« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月

誰しもそんな願望はあるのですが

 2年ほどにもなるだろうか、友人のN氏夫妻とチェンセンの街の散策に出かけた。N氏は高校の友人でダンス教師のかたわら、カメラを持たせると京都の写真展で連続して入賞している変わり種である。

 今回が2度目のタイ訪問で、観光写真は撮らない。.田舎の生活が表現されるような作品であったり、遺跡も美しく修復されたものではなく、苔むして昔が偲ばれるような写真がねらいであるらしい。

Photo  そのあと城壁を北回りに歩くことにした。ここには道路脇に中学校があって、休み時間になると、どこからともなくお菓子屋やジュース屋のリヤカーがバイクに引かれてやって来る。

 休み時間と共に生徒がわらわらと運動場の塀際に駆け寄って、塀から首だけを出して、おやつを楽しむのである。

 こんなことをすれば日本では先生からきつい指導を受けるか、教師対生徒のトラブルに発展するかであろう。

 タイでは絶対にトラブルにはならない。時には先生も塀越しに買っていることが有るのだから。 地方の学校によっては、昼休みともなれば校庭に屋台の3~4軒も並んで食事やおやつを食べている。 学校も細かいことを云わないし、指導などと頑張ることもない。

 この日は運悪く塀越しにおやつを買う光景の写真は撮れなかったが、どこからか大音量の音楽が聞こえていたので、そちらに向かって歩いた。

 ボリュームを最大にして音楽を流すと言えば、タイでは結婚式か葬式か、いずれかと思われる。 結婚ならば親戚はもちろん、音楽に引かれて見ず知らずの人も入り込み、目出度いメデタイと云いながら、飲み食いする輩がかなりあるらしい。

 葬式も同じことで大きな音楽が流れてくれば、堂々と入り込んで飲み食いにあずかる。音量を上げた音楽は慶弔をやってますよ。ご一緒にどうぞ。との呼び水になっているのだ。

 さて我々3人はかなり歩いて音源近くまでやって来た。結婚式か葬式か? 道には大型スピーカーを備えた音楽専用車が、これでもかとばかりに大音響をばらまいている。

 現場の横を通りかかると、突然声がかかった。「日本の方ですか」  エッ そうですが。 そこには30人ほどのタイ人が飲めや食べろのどんちゃん騒ぎ、声をかけた人だけが日本人だった。 私達も賑やかしに仲間入りして、食事を十分ご馳走になった。

 今日は家の新築祝いだそうで、大勢のタイ人に囲まれて、日本人はたった一人だったのでつい声をかけました。 彼は千葉県のYさんで、日本語の出来るチェンセン美人と結婚して両親の家と、夫婦の居宅兼ゲストルーム3室が完成した祝いだそうだ。 いいなあ。

 どうも会社の関係で日本とタイを往復されているらしく、私が留守でもチェンセンに来られたら遠慮無く泊まっていってください。とありがたいお言葉をいただいた。

Photo_2  

 2010年3月に前を通って見ると、ご夫妻は日本に出かけているとのことであった。

 あれほどどんちゃん騒ぎをしていた、庭も綺麗に整理してあった。

 いつまでも仲良くしてくださいね。

 メコン河の畔には遊歩道が作られていて、その木陰のベッドでタイマッサージを受けながら、対岸のラオスを眺めるのも至福のひとときである。

下流には新たな貨物船が、5艘ほど入っていた。

Photo_4  もう少し上流には、中国から輸入した果物をはじめ、木の実、雑貨品などの店が、たくさん並んで、中国製品のバザールをやっている。

 中国の観光ツアーのバスも立ちよって、ツアー客みんな、お土産の購入に忙しそうであった。

| | コメント (0)

こんなに好きなタイなのに

 私などが憂いても、ごまめの歯ぎしりにもならないが、非常事態宣言が出されているバンコクで起きた、反政府デモ隊と治安部隊の衝突によって、死者23名と負傷者800人をだして、これで収束するかと思えばなかなかそうはいかないようだ。

 一昨日はBTS高架電車の軌道にタイヤを積み上げて、バンコクの動脈である電車を停めたかと思えば、今日はまたドムアン空港近くで銃撃戦が起こり、死傷者が数十人も出てしまった。

 また噂の域を出ないが、治安部隊に拘束された反政府組織の500名以上が、今もって行方不明になっているそうだ。

 私などは、いつものことだから、タイの特定の場所で揉めているだけ。すぐに解決するだろうと楽観していたところ、どうやら紛争は長期にわたり内乱の様相に発展してきた。

 タイは前回の空港占拠事件によって、国際的に忌避されて、観光産業が大打撃を受けたはずだが、今度はそれを上回る規模にまで紛争が拡大して、その根は相当深いように見える。

 それだけではなくタイは南部でも大きな問題を抱えている。イスラムの多い南部三県 (パッタニ、ヤラー、ナラティワート)による、タイからの分離独立紛争だ。

 この3県は昔はイスラム国家「パタニ王国」だった時代があったが、その国へ戻そうとするイスラム武装勢力と治安当局の対立によって、この6年間に4,000人を超える犠牲者が出ているのだ。 この死者の中には学校の先生も少なくない。

 その原因は学校の授業にタイ語を使っているから、またタイの歴史を教えるからだという。 私がパッタニを訪れた頃は、大人達も学校で見る子ども達も、エキゾチックな感じは受けたものの、穏やかな南国の港町を彩る魅力的な存在だった。宗教や言語の違いによる紛争は悲しいものだ。

 偉そうに書いたが、タイスキおじさんとしても気が気ではない。6月に予定していた訪タイの計画も中止してしまった。                                       アメージングタイランドはどうした。みんなに愛された「微笑みの国」を一刻も早く取り戻していただきたい。

| | コメント (2)

チェンセンの裏通りを歩く

 チェンセンの町に入ったすぐの所にある 「ワットチェディールアン」 にまずお参りする。 お参りの後、チェンセンは使用できるトイレが極端に少ないので、境内の土産物屋の裏にひっそり隠れているトイレを是非使っておきたい。Photo_4

 今日は表の大通りを通らず、あえて裏通りに点在する遺跡を探索しながら、メコン河に向かって歩くことにした。

 家々の庭にはバナナやパパイヤが実を付けて目を楽しませてくれる。

 しばらく歩いて敷地の跡と思われる雑草地に見事なパパイヤが実り、美しい花が咲き乱れていたので思わずカメラを向けた。

 この瞬間離れたところにいた近所のオバサンが、大声を上げながら小走りに近づいてきて、止めとけという。 (そのように受け取れた)

 写真を撮って何が悪い。 オバサンはしゃべり続けているが、意味が理解できない。  仕方なく、私は日本人でタイ語は少ししか分からない。と言うと彼女は私の顔をしばらく見ていて、突然笑い始めた。

 なめているのか! とムッとしたが、彼女の笑いが彼女の勘違いに対するものと分かってきた。 この土地の持ち主は性格が悪いから、土地を買うのは止めた方がよい。要するに親切でお節介なオバサンが、買い手と間違ったらしい。

 どこの国にもこういう人はいるものである。 このあとオバサンの家の前で、同じ話し好きのオバサン3人の、カモのなりながらイチゴとジュースをご馳走になった後、再びメコン河に向かって歩き始めた。

 色々な果物や花を愛でながら、東南方向に歩いていくと、ついにメコン河に突き当たった。 

今日はかなり下流の方へ出たようだ。 とある店で足が止まった。麺屋が見えたからだが、黄色の麺(バーミー)を亭主が打っている。タイの主流は米麺だから、珍しくて中に入った。 打つところから茹でるまで自分でやってくれるが、こんなところでこんな美味しい麺が食べられるとは思わなかった。発見はあるものだ。

Photo_7   

 引き返してチェンセン港に出ると、遙か中国の雲南省から下ってき貨物船が7隻、停泊していて苦力が荷揚げをしていた。船には中国国旗が掲げられ西納版名(シーサンパンナの文字が記されている。

 西納版名は雲南省にあるタイ族の故郷で、稲や茶の発祥の地とも云われ、納豆、味噌、醤油などが常食されていて、懐かしく身近に感じる中国の南端である。

 中国、ラオス、タイ、苦力が重い荷を肩に荷役している様は、まさに蟻の行列のように見えた。

 川岸のベンチに座り涼風に当たりながら、対岸のラオスの村や山並をながめる。    メコン河の流れは、時間の流れと同じように、ゆったりと流れていて、日本での些細な出来事など綺麗に忘れさせてくれる。

