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2010年6月

夕食は屋台だ

 ウボンラチャタニーのムーン川畔の広場に、毎日夕方からたくさんの屋台が集まって、夜は大勢の客で遅くまで賑わう。街によっては食べ物の屋台が出るのだが、殆ど持ち帰り専用で、粗末な椅子一つ無く美味しそうではあるが、指をくわえてすごすごと帰らねばならない事が多い。

 これはタイ人の多くが、夕食を外食に頼り自分で作ることをしないからだ。台所もない家すらある。夕食を作らないのは無精だからではない、専門に作る料理のほうが美味しいし、屋台は安いから自分で作るよりはるかに経済的にすむからだ。Photo_5 

 ウボンの屋台街は、広場には多くのテーブルと、何十軒もの屋台がならび、いろいろなタイ料理、飲み物などが食欲をそそる。

 目を転ずればムーン川の水がゆったりと流れ、川面には残照がゆれ、、空を見上げると日本では見たこともない星の群れたちが瞬きはじめている。

  ん、環境はよい。 会長Y氏とN君は食事の注文を、と言えば格好はよいが、食事をとっている人のテーブルを見て歩き、美味しそうなタイの料理を「アレ」と屋台に告げるだけである。 私は飲み物の屋台で、シンハービールを多めに買う大役である。

 タイのビールは日本より若干アルコール度が高い。これはタイ人にビールに氷を入れて飲む習慣があるからだ。やはり暑い国なので冷たくする気持ちはよく分かる。屋台から持ってきたビールの冷えが悪いと、屋台に向かって「おーいナムケンと叫べばよい。    ナームは(水)、ケンは(硬い)。つまり氷りである。      

 安くて美味い料理をたくさん食べて、飲んで、ウボンラチャタニーの夜は静かに更けていく。 こんな異国の屋台街で、三人の日本人がタイ人やラオス人に混じって、その時の流れの中にとけ込んでいるのだ。まったく幸せである。 旅はいいですなあ。

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ケンターナッツ国立公園

 しばらくして頭にひらめいた。ケンターナッツ国立公園に寄ってみよう。
運転手に聞くとわずか12キロしか離れていないので、思いつきではあるが寄る事にした。 
 この公園は小さな渓谷かあるだけだが、タイでは珍しく流れる水が透明なのでほっとする。

Photo_2 

 日本のような山紫水明な国からきた者にとっては、このような水澄みわたる渓谷なんか、どこにでも見られるので、珍しいことではないがタイ人にとっては、感動の風景なのである。

 また広大な平原が広がる国なので、川の流れが非常にゆったりしていて、急流などには、滅多にお目にかかれない。したがって、急流の渓谷に透明度の高い水が流れているなどの条件が揃うと、これはもう国立公園となる。

 またタイ人は滝の見学がお好きである。高いところから水が落ちればもう見学にお出かけとなる。それでは私もと、出かけてみれば、なんと高さ50センチほどの落差があるだけで、京都の鴨川に行けば、数え切れないほどの滝があることになる。

 タイで滝は珍しいが、滝のことをタイ語では 「ナムトック」 という。 ナーム(水)、トックは(落ちる)なので、話を聞いてナムトックに行きたい等と云えば、とんでもない滝を見ることになる。

Photo_4  見学の案内をしてくれたのが、26才の職員でとても美しくて可愛いい女性だった。
国立公園の見学ではなく、笑顔で要求したポーズをとってくれる、彼女の撮影会は最高だった。

 女性に年齢を聞くなど失礼な、と、のたまうどこかの国と違って、タイ人は年齢やチュウレン(通称の名前)を聞かれることに、何のこだわりも持たない。

 このチュウレンは殆どの人が、生まれた時から名付けられていて、ノック(鳥)、ユン(蚊)、ムー(豚)など本名より重宝されている。

 これは私がタイ語でお世話になった方ばかりであるが、小鳥チャンなどはよいが、豚サンなどは、いくら男性でも、どうかと思うのだが、本人は何も変には思っていない。

(この時の彼女の写真を持って翌年訪れたときは、残念ながら事務所は休日だった。)

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思いもかけぬ 忘れ物

 チョーンメックの村は赤茶けた道路の両側に、三十軒ほどの人家(店)と国境ゲートがあるだけ、 京都の写真界では名の知れたN君は、Y氏とともに撮影に余念がない。適当な時間を見計らって国境ゲートへ誘った。

 さまざまな目的で出入りする、服装の異なった人々を見ているだけでも楽しい。彼らも被写体が多いので、撮影も忙しそうでごくろうである。 暇な私は国境の警備をしている係官に、パスポートだけで入れないか聞いてみた。分かっていますって、ビザがないのに入れるわけがないというのでしょう。聞いてみただけです。 

 しかし、数百メートル離れた道路の脇にラオスの市場があることを知っているので、
未練たらたらしいポーズでせめてそこまでは、とウロウロしていた。 今回も同じである。なにがしかの金額を支払えば、国境警備の係官が手書きの簡易ビザを書いてくれるのだ。

 日本のお年寄り3人は、恐る恐るラオスへと歩み始めた。 すぐ近くにはラオスの警備員が5人も見ているので、カラ元気を出して市場へと歩く。道路から少し降りたところにある市場には、欲しくなるような物は全くない。

 N君はと見れば市場の入り口付近で、赤ちゃんを連れた若いおばさんに、何かを買って
写真を撮っている。 なるほど。 しかし彼の被写体となるのは、人生の終着駅で下車の準備をしているような人が多いのだが、今日はどうしたのか若いですね。

 このようにラオスの市場の風景や、独特の衣装を身につけた、少し色は黒いが南洋の美人がたくさんフイルムに記録されたもようである。

Photo  十分に写真は撮ったし、見る物も見たので、タイ側へ帰って昼食をしようと、再び国境を越えた。

 この時気づいたのだが会長Y氏の大切な物が無いのである。こんな事ってあるのか、困ったどうしよう。

 会長A氏 がなくした物は入れ歯、この入れ歯をバンコクのホテル

 彼は私より6歳ほど老齢だが、あと5年もすれば私もこうなるのかと思えば、侘びしさも人ごとではない。

 しかしバンコクではホテルの部屋をメークした女性はさぞ驚いたたことであろう。

 こればかりはどうしようもない。取りに帰るにもバンコクから640キロも離れていてバスなら片道14時間もかかる。かといって薬局へ行っても買えるはずもなく、手のうちようはない。

 考えても、どうすることも出来ないことなので、不自由だろうが諦めるしかない。昔の人は歯が無くなっても生きていましたがな。  同情はしても、何の手伝いも出来ないのが残念ですが、4日間がまんしてくださいね。

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日本の原風景をカメラに

 旅は60半ばを過ぎ、慌てふためく3人組が、異国の田舎をカメラに納めようと企てたものである。はたしてタイの田舎で、昔日本で見られた原風景を、写真に納められるだろうか。あわよくば自身も若さを蘇らせることができないだろうか。今を遡ること8年前となる旅の記録である。

 京都の田舎の高校で共に机を並べたN君と、滋賀県で苦労を重ねて作り上げた会社の会長で、楽隠居であるY氏との旅である。3人とも老いに追いかけられるような日々を送っているため、さぞかし多難な旅になる、との覚悟で望んだ旅であった。

 N君とY氏は重いカメラ機材を持参しての旅なので、体力的にどうかと危惧をしたが、気持ちではまだ若いと錯覚されているのか、元気なものであった。ちなみに私は小さなカメラを持ってきたが、二人のプロの間では、撮す気などさらさら起こらない。
 
 バンコクで一泊して、朝食前にY氏が朝食券を貰っていないと言いだした。整理整頓がまったくできない会長氏なので、どこからか出てくるはずと云うのだが、絶対に受け取っていないと言いきる。しかたなく懇意なボーイに訳を話して、内緒で追加をしてもらい朝食にありついた。

  いざ出発、タイ航空で目指すは東北タイのウボンラチャタニーである。この町はラオスとカンボジアの2国と接しているので、何かと見所は多かろう。

 到着した空港でタクシーをチャーターし、宿を確保すべくホテルを探したが、満室だったり、エアコンがなかったりで4軒回ったが思うようにいかない。 いつもなら満室などあり得ないのに、顔を見て年齢制限でもやとんのかい。

 やっとムーン川にもタラート(市場)にも近い、ラチャタニーホテルという安宿に落ち着いた。荷物を置き、休む間もなくラオスとの国境チョーンメックに向けて出発である。

 走り始めて気づいた、車はホンダの新車で運転手は気のいい30代のいい男、広い直線道路を100キロ以上で快走している。 事故はできるだけ起こすなよ。

  最近私は旅行保険を多めにかけているので、万一の場合補償は心配要らない。この年になると一般の生命保険には入れないので、死ぬなら旅行中がいいとかねがね思っているのだが、元気で過ごせるのなら、もう少し生きながらえたいとも思い直している。

