« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010年7月

ピサヌロークから東北タイへ

 イサーンと呼ばれる東北タイは、山深い山間部や塩害に悩まされ耕作に向かない田園が多く、日々の生活は恵まれない地方と云われている。 イサーンと接するのはラオスとカンボジア両国で、クメール帝国以来民族交流は深い。

 したがって、タイ東北部の人々は皮膚の色が多少黒く、身長も小柄な人が多い。そのうえ主要な産業もなく、地味が悪いため農業すら、収穫は期待できない。殆どの地方で生活のためバンコクなどへの出稼ぎに頼る生活を余儀なくされている。

 詳しいことは分からないが、バンコクやチェンマイなどの人々は、イサーンの人々を貧しい田舎の人と、一段下に見ているように思えるのである。

 私などは生活は貧しくとも、素朴な田舎の様子を見るにつけ、昔の日本を見たように思って懐かしむのである。バンコクでイサーに行ってきたなどと話すと、何でそんなところが良いの。といぶかしい目で見られることが多い。 でもイサーンは楽しいのだ。

 バンコクからイサーンに飛ぶ飛行機はあるが、北タイから東北タイへは飛行機がほとんど無く、いったんバンコクまで帰って改めて東北タイをめざして飛行機に乗り換えねばならない。
この事実は、ラオ系の人々への差別感が、強く働いているのではないかと思うのだがいかにも不便である。

 タイには詳しい弟に聞いてみると、最近はチェンマイから東北タイのウドムタニ空港まで民間航空が飛んでいるらしい。その後ウドムタニから、ラオスのビエンチャンまで乗り継げるとの話しであった。

 日頃からこんな思いを持っていたので、ある時北タイのピサヌロークから、バスを使って東北タイのコンケンをめざす旅に挑戦することにした。厳しい山道を直線距離で250㎞バスで走破するのである。

 京都の大学に留学中のエンさんの実家で、ご馳走になったジュースが思った通りとても甘く、いつまでも口に残る。タイの飲み物は暑い国なのか、コーラ、ペプシ、ジュースなど何を飲んでも激甘で私には向かない。
  
 タイで飲めるのは、ミネラルウオーターとオレンジやスイカなどを直接絞ったジュースとリポ(リポビタン)くらいであろう。

 バスはピサヌロークから一時間もすると、山間の険しい道路に挑戦を始めるのだが、その前にガソリンの補給をとばかりに、スタンドに入っていった。土地の広いタイではガソリンスタンドは、コンビニとトイレを必ずと言っていいほど併設している。

 乗客はトイレで用をすませ、食堂で軽食を食べてコンビニでおやつを買うのである。もちろんバスは、スタンドでガソリンを飲んで乗客を待っている。
そして休憩を終えたバスも乗客も、機嫌良く次の目的地を目指すのである。

 バスは高い峠をあえぎながら登っていく、左の谷底を覗くと渓谷を汽車が走っている。渓谷の川の水は、タイには珍しく透明である。
 
 タイ国鉄の北本線(バンコク~チェンマイ)が汽笛を鳴らしながらのんびりと散歩しているかのように動いている。山を走るバスは登っては谷をなぞり、いろいろな山の姿を提供してくれる。

 野生のバナナが、あちこちに自生して、たわわに実をつけている。谷底に近い場所にある少数民族の村、峠の上から彼方に見えるのも、山岳民族の村々である。この人たちは何を生業にして生活をしているのであろう。 何を考えてこんなに山深い場所を生活の場所にしているのだろう。





 

| | コメント (0)

クレット島を後にする

 クレット島からパークレットバス乗り場に帰るには渡し船に乗って、かなりの距離を歩かねばならない。
暑さで消耗していて、しんどいことだなあ。と嫌になりかけていると、桟橋に係留されていた船で30才代くらいの、夫婦が出船準備をはじめていた。

 さも、羨ましそうな顔をしていたのだろう。どこまで行くのだ。と聞いてくれるのでパケットと答えると、20バーツ(56円)で送ろう。
 一も二もなく乗せて貰った。まともにいけば、1時間はかかるのだが船に乗れば座っていて10分だ。
Photo
 
 川風は涼しく周りの景色を愛でながら、パークレットの桟橋へ着いた。 着けてくれたのが、バスを降りてすぐの桟橋だったので、これは有り難かった。

 夫婦の船は私を降ろすと北の方角に進んでいった。逆の方角だったので少しお小遣いを取ったのだろう。

 ここから帰るにはバスかタクシーだ。   タクシーなら簡単にノンタブリーへ行くことが出来るが進歩がない。 とするとバスしかないが、往路使った32番は復路はンタブリーの桟橋は通らない。