 

| | コメント (0)

ローカルバスは 昔の日本にもあった

 これまで北タイの田舎を走るバスをボロバスと、何度も書いてきたが、私はこのバスが大好きだ。

 こんな心が温まるバスは滅多にあるものではない。  何故なんだろうと考えるのだが、車体は車検制度があれば、廃車は確実だし引き取り手もない。 メーター類は故障はしてはいないが、部品によっては無い物もたくさんある。

Photo  いつぞやは、窓が全部閉まっていたからエアコンバスが紛れていると喜び勇んで乗ってみると、全部壊れていて開かないだけのことだった。

 また雨季で豪雨が降りしきっていても、前後に付いている乗降のドアは開いたままである。

 では何が良いのか。これは多分女車掌と乗客の醸し出す雰囲気であろう。

今日はいつもより遅く、9時に発車するバスにした。バスターミナルのチェンセン行き乗り場に近づくと、元気な若い女車掌にチェンセン行きはもうすぐ出るよ。とせかされる。 

 乗車するとき「私はワットパサック」 (パサック寺) だから着いたら教えてね。 と依頼すると、よく分からないよ。  チェンセンの有名なワットパサックを知らないはずがない。  知らないのではなく、私の発音が理解できないのだ。  いつものことなので驚かない。

 ふと気が付くと運転手の後ろの坐席に、3歳位の女の子が後ろ向きに顔だけ出して、乗客に笑顔を振りまいていた。キャッキャッと声を出しながら、実に可愛いいのである。

 発車間際に、日本の青年が一人で大きなリュックを持って乗り込んできた。ゴールデントライアングルかラオスにでも行くのだろう。

 バスが走り始めてしばらくすると、女の子がぐずりはじめた。 それをあやしに行くのは女車掌だ。何と優しい車掌なんだろう。 すると間髪を入れず近くのオバサンがだっこして、すやすやと眠り始めた。

 車掌は客の荷物の上げ下ろしから、お年寄りの世話や座席への 誘導、乗降を全て取り仕切るバスのコンダクターだ。 愛嬌たっぷり賑やかに車内を暖かいムードに作り上げていく、20代後半の車掌は見事であった。

 女の子をひざの上で眠らせていた、オバサンの目的地が近づいてきた。すると車掌は女の子を日本の青年に託した。

Photo_2  何か変だ、母親はいずこかと観察を続けると、どうやら車掌が母親らしい。3歳位の子供をつれて仕事中だった。

「私の娘は日本人のひざの上だ」 と大声で吹聴して乗客と一緒に喜んでいる。  日本の若いの、車内に溶け込んでいるのがとても素敵ですぞ。

 日本ならお年寄りや身体の不自由な人に座席を譲りましょう。とか携帯電話はご遠慮ください。などと機械的に放送しているが、こんな放送に心のあろうはずはない。

 子供連れで仕事をするなんてと非難をする人もなく、みんなが譲り合い和やかに目的地に着けば、それでいいではないか。 なんか人間的でホッとするではありませんか。 何も口を挟まずに笑顔で、車内のことは全て車掌に任せていた運転手も偉い。

 私が子供の頃、田舎で乗ったバスが終点に着いて、運転手がボク今日はどこまで行くのと聞いてくれたので、駅まで行って汽車でおばあちゃんの所へ行くの答えると、一人で偉いねえ、駅まで送ってあげよう。と2㎞の道を空のバスで送ってくれたことがあった。

 日本にも昔は人情とか思いやりとか良いことがたくさんあったが、今では規則とか権利とか、もやもやしたことが横行して、すっかり心がすさんでしまったように思う。  

 タイには今でも 日本の昔が脈々と生きているようで、とても心が和むのだ。Photo_3

 バスはワットパサックに近づいてきた。

 私が車掌に合図をするとバスを停車させて下ろしてくれた。もちろん停留所ではない。

 ここには後世まで、その姿を残した仏塔がひっそりと建っていた。

 

 

| | コメント (1)

チェンセンの町

 チェンセンは大河メコンが流れ、太古の遺跡が新しい町に同化している。その上ラオスを対岸に持ち川岸に設けられたチェンセン港には、中国雲南省から常時貨物船がやってくる。非常に興味深い町である。

Photo_5 

 チェンライから いつものボロバスに乗って、1時間30分でチェンセンに到着した。この町の突き当たりに、インドシナ半島随一の大河メコンがあって、膨大な水を下流に運んでいる。
この川の恩恵を受けつつ、チェンセンの民は古より生きてきたのである。

 乾季である3月なので、対岸のラオスでは、生意気にも重機と大型トラックを使って砂利の採取に余念がない。遅まきながらも建設工事が忙しいようであった。

 チェンセン王国は700年前に建設された古都で、この小さな王国は外敵の侵略から国を守るために、前面のメコン川を楯にして王国の背面に、町を守る土塁を建設したのである。

 この土塁は城壁の役目をしていて、現在もその形をとどめているが、土塁は長い年月によって放置されたため、チークの大木によって占領されてしまった。
この城壁の中央部分に切れ目があって、現在ではここが町に通ずる重要な道路となっている。

 あるとき私は、この城壁の入り口でバスを降りて南に向かって歩いてみた。城壁跡は遙か彼方まで続き、高いチークの大木が、我が世の春と云わんばかりに繁茂している。
土で出来た粗末な道は、細々と城壁から離れることなくどこまでも付いてくる。

 草に覆われた所々に、太古の遺跡が一部を覗かせ存在を主張している。

Photo_6 

そして時折現在の人家が遠慮がちに遠望できる。 

 誰一人行き交う人もいない土道を、汗を拭き拭き歩き続けた。

歩くことが苦手なタイ人なら、100メートルも離れていたら乗り物に乗るお国柄なのに、私の姿を見たら奇異に見える、いや気が触れているとしか写らなかっただろう。

 炎暑の中、水もなく3時間40分かかって、外壁はついにメコン川に到着したのだ。 先を見通すことが出来ない道、誰とも会わない道はことのほか遠く感じるものであった。

 このあと人間社会に立ち返って、人家に入り込んだ所にひっそり立つ 「チェンセン・リバーヒル・ホテル」 に入り込んで、冷たいビール(小瓶)を飲んでお昼寝、最終バスの時間があるのでお暇をして、ボロバスでチェンライのホテルに帰った。

 翌日の朝、私は再びチェンセン行きのバスに乗った。
城壁の残りの半分を歩くためである。北側の半分にもチークの大木が多く茂っていたが、道路は舗装がなされて、小学校や人家などの家並みがあって、人の文化が見られたので昨日のように、孤立感は感じなかった。

 こちらの町の外れは、古い昔の監視所になっていたであろう遺跡が残っていて、突き当たりがタイ海軍の施設であった。
この2日間で城壁を完歩したのだが、暑かったのでとても長いように思えたが、 メコン川畔を加えると全長8キロメートルの小さなチェンセン王国であった。

| | コメント (2)

国境を越えてみよう

 イミグレーションのある中心部に向かって歩いていると、市場などで用事を済ませた、山で暮らす女性達が三々五々大きな籠を背負って帰ってくる。民族衣装を身にまとって、いつものように縦に一列に並んで歩いている。 何で縦に並んで歩くのだろう。

 イミグレーションではパスポートと250B(750円)を出せば、出国のスタンプを押してくれ、ミャンマーのイミグレーションでパスポートは預けることになる。 (手元には預かり証だけになってしまう)。
Imiguresyonn  パスポートの預かり証を片手に歩けるのは、ミャンマーのイミグレーションから5キロ平方メートル。
しかも一日だけ入国有効となっている。
帰りにはタイ側で改めてタイへの入国手続きをしなければならない。