 車中は乗り心地は良いのだが、プロのカメラマンには被写体が次から次へと、流れ去っていくので気が気でないらしい。ムアンシリントーン人造湖が右手に見えて、広い湖の岸辺で遊ぶ牛たちを見ると、たまらず休憩の申し出を受けて停車した。

Photo

 大きなカメラを運び出し、三脚で対岸で草をはむ牛の群れに写真の焦点を当てる、かと思えば近づくクルーザーも視野に入れるべく苦労をしている。単なる休憩の筈が1時間近くにもなった。

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ひとり旅について思う

 タンタワンプレースホテルのパーティーの翌日、部屋の清掃をしてくれるおばちゃんも、カンパリーソーダのおねいちゃんも「次のパーテイーはね、10月らしいぞ」と耳元で、声をひそめてささやく。 と、そうか10月にまた来ようか、などと浅ましく考えてしまう。
 
 その後の数年間で思ったのだが、タイ人の彼ら、彼女らは遊びであろうが食事であろうが、単独で行動することは非常に少ない。 ましてや食事などは、友達とワイワイ騒ぎながら楽しく食べるのが、子どもの頃から身についた習性なのだ。
 
 しかし、誰とでも食事を楽しむタイ人。と、片づけられない細かい心遣いがあったから、あんなに楽しいパーティーに参加することが出来たのではないか。
 そういえば、タイの各地を歩いてみて1人で来たのかあ、 などと優しく接してくれた事が何度もあった。

 タイ人の頭で考えていることが、少しずつ理解できるようになってきた。 もちろん優しい気持ちで暖かく接してくれるのだけれど、それ以外に 「このおじさんは、友達もいない可哀想な人なのだ」 との思いが根底にあるのだ。

 そうかあ。私は友達もいない淋しくて可哀想な人なんだ、と考えれば納得できることがたくさんあった。私なんぞ 「ひとり旅」 といえば、何かしらロマンチックで素晴らしい旅、などと錯覚をしていなかっただろうか。

 そりゃあ友達との旅はそれなりに楽しいし、話し相手があって大好きではあるが、一ヶ月か二ヶ月毎にタイへ行こうと、誘うことなど出来る相談ではない。

 寂しくて可哀想な人ではあるが、 「ひとり旅」 には、迷ったり悩んだりしながらそれを解決したり、忘れかけていた感性が多少なりとも復活し、研ぎ澄まされていくような事だってあるのだ。これはツアーなどでは得られない特権であろうと自画自賛している。
 
 タイスキおじさんは、タイの田舎で 「お金と時間さえあれば、何とかなる」 とつぶやきながら、これからも歩き続ける事であろう。

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その時 お客は

 朝食を終えて部屋に帰ってくると、部屋のテーブルには 「本日は恒例のパーティーを行います。都合のつくお客様は是非参加をしてください」 との案内状が配られていた。

  ホテルをあげての大パーティーがあっても、宿泊客は夕方になると約束のある人も、ない人も、さりげなく忙しそうに外出する客が多い。宿泊客はホテルのパーティーなどは予定していないから、外出も致し方ないのである。
 
 私は予定などと大層なものは、持ち合わせてはいないが、ホテルの玄関がパーティーで扼されていて、知らぬ顔で夕食に出ることが難しい。外出のチャンスを何度か伺っているうちに、思っていたとおり捕まってしまった。

Photo  ここに座れ、といつものカンパリーソーダのおねいさんのテーブルへ誘われた。

 なんと女性ばかりの姦しいテーブルであったが、この料理が美味しいぞ、と次々にお皿に盛ってくれる。

 また、このお酒がおいしいよ、などと、グラスにもついでくれる。 こんな行為が実に自然なんだなあ。
  
 みんなを退屈をさせないで、自分も楽しむ。こうゆう天性なものをタイ人は生まれながらに持ち備えているんだ。

 なんで私に対してこんなに親切にしてくれるのだろう。この日があることを知って、遠く台湾の勤務先から駆けつけた日本人も、大歓迎をされているから、まあ深く考えなくてもいいか。
  いつもの夕食なら、五目野菜炒めに卵料理、ビールを飲みながら、焼きめしくらいで終わっているところなのに、思いもかけぬ豪華な夕食であった。 いつもエレベータの前で難しそうな顔で立っている、セキュリティーのおじさんのよくしゃべることは意外だったなあ。

 部屋の掃除をしてくれるおばさんの、踊りまくるあのエネルギーはどこにあるのだろう。
カンパリーソーダのおねいさんに2人も子どもがあったなんて、など思いながら楽しいパーティーの雰囲気を味わった。多少酔っぱらっていても帰る心配がないのがよい。

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タンタワンプレースホテルの思い出

 バンコクの、シーロム通りとスリウォン通りの間には、有名なパッポンやタニヤ、ジムトンプソンの家や有馬温泉など、日本でもよく知られる繁華街がある。
 その近くに、タンタワンプレースホテルはあって、10年ほど前は訪タイする毎に定宿として宿泊したものである。

 地の利に恵まれて、かなり家族的な雰囲気を持つ小さなホテルであった。 朝の食事はトースト、コーヒーに目玉焼き。外出から帰るとカンパリーソーダーがそっと出る。こんなささやかな内容にもかかわらず、料金は比較的に高いのである。

 それなのに、いつもこのホテルの常連のようにして泊まっていたのは、従業員の気さくさと何とも云えない優しさであった。 当時このホテルのオーナーは、タイには珍しく英国人で、客に対しても中国人とはひと味違った接し方をしていたように思う。
 
 ホテルでは三ヶ月に一回くらい、パーティーがあって客より従業員が楽しみにしていた。その日が来ると従業員は朝から気もそぞろで、仕事にも手に付かずそわそわしていた。
 朝食が終わるやいなや、調理場ではパーティーの料理作りに調理人が腕をふるうし、手の空いた従業員は、こまごまと会場の飾り付けや、広くもない庭にテーブルや椅子を広げていく。

 厨房の屋根には大きなスピーカーも設置され、午後にはタイ独特の音楽が響き始める。
夕方になると男性従業員は日頃の作業着を脱ぎ捨てて、背広にネクタイをつけウロウロし始め、女性達は色鮮やかな服装に、化粧も一段と濃いめにして、すましながらも興奮を隠しきれない。タイの女性は年齢に関係なく、原色に近い服装が実によく似合う。 

午後5時頃にはテーブルには、乗り切らないほどの料理と種類豊富なお酒が、これでもかというほど気前よく並ぶ姿は壮観であった。Photo_7

 

このパーティーの主客は従業員とその家族であって、オーナーが一言開始を告げれば、あとは食べて飲んで、しゃべりまくって、陽気なタイ人は大騒ぎとなる。

Photo_8   

   

大音響のスピーカーから流れる陽気なモーラム(田舎の民謡)に併せて踊りまくり、夜の更けるのも忘れている。

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タイ人に人気のサメット島では

  公園管理事務所で入園料をふんだくられて、しばらくして徐行したソンテウの運転手が大声で何か言った後、車は方向を変えて走り始めた。
 タイ人はお人好しでそのうえ親切である。 家族連れで来ているおばさんが、パイナイカー(どこへ行くの)と私に声をかけてくれた。

 サイケーオビーチだよと答えると、すぐさま持っていた傘で運転席の屋根をガンガンとたたいてくれた。こうすれば車は止まるのである。 さきほど徐行して運転手が大声を出したところが私の降りる場所だったのだ。危ないとこだった。
 
 やっとの思いでサイケーオの海岸に出た。別名ホワイトサンドビーチと呼ばれる砂浜は、微細で真っ白な見たこともない砂で、よく見るとすべては貝殻の砕片であった。

 子供の頃、絵本に出てくる南洋の島々は、例外なく椰子の木の並木と白い海岸が続き、そして黒人が描かれていた。まったく昔の絵本作家はよく知っていたものだ。黒人は居なかったが、まったく同じ景色なんだなあ。 
 
 椰子の木陰で、ぼけーっと海を眺め、沖でエンジン付きの船に引かれたバナナボートが早く転覆することを祈りながらウトウトとまどろむ。

 声がかかり目覚めると、美味しそうに茹でた蟹を天秤棒で担いで売り歩くおばさんだった。その後も次から次へと、果物や飲み物を持った売り子がやってきて、美味しい美味しいと勧めるが、満腹でもう食べられん。
 
 その後、シート持参のマッサージ屋までやって来た。嫌いではないのでこれもやる。
と、数時間は感激したり楽しんだりしたものの、家族連れが歓声を上げて海辺をはしる。木陰では恋人達が静かに語り合っている。
 
