二十問すべて正解であった。 その後には実技試験があって、まっすぐ走って、カーブが曲がれれば合格である。 自宅から試験場までバイクで来ているくらいなので、実技も合格して当然である。

 こんな調子で村の出来事や娘達のこと、トカゲや蛇、虫などの取り方と食べ方などが克明に書かれていてたまらない。
タイに興味があって、まだ読んでいなければ、ぜひ買い求めて読まれるといい。

 こんな事を思い出しながら車窓を見ると、道路沿いにはパインナップルや西瓜の直売所が目だってきた。 日本で見るそれより、一回り、いや二回りほど小さいのだが、パインなどは蜜がこぼれるほど甘いし、西瓜も完熟でとても美味い。 この直売所が200メートル間隔ほどで並んでいるが店番の女性はたいがいお昼寝だ。
 
 と思うかもなく「検問」だ。バスの乗客はみんな不安げな表情にかわる。どうも権力が正当に行使されるとは思っていないのだ。(気分によって意地悪をされる)
今日の検問は7人の警察官で荷物の中からIDまで綿密に調べている。外国人の不法就労、麻薬の所持などに重点が置をおいて検問をしている。

 検問などにはもう慣れっこになってしまった。警察官が3人でも5人でも同じ事、悪いことで詮議されるようなことはしていないので、パスポートも出せと云われるまでは出さない。

 顔を見ると黙って頷いて、次の人に移っていく。でもバンコクから出るときはやはりパスポートを持参しなければならないと思う。 

 

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メーサイへひた走らないバス

  チェンライからメーサイまでは、1時間30分の所要時間で行けるが、私が愛用しているローカルバスを使えば運賃は113円である。  チェンライの新しくできたバスターミナルまで行けば、VIPバスもエアコンバスもメーサイまで行くのだが、便数が少なくメーサイまで停車しないのでつまらない。

 タイ人やミャンマー人、それから山に住んでいる何とか族などの人達が乗り込んでくるから、旅の趣も出ようというものだ。 ボロボロのバスでも高級バスと同じように1時間30分でメーサイに着くのだ。

 今日はバスに乗る前に、竹の一節を薄く削った器の中に、餅米と小豆を蒸して少し甘く味付けをした赤飯を詰め込んだカオラーオと呼ばれるものを買ってみた。
実際に食べてみると味はともかく持ち運びにも後始末にも大変便利な器であった。  食べた赤飯は可も無し不可も無しというところで、私の好みには合わなかった。

 このようなお菓子かご飯か分からないようなものが一節29円では、竹の加工代にもならないと思うのだが、売っているのだから商売にはなるのだろう。

 バスの中では肌の黒いオバサンが、おしゃべりに夢中になっている。その顔はミャンマー女性が愛用するタナカーと呼ばれる、白い木粉を水に溶いたものが無造作に塗りたくられている。
これは女の赤ちゃんでもお母さんでも、お洒落と日よけが目的で塗っているのだそうだ。
少し黒い肌なので、今更日よけは要らないだろうと思うのだが、そこの気持ちがよく分からない。

 私の横には山岳民族のお爺さんが、古ぼけた民族衣装に身を包んで、山高帽に似た帽子を誇り高く頭に乗せている。 私の視線を意識して微笑んだ顔が、生きてきた年輪と優しさを感じさせてくれる。

通路に立っている お婆さんの歯が赤く染まっている。これは珍しいと眺めていたら、視線に気づいて横を向かれてしまった。
 こんな人達が乗り降りするバスは楽しくて仕方がない。バンコクと違って殆どの人が背が低く皮膚の色は浅黒い。このバスの中では私など白人と同じように見える事だろう。 ああ嫌だ。

 オッ、反対車線を走っているバイク、あれは危ない。家族の3人乗りで、かなりのスピードを出している。 それが前に立っている4歳くらいの小さな女の子にハンドルを持たせている。見たもののほうもドキットするぞ。

 ちょうど中間点になるメーチャンの町に着いた。そしてこの町をぐるっと一周して、思い直したように元の国道に出て目的地に向かうのだ。
このメーチャンは、チェンセンやメークロンとの分岐点になっているので、ある意味では活気があるのかも知れない。

 この町を出る時、小さな農家の離れから50代とおぼしき白人男性が出てきた。そして後からタイ人の奥さんが続いたのには驚いた。 タイ人の女性と結婚して住み着いているのだろう。

 そりゃあ物価が安くバイクさえあれば移動は楽勝、本国で虐げられた生活をしているより、はるかに恵まれた生活が出来ることだろう。
 
 甘言に惑わされて、多くの男性が殺された事件が日本でもあった。 結婚相手が欲しかったなら、男日照りの他国の田舎に行って、婿入りするくらいの気概が欲しいものだ。 道は開けるぞ!