何度行っても代わり映えしないので、私は滅多に入らないのだが、白人観光客の後を付いて、入ってしまった。
それにしてもパスポートを手放すということは、心細いものだ。
久しぶりのタチレクの町は変わってとらんのう。観光客と見れば財布か歩いているように見えるらしい。
 市場には何でもありそうだ。象牙はもちろん虎の皮も2頭分干してある。これってワシントン条約で禁止されているはずだが、と眺めているとさすがに写真は撮るなと云う。 違反をしていることを自覚しているのだ。
 山から降りて、玩具を売っていた子供連れの若いお母さんは今日もきていない。気さくなお母さんだったので、もう一度あってみたいものだ。
 若い売り子が、電池やドライバー、百円ライターを売っているかと思えば、外国製の煙草や高級ウイスキーも売っているが値段がべらぼうに安い。たぶん偽物にちがいない。
 物乞いの子供がぞろぞろとつきまとい、若い衆が耳元でささやく「バイアグラやすいよ」 。もう疲れまっせ。
Photo_3  
こんな国は神経を使って疲れる、やはりタイの国は居心地が良い。
 国境の橋の上で、おばはんが子供を集めて、物乞いで稼いだ金を巻き上げていた。
まるで鵜が飲み込んだ魚をはき出させる鵜匠のように、金
をはき出させる鵜婆そのPhoto_2ものであった。
 
行ってみたい国ではない。
おもしろい国でもない。出国して2時間でタイへ再入国してしまった。タイの入国係官が早いなあと笑っておった。
 
  イミグレーションの近くに、ワントンホテルというこの町一番のホテルがある。超田舎のことなので一泊の料金は1000B (3000円) 位であるが、品位に欠けるので好きにはなれない。 10年も前に私が宿泊した時は、ボーイがミャンマーの子供の売春斡旋に精を出していた。

 白人のオヤジにと連れだって部屋にはいるのを目撃したが、少女は何と小学生くらいに見えた。いくら貧しいからと云って、ボーイが少女の斡旋に狂奔するようなホテルは品格乏しく、見下げ果てた存在である。

 また友人のM氏と、国境が閉まって夜の帳が完全に降りた頃、空室があればと聞いてみると、完全に足元を見られて、3000B (9000円)とふっかけられたことがある。私のタイでの経験では堂々のワースト3に入るホテルである。

 ただトイレはそれなりに美しいので、今回も使用してやった。 お昼が過ぎてレストランがすいていたので、昼食を食べてみたが、予想通り美味しくなかった。
 
Sonntwu_3
 
 ホテルから大通りへ出たところが、ソンテウの乗り場になっていて、バスターミナルへ行くにはここから乗車する。
 写真にあるように、小型トラックを乗り合い用に転用した乗り物が「ソンテウ」である。
 
 
乗り合いなので15Bの料金で、タイミナルまで行く庶民の足である。
 

| | コメント (0)

メーサイでもう一度泊まってみたい

ミャンマーの竹藪の小道に続く裏のボーダーが、外国人は兵士によって阻まれて通過できないので、無理をしないで引き返すことにした。 この国境検問所は仮にビザがあってもまず入ることは不可能である。 もし入ることが出来てもミャンマー領にある、少数山岳民族の村であろう。

 引き返す途中に小道から川に降りる坂道がある。この下にあるのがメーサイゲストハウスだ。

Gesutohausu_4 今までに何度か立ち寄ってみたが、見栄えはよくないがコーヒーがうまい。

 そして粗末なトイレもあるので気軽に利用できるのが有り難い。

 今回も休憩してコーヒーを飲もうとすると、奥さんがあっちがいいだろうと、川にせり出した吾妻屋風の休憩所に誘ってくれた。

眠気を誘うような静かでのどかな風景の中に身を置いて、30分ほどメモをとって、渓谷や川のせせらぎなどを聞きながら時を過ごした。

 10メートルほどの対岸では、ミャンマーの女性が4人で話をしながら洗濯をしている。日本でも昔はあのように川で 手洗いの洗濯などしていた。一年中が夏であるタイやミャンマーでは、水を使うことは気持ちが良いに違いない。

Sentaku_2
 吾妻屋で一人ぼんやりしがら、子供だった頃のことを思い出していた。地図を見ると日付変更線というものがあって、太平洋に縦に線が引いてある。  私は子供心に太平洋には本当に赤い線が引いてあるのだと信じていた。

 また同じように国境にも線が引いてあって、国が特定されているのだと思っていたが、現実には、線はなかった。  子供の頃は無邪気なことを考えていたもんだ。

 

いま現実には線は引いてないが。10メートル先が国境を越えた隣の国なのだ。そこで話しているあの女性達は異国(ミャンマー)の人だ。 そして時計を見ると、空腹を覚えるはずだ。ちょうど1時になっていた。 

 しかし待てよ、あの洗濯している女性達は12時30分の世界の人なんだ。 10メートルしか離れていないのに、私のいる国は午後1時で彼女の国では12時30分なんて、時差とは不思議なことである。  (これまで考えても見なかったが、タイとミャンマーには30分の時差が存在する)

 つまらぬ事を考えていたが、コーヒー代を払って道を下り始めた。 そしてまた山の方へ伸びる別の道を発見てしまったのだ。
どこへ行くのだろう。何があるのだろう。 一人でする旅はなんでも気になり歩いてみたいのだ。
 Keikoku_3                         

この渓谷の右側はミャンマー。

左側はタイであるが、写真の中央の上の方はミャンマーが入り込んでいる。

まことに静かな国境の風景であった。    

| | コメント (0)

ミャンマーとの国境の町 メーサイへやって来た

 メーサイの町は、イミグレーションを中心にして町は成り立っている。そしてあらゆるバスが到着するバスターミナルからは、ご多分に漏れず、とてもじゃあないが歩ける距離ではない。

 ここからイミグレーションまでは、ソンテウに乗り換えるのだが、バス一台の客を出来るだけ乗せようとするから超満員になる。 ターミナルがわざわざ遠くにしてあるのは、トゥクトゥクやソンテウ運転手の生活を保障するためだろうが、客には迷惑な話である。

 満員になっているのにソンテウの客は、私が行くと乗れ乗れまだ乗れる。と言いながら席まで用意してくれる。この優しさが、タイ人の真骨頂であろう。
このソンテウの料金は15B、つまり43円だから、一日にかなり往復運行をしているので、相当な稼ぎになっていることだろう。

 イミグレーション前が、ソンテウの終点になっているから、ここでみんなが下車をする。 見慣れない服装、人の流れや様子を眺めて、少し引き返して市場を散策していると、山へ続く道があった。ワットドイワオへの道だ。 久しぶりにその気になって登ってみた。

 私は山に登るのが嫌いだ。か弱い足が、水平移動をしながら60㎏の体重を上方向に押し上げねば登れないからだ。 足は交互に動くので片足ずつ交代で、60㎏を押し上げる重労働を強いることになる。このことが辛いし、最近は膝にも痛みが来るようになった。

 頂上にたどり着いて、寺の境内から眺める風景は、眼下にメーサイの村を、左側にイミグレーションとミャンマーの町タチレクを詳細に見せてくれていた。
 一転裏側の展望台から下を見ると絶景だ。サイ川の流れが高い山の谷間を流れ下って、俗界に汚されながら移動していく。

 神秘的な流れの左側はタイの集落がまばらに見られて、右にはミャンマーの家々が散在して一幅の絵を演出している。  やはり今日もサイ川に沿って奥深く歩いて自然を楽しんでやろう。
商店街を抜けると、自称宝石屋が石を選別していた。

 ミャンマーからの原石を選別をしているとの事だが、中に入って見てみると1㎝ほどの石を選別していた。 これが宝石か? ただの石ではないか。 
 でもこの大きさなら砂ではないし、石の大きさでもなく「礫」の大きさだ。気の毒だがこれの加工したものを買う人はないだろう。
Kokkyounokawa

 さらに上流へと足を運ぶと、国境であるべきサイ川の幅はさらに細くなり、狭いところで5メートルくらい、これが国境になっているなんて、不思議な思いがする。   行け行け登れ登れと歩を進めると人家は途絶えて、最後の家となる。
Saigonoie
 この最後の家を近くから覗いてみると、若いタイの兵士が5人詰めて談笑していた。
その横には倍率が高そうな双眼鏡が二つ三つ。本物の銃が6丁ほど立てかけてあった。 私は知ってはいるが念のため、この先へ行けるのか?  と聞いてみると、行けないパマー(ミャンマー)だ。
 アンタラーイ(危ない)と止められた。