 パークレットへやって来て、Uターンしていくバスを日陰から眺めていた。何と雑多なバスなのだろう。 オレンジバス(冷房バス)の205番も走って来たが、このバスどこかで乗ったことがあるぞ。 そうだ、ルンピニ公園の近くだ。乗ってみるか、と歩み寄ろうとしている間に走り去ってしまった。

 その後ろから来たバスは、冷房車だが見慣れないバスだ。窓に出してある行き先板は全く読めないタイ語と英語でも書いてあった。

 分かりもしない英語を見ていたらビクトリー何とやらと読めた。 しめた。ビクトリーモニュメント(戦勝記念塔)へ行くのだ。 しかも行き先板は黄色の表示板ではないか。

 勇んで乗った166番のこのバスは、BTS高架電車の駅、戦勝記念塔まで行き、その上、行き先板が黄色と言うことは、途中から高速道路へ入って走るのだ。日頃の行いの良さは現れるものだ。

 とすれば、これからは戦勝記念塔へ行けば、パークレットの町まで高速道路を通って行けるということだ。

 今日の旅もまた新しい発見ばかりだった。 一人旅で話相手はいないが、常に気持ちが高揚し、見ることなすこと全てが、老化しかかっている頭の中に吸い込まれていくようだ。  
今日の経費は食費も猫も入れて 600円ほどであった。

| | コメント (0)

特産は犬の糞?

 島の外周を回ったおかげで、全体の様子や規模が把握できた。 渡し場を出て、中心街とおぼしき右方面を探索することにした。
 いつものようにお寺にお参りをかねて、トイレを拝借した。(絶対ここでトイレをすまさないと、そういう場所は見あたらない)

 お寺が経営らしく、幼稚園があってかなりの人口と見受けられた。

Photo 左の写真は幼稚園で管理下行き届いて、とても綺麗である。

  Photo_8

 たまたま出てきた園児は賢そうな中国系であった。
 

細い道路を歩き始めると、お菓子を売る店が、かなりある。

 暑さと疲れをこの甘いお菓子がけっこういやしてくれる。

 後は陶器ばかりが軒を連ねている。あちこちに工房があり販売も手がけている。日本の陶器とは異なり素焼きのような感じで、壷、鉢、食器、玩具と多種多彩な商品がが販売されていている。

Photo_4

 道路の横では頭の薄いおじさんがロクロを回して、立派な器を作っていて、一声かければ写真を気軽に撮らせてくれる。 このモン族のおじさんは、けっこう絵になる風貌であった。

 とても美しい花々が植わっている家があったので、立ち止まって見ていると、家のお婆さんが帰ってきた。 綺麗ですね、というと家の中に招かれて多くの花を見せてくれた。
 そのうえ、庭から川に突き出た屋根付きテーブル付きの桟橋に案内されて、冷たいお茶とフルーツをご馳走になったが、こんな川の上に張りだした吾妻屋は昼寝にはもってこいだろう。

 中国系の上品なおばあさんだったし、お爺さんも穏やかな方だった。お金持ちなのか、広い敷地で家も豪華、その屋敷の隣には娘さん夫婦が、ラーメン屋を営んでいて、いい老後を過ごされているようだった。

 数軒隣の店先に並べてあった、10㎝ほどの陶器の子猫を10匹ほどを土産に買った。 この子猫は金魚鉢や水槽の口の部分に前足をかけると、中の獲物を狙うようにかけることが出来るのでおもしろい。

 それにしても暑い。村の中程まで行くとちょっとした広場があって、食べ物や飲み物をうっている。
氷でよく冷えた西瓜ジュースを買って生き返った。干天に慈雨とはまさにこのことであろう。

 歩き疲れたので座って休みたい。川岸に立派なベンチはたくさんあるが座れない。

Photo_5 ここには先に寝ている住人がいるのだ。  どのベンチにもすべて、お犬サマが寝ている。

 たまに空いているベンチがあると思えば、コンサートで見かける場所取りさながら、糞で場所をふさいでいるのだ。

 なんでこんなに犬が多いのだ。夜になると一人歩きは吠えまくられて恐ろしいぞ。とにかく島の犬の数は異常であった。

| | コメント (0)

川の中に出来た クレット島

 朱色を基調にして、金色を配した派手な寺院があって、その寺の境内を進むと チャオプラヤ川に突き当たった。そこには、粗末な木の桟橋があって、島へ渡ることが出来るようだ。昼寝をしていた3匹の猫を脅して遊んでいる内に、渡し船はやって来た。

Photo_2  島から渡ってきたお爺さんとオバサン2人が自転車と共に降りると、客は私1人なのに出発、渡船料は5円と嘘みたいな料金である。

 島に上がって最初に見たのは、若いおばさんが茶色に濁った川の水でお洗濯、その傍らでは裸の幼子が、バチャバチャと水遊び、少し進むと大きな寺があって、飲み物やお菓子の屋台も出ている。