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バスターミナルからボロバスに乗って

  ここしばらく、写真を入れてやろうなど不埒なことを考えて、悪戦苦闘していてブログの更新が4~5日間滞ってご迷惑をかけました。
写真をピクシアで、10KB~20KB [ 300×200 ] で加工して使用しているのだが、1時間から長くて2日間で消えてしまいまう。

 写真は私と非常に相性が悪いらしく、定着するのを嫌がります。 現在生き残っている写真は3枚、さていつまで生き残っていることやら。 もう年寄りの冷や水は止めて悪あがきはよそう。

 今日はタイとミャンマー(ビルマ)の国境であるメーサイへ行くことにした。この町も何度となく訪問したので、あまり新鮮な思いはないが、あの悪評高い軍事政権のことだからどのような変化が起こっているかに興味がある。

 今日の朝食はお粥にした。 お粥と云ってもカシワや色々入っていて、味の付いた美味そうなヤツと、病気の時に食べさせられる、何の味もしない病人様御用達のアレの2種類だ。

 私は当然のごとく病人様御用達のアレを選ぶ、ご飯茶碗の粥に日本人が忌み嫌うナンプラーを
小スプーン2杯、透明で酸っぱい液体に刻んだ唐辛子の入ったのを小スプーン2杯、特有な匂いを持つパクチーの刻んだヤツをドバッ、赤粉末の唐辛子を少々、緑と赤に彩色されたお粥は、ただ者ではない。

 こんなお粥は異様に写るかも知れないが、お粥のトレーの周りには客が好みでトッピング出来るように、ちゃんと置いてあるのだから私の食べ方は正解なのだ。 これのお代わりをして、あまーい西瓜とパインナップル、メロンをお皿に満載、コーヒーで終了であった。

 7時50分に有名なボロバスターミナルについて、メーサイ行きのバスに座り込んだ。 運転手、車掌が乗り込んで出発予定のはずが、二人ともバスから降りてしまった。
そうかそうか、いつものアレだな。 きっちり8時に国歌の放送が入って車掌、運転手だけでなく売店のオバサンはもとより、物売りも貧乏ですることのない人も、全員無言で直立して不動である。

 日本では国歌演奏の時に脱帽のうえ起立するのは、大きな体育大会や甲子園の高校野球などだ
が、難しいことは云わなくていいのではないかと私は思っている。
このメロディーが大相撲の歌だと思う人があっても、無意識であってもあまり深く考えないでいこうではないか。

 国歌演奏終了と同時に、いつもの喧噪なターミナルに帰って、定刻を2分遅れて、バスは動き出した。 朝のバスは30分ごとに出発だが、すぐに満員となってしまう。
こんな小さなダイエットサイズのバスでも、車掌がにこやかに手伝い、指示して客をさばき、まことに小気味がいい。

 ドアは開いたまま、スピードメーターなどの機器もないようなバスが、マークだけはベンツのものを拝借して、人々の足を支えている。 こんなバスにでも物好きな外人や間違って乗った外人も乗ることがあって、現地の服装や言葉遣い、皮膚の色などを目の当たりに興味津々で満足をしている。

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チェンライの朝市の終わった後は

  朝市が終わる頃、黄色い袈裟を着けた僧侶の托鉢が始まる。三々五々に列を作って今日一日の糧の喜捨を受けるのである。 この托鉢僧は全員が裸足で町のなかを歩き回るのだが、熱心な仏教徒である人々は毎朝喜捨(タンブン)を欠かさないようだ。

  すると僧侶は有り難い経の一節を、ムニャムニャとのたまう。 この托鉢によって、喜捨をした人々は善根をほどこしたから、心の安心と来世の幸せを約束されるに違いない。 

 侶は善根の手伝いをして経を授けたので、信者の心を救ったことになるらしい。 

それにしても、タンブンをするために毎朝、夜が明ける前から喜捨する食べ物を、たくさん作って待つのは、家族が数人新しくできたほどの労力とがいるはずだが、なかなか出来ないことである。

 タイにはこんな仏教徒が珍しくない。ひるがえって日本ではどうだろうか。
日本では仏教が本当に根付いているのだろうか、私なども今だかってタンブンなどしたことはない。
自分のことを棚に上げながら、疑問を覚えるのである。

 そして、あなたの宗教は何ですか。と尋ねられれば仏教です。などと臆面もなく答えている。
仏教が何たるかを理解していない私で恥ずかしい限りだ。

 こんな風景を眺めながら、ホテルへの道を歩いていると市場で野菜を売っていた人が、正装をして仲間と山へ帰るピックアップトラックを待っていた。
国籍はタイかどうかは分からないが、深夜山から降りてくるのは大変ですな。

  写真を入れることにしたのですが、送ったはずの写真が翌日には消えてしまいます。
どこが悪いのか確認是正出来るまで、お見苦しいと思いますが、ご容赦ください。

 



 
  

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チェンライの朝市 と云えるかどうか?