  川の上流ではミャンマーが川を渡ってタイ領に入り込んでいるのだ。 以前もこの道を進んでいって小屋に兵士がいなかったので、そのまま竹藪の小道を上っていって、心細くなった。
ちょうど山を降りてきた少数民族の人に聞いてみたら、やはりここはパマー(ミャンマー)だと云われて引き返したことがあった。 危ないことは自重しよう。

| | コメント (0)

チェンライの生活に入った日本の人

 チェンライの国道を通るたびに「マンゴーが空から降ってくる」の著者である、水野 潮氏の以前の生活を思う。  水野さんは著書の序文にこんな事を書いている。
ここはタイ最北の県チェンライから少し離れたありふれた農村である。私がここに住むようになったのは、深い理由はない。

 たまたまチェンマイへ出ていた、うちのヤツと知り合いになって、彼女の実家に行って気が付いたらそのまんま居着いてしまったのだ。
どうしてタイ人と結婚したのかと聞かれると困るが、ふとしたことから一緒に暮らすことになった。そして「彼女の実家が、チェンライ県であったと言うだけでのことである。運命とはこんなものだ。

 動機はさておき、この本の中味が非常に面白い。 たとえば水野さんがバイクの運転免許を取りに行ったときの事などには、「これまでずっと乗っていたバイクも、いつまでも無免許では悪いので正式の試験を受けることにした」。

 運転免許試験場へ行って「英語のテスト用紙はありませんか」と係官に聞くと「ありません」。ホットした。  英語であってもどうせ読めないのだ。
試験場は親切にも可愛らしい女の係官を一人、外国人の私に付けてくれた。

 試験は一つの質問に対して答えが四つあって、正解を選ぶ形式であった。 二十問で十五問出来れば合格である。

彼女が質問を読んでくれる。 「正解は何番?」  [一番]  といい加減に答えると「本当にそれで良いの?」  [じゃあ二番]。 「本当に?」  [ひょっとすると三番]。 「そうね」 と言って 微笑んでくれる。 

 万事この調子で二十問すべて正解であった。 その後には実技試験があって、まっすぐ走って、カーブが曲がれれば合格である。 自宅から試験場までバイクで来ているくらいなので、実技は合格して当然である。

Manngougasorakarahuru  こんな調子で村の出来事や娘達のこと、トカゲや蛇、虫などの取り方と食べ方などが克明に書かれていてたまらない。
 タイに興味があって、まだ読んでいなければ、ぜひ買い求めて読まれると面白い。

 こんな事を思い出しながら車窓を見ると、道路沿いにはパインナップルや西瓜の直売所が目だってきた。

 日本で見るそれより、一回り、いや二回りほど小さいのだが、パインなどは蜜がこぼれるほど甘いし、西瓜も完熟でとても美味い。 この直売所が 200メートル間隔ほどで並んでいるが店番の女性はたいがい居眠りをしている。
 
 と思う間もなく「検問」だ。バスの乗客はみんな不安げな表情にかわる。どうも権力が正当に行使されるとは思っていないのだ。(気分によって意地悪をされる)

 今日の検問は7人の警察官で、荷物の中から身分証明書まで綿密に調べている。外国人の不法就労、麻薬の所持などに重点が置をおいて検問をしている。

 検問などにはもう慣れっこになってしまった。警察官が3人でも5人でも同じ事、悪いことで詮議されるようなことはしていないので、パスポートも出せと云われるまでは出さない。

 顔を見ると黙って頷いて、次の人に移っていく。しかしバンコクから出るときはやはり用心してパスポートを持参しなければならないと思う。 

| | コメント (0)

メーサイへひた走らないバス

 今日はバスに乗る前に、竹の一節を薄く削った器の中に、餅米と小豆を蒸して少し甘く味付けをした赤飯を詰め込んだカオラーオと呼ばれるものを買ってみた。
実際に食べてみると味はともかく持ち運びにも後始末にも大変便利な器であった。  食べた赤飯は可も無し不可も無しというところで、私の好みには合わなかった。

 このようなお菓子かご飯か分からないようなものが一節29円では、竹の加工代にもならないと思うのだが、売っているのだから商売にはなるのだろう。

 バスの中では肌の黒いオバサンが、おしゃべりに夢中になっている。その顔はミャンマー女性が愛用するタナカーと呼ばれる、白い木粉を水に溶いたものが無造作に塗りたくられている。
これは女の赤ちゃんでもお母さんでも、お洒落と日よけが目的で塗っているのだそうだ。
少し黒い肌なので、今更日よけは要らないだろうと思うのだが、そこの気持ちがよく分からない。

Photo_2
 私の横には山岳民族のお爺さんが、古ぼけた民族衣装に身を包んで、山高帽に似た帽子を誇り高く頭に乗せている。 私の視線を意識して微笑んだ顔が、生きてきた年輪と優しさを感じさせてくれる。

通路に立っている お婆さんの歯が赤く染まっている。これは珍しいと眺めていたら、視線に気づいて横を向かれてしまった。
 こんな人達が乗り降りするバスは楽しくてたまらない。バンコクと違って殆どの人が背が低く皮膚の色は浅黒い。このバスの中では私など白人と同じように見える事だろう。 ああ嫌だ。

 オッ、反対車線を走っているバイク、あれは危ない。家族の3人乗りで、かなりのスピードを出している。 それが前に立っている4歳くらいの小さな女の子にハンドルを持たせている。見たもののほうもドキットする。

 ちょうど中間点になるメーチャンの町に着いた。そしてこの町をぐるっと一周して、思い直したように元の国道に出て目的地に向かうのだ。
このメーチャンは、チェンセンやメーサイとの分岐点になっているので、ある意味では活気があるのかも知れない。

 この町を出る時、小さな農家の離れから50代とおぼしき白人男性が出てきた。そして後からタイ人の奥さんが続いたのには驚いた。 タイ人の女性と結婚して住み着いているのだろう。

 そりゃあ物価が安くバイクさえあれば移動は楽勝、本国で虐げられた生活をしているより、はるかに恵まれた生活が出来ることだろう。
 
 甘言に惑わされて、多くの男性が殺された事件がつい最近日本でもあった。 彼らは結婚相手が欲しかったらしい。結婚して幸せな生活を望むなら他国の田舎へ行って、婿入りするくらいの気概が欲しいものだ。 道は開けるぞ!

| | コメント (0)

ボロバスターミナルからボロバスに乗って

 
 今日はタイとミャンマー(ビルマ)の国境であるメーサイへ行くことにした。この町も何度となく訪問したので、あまり新鮮な思いはないが、あの悪評高い軍事政権のことだからどのような変化が起こっているかに興味がある。

 今日の朝食はお粥にした。 お粥と云っても鶏肉や色々入っていて、味の付いた美味そうなヤツと、病気の時に食べさせられる、何の味もしない病人様御用達のアレの2種類だ。

 私は当然のごとく病人様御用達のアレを選ぶ、大きめのご飯茶碗に粥を入れて、 日本人が忌み嫌うナンプラーを小スプーン3杯、透明で酸っぱい液体に、刻んだ唐辛子の入ったのを小スプーン2杯、特有な匂いを持つパクチーをドバッ、赤粉末の唐辛子を少々、緑と赤に彩色されたお粥は、ただものではない。


 こんなお粥は異様に写るかも知れないが、お粥のトレーの周りには客が好みでトッピング出来るように、ちゃんと置いてあるのだから私の食べ方は正解なのだ。 これのお代わりをして、あまーい西瓜とパインナップル、メロンをお皿に満載、コーヒーでとりあえず朝食を終了とした。

 7時50分に有名なボロバスターミナルについて、メーサイ行きのバスに座り込んだ。

Basutaminaru 

運転手、車掌が乗り込んで出発予定のはずが、二人ともバスから降りてしまった。
そうかそうか、いつものアレだな。 きっちり8時に国歌の放送が入って車掌、運転手だけでなく売店のオバサンはもとより、物売りも貧乏ですることのない人も、全員無言で直立して不動である。

 日本では国歌の演奏時に脱帽のうえ起立するのは、大きな体育大会や甲子園の高校野球などと今だ少ない。個人によって信条は異なるかも知れぬが、今更目くじらを立てて、難しいことは云わなくていいのではないかと私は思っている。