 次第に空しさが募ってくるし面白くもない。止めた帰ろう。リゾート地なんかエエおっさんが一人で来るところと違うで。  

 しかし、若い人たちが何人かで訪れたら、素晴らしい島であるに違いない。 絵はがきで見るような綺麗な南の島がそこにはあるのだ。バンガローで一泊すれば間違いなく夜明けの海が、目の前に描かれていることだろう。

 バンコクからビーチへ行くには、サメット島よりパタヤビーチのほうが近い。ただパタヤビーチは、ベトナム戦争の時に駐留していたアメリカ軍の、保養地として発展した所なので、その名残が残っていて、歓楽地といったイメージが強いしバンコクが近いとゆうこともあって、水質に難があるように思う。

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雨が降らないので サメット島へ

 今日の雨は、まだお休みのようなので、サメット島へ行くことにした。サメット島へはバーンペーから出る船を利用しなければならないのだが。バーンペーの地名がおもしろい。バーンはタイ語で村だから 「ぺー村」である。変な名前だ。
 
 バスターミナルでパスがどこから出るか分からないので、新聞の立ち読みをしている警官に尋ねてみた。彼は新聞を置いて私を案内するために歩きだしたが、ちょうど前から二人ずれの別の警官がやってきて、直立不動で 「敬礼」 この警察官は偉いのだ。

 偉い上官殿が二人の警官にナントカカントカと命じると、やけに背の高い警官が案内してくれた。バス乗り場の裏のほうに停まっているソンテウが、バーンペー行きのバスだった。ターミナルの裏に隠れていて、行き先も書いてない乗り物なんか分る訳がない。もっとも書かれていても読めるわけもないが。

 驚いたのがソンテウの運転手、怖い警官が連れてきた客だ、慌てて満員の荷台ではなく、助手席に乗せてくれた。 驚かせてごめんね。 そしてソンテウは客を拾ったり、捨てたりしながら30分ほど走ってぺー村へついた。港町バーンペーからは、サメット島へ渡る船の客引きが盛んに呼び込みをしていた。
 
 島に渡る船の会社はいくつかあるようだが料金は皆同じだ。 それにしても漁船の魚くさい独特の、港の匂いがあたりに充満していて心地よい。

 桟橋には赤い船や青い船が客を待っている。日本のように画一的な白い船なんか、どこにも見あたらず、南国にふさわしい原色を多用した船達であった。

  船は桟橋を離れて、サメット島をめざして滑りはじめた。船室は木製の長椅子、二階の甲板は椅子なしだが見晴らしがよく気持ちがよさそう。

 私も甲板に登ってみると、タイの青年グループがギターを弾いて鼻歌気分だ。 少し離れて日本の若いカップルが、二人のために世界はあるの、とばかりに傍若無人にふざけあっている。日本のおじさんとしては、眉をひそめたくなるほどなのだ。

 船が防波堤を越えると海上は雨季の風が強く、かなりのうねりが船を揺らせてくれる。
島はすぐ近くに見えるのに、潮流も早く島のナダン港になかなか近づけない。乗船40分でやっと入港の目処がついて、島は次第に近づいてきた。

 ふと気がつけば あれほどはしゃぎ、ふざけていたわが同胞のカップルは、青い顔をして完全に酔っぱらっていた。 静かになったが誰も同情はしない。 これはいいことだ。
 
 ナダン港で下船すると港にはソンテウがいて、希望の海岸まで送ってくれる。 私は一番近いサイケーオビーチへ行く予定である。ソンテウには、行楽にきたタイ人の家族連れが10人ほど乗っていて、オレはただ1人の外国人だ。

 途中に公園管理事務所があって入園使用料を徴収していたが、 またこれだ。
タイ人の入園料が20バーツなのに、俺だけはなんで400バーツ(1,200円)払はなあかんのや。

 この国では、エメラルド寺院、ワットポーなどの入園料はもちろん、 バスと鉄道以外はほとんどと言っていいほど外国人とタイ人の料金に格段の差がある。

 始末の悪いことに外国人の金額はアラビア数字で、タイ人料金はタイ語で書いてあるから、外国人には金額がわからない。 

 日本語の分かる外国人が 「弐百圓」 と書いてあっても、この金額がいくらなのかを理解など出来るはずがないのと同じで、考えることが幼稚でセコいのだ。

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楽あれば苦ありと申しますが

 このマッサージ屋は40~50才代のおばさんばかりが、やってくれるのだが、そのマッサージたるや痛そうで痛くない。ツボを心得ているとみえて実に上手であった。
 目黒のサンマではないが、マッサージはラヨーンに限る。それもバンコクの半額なのだ。

 ところがである。驚いたのは店の扉を開けると、熱帯のスコールの親玉がこれでもか、とばかりに、空から水を落としていたのだ。

 30分ほどマッサージ屋で、お茶を飲みながら待ってみたが降り止む気配はなく、20メートルほど離れたホテルに帰れない。とりあえず広場に向かって走ってみた。なんと、あれだけ並んでいた屋台は、品物をすべて撤去し影も形もない。 「本日豪雨のため閉店」の状態である。

 かわいそう。あんなにたくさん作っていた屋台の食べものをどうするのだろう。玩具も衣料品も濡らさずに持ち帰っただろうか。
 もっと可哀想なのはオレだ。 人のことを心配している場合か。 当てにしていた夕食がない。

 見渡すと逃げ遅れたおばさんが、軒下にうずくまり荷物片づけていたので、そっと近寄ってみると焼き卵屋さんだった。串に焼いた卵を5個ずつ刺したやつ、他には何もないから、これにするか。

 その焼き卵を1串求めると、おばさんは、おまけだ、もう1串持って行けとやけ気味。10個も焼き卵を抱えてあと10m、ずぶ濡れになって走るタイスキおじさんは哀れであった。

朝、目覚めるとあの豪雨はどこかへ去っていた。ラヨーンの町は、あの独特の匂いをもつナンプラー(小魚を発酵させた醤油)と、果物の産地である。

 バスターミナルの北側に果物市場があると聞いて、出かけてみて恐れ入りました。雨季であるため種類は多く、果物の王様ドリアン、女王と呼ばれるマンゴスチン、そのほかランブータン、西瓜、パインアップル、バナナ、柑橘類、名も知らぬ果物多数が所狭しと2メートルほどの高さに、積み上げられていた。

 こんなに果物があると、食べたいという意欲は当然失せてしまう。大きなドリアンの山があったので、1個いくらですかと聞くだけ聞いてみると、威勢のいい兄さんは60円という。べらぼうに安いけれど、あの独特の匂いが強すぎるのでホテルには持ち込み禁止である。さいわい私は王様が嫌いなので買わない。
  
 女王様にしようと、マンゴスチンはいくらと小声できくと、大声で40円と叫ぶ。1個ではなく1㎏が、日本円に換算して40円なのである。 よし買った。
いくら美味しくとも、そんなに食べられるわけもなく、涙をのんで半分は廃棄せざるを得なかった。
 
 市場の横には少しでもキズのついた果物は、こんなに、と思うほど大量に捨てられていた。まだ十分食べられる。もったいない。と思う人がタイにもいて、いろんな種類の果物をたくさん持ち帰る様子を見て安心した。水が豊富で気温も高い、熱帯のタイでは、飢餓という言葉とは無縁である。

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タイ人が好きなリゾートへ

 タイのリゾートと言えば、南西部に位置するプーケット、ピーピー島、サムイ島などが世界的に有名で、観光客も多いことで知られている。 日本の客もかなり行くようだが、有名なだけに物価が異常に高い。

 そこで、多くのタイ人は東南部にあるラヨーンへ行きたいと答える。これは距離が比較的近いのと、外国人が少なく物価が安い、そこから船で渡るサメット島は島も水も綺麗で、浜はホワイトサンドビーチと名付けられる通り抜群に美しい。

 バンコクのエカマイ(東バスターミナル)から、ラヨーンまでバスを利用した。タイのバスは、VIPバス、エアコン1、エアコン2 と冷房のない普通バスが郊外へ向かって走っている。エカマイからラヨーンまで3時間30分、1等エアコンバスが4:00~22:00まで30分おきに発車している。料金もわずか250円だ。

 ところが冷房しているバスが曲者なんだなあ。 熱帯の国なので、高級バスにはサービスが欠かせない。

 何よりのサービスは冷房することであって、絶え間なく強い冷房をかけっぱなしで、冷凍寸前になって、客が冷房を切ってくれ! と悲鳴を上げても絶対に止めない。高い料金を取る以上サービスは続けるのだ、との信念を持っているから始末が悪い。