  日本での生活習慣は時差には関係なく健在である。 22時頃には就寝するのだが、目覚めるのは早い。 道路を走るバイクの音で目をさまし時計を見ると午前2時、音は2台3台と増えていくが、まだ少し早いかな。

 このバイクの音は市場に行く人達のたてる音なのだ。市場はワンカムホテルから歩いて7分ほど北にある。  もう3時になったからよかろうと、私はホテルのロビーに足音を忍ばせて降りると、フロントで熟睡していた保安員が「パイナイカップ」と聞くので、タラートと答えて出かけ、振り返るとまた寝ていた。

 乾季で空が澄み切っているからか、北半球では見慣れぬ星達が綺麗に瞬いている。満天の星とはこんな空を言うのだろう。
  
 少し北へ歩くと大きな通りに突き当たる、昼間は交通量が非常に多くてなかなか渡れない通りも、深夜なので、犬くらいしかいない。
 左折をすると、有名な時計塔が金色の光を放って、我が天下とばかりに輝いている。


一転して人々のざわめきが聞こえて市場の灯りが見えてくる。
 この市場は食材が中心であるが、多くの野菜と果物を商っている。
  鶏肉や豚肉、蛙や名も知れぬ虫などもあるにはあるが、これらが全部路上で売られている。

 バンコクでは35℃もあって、こんな時間でも冷房がないと辛かったのに、北のチェンライではご覧のように防寒着が放せない。
 夜明け前の市場ではあるが、買い物客は毎日非常に多い。小さな屋台やお店の人達の仕込み材料が大量に売れている。

 時差は2時間あるのだが、6時頃から夜が明け始め空が明るさに目覚め始める。 そしてカメラの出番である。(暗い時間にシャッターを押すのははばかられる)

 6時30分になると一斉に荷物を片づけて清掃にはいる。 遅れた人は警官の警笛が吹かれ注意を受けている。  このころ夜更けまで遊び回っていた観光客が眠い目をこすりながら現れるが、あらかた被写体は去った後である。 これを後の祭りというのだそうだ。

 7時には完全に一般の道路の機能を取り戻していた。  この市場は朝市なのか、夜の市場なのか、どう呼べばいいのだろう。

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チェンライのナイトバザール その2

  西の空に太陽が沈む頃、昨日と同じように屋台街へ出向いた。この屋台街は観光客もいるにいるが、地元のタイ人が中心である。   恋人と二人、若者のグループ、家族連れが殆どで、私のような一人で来ている客はまず見あたらない。

 タイ人から見て、友達もなく寂しく可哀想に見える客は、それはそれで注目に値すると見えて、いろいろと声をかけていただける。 私の左側のテーブルには、40代のご夫婦が小学生とおぼしき男の子と女の子と共に、夕食を取っていた。

 お父さんとお母さんはビール、子ども達はジュースとコーラ、そして沢山のご馳走がテーブルに並んで笑顔は絶えなかった。実に楽しそうな光景であった。

 ビールに酔った外国人 (私) が、不覚にもつい声をかけて、同席させて頂くことになった。ご馳走になりながら話をしようと頑張るのだが、タイ語教室の落ちこぼれを自他共に誇る私が、日常的な会話が出来るほど甘いものではなく、かみ合わない会話はとぎれがちになる。

 すると奥さんが偉い。車まで走って子どもの鞄から鉛筆と用紙を持ってきてくれた。これで筆談しようと云うのだ。
この家族は中国系のタイ人だったのだ。お互いに漢字のやりとりで何とか意志は通じるものだ。

 この二人は小学校の先生だった。 私もタムガンクルーと言っていたのだが、筆談ではいつの間にか私は「老師」に昇格していた。頼りない老師で申し訳ない。

 羨ましい家庭のご夫婦は、次回は必ず自宅に来て頂きたいと、市内にある住所を書いてくださったが、お気持ちだけいただき訪問は遠慮した。

 夕食の後、ウィアンインホテルの近くの古式マッサージに寄った。ここで失敗をした。
料金を聞かずに上がったのだ。 乗り物でもそうだが、古式マッサージでも事前に料金を聞いて確認しておくのが鉄則なのだが、それを忘れていたのだ。

 気持ちよく眠り込んで2時間、料金を聞くと450B(1350円)だそうだ。チップを入れると、1650円にはなる。
 昨日この店に来たときの料金が200Bだったから、一夜にして料金が2倍以上に跳ね上がったのである。

 これは確認を怠った私に非がある。 いろいろと高い授業料を払って学習するのだが、私の場合は忘れることが早いため、授業料を払う機会が近年多くなった。困ったものである。