 国歌演奏終了と同時に、いつもの喧噪なターミナルに帰って、定刻を2分遅れて、バスは動き出した。 朝のバスは30分ごとに出発だが、すぐに満員となってしまう。
こんな小さなダイエットサイズのバスでも、車掌がにこやかに手伝い、指示して客をさばき、まことに小気味がいい。

 ドアは開いたまま、スピードメーターなどの機器もないようなバスが、マークだけはベンツのものを拝借して、人々の足を支えている。 こんなバスにでも物好きな外国人や間違って乗った外国人もいて、現地の服装や言葉遣い、皮膚の色などを目の前にして興味津々で満足をするのである。

 チェンライからメーサイまで、1時間30分のバスだが、運賃は113円である。  チェンライの新しくできたバスターミナルから乗車すれば、VIPバスもエアコンバにも乗ることは出来るが、メーサイまでの便数が少なく、途中の停車もしないのでつまらない。

 タイ人やミャンマー人、それから山に住んでいる何とか族などの人達が自分たちの足として乗り込んでくるから、旅の趣も出ようというものだ。 ボロボロのバスでも高級バスと同じように1時間30分でメーサイに着くのだ。

| | コメント (0)

チェンライの朝市の終わったあとは

 朝市が終わる頃、黄色い袈裟を着けた僧侶の托鉢が始まる。三々五々に列を作って今日一日の糧を受けるのである。 この托鉢僧は全員が裸足で町のなかを歩き回るのだが、熱心な仏教徒である人々は毎朝喜捨(タンブン)を欠かさないようだ。

Photo

  すると僧侶は有り難い経の一節を、ムニャムニャとのたまう。 この托鉢によって、喜捨をした人々は善根をほどこしたから、心の安心と来世の幸せを約束されるに違いない。 

僧侶は善根の手伝いをして経を授けたので、信者の心を救ったことになるらしい。

Photo_2
それにしても、タンブンをするために毎朝、夜が明ける前から喜捨する食べ物を、たくさん作って待つのは、家族が数人新しくできたほどの労力とがいるはずだが、なかなか出来ないことである。

 タイにはこんな仏教徒が珍しくない。ひるがえって日本ではどうだろうか。
日本では仏教が本当に根付いているのだろうか、私なども今だかってタンブンなどしたことはない。自分のことを棚に上げながら、疑問を覚えるのである。

 そして、あなたの宗教は何ですか。と尋ねられれば仏教です。 などと臆面もなく答えている。仏教が何たるかを理解していない私で恥ずかしい限りだ。


 こんな風景を眺めながら、ホテルへの道を歩いていると市場で野菜を売っていた人が、正装をして仲間と山へ帰るピックアップトラックを待っていた。

Photo_4 国籍はタイかどうかは分からないが、深夜山から降りてくるのは大変ですな。


 現金収入を求めて遠方から、来ている人達は村のピックアップトラックでやってきて、夜が明けると町の一角に集まって、山の奥に帰って行くのだ。

| | コメント (0)

チェンライのナイトバザール 2

 西の空に太陽が沈む頃、昨日と同じようにナイトバザールを冷やかしついでに、屋台で夕食を取ろうと足を運んだ。

Photo  この屋台街は観光客もいるにいるが、地元のタイ人が中心である。   恋人と二人、若者のグループ、家族連などが大半で、私のような一人で来ている客はまず見あたらない。

 タイ人から見て、友達もなく寂しく可哀想に見える客は、それはそれで注目に値すると見えて、いろいろと声をかけていただける。 私の左側のテーブルには、40代のご夫婦が小学生とおぼしき男の子と女の子と共に、夕食を取っていた。

 お父さんとお母さんはビール、子ども達はジュースとコーラ、そして沢山のご馳走がテーブルに並んで笑顔は絶えなかった。実に楽しそうな光景であった。

 ビールに酔った私が、不覚にもつい声をかけて、同席させて頂くことになった。ご馳走になりながら話をしようと頑張るのだが、タイ語教室の落ちこぼれを自他共に誇る私が、日常的な会話が出来るほど甘いものではなく、かみ合わない会話はとぎれがちになる。

 すると奥さんが偉い。車まで走って子どもの鞄から鉛筆と用紙を持ってきてくれた。これで筆談しようと云うのだ。
この家族は中国系のタイ人だったのだ。お互いに漢字のやりとりで何とか意志は通じるものだ。

 この二人は小学校の先生だった。 私もタムガンクルーと言っていたのだが、筆談ではいつの間にか私は「老師」に昇格していた。頼りない老師で申し訳ない。

 羨ましい家庭のご夫婦は、次回は必ず自宅に来て頂きたいと、市内にある住所を書いてくださったが、お気持ちだけいただき訪問は遠慮した。

 昨年、ウィアンインホテルの近くの古式マッサージに寄り、ここで失敗したことがあった。
料金を聞かずに上がったのだ。 乗り物でもそうだが、古式マッサージでも事前に料金を確認しておくのが鉄則なのに、慣れか気のゆるみか、それを忘れていたのだ。

 気持ちよく眠り込んで2時間、料金を聞くと450B(1350円)だそうだ。チップを入れると、1650円にはなる。
 前日この店に行った時の料金が200Bだったから、一夜にして料金が2倍以上に跳ね上がったのである。

 これは確認を怠った私に非がある。 いろいろと授業料を払って学習するのだが、私の場合は忘れることが早いため、授業料を払う機会が近年多くなった。困ったものだ。

 先ほど、この店の前を通ると店ははつぶれていた。 詐欺まがいの営業をしていて、長続きなどするわけがない。おめでとう。

| | コメント (0)

チェンライは朝市といえるか?

 日本での生活習慣は時差には関係なく健在である。 21時頃には就寝するのだが、目覚めるのは早い。 道路を走るバイクの音で目をさまし時計を見ると午前2時、音は2台3台と増えていくが、まだ少し早いかな。

 このバイクの音は市場に行く人達のたてる音なのだ。市場はワンカムホテルから歩いて7分ほど北にある。  もう3時になったからよかろうと、私は足音を忍ばせてホテルのロビーに降りると、フロントで熟睡していた保安員が「パイナイカップ」と聞くので、タラートと答えて出かけ、振り返るとまた寝ていた。

 乾季で空が澄み切っているからか、北半球では見慣れない星達が綺麗に瞬いている。満天の星とはこんな空を言うのだろう。
  
 少し北へ歩くと大きな通りに突き当たる、昼間は交通量が非常に多くてなかなか渡れない通りも、深夜なので、犬くらいしかいない。
 左折をすると、有名な時計塔が金色の光を放って、我が天下とばかりに輝いている。
Tokeitou

一転して人々のざわめきが聞こえて市場の灯りが見えてくる。
 この市場は食材が中心であるが、多くの野菜と果物を商っている。
  鶏肉や豚肉、蛙や名も知れぬ虫などもあるにはあるが、これらが全部路上で売られている。

 バンコクでは35℃もあって、こんな時間でも冷房がないと辛かったのに、北のチェンライではご覧のように防寒着が放せない。

 夜明け前の市場ではあるが、買い物客は毎日非常に多い。小さな屋台やお店の人達の仕込み材料が大量に売れている。 Photo_7     Photo_8 

 時差は2時間あるのだが、6時頃から夜が明け始め空が明るさに目覚め始める。そしてカメラの出番である。(暗い時間のストロボははばかられる)

 6時30分になると一斉に荷物を片づけて清掃にはいる。 遅れた人は警官の警笛が吹かれ注意を受けている。  このころ夜更けまで遊び回っていた観光客が眠い目をこすりながら現れるが、あらかた被写体は去った後である。 これを後の祭りというのだそうだ。

 7時には完全に一般の道路の機能を取り戻していた。 この市場は朝市なのか、真夜中の市場なのか、どう呼べばいいのだろう。

| | コメント (1)

チェンライのナイトバザール 1

 チェンライの一番賑やかな通り、パホンヨーティンロードの中心から東に少し入ると、雨が降らない限り毎夜ナイトバザールが開かれる。  通りからバザールの中を10メートルほど行くと、ステージがあってタイの音楽演奏や舞踊が誰でも鑑賞できる。