 更に進むと島の幹線道路に続いていた。その道路の幅はなんと広いところで2メートルしかない。自転車か、せいぜいバイクがやっと離合できるくらいである。

 川岸に立って眺めてみると大きな島だった。 どこまで歩けばいいのか、せっかく来たのだから頑張って歩く。つもりだったが、船を降りた場所までもう一度引き返すことにした。

 これは島内の見学を諦めたわけではない。渡し船で着いたときにバイクが3台ほど屯していたのを見ていたからである。私が近寄ると順番なのだろう、若い女性がバイクを寄せてきた。 言葉が不自由な私は手真似も交えて、島をぐるっと回ってくれと依頼した。

  彼女の言い値は130円だったので、値切ることなく承諾した。いい歳をしたタイスキおじさんが、ナップサックを背負った姿はサマにならないが、バイクの後ろにまたがり、島を左回りに走り始めた。左側には20軒ほどの集落があって、、ここから島の特産らしい茶色の陶器の積み出しをしている。
Photo_3
 チャオプラヤ川の蛇行を利用し、人工の掘削によって作られたこの島には、モン族と中国系の人々が定住して、陶器とお菓子が特産として知られているらしい。

 緑豊かな南国の島には、様々な果樹が栽培されていて、まことにのんびりとして穏やか、小さな池には蓮が咲き乱れ、密林ではさまざまな鳥たちが囀っていた。

 彼女のバイクで1周して分かったことは、徒歩では半日近くかかっても回れない大きさで、とても川の中の島だとは思えず、意地を張って歩こうなどと無謀なことをしなくてよかった。彼女に聞いてみると、島の外周は約8キロメートルほどと云っていた。

 クレット島の幹線道路は、道幅が極端の狭く、自転車か最大でもバイクが下車してやっと、離合できるほどであって、自動車は一台もなかった。

 この島の見所は島について右回りに1キロメートル余りがメインとなるだろう。船着き場でバイクを降りた後、改めて徒歩でゆっくりと右のメイン道路を見学することにした。

| | コメント (1)

パークレットの町は

 バスを降りると直射日光が襲いかかってきて、目がくらみそうになる。
今乗ってきたたバスはノタブリーの桟橋前と同じようにUターンして去っていった。

 他の町と大きく違うのは、歩道がシートで覆われていて、日差しは避けられるものの蒸し風呂の状態になっている。
 この蒸し風呂のなかで、バナナを焼いたりお菓子を作ったり、いろいろなお店が開かれているので、よほどの覚悟がなければ落ち着いて買い物などは出来ない。

 こうしてみると、こんな条件の中でも働けるタイ人は、人間のできが違うのだろう。
煙をもうもうと出しながら、ガイヤーン(焼き鳥)を炭火で焼くオバサンの顔には汗一つかいていない。顔を見つめていたら、オバサンはこれ買うかい、とニヤリとするが、鶏はとてもとても。

 暑さのトンネルをくぐって先へ進むと、チャオプラヤ川に突き当たり、そこには船着き場があった。そこから対岸に向かう渡船があり、簡単にわたれそうだが、パークレットから大きく迂回している陸続きの集落のようだ。 目指す島ではないので、対岸の探訪は次の機会に残しておこう。

 左前方にも集落やお寺などが見える。 よくよく考えるとチャオプラヤ川が大きく蛇行してできた地形の根元の部分が掘削されて、取り残された卵形の島ではないか。 そうだ島に違いない。ここへ渡ってみよう。

Photo 今度は島らしきところの前面にでるため、川に沿って歩き始めた。スラムのような所を抜け、学校を眺めながら、川に近寄ると行き止まり。

 その横にちっぽけな中国の寺院があって、村の青年男女が踊りの稽古をしていた。

 疲れていたので、休息ついでに見ていたら、外人が見ているとばかりに、俄然熱心に稽古を再開した。

 一区切りついたので、川の向こうへはどう行けばいいの。と聞いてみると、一斉に進行方向を指さして、ワットワットと教えてくれた。

 そこはなんて云うの。と更に聞いてみると、「コクレット」 何とノンタブリーのオヤジが云ったのと同じではないか。 プーチャーチャーカップ(ゆっくり話してください)と聞き直してみると「コークレット」だそうだ。 つまり川の中に出来た、クレット島という島だった。

 そうか。もう少し行けばお寺があって、そこに橋か船かの渡る手段があるのだろう。現金なもので急に元気になって島を目指すことになった。

| | コメント (0)

バスの終点はパークレットだった

 ノンタブリーの桟橋前にやってきてUターンしていくバスは、数珠繋ぎになって続々と出ていく。その中から32番を見逃さないように気を配るのだから大変だ。
 ちょっと待て、停留所がない。