 翌年この店の前を通ると店ははつぶれていた。 詐欺まがいの営業をしていて、長続きなどするわけがない。おめでとう。

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チェンライのナイトバザール その1

 チェンライの一番賑やかな通り、パホンヨーティンロードの中心から東に少し入ると、雨が降らない限り毎夜ナイトバザールが開かれる。  通りからバザールの中を10メートルほど行くと、ステージがあってタイの音楽演奏や舞踊が鑑賞できる。

 その舞台の前にはオープンエアーの食事や飲み物を供するお店があるが、これは完全に観光客用であるから、我々にはあまり縁がない。、横目で一瞥してバザールの中をさらに奥へと進むと、そこには広い屋台街が姿を現すのだ。

 ここには150脚ほどのテーブルが広場全体に雑然と置かれ、周りをずらっと囲むように屋台が取り巻いている。 イサーン料理、北タイ料理、揚げ物、鍋物、麺類、串焼き、シーフード、虫料理、ビール、果物に混じって、堂々と寿司まで仲間入りしている。

 テーブルを定めると、渡り鳥のように屋台を巡り、好みの料理や飲み物を注文し、坐席の方向を指さして、テーブルで料理を待てばいいのだ。

 ここからが偉いのである。屋台の若い従業員は調理が出来ると、テーブルの隙間をぬって運んでくるのだ。
薄暗い広場の中の百人をはるかに超える客のなかから、注文した客を違えず捜し当てるのは神業としか思えない。ほんとうに凄いのである。

 脳が退化の兆しを見せかけている私なら、注文した客の顔など思い出せるわけはなく、料理の皿を手にして、呆然と立ちつくし数時間で首になるに相違ない。それにしてもタイの若い従業員は記憶力抜群である。

 私は春巻きとソーセージを肴にビールを飲み始めた。漂ってくる匂いに屈して、焼きスルメの伸したのと、野菜炒めを追加して、気が付くと隣のテーブルで制服の高校生が、コップにビールをついで、私の方に向かって、チャイオー! (乾杯)  こんな大勢の中でいいのかいなあ。
でもありがとう。

 明るかったチェンライの空が夕闇包まれていき、涼風に吹かれて最高の気分であった。 また明晩も来てみよう。

 食事が終わり、ゆっくりナイトバザールを歩くと、山岳少数民族の衣装を身にまとった女性達が、
いろいろ民族的な土産物を広げている。  そんな店の間に鉛筆(4B)で写真の模写をしている男女がいた。実に綺麗にそっくり模写をするのを毎日見ほれていた。

 日本に帰って、父親の遺影に使えないだろうかと、不謹慎かも知れぬが、弟と計ってみた。 二人の意見は一致して、昨年10月の葬儀には、遺影の横にタイで書かれた肖像画が並んだのである。  とても良いできばえで満足であった。



 

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山深いチェンライという町

  弟がタイのプミポン国王から、栄誉ある叙勲を受けた。両国の高校生を中心とした若者の交流に大きく貢献したことが受賞に繋がったようである。
 昨日、その祝賀会が行われ、タイ王国総領事をはじめ、各界の著名な方々、教育関係やこれまで活動を支援してくださった100名以上の方が、お祝いに駆けつけてくださった。

 こんなに多くの方から祝福と励まして頂いて、弟も今後の活動を思えば身が引き締まる思いがしたこととだろう。 ご多忙中にも関わらずご参集くださいました皆さまに、厚く感謝申し上げます。


 さて、チェンライの街は山が近く美しく、田舎の風情が残っていてとても落ち着くのだが、、チェンマイなどのようには発展をしていない。
町の中心には古ぼけたバスターミナルがあって、これまたボロボロの小型バスがチェンコンとかチェンセンやパヤオなどに向かうため、かなりの台数が蝟集している。
                                 
 

この小さなチェンライの街には、ホテルは大小あわせると10軒ほどの数が散在しているし、毎夜バスターミナルの近くではナイトバザールも開かれて、観光客の絶えることはない。

  この原因はミャンマーとの国境がすぐ近くに控えていること。

ラオスとの国境も近く、麻薬で有名な黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)も指呼の間にある。


  また周りの山中には少数山岳民族も多く、一大トレッキングの基地になっている。

 トレッキングや遺跡、メコン川の散策に疲れた人々には、古式マッサージの店が非常に安い料金で我々を誘い癒してくれる。 何とみっちり2時間で800円(チップ込み)である。

 この町はタイでも最北に位置するので、バンコクがいくら暑くても、朝夕は長袖が必要なほどであであって、我々観光客にとっては非常に過ごしやすい。
私はタイでは一番好きな町なので、これからしばらくはこの町を中心に書いてみたい。

 

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 チェンライよ おまえもか

 チェンマイのアーケードバスターミナルの窓口で、チェンライ行きのキッフを買おうと並んでいると、車掌が外から飛び込んできて、一人でチェンライまで行く人はありませんかあ。 と叫んだ。
誰もいないので、仕方なく手を挙げてパイチェンライと答えると、手を引っ張って動き始めていたバスへ私を誘った。