Photo  その舞台の前にはオープンエアーの食事や飲み物を供するお店があるが、これは完全に観光客用であるから、我々にはあまり縁がない。

横目で一瞥してバザールの中をさらに奥へと進むと、そこには広い屋台街が姿を現すのだ。

 ここには100脚ほどのテーブルが広場全体に雑然と置かれ、周りをずらっと囲むように屋台が取り巻いている。

 イサーン料理、北タイ料理、揚げ物、鍋物、麺類、串焼き、シーフード、虫料理、ビール、果物に混じって、堂々と寿司まで仲間入りしている。

 テーブルを定めると、渡り鳥のように屋台を巡り、好みの料理や飲み物を注文し、坐席の方向を指さして、テーブルで料理を待てばいいのだ。

 ここからが偉いのである。屋台の若い従業員は調理が出来ると、テーブルの隙間をぬって運んでくるのだ。
薄暗い広場の中の百人をはるかに超える客のなかから、注文した客を違えず捜し当てるのは神業としか思えない。ほんとうに凄いのである。

 脳が退化の兆しを見せかけている私なら、注文した客の顔など思い出せるわけはなく、料理の皿を手にして、呆然と立ちつくし数時間で首になるに相違ない。それにしてもタイの若い従業員は記憶力抜群である。

 私は春巻きとソーセージを肴にビールを飲み始めた。漂ってくる匂いに屈して、焼きスルメの伸したのと、野菜炒めを追加して、気が付くと隣のテーブルで制服の高校生が、コップにビールをついで、私の方に向かって、チャイオー! (乾杯)  こんな大勢の中でいいのかいなあ。でもありがとう。

 明るかったチェンライの空が夕闇に包まれてきて、涼風に吹かれて最高の気分であった。 また明晩も来てみよう。

 食事が終わり、ゆっくりナイトバザールを歩くと、山岳少数民族の衣装を身にまとった女性達が、いろいろ民族的な土産物を広げている。
そんな店の間に鉛筆(4B)で写真の模写をしている男女がいた。実に綺麗にそっくり模写をするのを毎日見ほれていた。

 日本に帰って、父親の遺影に使えないだろうかと、不謹慎かも知れぬが、弟と計ってみた。 二人の意見は一致して、昨年10月の葬儀には、遺影写真の横にタイで描かれた肖像画が並んだのである。  とても良いできばえで満足であった。

| | コメント (0)

山深い チェンライの町

 チェンライの街は山が近く美しく、田舎の風情が残っていてとても落ち着くのだが、、チェンマイなどのようには発展していない。
町の中心には古ぼけたバスターミナルがあって、これまたボロボロの小型バスがチェンコンとかチェンセンやパヤオなどに向かうため、かなりの台数が蝟集している。

Photo_2  この小さなチェンライの街には、ホテルは大小あわせると 10軒ほどの数が散在しているし、毎夜バスターミナルの近くではナイトバザールも開かれて、観光客の絶えることはない。

 観光客の絶えない原因は、ミャンマーとの国境がすぐ近くに控えていること。 ラオスとの国境も近く、麻薬で有名な黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)も指呼の間にある。また周りの山中には少数山岳民族も多く、一大トレッキングの基地になっていることなどが挙げられるだろう。

 このように観光の中継地として、基地として重要な役割を持った町なのだ。 トレッキングや遺跡、メコン川の散策に疲れた人々には、古式マッサージの店が非常に安い料金で我々を誘い癒してくれる。 何とみっちり2時間で800円(チップ込み)である。

  この町はタイでも最北に位置するので、バンコクがいくら暑くても、朝夕は長袖が必要なほどで、我々観光客にとっては非常に過ごしやすい。つまり居心地が抜群に良い。アクセスはタイ航空が一日3便と民間航空が数便あるので、非常に便利である。

 明日からは、ボロバスをフルに利用し、現地の人の中の混じりながら、周辺の町あちこちを旅をするのだ。 私はタイでは一番好きな町なので、これからしばらくはこの町を中心に書いてみたい。

  
 なお、ホテルやトレッキングの斡旋をする旅行社は、数社あるようだが、私はいつも日本語の通じる Jトラベルの世話になっている。 Jトラベルのオーナーは日本人の女性で、いつも手際がよい。

 ホテルは北タイと東北タイの殆んどが網羅されていて、支払いは事前に日本の銀行に振り込めば、メールでバウチャーが届くから便利がよい。

| | コメント (0)

チェンライよ おまえもか

チェンマイのアーケードバスターミナルの窓口で、チェンライ行きのキッフを買おうと並んでいると、車掌が外から飛び込んできて、一人でチェンライまで行く人はありませんかあ。 と叫んだ。
誰もいないので、仕方なく手を挙げてパイチェンライと答えると、手を引っ張って動き始めていたバスへ私を誘った。

 何のことはないゴールデントライアングル行きのハイクラスのグリーンバスに、空席が一つ出来たのだ。まあ空気を運ぶよりいいわなあ。

Photo  タイの道路は広くて直線なのが多いのだが、チェンライへは長い曲がりくねった山道を、3時間走り続けて、眠っていればチェンライに到着する。

 さて、眠りから目を覚ますと何やら騒がしい。もしかしてチェンライか。

  降りようとしている人に聞いてみると  やはりチェンライだそうだ。しかしこんなターミナル、見たことないぞ。

 これまでのターミナルとは見違えるほどの美しさ、運転手に聞いてみてもチェンライバスターミナルだという。

 バスを降りた私にトゥクトゥクの運転手が寄ってきて、どこまで行くかを聞いてきた。私がボーコーソー(バスターミナル)だと答えると100Bで行くから乗れという。
このバスターミナルからチェンライバスターミナルまでは100B、じゃあここはどこのバスターミナルだ。

 このターミナルは最近出来たバスターミナルで、町から大分離れたところに違いないと気づいた。タイのバスターミナルは意地が悪く、町の中心部から数キロ離れたところに作られていることが多い。

 客には大変不便だが、ターミナルまで客を運ぶソンテウやトゥクトゥクを潤すためなの見え透いた策略なのだ。

 ついに素朴なチェンライの街も、悪事に手を染めたらしい。それにしてもトゥクトゥクの  100Bは高い。

 そんなはずはないとタイ人の動きを見ていると、ターミナルの一番端に動いていく。
これだ! このソンテウだ。 と気づき運転手にパイボウコウソウと尋ねると、行くから乗れとの答え、正解である。

ここで分かったのは、私がいつも使っていたボロバスのターミナルを「ボーコーソーヌン」といい、新しくできたターミナルは 「ボーコーソーソン」 と呼んでいて、ここはエアコンバスやVIPバスのような上級バスの専用ターミナルとして使用していることであった。

 15分ほど待って、ソンテウは動き出した。このソンテウは昔からのターミナルを経て山の方の村まで行くらしく、それぞれにかなり高い料金が記されていたが、ターミナル1まではわずか10Bであった。

そして、今晩から5泊するチェンライの中心部ある「ワンカムホテル」にチェックインした。

2
 このホテルは朝のバイキングが付いて、一泊4,300円くらいで宿泊できる。

 周囲には古式マッサージがよりどりみどり、まったく過当競争をしている。
 ナイトバザールや屋台街へは徒歩5分とロケーションは最高である。

| | コメント (3)

ノック先生の田舎を訪れてみた

 ノック先生と瞑想の寺にお参りをした後は、チェンマイから車で40分ほど田舎にある彼女の家を訪れた。  彼女はチェンマイに住んでいたのだが、田舎の母親が病身なため、屋敷内に高床式の離れ屋を建て一緒に生活をしている。

 彼女が給料をコツコツ貯め、母親の身を心配して建てた家には、大中小の3匹の犬が、おとなしく甘えながら同居していた。

 新しい家は高床式なので、風がよく通り抜け夜には蚊帳が必要だが、住み心地は抜群でとても気に入っているとのことである。 台所、寝室、トイレシャワーが付いた家は、羨ましいほどであった。居間には仏陀がお祀りしてあったが、さすがにタイ人の家なので,近親者の故人の位牌などは無かった。