 懇願、嘆願する哀れな客には、不思議そうな顔で車掌が毛布を手渡してくれる。そのうえに、よく冷えたペプシコーラなど飲み物をサ−ビスするから、まさに拷問となる。
 そのせいか、VIPバスとエアコン1のはトイレがついている。 エアコン2 にはトイレがないので飲み物は、極力控えねばならない。
 
 私は過去にバスで数回、汽車の2等車で1回、非常にきつい冷房の被害にあった経験があるので、今回は危険防止のためセーター1枚を、防寒用にバックに入れてバスに乗車した。車中のタイ人の服装を見ると、おかしい。 みんな薄着なのだ。

 タイ人や外国の観光客の強い要望に答えたのか、適正な冷房温度を学習したのか、通常の室内温度で走り続けた。これがサービスじゃ。

 雨季である9月なのに、雨に会うことなく 3時間あまりでラヨーンのターミナルに到着した。さて、これからホテル探しである。

 ホテルは雨季なのでバスターミナルから至近なスターホテルを狙っていた。見上げるばかりのホテルは敷居も高い。フロントで空室はありますか。 と尋ねるとご予約はありますかだと、予約がしてないから空き部屋の有無を尋ねているんだがね?  歯車がかみ合いませんなあ。

 それから右を指さして、タイ語の早口で話しだした。 こうなると私には理解の限界を遙かに超えていて、勝手にしゃべれ である。それに輪をかけ、横の男性が英語で説明を始める。自慢じゃないが英語などよけいわからん。

 だまって口元を眺めていると、さすが客商売だ察しがよい。話すことをあきらめた女性が、ボーっとしていたボーイを呼び何かを指示した。私はボーイの後を、羊のごとくシオシオとついて行くはめになった。いいおっさんが情けないことだ。

 なんと右隣にもう一つ大きな建物があって、これもスターホテルだそうだ。めでたく空室はあり、オフシーズンでもあり、朝食付きなのに予想外に低価格なのだ。 ホテル前には広大な広場があって、夜の帳と共に屋台街に変身する。そこでは、タイ料理や果物、飲み物、お菓子などがずらーっと並んで食欲をそそるのだ。
 
 広場横の建物は理髪店が3軒、古式マッサージ店が5軒も軒を連ねていて、私には
申し分のない環境である。まずは健全な古式マッサージからスタートした。 2時間でみっちりと旅の疲れをほぐし、チップ込みで900円の料金を支払い、店を出ようとして驚いた。



   

 
 

 

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メナームソンシーって何だ

 チョンメックから数㎞北へ行ったところに、メーナームソンシーと呼ばれるところがある。この名前の意味、メー(母)ナーム(水)ソン(2)シー(色)つまり 「2色の母なる川」 であり、メコン河とムーン川が合流する地点で、比較的透明な水と濁った水が並んで流れ下るだけなのだ。

 別にどうしても見たいわけではなかったが、食堂の女主人に勧められて船に乗ってみた。日本でもよくあることなので、何の興味もわかない。退屈そうに見えたのか、ラオスでも見ますか。と船頭が事もなげに話しかけてきた。

 私達が島国育ちなので、国境という言葉に何かしらロマンチックにさえ思うことがある。そして魅力を感じるのだ。しかし何のことはない、ゲートを上げれば隣国、小さな川でも渡れば隣の国、が普通に存在することだって多いので、感傷に耽ることはない。

 小さな船がラオスの岸辺に到着すると、2人の男性が崖上から降りてきて、藁葺きの小屋の汚い椅子に座った。船のオバサンはここがイミグレーションだという。そこへ行ってパスポートは?と聞くとメアオ(要らない)と言って25B(75円)を請求された。

Photo_2  チョンメックの時と同じように、スタンプを押した紙を渡され、村の中だけという条件で1日の滞在が認められた。

 この村は50軒ほどの家が集落を形成して、一応家の前でなにがしかの物品を販売している。

しかし全く商売などする気はなく。隣人とおしゃべりばかりだ。

 黒豚の子や猿の子などに首輪を付けて、子供は遊び回っている。 Photo_3

 汗で気持ちが悪くなったのでTシャツを1枚買おうと値段を聞いてみて驚いた。1枚が20,000キップという。2万キップとはまた法外なこと。

 通貨が違うのでとても高そうに思うが、日本円に直せば230円ほどである。

 後進国と呼ばれる社会主義国のラオス、カンボジアなどは、キップやリエルを単位としていて、物価の数字はかなり大きくカンボジアではTシャツを1枚買うのに11000リエルくらい必要となる。 あまり価格の数字が大きくなると購買意欲が萎えてしまう。

 まあラオスの生活の一端を覗いてみたい。しかしビザなど大げさな手続きは面倒だという人には、こんな簡易な入国も楽しいのではないか。

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国境の街とはこんなものだ

 チョ-ンメックの村は赤茶けた道路の両側に、30軒ほどの店と国境ゲートがあるだけ。国境の街らしく、篭を中心とした竹細工、雑貨、衣類、食料、植物などが置かれた小屋のような店が、立ち並んで結構賑わっている。

 私は駄目で元々と、ゲート横にあるタイのイミグレーションへ寄って、ノービザ・ラオタラートと云ってパスポートを出すと、返事はシップバーツ(30円)との返事だ。じゃあ200メートルほど離れたラオスの国境市場までは行けるんだ。

 しかし30円でラオスへ入れるはずがないんだが、係官は粗末な紙切れにタイ語で意味不明なことをサラサラと書いてくれた。そして90円を支払ってスタンプをポン。行動限定一日ビザが確保できた。これは正式なビザではないので、彼らの煙草代になるのは当然である。堅いことは言わないのがタイ人なのだ。

Photo  恐る恐る入ったラオス、ラオの警備兵が何人もウロウロしとる。タイのイミグレで渡された紙切れを、後生大事に握りしめ、道路脇から下ったところの、ラオス市場に足を進めた。

 考えてみると買う気もないのに、市場と聞けば寄ってみたい。見てみたいという気になるのは何故なのだろう。この習性は誰でも遺伝子として伝えられているのだろうか。

 道路から少し降りたところにあるタラートには、色鮮やかな衣類、国籍不明のジョニーウォーカー、時計などの偽物が、各種取りそろえられて日本の半値くらいで並んでいる。

Photo_2  しかし日本のスーパーで、漬け物に目を引かれているような おじさんには魅力はない。

 左の写真はラオスの市場の入り口である。

 ものの1時間くらいでタイ側に引き返し、村の中を再度歩いてみた。売られているものを品定めをするより、色々な人を見ることが楽しい。

 重そうな荷物の天秤棒を担ぐ少女に、了解を得て写真を撮った。お礼に味覚糖のキャンディーを渡すと、母親がさっと取り上げて自分の口に入れ、残りは当然のように自分の袂にしまった。まさに虐待である。Photo_3 

 変わり種の店は多種にわたっていて、実に面白いのだ。

 緑のバナナの房が山積みになっていて、その山の上には首輪を付けた猿がお留守番。その隣ではスプレーで色を付けたヒヨコ、訳の分からぬ骨董品、蘭の苗など実に不思議な品揃えだ。

 中でもラオスから入ってくる、竹を利用した工芸品がバンコクの半値くらいだ。しかし、いくらお買い得であっても、かさばって日本に持って帰れないのが残念である。
 ラオスの子供連れのおばさんや、若い女性達が一列になって、かごを背負って小高い山道を登っていく。 朝早く荷物を背負ってタイへ入り、商売が終わってラオスへ帰るのだ。

 小学生くらいの少女も混じっているが日本と違い学校なんか行ってないんだ。国境を接する2国の人はIDさえ持っていればゲートを自由に行き来できるのだが、面倒なのか抜け道を辿る人が多かった。彼女たちの後を追えばラオス入国は可能だろうが、まだ捕まるのは少し早いので、無謀な行為は避けた。
     


 

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ラオスとの国境 チョーンメックへ

 タイとラオスの国境は何ヶ所もあるが、メコン河を渡らず陸路で外国人が通過できるポイントはここだけである。まあ国境だから仕方ないが、遠くて不便なところで、タクシーを使っても一日がかりである。

 昨日の気のいい運転手のタクシーが8時30分に迎えに来るので、その前に市場に出かけた。 熱帯のタイでも夜明けは寒いので、まずは5時から開いている豆乳屋の屋台に座った。ここは中国系の親父がいつも炭火を使って営業している屋台で、寒いときには何にもまして美味い。

Photo_2  食べた後、アローイ(美味しい)と言うと、、屋台の親父が「アリガト」と日本語だ。

こんな遠いところでも物好きな日本人が入っている証拠である。

 この飲み物は、サークーンピアという名で、豆乳にココナッツミルクを入れて、湯葉、キャッサバ、きくらげ、麦などが入った、熱いスープ状の飲み物だ。これが寒いときに美味いのだ。