 何のことはないメーサイ行きのハイクラスのグリーンバスに、空席が一つ出来たのだ。まあ空気を運ぶよりいいわなあ。
 タイの道路は広くて直線なのが多いのだが、チェンライへは長い曲がりくねった山道を、3時間走り続けて眠っていればチェンライに到着する。

 さて、眠りから目を覚ますと何やら騒がしい。もしかしてチェンライか。  降りようとしている人に聞いてみるとやはりチェンライだそうだ。
しかしこんなターミナル、見たことないぞ。 これまでのターミナルとは見違えるほどの美しさ、運転手に聞いてみてもチェンライバスターミナルだという。

 バスを降りた私にトゥクトゥクの運転手が寄ってきて、どこまで行くかを聞いてきた。私がボーコーソー(バスターミナル)だと答えると100Bで行くから乗れという。
バスターミナルからバスターミナルまでは100B、じゃあここはどこのバスターミナルだ。

 このターミナルは最近出来たバスターミナルで、町から大分離れたところに違いないと気づいた。
タイのバスターミナルは意地が悪く、町の中心部から数キロ離れたところに作られていることが多い。
客には不便きわまるが、ターミナルまで客を運ぶソンテウやトゥクトゥクを潤すためなのか。

 ついに素朴なチェンライの街も悪事に手を染めたらしい。それにしてもトゥクトゥクの100Bは高い。
そんなはずはないとタイ人の動きを見ていると、ターミナルの一番端に動いていく。
これだ! このソンテウだ。 と気づき運転手にパイボウコウソウと尋ねると、行くから乗れとの答え、正解である。

 ここで分かったのは、私がいつも使っていたボロバスのターミナルを「ボーコーソーヌン」といい、新しくできたターミナルは 「ボーコーソーソン」 と呼んでいて、ここはエアコンバスやVIPバスのような上級バスの専用ターミナルとして使用していることであった。

 15分ほど待って、ソンテウは動き出した。このソンテウは昔からのターミナルを経て山の方の村まで行くらしく、それぞれにかなり高い料金が記されていたが、ターミナル1は10Bであった。

そして、今晩から4泊するチェンライの中心部ある「ワンカムホテル」にチェック 
    

 このホテルは朝のバイキングが付いて、一泊4,300円くらいで宿泊できる。

 周囲には古式マッサージがよりどりみどり、
まったく過当競争をしている。

 ナイトバザールや屋台街へは徒歩10分と
ロケーションは最高である。

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田舎にある先生の家を 訪れてみた

  ノック先生と瞑想のお寺にお参りをした後は、チェンマイから車で40分ほどの田舎にある彼女の家を訪れた。  彼女はチェンマイに住んでいたのだが、田舎の母親が病身なため、屋敷内に高床式の離れ屋を建てて一緒に生活をしている。

 彼女が給料をコツコツ貯め、母親の身を心配して建てた家には、大中小の3匹の犬が、おとなしく甘えながら同居していた。

 まだ新しい家は高床式なので、風がよく通り抜け夜には蚊帳が必要だが、住み心地は抜群でとても気に入っている。 台所、寝室、トイレシャワーが付いた家は、羨ましいほどであった。

 日本では庭で野菜や果物を栽培することは少ないのだが、彼女の家の庭には、いろいろな果物が栽培されていた。
 お隣の農家では屋根の2倍もあろうかという、大木の実が収穫期を向かえていた。ご主人が高いところへ登って、長竹を振り回すとバラバラといくらでも実が落ちてくる。

 旦那が疲れて一休みすると、若奥さんが拾い集める。これは「タマリンドウ」だそうだ、この名前はどこかで聞いたことがある。
集めたタマリンドウを選別し明日の市場に持って行くそうだ。 世界の三大スープの一つと言われるト
ムヤムクンの、酸っぱい味付けに使うのだそうだ。 皮をむいて舐めてみると、なるほど甘く酸っぱい味が口いっぱいに広がってきた。


  
 こんな大木の実で、トムヤムクンの味付けをしているとは思いも寄らなかった。
いいいよ明日はチェンライへ移動だ。

 チェンライは私の大好きな町である。

 年に一度は必ず訪れるほどなのだが、今年も無事に尋ねることが出来そうだ。



 






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チェンマイ瞑想の寺 ワットモンルシー 

 朝9時にノックちゃんが迎えに来てくれた。彼女は何度も日本に来て、日本語の勉強をした女性である。 これまで、日本語のガイドをしたり、横浜タイヤに勤務したりしたのち、現在はチェンマイの高校で日本語の授業を週22時間受け持っている先生だ。