Photo_4  日本では庭で野菜や果物を栽培することは少ないのだが、彼女の家の庭には、いろいろな果物が栽培されていた。

 お隣の農家では屋根の2倍もあろうかという、大木の実が収穫期を向かえていた。

 ご主人が高いところへ登って、長竹を振り回すとバラバラといくらでも鞘に入った実が落ちてくる。

 旦那が疲れて一休みすると、若奥さんが拾い集める。これは「タマリンドウ」だそうだ、この名前はどこかで聞いたことがある。

 集めたタマリンドウを選別し明日の市場に持って行くそうだ。 世界の三大スープの一つと言われるトムヤムクンの、酸っぱい味付けに使うのだそうだ。
 
Photo_6
 家より遙かに高いタマリンドウは、これでも豆科の植物で、皮をむいて舐めてみると、なるほど甘く酸っぱい味が口いっぱいに広がってきた。

  
 こんな大木の実で、トムヤムクンの味付けをしているとは思いもよらなかった。

いよいよ明日はチェンライへ移動だ。

 チェンライは私の大好きな町である。年に一度は必ず訪れるほどなのだが、今年も無事に訪ねることが出来そうだ。

  

| | コメント (0)

チェンマイの瞑想の寺 ワットモンルシー

 朝9時にノックちゃんが迎えに来てくれた。彼女は何度も日本に来て、日本語の勉強をした女性である。 これまで、日本語のガイドをしたり、バンコク横浜タイヤに勤務したりしたのち、現在はチェンマイの高校で日本語の授業を週22時間受け持っている先生だ。

 今日は、チェンマイから西へ50㎞ほどの距離にある、座禅を組み瞑想をすることで有名な、ワットモンルシーにお寺参りに行こうと誘ってくれたのである。

 このお寺は決して立派で大きなお寺ではないが、座禅を通して、人々の優しい気持ちを育むと云うことで、毎年12月12日から22日の間に、タイの全国各地の僧侶有志が集まって修行する。

Photo_2  今年は10日間で1800人の僧侶が一人用の簡易テントを持参して寺の庭で起居し、その眺めは壮観であったそうだ。


 彼女は最近ダイエットをかねて、ヨガをはじめ、その縁もあってこの寺で教えを受けることになったそうだ。


 50代の僧侶は、誠に温厚な方で、我々二人を庭にしつらえてある座禅堂に案内して、有り難いお話を1時間以上聞かせてくださった。もちろんタイ語ではあるが、今日は立派な私設通訳付きだから内容はよく分かる。

 しかし有り難いお話も、愚人を誇る私のことなので、後で思い起こしても、あまり賢くはなっていなかった。

Photo_3
 なにぶんブログに写真を貼り付けることは、初めての経験なので、まだまだ不十分でありますが、今後は充実していきたいと思っています。

 これも昭和初期に生まれた、時代遅れの男の悪あがきであります。

 写真入りのブログなど、背伸びしすぎでありましょうが、努力はしますので長い目で見守って頂けたら幸いです

| | コメント (0)

チェンマイのメーピンホテル

 バンコクでは渋滞に巻き込まれ、そのあとの2日間も慌ただしく過ぎて、いよいよチェンマイへ出かける日となった。 スーツケースはバンコクのホテルに預けて、身軽な装いで出発した。

 BTSの終着駅オンヌットまで行って、電車の進行方向左にあるバス停留所から、552系統のオレンジバスに乗った。 このバスの終点は空港バスターミナルだ。  乗客は少なく郊外へ向かうため、殆ど渋滞なく快走するバスである。

 空港バスターミナルは、空港からかなり離れた場所にある。このターミナルからはシャトルバスが頻発していて、出発階までには何の問題もなく行くことが出来る。       BTS高架電車20B、552番のバスは37B、シャトルバスは無料と非常に安い料金で到着する。(計160円 ) 

 スーツケースのように大きい荷物は無理かも知れぬが、リュックくらいなら楽に乗せることができる。料金が安いだけでなく、利用客が少なくガラガラ状態で、道路はすいている。所要時間は1時間30分を見ておけばいいだろう。 ぜひ一度お試しありたい。

 空港の4階にあるバンコクエアウエイ (BG) カウンターで、Eチケットと搭乗券を交換するのだが、必要なものは、Eチケット、パスポート、クレジットカードの3点であった。

 そのあとゲートに向かうのだが、待合室には行かず、BG客ならラウンジが誰にでも使用できるのでそちらをお勧めする。ラウンジは座りやすい椅子が並び、コーヒーやその他の飲み物、お菓子やパンなどがフリーで雰囲気はとても良い。  早く来てゆっくりくつろぐべきであろう。

 25年も前になるか。アジアの歌姫といわれた台湾出身の女性歌手テレサテンが、日本で活躍していた。彼女の歌う「時の流れに身をまかせ」や「港町ブルース」などは一世を風靡したものだ。

 彼女がやるせない声の中国語で歌う「北国の春」や「襟裳岬」などは台湾、中国はもちろんアジア全域で爆発的に広まっていった。 そのテレサテンがチェンマイの、インペリアルメーピンホテルに滞在中42歳の若さで急死したのだ。                               

 今回のチェンマイは、インペリアルメーピンホテルに泊まってみようと思っていたので、弟を通してユパラート高校の先生に予約を依頼した。 ホテルのフロントでは高校からの連絡があって、タイ人価格でチェックインすることが出来た。

 バンコクでもそうだが、ホテルの料金は二重価格になっていて、タイ人は安く外国人には高く設定されている。私の友人であったN氏など、いつも懇意の飲み屋の親戚として、安い料金でホテルに宿泊されていて、羨ましく思ったものだ。
 
 野次馬を自認する私は、さっそくテレサテンが毎日のように通ったと云われる、ホテルすぐ近くの、ラタナーと呼ばれるラーメン屋を探してみたが、閉店したのか見あたらなかった。

Tyennmaiitiba_2  

チェンマイの市場の果物は安い。マンゴーなど1個がなんと15B(45円)で買える。

 そして頼めばその場で皮をむいて、食べやすいようにカットして包んでくれるから、ありがたい。。

| | コメント (0)

久しぶりの大渋滞も懐かしい

 バンコクに高架電車BTSがまだ完成していなかった頃、ワールドトレードセンターで買い物をして、スリウォン通りのホテルまで帰ったときのことである。
雨季の6月のことなので、午後はおきまりの景気のいい土砂降り、バスは大渋滞で動けなくなった。

 夕刻に友人が尋ねて来ることになっていたので、どうしても帰らねばならない。ホテルに帰る手段はバスとタクシーしか考えられない。 ところが豪雨と渋滞により交通機関は微動だにしない。
最後の手段は、滝のような雨の中を歩くことしかないのだ。

 私はずぶ濡れになって歩き切ったのであった。 黙々と渋滞に巻き込まれて動かないバスを横目にみながら、まさに悲惨そのものであった。
スリウォン通り入る16番のバスを、ホテルにたどり着くまでに歩いて9台も追い越した辛い思い出である。

 昨日のマニラ経由のタイ航空で定刻に到着し、ホテルに向かおうとするとき懐かしい事態に遭遇したのである。
 新しくできたスアンナプーム国際空港から、バンコク都内へのアクセスは、現在タクシーとエアポートエクスプレスバス、それから一般のバス(スーツケースなどは一般客も混乗するので無理) しかない。  簡単に言えばタクシーとエアポートバスだけだ。 これでは謳い文句のアジアのハブ空港が泣きまっせ。

 私が宿泊予定のホテルは、スクムミット通りにあるので、その通りを走る AE3 系統のエアポートバスに乗った。

 このバスが、渋滞の名所である伊勢丹前を迂回してから、スクムミット通りに逆方向から入ってくることになっていたのである。 このことに気づいたとき、昔の苦い思い出が頭をよぎった。

 空港を出てからしばらくは、広い道路を快調に走っていたバスが、バンコクの都心に近づくにつれて速度を落とし、道路が高架になった場所で大渋滞のため完全に停車した。 停車した車列はそのまま道路に張り付いて、なんと1時間40分経過した。

 昔のバンコクが戻っていた。これは懐かしい。  外国人旅行者はドアを開けろ! の大合唱だ。
運転手がやむなくドアを開けると、10数人いた乗客は高速道路で停車している車の横を、大きな荷物を背負って36℃の暑さの中、一列になって歩き始めた。