茶碗一杯が15円なので、日によってはお代わりなどしてしまう。

Photo_2 右の写真で、川の対岸一帯が市場だが、その市場で露店を広げているのは、どこの国の人か予想も付かない。  野菜、果物、魚介類、鳥類、茸に穀類など、食べられそうなものなら何でもあるという品揃えなのだ。

 ウボンラチャタニーを含むイサーンの人達は、ルーツが同じだから色が浅黒く背が低く、お世辞にも美人とは云えない。だからみんな同じ顔に見えるのだ。

 食べられそうと書いたが、蛙、昆虫類、蟻の卵、亀、トカゲなども食べられるものの範ちゅうなので、当然売られている。それがまたよく売れるのだ。

 さて、昨日の運転手が、約束通りホテルまで迎えに来て出発準備は整った。今日は事務所を通していないので、ガソリン代はサービスとして往復で3000円で行きますと云うが、当然でしょう。この2日間で半月分以上の稼ぎになったのだから。

 平原の広い道路を130㎞のスピードで走っていく、その道路脇を小学校の児童が3人歩いている。学校はおろか見渡すところ家屋すら見えない。どこまで歩くのか知らないが、暑いのに大変だなあ。この道路脇には100メートル事にタイの国旗が立っているが、今はロイカトンや象祭りの時期なのでその関連であろうか。

 ウボンを出て1時間ほど走ると巨大な湖が見え、岸辺には放牧の牛が遊び、沖合にはクルーザーが湖面を走る。運転手に聞くとムーン川の支流の人造湖クアンシリントーン湖とのことであったが、それにしても琵琶湖を思い起こさせるような湖であった。

 出発して1時間40分湖を過ぎ、初めての山道にさしかかり、ついにチョーンメックの村に到着した。ここまでタクシーを使わずソンテウに乗り継いで来ると、半日はかかり、ウボンラチャタニーまでの日帰りはまず不可能だ。

 ソンテウを利用する旅人は、チョーンメックでラオスへ入国して悪路を通って、ラオスのパクセの町へ向かう人たちだろう。

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山の上によくもこんな石像寺院が

 日本では紫式部や清少納言が活躍している頃、クメール(現在のカンボジア)帝国では、こんな巨石を山上に運び上げて、大寺院を建設していたのだ。

 本殿跡を見学して50メートル進んで、600メートルあまりの断崖上に立つと、その下には水平線まで広がるカンボジアの密林を望むことが出来る。この風景は神秘的としか表現できない雄大な景色であった。

Photo  しかし遺跡は荒れたままで、他の遺跡のように遺跡公園としては全く整備していない。

 おまけに地雷まで手つかず、これがかえって魅力を倍加させている。

 昨年まで閉鎖されていて、誰一人来ることが出来なかった幻の大遺跡、苦労して登った値打ちは十分あった。

 下山するまでに出会った観光客の国籍はタイ、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどで、珍しく白人も日本人にも出会うことはなかった。この遺跡の見学には麓からいくら大汗をかいても、最低でも4時間ほどは必要だろう。

 遺跡の最終石段を4本の足で降りる屈辱は、どう考えても情けないが、一応無傷で降りることが出来た。トイレに寄って、さて自分の情けない顔でも写真に撮るか、と見渡して目にとまった知的な感じのするご夫婦にシャッターをお願いした。

 撮って頂いた後、コップンカップ(ありがとう)と一応お礼を言うと、「どういたしまして」 との返事だから嬉しいではありませんか。こんな秘境で日本語に接するとは僥倖としか云いようがない。

 ご主人の側に立つ男の子に、ビスコを一箱を渡すと小さな手で受け取りワイ(合掌)。ふと見ると奥さんに抱かれた妹も私に向かってワイ、オオソウカと残りの一箱を渡しナーラック(可愛い)と云うと、彼女もにっこり微笑んでいた。

 帰途もタクシーは猛スピードで走り続け、ウボンラチャタニーのシーカモンホテルまで3時には帰り着くことが出来た。もちろん予約などはしていないので、部屋があるかどうか多少は不安であったが、フロントの若い女性に尋ねてみると、これがタイ語も英語でもまったく通じない。

 こんな事があるのだろか。それでは何語なら意志が通じるのだ。会話がいくら時間をかけても出来ないので、女性は半泣きで奥のマネージャーを探しに行き、やっと連れてきた。1400円で宿泊できたが、彼女の使った言葉はカンボジア語?なのだろうか。 

Photo

 ホテルの近くには美しいムーン川が流れていて、その畔では早朝から昼までは大きな食材市場が並び、夕方からは巨大な屋台街に変身する。

この屋台はタイやラオスなどの人が多く利用して大繁盛である。

 川の夜景を眺めながら賞味する夕食は、 300円も出せばビールまで付いてくるのだからたまらない。

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これこそ本物の遺跡だ

 人もまばらな参道を歩いていると、青年がしきりに話しかけてくる。 旅で話しかけてくる人は注意が必要なので、疲れたふりをしてやり過ごそうと、腰を下ろすと青年も一緒に座ってきた。
 
 これは云うしかないと、「ガイドは要らない」と云おうとしたとき、遅れて下から登ってきた若い女性のグループの一員だと分かった。云わないでよかった。これはいい人なんだ。 旅ではこの見極めが難しいのである。

  この若いマレーシアのグループと暫く行動を共にしたが、こんなところで日本人と会うとは思わなかった。と喜んでくれたが、英語しか話せなかったので内容は希薄だった。
 次に出会った3人組はインドネシアの若い男女だったが、この人達もタイ語は理解できなかった。

 人との出会いは楽しいものだが、英語では話しかけんといてや。あなた方の国の言葉ではもっと困るが。 だいたい外国人だったら英語だろうなどと、誤解するようなことではいかん。しかし英語の授業を中学校から高校、大学と10年間も受けてきて会話が出来ない自分はどうなっているのだろう。 後悔先に立たずとはまさにこの事だ。

 さて、息も絶え絶え山上の本殿につく、この本殿は手つかずのクメール石造寺院遺跡、誰がこんなに高い所まで、大きな石材を運び上げ寺院を建立したのだろう。

Photo_3
 西暦813年に着手して300年かかって完成したと伝えられているのだが、立派な遺跡が作られたものだ。 これは公園化した遺跡ではなく、ほんものの遺跡だったのですごく感動した。

Photo_4 本殿を越えて50メートルほど行くと、突然大地が無くなっていた。

 そこは650メートルの高さの断崖絶壁の上で、はるか地平線の彼方までカンボジアの大平原が広がっていた。

Photo_5
 とても怖くて立っては覗けなかったので、腹這いになったがまだ怖い。 一人で眺めるのはもったいないほどの雄大な風景であった。
  
 昨年まで一般人は誰も来ることが出来なかった幻の遺跡、手が加えられず山上の荒れ地に遺跡がそびえ、歴史の重さを感じさせる、このカオプラビハーンには完全に魅せられた。必ずまた来たい。 (運のよいことにその後3回訪れることが出来た)

 今また、真偽は定かではないが、カンボジアとタイの国境紛争で遺跡は閉鎖され、誰も立ち入ることは出来ないとの非公式情報があった。

 私の知る限りでは、今回の閉鎖で4回目の閉鎖、早く解決して欲しいものである。また、現在の閉鎖中に地雷の完全除去だけは、ぜひしてほしいものだ。

 

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公開されたカオプラビハーンは

 ゲート前で警備隊に運転手がIDを提示するが、運転手はそのまま警備事務所に連れて行かれ、なかなか戻っては来ない。大分待たされて私のパスポートも確認されたうえで、ゲートはあげられた。

 さらに山道を登ってカオ・プラ・ビハーン遺跡のある、山すその駐車場広場に到着した。この山の頂にクメール遺跡はあるそうだ。運転手を残して貴重品とカメラを携えて一人で歩き始めた。300メートルほどは平坦な広い道で、これは楽勝と思っていたのだが、この先は道路が途切れて、大きな岩盤が道路の役目を果たしていた。

 大きな岩を乗り越えるようにして、森の小道を少し進むと小さな広場に、土産物の店が数軒とカオプラビハーンの入場券売り場があった。入場券は200円だったが、タイの通貨で支払う。チケットの販売はカンボジアの兵士であった。なるほど売り場の小屋の上にはカンボジアの国旗が翻っていた。
 
 そこからは私の苦手な急な石段が長く続くのだが、砂岩で出来た石段の表面は風化して、踏み砕かれて滑りやすく、まともには歩く事が出来ないので、上の方では両手を使って四つんばいで登る。実はこの石段の上までがタイ王国でその先はカンボジア領であった。