 川の桟橋に向かってきたバスは、徐行はするが停車すると大渋滞になるので止まらないのだ。人の動きをまねて動かないとしゃあない。なんと太陽の照りつける細い歩道が、200メートルほどにわたって、ぜーんぶバス停扱いだ。

 要するにどこでもいいから、目的のバスが来たら無理にでも徐行させて、乗ればいいのだ。 とはいうものの、縦に数珠繋でやって来るバスは、行き先表示が非常に見づらいので、動くバス1台を探し出して乗り込むことはかなり難しい。
 
  無い知恵を絞ってみたら一つ方法が見つかった。対向車線の桟橋に向かう車列を見ていれば、32番の色や特徴が記憶できるので、その特徴のバスを待てば32番の可能性が高いのだ。

 照りつける太陽に焦がされながら、奮闘努力のかいあって、行き先不明の32番のバスに乗ることが出来た。 もちろん冷房とは無縁のバスである。

 来るな来るなと願っていた車掌が切符を切りにやってきた。私の行き先はどこでしょう。 
一応 「終点まで行く」 と答えて切符は買ったのだが、そこがどこなのか分からん。

 30分位も乗っただろうか、バスが停車して動かない。もう終点かと思ったが、そうでもなさそうだ。しかたなく下車をして前へ回って行き先表示板を見ると、表示板の文字は読めないが、板の色が赤色だ。赤色は終点には行かず折り返し運転をするバスなのだ。

 少し待つと新しく32番がやって来た。今度は表示板の色は紺色(正規ルートを正常に走るバス)だった。 バスに乗るだけでも色々と勉強である。

 女性車掌に改めて終点はどこですか、と尋ねてみると返事は一言「パケット」。 なんじゃあそれは。なんだかんだあったが、それでも到着できた。女車掌が云った「パケット」 は正しくは パークレットだった。

 


 

| | コメント (0)

これが運河だ

 28人の客を乗せたボートはチャオプラヤ川を横切り、トンブリーのノーイ運河に入った。

Photo_5  そして周囲の様相は一変して、これぞ運河の趣を見せ始めた。運河には共通のボート乗り場はなく、それぞれの家から階段が運河の中まで降りている。

 水位の変化に対応した自家用桟橋である。 ボートに用事があれば大声を出して、手を挙げれば自分の家に寄ってくれるのだ。
 たくさんの手漕ぎボートが、家々の階段に寄って、声をかけながら移動していく。
果物を商うボート、お菓子の手漕ぎ舟、麺を湯がいて食べさせるラーメン屋、なんと黄色い袈裟の坊様までが手漕ぎ舟で托鉢をしているぞ。

 黒い布をまとった女性が運河で水浴びしていて、横で子供が釣りをしている。なんとのどかな風景なんだろう。
上流になると交通手段はボートだけ、家の裏手はうっそうとした森が広がり、小道一つ見あたらない。

 買い物帰りのおばさんを、犬が尻尾を振ってお出迎え、タイの犬も日本の犬をまねて嬉しいときは尾を振るらしい。

 おばさんは階段につく前に、軽く飛んでご帰還、水苔で滑りそうだが、そこは40年以上のベテラン慣れたものだ。
Photo_7

 運河は延々と続き、流れるホテイアオイも多くなってきた。たくさんある支流の運河にも、それぞれの生活が息づいているはずだが、想像するしかすべはない。

 大都市バンコクには、普段は見る事が出来ない昔からの生活が、今でも息長く続いているのを間近に見る事が出来た。

 淋しい田舎に来てしまった。残った客は3人になって終点のバンヤイに着いたらしい。
ターチャンを出て所要時間は1時間半であった。
 バンヤイの村は橋があって、わずかな店があって、小さなお寺があって、なんら特徴のない普通の田舎町であったが、これは当たり前のこと。

 運河沿いのお店で麺を食べていると、さきほどのボートの船頭が手招きをしている。ターチャンへ帰るらしい。 今日は朝からウロウロと時間を費やしすぎて、疲れを覚え始めていたので帰ることにした。 バンヤイの村の探訪は後日に残しておこう。

 しばらく走って気がつけば薄暗くなってきている。空を見上げると空は墨を流したような雲に支配されようとしていた。 思うまもなく稲光と共に空を引き裂くような雷鳴、空からの水も大量に落ちてくる。

 ボートはスピードも落とさずに走り続けて知らぬ顔、乗りあった客は全員ずぶ濡れとなって悲惨そのものである。 こんな状況でも慌てず騒がず、タイ人は少々のことでは動じない。雨が止めばすぐ乾くことを熟知しているのだろう。

 そういえば、いつかホテルの窓から隣の家を見ていたら、激しい雨の中でおばさんが洗濯物を物干しにかけているのを見て、驚いたことを思い出した。
 普通なら慌てて取り入れるはずだが、真意は雨が止めばすぐに乾くか。熱帯の国の雨季には驚くことが多い。