 私は夕食を取ってホテルで寝るだけ、バスの成り行きに任せて「まな板の鯉」を決め込んだ。その時車内に残ったのは、私を含めて2人だった。

 夜の帳が降りて、ホテルに着いたのは、空港を出て3時間20分後であった。
日本からマニラまで3時間30分、マニラからタイまで3時間5分、空港からホテルまで3時間20分だ。

 空港からホテルまでの所要時間は、フィリピンからタイへ飛行機で来る時間より長くなってしまった。まさにバンコクの渋滞は国際級に逆戻りしたのである。赤シャツを着て道路を封鎖してみたり、のんきに空港連絡電車の完成を伸ばし続けたりしている場合か。

 空港とのアクセスである電車の開通が待たれているが、毎度の事ながら延々と遅れている。プミポン国王の誕生日である12月5日の開通予定も、当然のごとく延期された。 

最近の公式発表では3月に開通となっていたが、今はもう4月でっせ。開通などは誰も信用していませんって。


 

| | コメント (2)

食わず嫌いの航空便

昔、タイへ行くのにシンガポール航空をよく使うことがあって、機体も乗務員もサービスにも満足して、毎回利用したものであった。

 関西空港からバンコクへは一日1便の運行で、往路がシンガポール航空なら当然復路もシンガポール航空であった。 一日1便というのは学校や会社と同じように、時間の選択肢に自由がないので、だんだん利用するのに飽きが出てくる。

 そんな思いを抱いていた時、シンガポール航空がバンコクへの直行便から撤退した。それでは日本航空はどうだろうと、2度ほど乗ってみたが、乗務のおじさん従業員もスチュワーデスも日本人で、日本の出店が飛んでいるように思えて仕方がない。その上に圧倒的な日本人乗客だから旅の趣はは皆無であった。

 それ以降ずっとタイ国際航空ばかりの利用である。最近はバンコクスワナプーム空港からの復路のスケジュールに肩寄りがあって使いにくい事や食事の内容が落ちてきたなど、マイナス面が目に付くようになってきた。

 昔から年寄りの旅は、途中休憩をこまめに取って、体力に応じた動きをするものであった筈である。
それが、本人はいつまでも若い気でいるから、こまめに休憩など思いもよらない。 その結果,飛行機の6時間は長いのう。などとぼやくようになる。

 単調な飛行機など早く到着すればいいなどと思ってきたが、今回はそうではなくて、休み休み行こうかい。と考えを変えてみた。

 関西空港を10:00に飛び立つTG621便は、バンコクへは16:35に到着する。なんと 時差を考えるとフィリピンのマニラを経由して、日本から8時間35分かかっての到着である。 (直行便なら所要時間は6時間30分)

 私はタイへ行くのに、なんで遠回りになるフィリピンなど回って行なあかんね。時間ばかりかかる、こんな飛行機乗りとうない。と思っていた。

 いざ搭乗してみると乗客は60%くらい、見てみい、人気はないやないか。
ところが、2時間少したった頃、ふと窓から下を覗いてみると群青色の海の中に珊瑚礁が薄く広がって、夢のような景観をなしているではないか。

 この美しい環礁が点々と海に浮かぶさまは、得も言われぬ優雅さで、心を揺さぶられる思いであった。綺麗なものを見たなあ。
その情景も感激もマニラ上空にさしかかると、夢幻のごとく消え失せてしまった。

 マニラ空港のトランジットは1時間10分だったが、美しくないとはいえ待合室は、飛行機と違って大地の上で床が動かないので、気分転換には最高である。
時間になって飛行機にもどると、乗客は20%くらいになっていたが、そのあとフィリピンからの客で満席になった。

 出発の仕切り直しで、2度目の昼食をとって3時間ほどでバンコクに到着した。
日本を出て3時間30分で、1時間の休憩を取り、休憩後3時間で現地に到着とは、体力に自信のない高齢者のとっては、贅沢なフライトである。

 何事も食わず嫌いではいけません。次回は帰りの便もマニラ経由にして、時間はかかってものんびり休憩を挟んだ旅にしたいと考えている。

  <2010年の夏期スケジュールから、TG 621便はなくなった>

| | コメント (0)

時代遅れの男になりました

 タイの国内航空のチケットを、旅行代理店にお願いしてみたら、往復なら出来ますが片道では買えません、とつれないお言葉が返ってきた。

 それでは、と淀屋橋にあるタイ国際航空に相談してみたら、うちで片道航空券を発売しますが、正規の料金なので、バンコクでディスカウントされたチケットを求める方がはるかに安いですよ。 とアドバイスされた。 

 日本でタイ国内の片道航空券は買えないのか。と娘に相談してみたらインターネットで、いくらでも買えるそうだ。 そうかネットか。 高齢者には不便な世の中になったものである。

さっそく我が家にきて手伝ってくれた。インターネットでバンコクエアウエーズのサイトをだして、検索してくれた。 へえー バンコクからチェンマイまで、料金は3通りあって、いずれかを選ぶ。さらに早い時期に申し込むと料金は安くなっている。

 希望の飛行機が選択できたら、自分のクレジットカードの (クレジットナンバー、セキュリティーナンバー、有効期限、メールアドレス)などを打ち込んだ。
すると、早くもメールで引受書類が送られてくる。この時点で支払いは完了である。

 これだけの作業で航空券が手にはいるのだが、70歳を遙かに超した時代遅れが、パソコン、メールアドレス、クレジットカードなどを自分名義でもっていると思うのか? また操作ができるのか?
 まごまごしていたら振り込め詐欺にこんにちは、とやられるのが落ちだ。

 「時代遅れの男になりたい」 なんて気楽に歌うのは若い者の格好良さ願望であって、その悲哀に遭遇してみると情けないものである。

 チェンマイまでの足の確保は出来て、出発の日が近づくと、チェンマイからランパン、ウタラディット、ピサヌローク、ナコンサワンなどを列車とバスを乗り継いでバンコクまで行くという計画がだんだんじゃまくさくなってきた。

 そこで出発の5日前になって、またまたネットでチェンライからバンコクまでの片道航空券を購入してしまった。

 これで飛行機による移動の準備は完了した。

| | コメント (0)

時代から取り残された とまどいのエレジー

 今回の旅ではぜひここへ、という強い目的地が定まらぬ内に、出発予定日が近づいてきた。
とりあえずバンコクまでの航空券は確保しておかねばと、大手旅行代理店のJ××へ行った。タイ航空でバンコクまで行きたいのですが、安いチケットはありますか。

 「そうですね。一番安いので96,000円くらいですね。」
お宅のホームページには5万円台で出ているのですが、そのチケットは買えませんか。
 「あれはネット販売なので、店頭では扱ってはいないのです。」

 私は航空券や海外のホテル予約などは、旅行代理店に行けばいいのだと思っていた。
何がネットや。ネットを持って行かねば買えなくなったのか。

 亡くなった河島英五が歌っていた 「時代遅れの男になりたい」 あの歌を聞いたときには、男のロマンを感じさせて、いいなあと思ったものだが、介護保険証が送られてきたり、敬老乗車証を愛用しているようでは、時代遅れとなっても仕方がないか。

 J××を出た後、すぐ近くにあるH△△旅行社へ行って、同じように尋ねると、その日のタイ航空なら50,000円ですよ。サーチャージ、関空使用料、保険などが加わりますから、合計57,720円になります。  よかった。時代遅れにでも、チケットが買える旅行代理店があった。

 じゃあ、タイでミャンマーと国境を接している、メーソットをターゲットにしてみようか。軍事政権が支配するミャンマー(ビルマ)には、入国したいとは思わないが、そっと覗いてみたい気がして調べてみた。

 メーソットの町は、遺跡で有名なスコータイから山の奥にずーと入った彼方にある。バンコクから飛行機が飛んでいたが、今は採算が取れず無期運休中だ。
 
 とすればバンコクからバスで8~9時間で行くことが出来るが、少しめんどうか。
 ではスコータイまでバンコクエアーの飛行機で行けば、と考えはじめたとき、メーソットとターク地方でマラリアがかなりの数で発生しているとの情報に接した。

 年も取ったし、血液もO型で蚊とも仲良しだし危ないなあ。 と弱気になってチェンマイに行くことにした。
 チェンマイからバスと汽車を乗り継いで、色々なところに泊まりながらバンコクまで一週間ほどかけて旅をしようとの目論見である。

| | コメント (0)

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »