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ローカルバスは 昔の日本にもあった

 これまで北タイの田舎を走るバスをボロバスと、何度も書いてきたが、私はこのバスが大好きだ。

 こんな心が温まるバスは滅多にあるものではない。  何故なんだろうと考えるのだが、車体は車検制度があれば、廃車は確実だし引き取り手もない。 メーター類は故障はしてはいないが、部品によっては無い物もたくさんある。

Photo  いつぞやは、窓が全部閉まっていたからエアコンバスが紛れていると喜び勇んで乗ってみると、全部壊れていて開かないだけのことだった。

 また雨季で豪雨が降りしきっていても、前後に付いている乗降のドアは開いたままである。

 では何が良いのか。これは多分女車掌と乗客の醸し出す雰囲気であろう。

今日はいつもより遅く、9時に発車するバスにした。バスターミナルのチェンセン行き乗り場に近づくと、元気な若い女車掌にチェンセン行きはもうすぐ出るよ。とせかされる。 

 乗車するとき「私はワットパサック」 (パサック寺) だから着いたら教えてね。 と依頼すると、よく分からないよ。  チェンセンの有名なワットパサックを知らないはずがない。  知らないのではなく、私の発音が理解できないのだ。  いつものことなので驚かない。

 ふと気が付くと運転手の後ろの坐席に、3歳位の女の子が後ろ向きに顔だけ出して、乗客に笑顔を振りまいていた。キャッキャッと声を出しながら、実に可愛いいのである。

 発車間際に、日本の青年が一人で大きなリュックを持って乗り込んできた。ゴールデントライアングルかラオスにでも行くのだろう。

 バスが走り始めてしばらくすると、女の子がぐずりはじめた。 それをあやしに行くのは女車掌だ。何と優しい車掌なんだろう。 すると間髪を入れず近くのオバサンがだっこして、すやすやと眠り始めた。

 車掌は客の荷物の上げ下ろしから、お年寄りの世話や座席への 誘導、乗降を全て取り仕切るバスのコンダクターだ。 愛嬌たっぷり賑やかに車内を暖かいムードに作り上げていく、20代後半の車掌は見事であった。

 女の子をひざの上で眠らせていた、オバサンの目的地が近づいてきた。すると車掌は女の子を日本の青年に託した。

Photo_2  何か変だ、母親はいずこかと観察を続けると、どうやら車掌が母親らしい。3歳位の子供をつれて仕事中だった。

「私の娘は日本人のひざの上だ」 と大声で吹聴して乗客と一緒に喜んでいる。  日本の若いの、車内に溶け込んでいるのがとても素敵ですぞ。

 日本ならお年寄りや身体の不自由な人に座席を譲りましょう。とか携帯電話はご遠慮ください。などと機械的に放送しているが、こんな放送に心のあろうはずはない。

 子供連れで仕事をするなんてと非難をする人もなく、みんなが譲り合い和やかに目的地に着けば、それでいいではないか。 なんか人間的でホッとするではありませんか。 何も口を挟まずに笑顔で、車内のことは全て車掌に任せていた運転手も偉い。

 私が子供の頃、田舎で乗ったバスが終点に着いて、運転手がボク今日はどこまで行くのと聞いてくれたので、駅まで行って汽車でおばあちゃんの所へ行くの答えると、一人で偉いねえ、駅まで送ってあげよう。と2㎞の道を空のバスで送ってくれたことがあった。

 日本にも昔は人情とか思いやりとか良いことがたくさんあったが、今では規則とか権利とか、もやもやしたことが横行して、すっかり心がすさんでしまったように思う。  

 タイには今でも 日本の昔が脈々と生きているようで、とても心が和むのだ。Photo_3

 バスはワットパサックに近づいてきた。

 私が車掌に合図をするとバスを停車させて下ろしてくれた。もちろん停留所ではない。

 ここには後世まで、その姿を残した仏塔がひっそりと建っていた。

 

 

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コメント

タイスキ様、こんばんは

素敵なローカルバスの旅どすね^^

台湾のように、昔、日本のローカル路線を走っていた

バス車両とかが再利用されてないですかね?


>日本にも昔は人情とか思いやりとか良いことがたくさんあったが、今では規則とか権利とか、もやもやしたことが横行して、すっかり心がすさんでしまったように思う。  

仰るととうりですね

わたしの様な世代の人間でもよく感じます

昔に比べても奇異な犯罪も増えたため

人同士の疑心暗鬼も昔より増加したんでしょうか?

その分、素直な触れ合いも難しい世の中となったのかも・・・・

投稿: 高兄 | 2010年4月27日 (火) 22時46分

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