 ターチャンに着いたときにはすでに太陽が顔を出していた。迷いながら一人で旅をしていると、いろいろなことを感じたり、何気ないことに感動したりして、何か楽しさを独占しているように思えてくる。これからもじっくりとタイを味わっていこうと思っている。

 

| | コメント (1)

クルンテープの大動脈

 BTS(高架電車)のサパンタークシン駅で降りると、チャオプラヤ川のサートーン桟橋である。この桟橋からエクスプレスボートに乗れば、由緒ある名所、旧跡、市場などいろいろなところに手軽に出かけることが出来る。

Photo_4   ラーチャウォン桟橋で下船すれば、チャイナタウンの街なかに出るし、ラーチニー桟橋で降りれば野菜と花の大市場パーククローン。ターティアン桟橋は涅槃仏で有名なワットポー、対岸に渡れば暁の寺と,エクスプレスボートは観光するには利用価値が非常に高い。

 乗船して九つ目がターチャン桟橋、ここで降りれば王宮やエメラルド寺院はすぐそこにある。ここの桟橋には観光客を狙って、高速ボートのチケットを、まことしやかに高額で押しつけてくるヤツがいるのでので、十分気をつけねばならない。

Photo_3  乗り場がいくつかあって、どれが本物か偽物かを判断するのが非常に難しい。 本物と偽物が共存共栄をはかっているとしか思えない。

 私はターチャン桟橋で、運河ボートの乗り場を探すのだが、なかなか見つかられない。

ボートの係員や警官に尋ねても明快な答えは得られなかった。本日はこれまで、と運河ボートを諦めて渡船で対岸のトンブリ地区へ移動し、ノーイ運河を岸から眺めて歩くことにした。
 
  歩き始めてしばらくして、運河沿いでジュースの屋台を出していたおばさんに念のため聞いてみた。「バンヤイへ行きたいのですが、ボートの乗り場はどこですか」と尋ねると、先ほどまでいた桟橋を指さして「チャン」と答えてくれた。

 チャンとは何だ、落ちつて考えるとターチャンのことだとわかった。タイ語でターは桟橋だからターチャンで間違いないのだ。

 チャン桟橋まで引き返し、長期戦覚悟で執念の見せ所とばかりに、じっと我慢をして待つことにした。 こういうときは慌ててはいけない。腰を下ろして周囲の観察にはいった。
 観光客や裕福そうな人ではなく、普通の人がどこに行こうとしているか、の見極めである。
 買い物帰りのおばさんや、病院へ行っていたであろうお年寄りが、桟橋左下の細い板道を迷いなく降りていく。  これだな! ボートを見つけるまで40分、我ながらようやる。

 このターチャン桟橋の左側の一段低い桟橋に、運河ボートがいるのだ。左側のボートはバンヤイ行き、右側にはモーン運河行きのボートがもやってあった。このボートに乗れば、トンブリ地区のノーイ運河に入って行くはずである。

  私はすでに6人ほど乗っていた左側のボートに乗り込んだ。料金はうまくいけば現地料金、悪くすれば観光料金(180円) となる。

| | コメント (0)

風情の片鱗もない運河ボート

 ナレーションが始まりました。「忘却とは忘れ去る事なり、忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」。ここから始まる連続ラジオ放送は、今から58年前のNHKラジオだった。この放送が始まると、当時は風呂屋の女湯はからになる。と言われたほどの熱狂ぶりだった。

 氏家真智子と後宮春樹の悲恋物語の内容は、年配の方なら記憶されているだろうが、知らない方なら親御さんにお聞きなれば、はるか昔を偲び懐かしまれるに相違ない。テレビ無き時代、日本中がラジオにかじりついたものであった。

 国民を熱狂させた映画がタイにもあって、今は中年となられた女性を、興奮の坩堝に誘って、紅涙を絞ったそうである。

 その名は 「メナムの残照」 。これは第二次世界大戦時に、タイに進駐していた日本軍の青年将校小堀と、大学生だった美しいタイ女性アンスマリンとの悲恋物語である。二人の愛はトンブリ地区の運河を舞台で進んでいくのだが、最後は小堀の戦死で終わる事になる。この映画は3回も作り替えられて、それでも満員となる名作であったそうだ。

 私がタイを訪れるようになった当初、田舎などでコボリ、コボリ とよく話が出るのが何なのか、さっぱり分からなかったのだが、後年ハンサムな日本軍将校小堀のことだと分かった。 友人などに 「ポン チュウ コボリ」 (私の名前は小堀) などと云って女性をからかっていた人もおった。

 トンブリ地区には今でも運河が多く残って、昔のシャムの生活が残っているかのように思われる。そんなところへ行って残照を浴びてみたいと思うのは、ぜいたくな希望だろうか。

 バンコクは海抜0メートルからせいぜい2メートルくらいの、湿地帯に作られた都市である。こんな脆弱な土地に、大きなコンクリートの建物を無制限に建て、電車をはしらせ、おまけにこ地下鉄さえも運行を始める。バイタリティーが旺盛というか危険を顧みないというか無謀な都市なのだ。

 この都市に約600万人の人々が暮らしているのだから、世界的な渋滞が連日ひきおこされ、交通整理の警察官をはじめ、バイクの運転手にも、排気ガスよけのマスクは必需品となる。こんな状況の中で通勤、通学、その他お急ぎの多くの人々に利用されるのが運河ボートである。

 一番利用度の高いセンセーブ運河のボートは、バンコク中心部にある「ジムトンプソンの家」や「伊勢丹」の北側の運河を走り、非常に便利なので、数多くの人たちが一日中利用している。

 一度、念のためにと乗ってみたが、信号が無い上にトラックのエンジンを使用しているのでスピードが早いので、渋滞もなく多くの人に愛用される交通機関であることがよく分かった。

 ところが運河の水がとにかく汚い。水をすくい上げて顕微鏡で見たら、ゾウリムシやアメーバ、ミジンコなどの微生物がうようよ居るに違いない。汚れがひどいので、溝特有の悪臭も追い打をかけてくる。

 ボートがスピードをだすため、汚水のしぶきを頭からかぶってしまい衣服も被害を受ける。この飛沫を防止するため、ご親切にもボートの側面をシートで覆っているから、何も見ることは出来ない。

 バンコクの裏側の生活や、鄙びた風景、スラムの片鱗などが見られないだろうか、など期待してもそれは淡い期待でしかないのだ。

  これではボートが、渋滞緩和のためだけの交通機関だとしか云えない。観光客が乗ろうものなら、悪臭漂う何も見えない牢獄へ入って、移動しているだけのやっかいな乗り物と云わねばならない。

 そうではなく、昔からあるようなのんびりと、そして素朴な運河を見たい。こんな運河はやはりトンブリに行かないと見つからないのだろうか。 私は急がない。 ゆっくり本当の運河を探してみたい。

| | コメント (0)

掃いて捨てるほどあるバンコクのタクシー

 バンコクのタクシーにメーターが付いたのは、15年ほども前だったであろうか。それまでは××までいくらで行くかと、運転手との交渉しなければならず、げんなりしたものである。

 それが現在では、全車にメーターが付いて、安心して利用できるようになったのだから、一見文明国の仲間入りを果たしたかのように見える。 ただ、日本のように運転手が道路に精通していない。地図を示しても理解できない場合が多いから困ってしまう。

これには理由があって、運転手のなり手は東北タイのような田舎出身者がかなりの割合を占めているからである。 田舎のおっさんがタクシーの運転手になって、客にどこどこまでと云われても、経路も場所も分かるわけはない。

 空港から○○ホテルまで、と言うようにお互いに明確に行き先を告げられ、行き先が理解されるような場合は問題ないのだが、都内の道路で止めて、乗車しようと思うと簡単にはいかない。

 場所が分からず、しかも言葉も分からないのだから、返事もしないで逃げていくのが当たり前である。これを乗車拒否などというのは可哀想な気がする。

Photo  走ってきたタクシーを止めるには、手を斜め下に差し出す。(これはバスの場合でも同じである)止まったら助手席のドアを開けて、行き先を告げる。頷けば後部のドアーを開けて車内に乗り込む。

 運転手も苔が生えるような強者ともなると、停車させて××まで行ってくれと言うと、OKと返事し、しばらく走ってからどっちへ行けばいいんだ。とくるから困ったモンだ。 

 その後は渋滞に巻き込まれないことと、行きたいところへ無事に到着できることを祈るばかりである。(渋滞には1分毎に6円ずつ加算される)

 掃いて捨てるほどあるタクシーなので、レーサーのように超スピードを誇る運転手もいれば、遠回りをして少しでも料金を上げようとする運転手もいる。

 以前ホテルの前から、客待ちをしているタクシーに乗ってドムアン空港へ向かうとき、高速道路へ入ったとたんに、メーターが狂ったように早く回り始めたヤツもいた。高速道路では降りることも出来ず、日本語で 「こら!ミーター」 と大声でどなったら、回転は穏やかになった。 

 こんな事もたまにはあるが、おおむね順調に走っているようである。 バンコクのタクシーの初乗り料金は2キロメートルで100円少々、その後440メートル毎に約6円と安いので、都心から空港まで乗って、900円もあれば十分である。 しかし高速道路を使用した場合は、高速代は乗客持ちは当然である。