 今日は、チェンマイから西へ50㎞ほどの距離にある、
座禅を組み瞑想をすることで有名な、ワットモンルシーにお寺参りに行こうと誘ってくれたのである。

 このお寺は決して立派で大きなお寺ではないが、
座禅を通して、人々の優しい気持ちを育むと云うことで、毎年12月12日から22日の間に、タイの全国各地の僧侶有志が集まって修行する。

 今年は10日間で1800人の僧侶が一人用の簡易テントを持参して寺の庭で起居し、その眺めは壮観であったそうだ。
 彼女は最近ダイエットをかねて、ヨガをはじめた
そうで、その縁もあって、この寺で教えを受けることになったそうだ。

 50代の僧侶は、誠に温厚な方で、我々二人を庭にしつらえてある座禅堂に案内して、有り難いお話を1時間以上聞かせてくださった。もちろんタイ語ではあるが、今日は立派な私設通訳付きだから
内容はよく分かる。

 しかし有り難いお話も、愚人を誇る私のことなので、
後で思い起こしても、あまり賢くはなっていなかった。

 なにぶんブログに写真を貼り付けることは、初めての経験なので、どのようにしたらいいかよく分からない。


 これも昭和初期に生まれた、時代遅れの男の産物であろう。

 いろいろと皆さんにお教えをいただきたいと思いますので、よろしくご指導ください。




    




 

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チェンマイのホテルへ

  マニラを経由して、タイでは渋滞に巻き込まれて過ごした二日間はすぐに終わり、いよいよチェンマイへ出かける日となった。 スーツケースはバンコクのホテルに預けて、身軽な装いで出発した。

 BTSの終着駅オンヌットまで行って、電車の進行方向左にあるバス停留所から、552系統のオレンジバスに乗った。 このバスの終点が空港バスターミナルだ。乗客はまばらで、殆ど渋滞なく快走するバスである。

 バスターミナルは、まだ空港まで歩ける距離ではないので、ここからは頻発するシャトルバスに乗ればいい。 BTS高架電車20B、552番のバスは37B、シャトルバスは無料である。(160円 )
なおシャトルバスは、エクスプレスコースを選べば、空港4階(出発階)に直行する。

 スーツケースのように大きい荷物は無理かも知れぬが、リュックくらいなら楽勝である。料金が安いだけでなく、利用客が少なくガラガラ状態で、道路はすいている。所要時間は1時間30分を見ておけばいいだろう。 ぜひ一度お試しありたい。

 空港の4階にあるバンコクエアウエイ (BG) カウンターで、Eチケットと搭乗券を交換する。この場合必要なものは、Eチケット、パスポート、クレジットカードの3点である。

 そのあとゲートに向かうのだが、待合室には行かず、BG客ならラウンジが使用できるのでそちらをお勧めする。ラウンジは座りやすい椅子が並び、コーヒーやその他の飲み物、お菓子やパンなどがフリーで雰囲気はとても良い。  早く来てゆっくりくつろぐべきである。

 快適なバンコクエアーがチェンマイ空港につくと、ユパラート高校のソムサック先生の奥様が出迎えてくださった。
 あらかじめ弟から、ホテルまで案内して頂くよう連絡をしてくれていたのだ。私のリクエストはインペリアルメーピンホテルである。

 ホテルのフロントでは高校からも連絡があったようで、タイ人価格でチェックインすることが出来た。バンコクでもそうだが、ホテルの料金は二重価格になっていて、タイ人は安く外国人には高く設定されている。

 私の友人であったN氏など、いつも懇意の飲み屋の親戚として、安い料金でホテルに宿泊されていて、羨ましく思ったものだ。

 メーピンホテルはアジアの歌姫として日本人を魅了した、台湾人歌手「テレサ・テン」が死亡したホテルだ。テレサ・テンはチェンマイを、そしてメーピンホテルをこよなく愛して、このホテルの一室で亡くなったのだ。

 私は彼女が毎日のように通ったと云われる、ホテルすぐ近くの、ラタナーと呼ばれるラーメン屋を探してみたが、閉店したのか見あたらなかった。

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時代遅れの男になりました

  タイの国内航空のチケットを、旅行代理店にお願いしてみたら、往復なら出来ますが片道では買えません、とつれないお言葉が返ってきた。

 それでは、と淀屋橋にあるタイ国際航空に相談してみたら、うちで片道航空券を発売しますが、正規の料金なので、バンコクでディスカウントされたチケットを求める方がはるかに安いですよ。 とアドバイスされた。 

 日本でタイ国内の片道航空券は買えないのか。と娘に相談してみたらインターネットで、いくらでも買えるそうだ。 そうかネットか。 高齢者には不便な世の中になったものである。

 さっそく我が家にきて手伝ってくれた。インターネットでバンコクエアウエーのサイトをだして、検索してくれた。 へえー バンコクからチェンマイまで、料金は3通りあって、いずれかを選ぶ。さらに早い時期に申し込むと料金は安くなっている。