Photo 

 つまりこの遺跡は、まさに国境上に建っているのだ。(ただしパスポートは要らない)
風化した石段を登り切ると、ここからカンボジア名 「プリヤ・ヴィヒヤ遺跡」 と名を変え参道は続いていいるのだ。

Photo_2  柱だけ残った第一の楼門を過ぎて驚いた。参道の右側にヘリコプターの残骸が落ちているし、更に離れたところには大砲も置き去りにされているではないか。ここが長い間、ポルポト軍の要塞であったのは、現実のことなんだ。

 1000年以上も前に作られた遺跡は風化して壊れ、更にまた戦火で破壊されたまま,昨年やっと顔を出して一般に公開されたばかりなのだ。遺跡にはカンボジアの国旗が誇らしげに翻っていた。
I  改めて見渡すと参道以外は、いたるところに赤い髑髏マークが立てられて、地雷除去作業がまだ終わっていないことを示していた。

 地雷原はすぐそこで生きていたのだ。平和が当たり前の国から来た私は、30メートルの参道以外は、いたるところに地雷が埋まったままであるとの認識が、なかなか実感できなかった。

 幾たびかの銃弾や砲弾にさらされた遺跡は、いたるところが壊されてまことに無惨な姿であった。
仏像の頭や神殿を飾るレリーフなども散乱している。これが持ち帰れるならお宝なんだが、と不謹慎にもつぶやいたものである。 

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幻だったクメール遺跡が

 1999年7月、雨季の旅も終わりに近づき、帰国を明日に控えてホテルのロビーでバンコク週報を読んでいた。週報に書かれていた記事を見て驚いた。 なんとカンボジアのアンコールワットよりもっと古い、クメール様式の遺跡が初めて一般に公開された。と写真入りで書いてあったのだ。

 その名前はカオプラビハーンである。これはとんでもないことになった、と気持ちは早くも危険が予測されるカオプラビハーン遺跡に飛んでいた。

 ところが、遺跡の場所がタイとラオスとカンボジア3国と接する、東の都市ウボンラチャタニーから車で2時間以上南へ走らないと行けないような、とんでもないところにあるのだ。 それでも帰国して四ヶ月後に一人で出発した。

 バンコクのドムアン空港を、早朝飛び立ったTG20便は予定通り飛行を続けているが、高度が低いこともあって、川の蛇行や三日月湖の様子が手に取るようによく見える。10年も早くこんな風景を見ていたら、もっと楽しいリアルな理科の授業が出来たことだろう。

 1時間あまりのフライトでも、タイ航空の国内便に乗ると、タイ航空のロゴ入りのコンパクトな朝食と、ビニール袋が配られる。一般のタイ人は自分は食べないで、手提げ袋に入れて持ち帰れば、家族への立派なお土産になるのだ。

 これは飛行機に乗ったという自慢の証になるからである。タイ航空がそれを見越して、袋は要りませんか、などと手提げ袋を配ることが面白い。中には朝食は食べ終わったのに、タイ国際航空と書かれた手提げ袋だけを持ち帰る人もある。

 7時40分着陸、ウボンラチャタニーまで飛行機で1時間あまりだったが、国鉄の特急なら14時間、急行エアコンバスでは13時間もかかる距離を、料金が高いだけあって飛行機はさすがである。

 今回のカオプラビハーンは、アンコールワット、パノムルン、ピマーイと並ぶ、クメール様式石造遺跡のトップクラスで、このうちアンコール遺跡はカンボジア領内だが、カオプラビハーンは非常に微妙な位置に存在する。

 長く続いたカンボジアが内戦だったとき、カオプラビハーンはポルポト派の要塞となっていた。残虐非道なポルポト軍が破れて、昨年の8月にやっと一般に公開されたばかりの遺跡である。

 まだ手つかずの遺跡なので、交通機関が整わないらしく、タクシーとバス、いつ来るか分からないソンテウを2回乗り継がねば行けない。仕方なく空港でタクシーをチャーターすることにした。

 空港のタクシーオフィスで行き先を告げてチケットを買うシステムで、料金はガソリン代は別で往復4500円だった。若い運転手は遠距離の大仕事なのでにこにこ顔で大喜び、タクシーは広い道路を猛スピードでカンボジア国境を目指して突っ走る。

 見渡す限りの平原の、広い直線道路をいつまでも走り続けているが、田圃では昔ながらの稲刈り風景が懐かしく散見され、小学校の校庭では児童達が旗を先頭に一列縦隊で行進練習をしている。

 ウボンラチャタニーを出発して1時間30分、遙か彼方に山らしい姿が見えてきた。しばらく走ってカーブを曲がったら、道路はゲートで遮断されていた。

 

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スペアキーを作る

 旅に使うスーツケースに施錠をしっかりとするのだが、ナンバーを忘れればハイそれまで。最近年のせいか,合い鍵が見あたらないことがままあって、 またやってしまった。とぼやきながら探すことが多くなった。

 スペアキーは常時2個用意しているが、ホテルや空港に荷物を預けたまま数日、地方へ旅立つことがある。バンコクへ帰ってスーツケースと対面し、キーはどこだと慌てるのだ。

 こうゆう場面を想定してスペアキーを作っているはずだが、スペアキーは施錠したトランクの中でお休みで、これではまったく役にたたず、いくら作っても油断できなない。

 見事な忘れぶりに、自分でも意識をするようになって、バンコクへ行くたびに1個づつスペアーを作るようになってしまった。

 スクムミット通りの、いつもの鍵の屋台にそっと近づくと、偏屈なオヤジが下げた眼鏡の上からジロッと見上げるが俺を無視をする。

 「スペアキー2本」と告げると、鍵を穴の開くほどにらんで頭の整理をしている。私はサムソナイトのキーに合う、鍵の元金が無いのを知っていて、意地悪く知らぬ振りをしている。

 十分困らせてから私が 「ホンダ」 とつぶやくと、偏屈オヤジはまた眼鏡の上からジロッと見上げて、ニッと笑うのである。

 日本でスーツケースの鍵や自転車の鍵のスペアーを頼んでも、まず断られるだろう。
ところがタイの偏屈オヤジは、意地でも作ってやろうと挑戦してくるのだ。 「ホンダ」と私がつぶやいたので、ホンダのバイクの元金が合うと気づくのだ。

 丁寧に時間をかけて作り上げた合い鍵を、いとおしそうに紙に包んで、そっと手渡すのである。

 次に渡した我が家の合い鍵などは、ものの5分もかからず出来上がる。 これは日本のメーカーの元金が大量に模造されているから、至極簡単にしかも丁寧に仕上げてしまう。

 タオライカップと料金を聞くと、ぼそぼそと小さな声でガウシップバーツ(260円)とつぶやくのである。 つまり家の鍵145円、スーツケースの鍵は115円である。

 この頑固オヤジのいる時をめがけて、オヤジとの駆け引きを楽しむために行くのだが、時々息子が屋台に出ていることがあって、これが真面目で堅物の好男子なので全く面白くない。

 これはハズレなので、知らぬ顔をして通り抜け、オヤジの出番を待つのである。
 オヤジの作った合い鍵はもう10本にもなろうか。持ち帰って不具合があったためしはない。しっかりした腕を持つ偏屈オヤジである。

 ずっと昔、その昔マスターキーを複製しようと思ったが、日本では全部断られたことがあった。それは鍵に小さなMの刻印が刻まれているからだが、これをバンコクで試してみたら………であった。


  

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充実した運河巡り

 次に上陸したのは小さなお寺だった。タイ人達はこのお寺参りがコースの目玉らしく、熱心にお参りしていたが、私など子連れの鶏と遊んでいるばかりであった。我が家も昔からの宗派に属しているはずだが、仏教徒と言っても何とも無信心で申し訳ないことだ。

Photo_6  何宗で、お寺は○○寺と言われても、私が入門したわけではなく、先祖の誰かが何気なしに入ったことであり、未来永劫子々孫々にわたって束縛されることは、何とも不可解なことだ。

 寺参りをしたボートがまた停船した。前にある店のオバサンが食パンを売っていて、1斤14円で沢山の客が買っていた。何をするのかと、いぶかって見ていると、タイ人は食パンをちぎって運河に撒き始めた。

 すると出てくるは出てくるは、汚い運河の中から大きなナマズが何百匹もわき出してきた。ナマズは盛り上がり、はね回ってパン切れに突進してくる。

Photo_7

 魚どもの水飛沫で、ずぶ濡れになってしまった。こんなに濁って美しくもなく、臭気さえも漂う運河に、ナマズは無数に存在しているのだ。 これならパンの耳を釣り針に着ければ10匹くらいはすぐに釣れそうだ。