 希望の飛行機が選択できたら、自分のクレジットカードの (クレジットナンバー、セキュリティーナンバー、有効期限、メールアドレス)などを打ち込んだ。
すると、早くもメールで引受書類が送られてくる。この時点で支払いは完了である。

 これだけの作業で航空券が手にはいるのだが、70を遙かに超した時代遅れが、パソコン、メールアドレス、クレジットカードなどを自分名義でもっていると思うのか? また操作ができるのか?
 まごまごしていたら振り込め詐欺にやられるのが落ちだ。

 「時代遅れの男になりたい」 なんて気楽に歌うのは若い者の格好良さ願望であって、その悲哀に遭遇してみると情けないものである。

 チェンマイまでの足の確保は出来て、出発の日が近づくと、チェンマイからランパン、ウタラディット、ピサヌローク、ナコンサワンなどを列車とバスを乗り継いでバンコクまで行くという計画がだんだんじゃまくさくなってきた。

 そこで出発の5日前になって、またまたネットでチェンライからバンコクまでの片道航空券を購入してしまった。

 これで飛行機による移動の準備は完了した。

 

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時代から取り残された とまどいのエレジー

  今回の旅ではぜひここへ、という強い目的地が定まらぬ内に、出発予定日が近づいてきた。
とりあえずバンコクまでの航空券は確保しておかねばと、大手旅行代理店のJ××へ行った。タイ航空でバンコクまで行きたいのですが、安いチケットはありますか。

 「そうですね。一番安いので96,000円くらいですね。」
お宅のホームページには5万円台で出ているのですが、そのチケットは買えませんか。
 「あれはネット販売なので、店頭では扱ってはいないのです。」

 私は航空券や海外のホテル予約などは、旅行代理店に行けばいいのだと思っていた。
何がネットや。ネットを持って行かねば買えなくなったのか。

 亡くなった河島英五が歌っていた 「時代遅れの男になりたい」 あの歌を聞いたときには、男のロマンを感じさせて、いいなあと思ったものだが、介護保険証が送られてきたり、敬老乗車証を愛用しているようでは、時代遅れとなっても仕方がないか。

 J××を出た後、すぐ近くにあるH△△旅行社へ行って、同じように尋ねると、その日のタイ航空なら50,000円ですよ。サーチャージ、関空使用料、保険などが加わりますから、合計57,720円になります。  よかった。時代遅れにでも、チケットが買える旅行代理店があった。

 じゃあ、タイでミャンマーと国境を接している、メーソットをターゲットにしてみようか、軍事政権が支配するミャンマー(ビルマ)には、入国したいとは思わないが、そっと覗いてみたい気がして調べてみた。

 メーソットの町は、遺跡で有名なスコータイから山の奥にずーと入った彼方にある。バンコクから飛行機が飛んでいたが、今は採算が取れず無期運休中だ。
 
 とすればバンコクからバスで8~9時間で行くことが出来るが、少ししんどいか。
 ではスコータイまでバンコクエアーの飛行機で行けば、と考えはじめたとき、メーソットとターク地方でマラリアがかなりの数で発生しているとの情報に接した。

 年も取ったし、血液もO型で蚊とも仲良しだし危ないなあ。 と弱気になってチェンマイに行くことにした。
 チェンマイからバスと汽車を乗り継いで、色々なところに泊まりながらバンコクまで一週間ほどかけて旅をしようとの目論見である。


 

 

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アクセスが脆弱な空港

  バンコクに高架電車BTSがまだ完成していなかった頃、ワールドトレードセンターで買い物をして、スリウォン通りのホテルまで帰ったときのことである。
雨季の6月のこととて、午後はおきまりの景気のいい土砂降り、バスは大渋滞で動けなくなった。

 夕刻に友人が尋ねて来ることになっていたので、どうしても帰らねばならない。ホテルに帰る手段はバスとタクシーしか考えられない。 ところが豪雨と渋滞により交通機関は微動だにしない。
最後の手段は、滝のような雨の中を歩くことしかないのだ。

 私はずぶ濡れになって歩き切ったのであった。 黙々と渋滞に巻き込まれて動かないバスを横目にみながら、まさに悲惨そのものであった。
スリウォン通り入る16番のバスを、ホテルにたどり着くまでに9台も追い越した辛い思い出である。

 昨日のマニラ経由のタイ航空で定刻に到着し、ホテルに向かおうとするとき懐かしい事態に遭遇したのである。
 新しくできたスアンナプーム国際空港から、バンコク都内へのアクセスは、現在タクシーとエアポートエクスプレスバス、それから一般のバス(スーツケースなどは一般客も混乗するので無理) しかない。  簡単に言えばタクシーとエアポートバスだけだ。 これではハブ空港が泣きまっせ。