 今度は客の要望で食料品を扱う店によった。タイ人達はまたしても家族への土産物を物色して、沢山の品を衝動買いして楽しんでいた。
 ボートは運河を大きく周り、所要時間2時間15分で、タリンチャンの運河巡りを終了した。

 前述のダムヌンサドゥワク水上マーケットにも運河巡りボートはあるが、多くのボートによる運河の混雑や料金の高いこと、運行時間が短いことなど、やはり観光客には不満が残る。 タリンチャンは、一人でも参加できるし気軽に楽しめて、しかも安く、文句の付け所がない。

10段階で評価すると、ダムヌンサドゥワクは(4)、タリンチャンは(9)位の評価かと思う。 ただタリンチャンは運河巡りの時間が長く、硬い板の上に座るのでお尻が痛くなる。100円ショップで座布団を用意していくとよいのではないか。

 ボートを降りても可愛い子ども達のタイ舞踊は延々と続いていた。子どもの頃からこれだけ踊って、さらには学校でも体育の必須として指導を受けるのだから、タイ人はみんなひととおりは踊れるんだ。

 バスで行って適当に食べて、ボートで運河を巡ることが出来る。この水上マーケットはクールであった。

 最後に、バスを下車した所まで歩き、三叉路を渡って79番のバスを待てばよい。停留所の表示なんぞ無くとも手を斜め横に差し出せば、バスは止まる予定である。

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タリンチャンの運河ボート

 手漕ぎボートに囲まれた台船座敷の客層は、タイ人が6,中国系が3、その他物好きが1くらいか。家族で、またグループでやって来た客が、あぐらを組んで盛り上がっていた。

 水上お座敷台船の西端には、今日の目的である運河を巡るボート乗り場があった。
私が行った時には、すでに満席近くで空席はわずか2席、一人の料金は280円だったのでさっそく乗り込んだ。

 落ち着いて船内を眺めると、ファラン(白人)の男女1組以外はすべてタイ人、さすがタイ人のための行楽地だと納得した。

 いよいよバンコクノーイ運河の支流巡りのボートは、20人の客を乗せて動きはじめた。
ボートは粗末な民家や名も知れぬ小さなお寺、ココナッツやバナナの林をあとに、かなりのスピードで進んでいく。

Photo_3  ガイドも同乗して熱心に説明しているが、いくら感情を込めて説明し、歌まで披露してくれても、早口のタイ語など分かるはずもない。

 40分ほど走って上陸した。ここはランを栽培している農家で、畑一面いろいろなランが咲き乱れていて、心行くまで見学させる。

 もちろんお土産用に格安なランの鉢植えや切り花も販売されていて、タイ人グループは競って買いあさっている。

Photo_5  私などいくら欲しくても検疫にひっかり、日本には持ち帰ることが出来ないので、見るだけ。

 再びボートは狭い運河を快走し始めた。と、流れの緩やかな場所に手漕ぎのボートが待ちかまえていた。

 オバサンがバナナと紫芋を揚げて、アロイアロイ(美味しい美味しい)と云いながら寄ってきたが、食べてみると、なかなかの美味しさだ。

 ボートで揚げた熱いバナナのフライがこれほどうまいとは、タイではバナナは焼くか揚げて食べるかが主流なんだ。

 よく売れている、バナナ屋ボートのオバサンと、運河巡りボートの運転手はどうもグルだ。 しかし大きな紙袋に一杯の揚げたてのバナナが28円だからまあいいか。

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タイ人憩いの場 タリンチャン

 前回に述べたダムヌンサドゥワク水上マーケットは、観光客御用達でガッポリとお金を落としていただくところ、それ以外に実質的に楽しめる水上マーケットは無いのか。それがあることはあるのだが、土曜日と日曜日しか開いてないのだ。

 位置的にはバンコクの南バスターミナル(サイターイ)の更に南側に位置するタリンチャンと呼ばれるところである。このタリンチャンの観光客は非常に少なく、タイ人の週末の憩いの場所でもある。

 2月とはいえさすがバンコク、36℃の暑さのなかを BTS(高架電車)のサイアム駅で下車した。
駅の階段を北側へ下りると、東行きのバス停がある。そこから79番のバスに乗ろう。
 車掌がいつものようにガチャガチャ音を立てながら、切符を切りに来るので、タラートナームと言って30バーツも出せば釣りが来る。

 不安が有れば、タリンチャン、タラートナームと言えばさらによい。(タラートは市場、ナームは水である) あとは寝ていても水上マーケットに連れて行ってくれる。

 日曜日でもあり、渋滞はなく ましてエアコンバスなので気分は上々、伊勢丹の前を通りピンクラオ橋を渡り、トンブリー地区を走って、朝の生活を眺めながら西へ西へとバスは走り、瞼は重くなる。

 次第に道が狭くなり、更に進むと、急に右へカーブしている所があるから、ここで下車をするのだ。
一人で来て居眠りしていたり、降り忘れたりしたら、年配の綺麗な車掌さんが優しく起こしてくれるはずだ。 そのためにも、しっかりタラートナームと告げておかねばならない。

 バスは右へ去り、私は左へ歩き始める。この道は300メートルほどあって、両側には植木や果物、お菓子、飲み物や特産品が所狭しと売られている。

 行き止まりの手前には小さな野外のステージがあって、小さな男の子、女の子たちが、可愛らしく化粧をしてタイ舞踊の発表会などをやっている。無邪気な子ども達より、緊張しまくった、ひねた母親の様子の方が面白いかも知れない。

 念のため、突き当たり左側には貴重なトイレが有るので、今必要なくとも寄って行かれることをお勧めする。 

 その突き当たりは運河で、広場のような大きな台船が3基ほど浮かんでいる。台船にはゴザが敷かれ、食事が出来るように座り机がたくさん用意されている。客が座ると台船を取り巻いている屋台船に好みの食事を注文する。

 つまり運河に浮かんだ台船に客が座ると、取り巻いている屋台船が「台所」となって、シーフードや各種の料理が、涼しい運河の上で食べられる仕組みなのだ。まさにタイ人が週末のピクニックに来ている風情である。

  食事をしながら上を見上げると、上はスパンブリーへ向かう汽車の鉄橋があって、小猿、いやいや子ども達の格好の遊び場になっていた。

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バンコク日本語ツアー その他いろいろ

 もう一度日本語観光ツアーについて書いてみる。タイにでも行こうか。 と新聞に出ている旅行会社の広告を見ると 、見学先として必ず出ているのが、アユタヤ遺跡でありダムヌンサドゥアク水上マーケットである。

 朝早くホテルを出て、ココナッツフアームや水上マーケット、その後ローズガーデン(タイの文化を芝居で表す)を見る一日か半日の観光コースである。コースの中には随所で買い物の店に立ち寄る事になっているらしい。

 ダムヌンサドゥアク水上マーケットは、あくまで観光コースである。 つまり、観光客をターゲットに「昔の水上マーケットは大体こんな様子でした」と演出されたものである。
だからボートで運河を20分ばかり巡って、演出された手漕ぎボートから通常より2倍も3倍も高い果物や土産物を買って、満足しているのだから馬鹿くさい。

 私もこのコースをツアーではなく、単独で行ったらどうだろうかと試したこともあったが、一般交通機関を利用するとどうしても、朝の一番賑わう時間に到着することが出来なかった。

 では、タイは初めてという友人が、ダムヌンサドゥアク水上マーケットをどうしても見たい。と云った場合どうすればいいか?  これはもう、現地の日本語ツアー会社を利用するのが一番ではないか。
もちろん独力で行く場合に比べると割高ではあるが、毎日運行しているツアー会社は、3~4社はあるから、1,2軒が満員であっても必ず行くことはできる。

 前日までに電話(日本語)で申し込めば、それで契約は成立。翌朝6時30分頃に指定されたホテルの前に行けば、日本語ガイドを乗せたバスが、にこやかに迎えに来ている仕組みだ。料金はバス内で支払うので、手軽に利用できる。

 こういう現地のツアー会社は、アユタヤであっても、バンコク一日あるいは半日観光であっても常時催行しているので、自分にあったコースを組み合わせて利用すれば、効果的な旅を作ることが可能である。

 先日、タイが初めてという友人が、どうしてもキックボクシング(ムエタイ)が見たいというので、ツアー会社でクーポンをとり一人で参加した。リングサイドでの鑑賞は手に汗を握る迫力で満足したそうである。

 日本からの女性客は、どういう訳か、ニューハーフショーが人気でよく行かれる。このショーの料金は1,500円位で、夕食付きともなると 2,200円になる。

 私が不思議に思うのは、これらのショーに必ず子ども料金があることだ。しかも12歳未満は900円と明記している。どんなお坊ちゃんやお嬢さんが鑑賞されるのだろう。

 どうも年を取って、新しいことにはついて行けなくなったのか、こんなショーなどは、お金を貰っても行く気がしない。 とは言うものの電車の中などで、ときどき見かけるニュウハーフには、何とも云えない美しい子もたくさんいる。

 このニューハーフについては、タイは実におおらかな国で、どこの学校にも5~10人はいて、誰からも差別など受けないし、みんなの理解を得て堂々と学校生活を送っている。

 私がBTSのアヌサワリー付近の、イサーン料理店(東北タイの料理)に行ったときも、女性従業員に混じって、男の子が同じスカートを穿いて働いていてとても可愛かった。自分がオカマであることを公表して、学校で先生をしている方もあるくらいだ。日本であればとても生徒や親たちに理解されないであろう。

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土産ばかりが買い物ではない

 先日もスクムミット通りのホテル近くを歩いていると、△△さんバッテリーあるか?と声がかかった。 この声は歩道横の軒下で、いつも偉そうに虫眼鏡を覗いている時計の修理屋だ。まだ大丈夫だと思うが、前回はいつ交換したのか思い出せない。

 バッテリーとは時計の電池のことなのだ。 私はよほどのことがない限り、この修理屋で電池交換をしている。 オヤジもよく覚えていて時々声をかけてくる。
腕時計をはずすと手に持って、バッテリーまだあるな。と呟いて納得するのだが、バッテリーチェンジと英語でいうと、まだあるとブツブツ言いながら、それでも新しいのと交換してくれる。

 今までの経験では、これで2年は十分交換はしなくてもいい。タイの製品は粗悪だ等という人もいるが、日本の現地工場が作っているので、一応信頼は出来る。

 分からないのは、電池交換の料金だ。タイでは140円で出来るのに、日本では1,000円以上かかるのはなぜだろう。 タイで交換しても時計は何事もなく動いてまっせ。

 ブログのアドレスを名刺に書き込もうと考えて、百貨店マーブンクロンへ行った。
これまでの名刺を見せて、このアドレスを追加してくれと依頼すると、まず名刺の用紙を選ばせて、1時間後に来てくれ。

 時間通りに行くとできあがっていた。日本語部分はスキャナで取るらしく、古い名刺を持参しなければならないが、私がミスをしていたところ以外は、完璧なできばえであった。  ほのかな香りがついて100枚で 700円と今回は少し値上がりしていた。

 噂によるとバックパッカーの聖地 カオサンでは、学生証を300円で作ってくれる。
写真、生年月日、大学名、学部名の原稿を渡せば。30分後にはできあがって、有名大学の学生だ。日本で色々とお使いになっている方もいるらしい。

 一人旅には文庫本が欠かせない。私はタイへ行くと10日~15日位は滞在する。雨季などあまり外へ出かけられられない時は、かなりの本が必要になってくる。こんな物でも日本から持参すれば荷物はかなり重くなる。

 BTSのプロンポン駅西口の改札を出て、同じ階を50メートルほど進んだところに、日本語ばかりの中古本の店がある。この一帯は日本村と呼ばれるほど、日本人が多く住んでいる地区なので、かなりの利用があり品数も豊富である。値段も日本と同じく一冊60円~120円なので、3~4冊買って田舎の旅に持参している。

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南国の蛍の光を求めて

 ツアーの面々は何を求めるのか知らないが、思い思い雑踏の中に消えていった。集合は午後6時に運河沿いのボート乗り場に集合である。

 アムパワーが水上マーケットとして、タイ人に圧倒的な人気を誇っていると聞いていたので、見るだけと思い人の中をかいくぐり橋の上から眺めてみた。大勢の人達が運河での船遊びや蛍を眺めるために集い、それを目当てに食べ物屋台ボートが蝟集しているだけではないか。

 日が西へ傾き夕闇が迫ってくると、次から次へとボートが蛍を求めて運河の上流へ出発していく。我々のボートも動き始め、かなりのスピードをだしはじめた。所々に存在する家の灯りが届くところはよいが、そこを離れると漆黒の闇の運河である。

Photo  運転手は慣れているのか闇に住む種族なのか、運河の中に出ている杭さえも見落とさない。運河に両側の木が増えて、そして大きくなってきた。この辺からが蛍のテリトリーらしい。

 ガイドが大声をあげ始めた。「あの木の中程におる」「その横の木の下の方で一匹飛んだ」 その声が示した方角に客の目は一斉に動くのだが、少なくとも私には見えることはなかった。

 客の中には、誘導されたように、そう云えばあそこの木に3匹ほど光っているような気がする。と催眠にかかったようなご婦人もいらっしゃった。

 蛍見物ってのは、幽玄の光を放ちながら舞うものと思うのだが、そうではないらしい。アムパワーの蛍は何故か大きな木に数万匹が群れてイルミネーションのように明滅すると、タイ人は口を揃える。ガイドは今晩は風が強いから蛍が出ていない。などと言い訳をしていたが。

 よかった。蛍はやはり雨季の風物詩だ。季節外れの2月に出るはずがないと思っていたので私は安堵した。蛍でも生まれる時期ってものがあるのだ。タイの蛍だって馬鹿ではない。自然界の理を備えていた。

 午後10時前にバンコクにたどり着いたパンダトラベルのバスは、罪滅ぼしか、サービスか、全ての客をホテルまで送るそうだ。バンコク都に散らばるホテルをそれぞれ回るのだから、時間のかかることかかること、私が最終客だったのでホテルについて、時計を見ると11時40分になっていた。

 これでウエンディーツアーとパンダバスの、どちらが客の立場に立って営業しているか、よくわかった。あまり成算のないツアーは組みたくないといったウエンディーツアーに軍配を上げざるを得ない。また、ウエンディーのツアーは、どのツアーも悪評高い土産物屋によることは一切しない。

 

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アムパワー水上マーケット

 今日は6月1日、各新聞が競って報道したタイの紛争も、今はほとんど目にすることが無くなったが実態はどうだろうか。やはりバンコクだけでなく北タイも東北タイにもデモは発生していた。外出禁止令は間もなく解除されそうだが、コンケン、ムクダハーン、ウドムタニやウボンラチャタニーなどの県庁舎が焼かれたそうだ。

 私がよく行くチェンライは、目立った争乱は無かったようだ。ただチェンライ空港は今日からメーファールアン空港と名前を変えたとか。 そしてミニノックエアーがチェンライ空港と中国の雲南省にあるシーサンパンナ空港との間に今日から定期便を就航させた。

 さてバンコクのラマ4世通りのマンダリンホテルにある、日本語観光ツアー会社パンダトラベルを訪れて、蛍が見たいのですがどこか良いところがありますか。と尋ねてみると、メークロン川支流のアムパワー運河があります。といとも簡単に答えてくれた。

 季節外れでも見られますか。と再度念を押すとガイドもいると云っています。とのことで明後日の土曜日の出発で申し込んだ。料金は夕食無しの一人4500円である。

 バンコクの西方にあって、サムットソンクラーン県を流れるメークロン川の支流にあたる運河アンパワーが目的地である。

 暑季が目前に迫った土曜日の午後3時に、マンダリンホテルに集合すると、すでに7人の日本の参加者が集まっていた。現地の会社に単身赴任されていて久しぶりに奥様が遊びに来られたご夫婦、観光旅行されている母娘、単独参加の女性と私、よく分からない男女2名であった。

 ガイドのオッちゃんを加えて小型バスは出発した。水上マーケットを目的にした人と、私のように蛍を見に来た者とが、どう融合してツアーが成立するか興味深い。バンコクのトンブリーを越え、高速道路をひた走って、4時30分アムパワーに到着した。

Photo_2  大変な人達で運河の両側は人で埋まっていた。

 ガイドはわかりやすい場所へ8人を誘導して、この場所に6時には時間を守って帰ってきてください。

 集まり次第ボートで蛍を鑑賞に出発です。 とガイドから1時間あまりの自由行動を告げられた。野放しである。

 いくら野放しでも、こんな道は歩けそうもない。 こんな暑さで風一つない空間で歩く気にはなれず、私は川風の通る静かな場所で冷たい飲み物を飲みながら運河を眺めていた。Photo_3  上の写真はすべて食べ物の小舟である。ここから少し離れている有名なダムヌンサドワク水上マーケットは外国の観光客用であるが、ここはタイ人客が殆どを占めている。

Photo_4 

 マーケットというのは、色々な品物の売り買いをするところと理解していたが、蛍を見に来たり運河を眺める人が集まるので、それを目当てに食べ物の屋台船が集まるようになっただけである。

これでもマーケットといえるかどうか。 本格的な100年以上続く水上マーケットは、このような場所にはない。

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