 私が宿泊予定のホテルは、スクムビット通りにあるので、その通りを走る AE3 系統のエアポートバスに乗った。

 このバスが、渋滞の名所である伊勢丹前を迂回してから、スクムビット通りに逆方向から入ってくることになっていたのである。 このことに気づいたとき、昔の苦い思い出が頭をよぎった。

 空港を出てからしばらくは、広い道路を快調に走っていたバスが、バンコクの都心に近づくにつれて速度を落とし、道路が高架になった場所で大渋滞のため完全に停車した。 停車した車列はそのまま道路に張り付いて、なんと1時間40分経過した。

 昔のバンコクが戻っていた。これは懐かしい。  外国人旅行者はドアを開けろ! の大合唱だ。
運転手がやむなくドアを開けると、10数人いた乗客は高速道路で停車している車の横を、大きな荷物を背負って36℃の暑さの中、一列になって歩き始めた。

 私は夕食を取ってホテルで寝るだけ、バスの成り行きに任せて「まな板の鯉」となった。その時車内に残ったのは、私を含めて2人だった。

 夜の帳が降りて、ホテルに着いたのは、空港を出て3時間20分後であった。
日本からマニラまで3時間30分、マニラからタイまで3時間5分、空港からホテルまで3時間20分。
空港からホテルまでの所要時間はフィリピンまでより長く、国際級となったのである。

  空港とのアクセスである電車の開通が待たれているが、毎度の事ながら延々と遅れているようだ。
プミポン国王の誕生日である12月5日の開通予定も、当然のごとく延期された。

 最近の公式発表では3月に開通となっているが、都内のマッカサン駅周辺の整備が全く出来ていない現状での開通は、当分は無理だろうと不安視されている。

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食ってみなければ分からぬ 食わず嫌い

 昔、タイへ行くのにシンガポール航空をよく使うことがあって、機体も乗務員もサービスにも満足して、毎回利用したものであった。

 関西空港からバンコクへは一日1便の運行で、往路がシンガポール航空なら当然復路もシンガポール航空であった。 一日1便というのは学校や会社と同じように、時間の選択肢に自由がないので、だんだん利用するのに飽きが出てくる。

 そんな思いを抱いていた時、シンガポール航空がバンコクへの直行便から撤退した。それでは日本航空はどうだろうと、2度ほど乗ってみたが、乗務のおじさん従業員もスチュワーデスも日本人で、日本の出店が飛んでいるように思えて仕方がない。その上に圧倒的な日本人乗客だから旅の趣はは皆無であった。

 それ以降ずっとタイ国際航空ばかりの利用である。最近はバンコクスワナプーム空港からの復路のスケジュールに肩寄りがあって使いにくい事や食事の内容が落ちてきたなど、マイナス面が目に付くようになってきた。

 昔から年寄りの旅は、途中休憩をこまめに取って、体力に応じた動きをするものであった筈である。
それが、本人はいつまでも若い気でいるから、こまめに休憩など思いもよらない。 その結果飛行機の6時間は長いのう。などとぼやくようになる。

 単調な飛行機など早く到着すればいいなどと思ってきたが、今回はそうではなくて、休み休み行こうかい。と考えを変えてみた。

 関西空港を10:00に飛び立つTG621便は、バンコクへは16:35に到着する。なんと 時差を考えるとフィリピンのマニラを経由して、日本から8時間35分かかっての到着である。 (直行便なら所要時間は6時間30分)

 私はタイへ行くのに、なんで遠回りになるフィリピンなど回って行なあかんね。時間ばかりかかる、こんな飛行機乗りとう無い。と思っていた。

 いざ搭乗してみると乗客は60%くらい、見てみい、人気はないやないか。
ところが、2時間少したった頃、ふと窓から下を覗いてみると群青色の海の中に珊瑚礁が薄く広がって、夢のような景観をなしているではないか。

 この美しい環礁が点々と海に浮かぶさまは、得も言われぬ優雅さで、心を揺さぶられる思いであった。綺麗なものを見たなあ。
その情景も感激もマニラ上空にさしかかると、夢幻のごとき消え失せてしまった。

 マニラ空港のトランジットは1時間10分だったが、美しくないとはいえ待合室は、飛行機と違って大地の上で床が動かないので、気分転換には最高である。
時間になって飛行機にもどると、乗客は20%くらいになっていたが、そのあとフィリピンからの客で満席になった。

 出発の仕切り直しで、2度目の昼食をとって3時間ほどでバンコク到着した。
日本を出て3時間30分で、1時間の休憩を取り、休憩後3時間で現地に到着とは、体力に自信のない高齢者のとっては、贅沢なフライトである。

 何事にも食わず嫌いではいけません。次回は帰りの便もマニラ経由にして、時間はかかってものんびり休憩を挟んだ旅にしたいと考えている。。

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