 バンコクのタクシーは出来るだけ小銭を持っていた方がよい。 殆どの場合釣りがないからと、返っては来ない。この場合運転手は、釣り銭はチップだと勝手に考えている。

 高速道路にはいると、日頃の渋滞の鬱憤晴らしか、狂ったようにスピードを上げる運転手がいた。メーターを見ると130㎞をはるかに越えている。こんな時黙っていると最後まで爆走につきあわされて心臓が悪くなるので、「チャーチャーカップ」 と減速を促そう。

 タクシーを使う場合は、行き先が相手に明確に伝えられるかどうかが、乗りこなせるかどうかの最大ポイントであろう。  気を配りながら乗るタクシーより、バスや電車などの方が気を揉まなくて良いし、早くで確実なので、タクシーにはあまり乗らないことにしている。 

| | コメント (2)

みんなが愛するソンテウ 

 バンコクには、日本と同じように沢山の乗り物が走っている。しかし日本には無いけれどタイではまだ現役という乗り物も多い。これまでモトサイ、トゥクトゥク等については少し書いてみたが、今回はもう一つ聞き慣れない乗り物を取り上げてみた。

 日本ではまったく考えられない事だが、タイではトラックの荷台に人を大勢乗せて走るなど珍しいことではない。作業服を着た仕事帰りの人を満載して、バンコクの大通りを走るトラック。かと思えば親戚中の人を小型トラックの荷台に山盛りにして、海を目指すご一家もある。これが違法かどうかは別にして、当たり前のように見られるお国柄なのである。

 Photo_5 バンコクでも見ることはあるが、田舎の交通手段として重要な役割を果たしている乗り物 「ソンテウ」 がそれである。

 ソンテウは荷台に特注の長椅子を設置して、誰はばかることなく乗合自動車として営業している。

 このソンテウの殆どは、中都市や田舎の村や町で1乗車15円か、距離が長ければ最高45円くらいで、定期路線を持って、人々の足として活躍している。

 私達が日本でバスと呼んでいるのは、バンコク以外ではあまり見ることがない。これまで日本のようなバスで営業していたのは、ウボンラチャタニーとピサヌロークだけであった。

 そこでその他の村や町では、ソンテウがバスとして活躍しているのだが、これを利用しようとすれば、走行する経路を知らねばならない。

 行き先表示などはないし、まして停留所などどこにも見かけない。それでも自分で止めて、行き先を確認しなければならないから外国人には難しい。

 極めつきは自分の行きたいところへ来たら、屋根の鉄骨か手すりなどを、棒か何かでガンガン叩けば止まる仕組みになっているからたまらない。

Photo

 こう書けば何か難しそうだが、挑戦してみると、なかなか楽しい乗り物なので、私はよく利用する。

 荷台には車掌などいない場合が多いので、乗客同士の会話しか出来ないが、言葉など出来ても出来なくても通じるものだ。これが実に楽しいひとときとなる。

 こんな難しい乗り物は嫌だ。出来ない。 と思う外国人は、何10倍ものお金を出して、タクシーをチャーターしなければならない。 郷にいれば郷に従えという言葉もある。敢然と挑戦すれば道は開けるものだ。

 混み合ってきた時などには、まだ乗れる。ここに座れ。この日本人を座らせろ。などと仕切るオバサンが必ず現れてきて、なごやかな雰囲気を味わえるのもソンテウである。

  二つの写真を掲げたが、ソンテウの大きさはまちまちで、地方によっても需要によっても違うようである。

| | コメント (0)

トゥクトゥクなる乗り物

 タイにはどんな田舎に行っても、トゥクトゥクなる乗り物がある。これは小型三輪自動車の荷台を客用に改造した物であるが、2~3人の客を運ぶことができる。

Photo_4  バンコクでも排気ガスを豪快に吐きながら、走っているのを時々見かけるが、最近はめっきり少なくなった。

 このトゥクトゥクは乗る前に行き先と料金の交渉が必要である。何の交渉もなく乗ってはならない。

 観光客が何げなく乗ってしまえば、メーターがついていないので、料金は運転手の好きなだけ取り放題になる。

 手軽な乗り物のはずが、なかなか面倒で気を遣わねばならない。当然廃れていく運命だろう。しかし、市場などで買い物を済ませたおばあちゃんが、大量の荷物を荷台の載せて僅かな料金で家まで走らせる姿を見ると、うーんトゥクトゥクもまだ存在価値があるな、と思うこともある。

 タイ人に対しては、おおむね良心的で優しいのだが、観光客となると「動く財布が来た」とばかりに、無理やり無い知恵を絞る困ったヤツもおる。

 私がタイへ行き始めた頃、スクミットのスイスパークホテル前にいたトゥクトゥクに乗った。乗る前にプラトナーム市場までいくらで行くか交渉をして、トゥハンドレット(200)を確認しておいた。
 ペッブリ−通りをぐるっと大回り、ま仕方がないかと思っていたが下車する時になって、 200ドル出せ。運転手いわく200バーツなんていっていない。 ドルなんて聞いてない。

 この場合は数字だけの合意で、金額の単位まで確認しなかったため、つけ込まれたケースである。これで、大もめになったが通行人に救われた。それでも300バーツをふんだくって走り去った。

 この距離なら今でも100バーツで釣りがくる。授業料は安くないが、こちらもだんだん賢くなって、いまでは絶対に起こりえない笑い話である。
 しかしビールを飲んで、風に吹かれながら、トゥクトゥクでホテルへ帰る時の爽快さには、たまらない魅力があって捨てがたいのである。

 老婆心ではあるが、王宮やワットポー付近で声をかけてくるトゥクトゥクには、絶対に乗らないのが賢明だ。敵はプロなので、まことしやかな攻め口はとてもうまい。コイツの相手になってトゥクトゥクに乗ってしまえば100%、後で泣きを見ることになる。

 私はこの巧妙な詐欺の被害にはあったことはないが、近寄ってきて日本語で声をかけられて、きたな! と楽しむことは何回もある。 この暑いのにスーツとネクタイを着用しているトゥクトゥクの運転手などいるはずがない。日本語や英語を操るような学力のある運転手もいるはずはない。こんなのが観光客に近寄ってくる。こいつらはは詐欺師として、かなり裕福な生活をしている輩なのだ。

 被害にあった旅行者がツーリストポリスや大使館に泣き込んでも、解決した事例は殆ど聞かない。こんな詐欺師の実態があっても、取り締まりすらしないのがタイらしいではないか。自己責任という言葉をかみしめて行動すべきだろう。

| | コメント (0)

モトサイとは何だ

 タイ人は、バンコクのことをクルンテープ(天使の都)と呼んでいるが、最近の車による渋滞や想像を絶する排気ガスなどを体験すると、とても天使の都とは思えない。

 そんな中で600万人の都民に加えて多くの観光客が動くのだから、交通手段には気を配らねばならない。
Photo_3 
 溢れんばかりの自家用車は別にして、我々が利用できる交通機関には国鉄、BTS高架鉄道、地下鉄、バス、タクシー、運河ボート、ソンテウ、トゥクトゥク、モトサイなどがある。

 一番小さいのはモトサイと呼ばれるオートバイである。街角に10人くらいの集団を作り、おそろいのヤッケにおそろいの背番号をつけて、近距離の客を待つ。交通機関のない路地を行く場合や、渋滞の中を急ぐ場合に重要な存在である。

 最近、トンローあたりのホテルを使うことが多いのだが、朝のモトサイの様子が実に面白い。大変混雑しているトンロー通りの東側にモトサイが並んで獲物を伺っている。獲物は電車のトンロー駅から、いくらでもはき出されてくる。

Photo_4  その獲物はモトサイの向かい側(西側)の所定の場所に立ち止まる。そこへ向かい側から急速発進したモトサイが,走行している車の間を、神業のように急カーブを描いてやってくる。そして男性の獲物はバイクにまたがり、女性の獲物はスカートのまま横座りして、どこかえ去っていく。 (料金は距離にもよるが、30円から50円までである。)

 運転手も,バックを抱えて横座りで乗る女性も、実に見事である。

  こんな朝の情景が日常繰り広げられるのだから見応えがある。朝の通勤時と夕刻の退社時には大変商売は繁盛している。客の少ない昼間はおしゃべりか昼寝だ。
  
  私など恐れの方が先に立って、よほどのことがない限り利用はしないが、見ているだけならば、スリルがあってなかなかの見物である。  この人の運転は凄い。あのお嬢さんの横座りも堂にいっとる、などと心の中で喝采を送る朝のひとときである。

| | コメント (0)

ピサヌロークのあれこれ

 トップランドホテルは便利がよい。買い物は3階の通路を通ってショッピングセンターへ行けばいいし、夕食も5階のフードコートがあるから10数軒ある屋台を利用すれば、たとえ雨が降っても濡れることはない。何より有り難いのはフードコートにビールがあることだ。

 ホテルの近くには、霊験あらたかな寺院があって、いつも参拝客が絶えることがない。そのお寺の先ではナーンの流れがゆったり流れている。水上家屋が並び、子ども達が遊ぶ、こんな夕暮れ時の景色は抜群である。

Photo_2  慌しい旅に終始していたので、夕方のナーン 川は心が落ち着く。

 ピサヌロークにはこれといった見所は少ないが、この町はチェンマイ、ランパーン、スコータイなどの中継基地のような役割を果たし、田舎都市にしては珍しく飛行機も汽車も、市内循環の小型バスもそろっている。

 ナーン川に沿って少し下ると、川沿いに屋台街が出ていて、雨以外はいつもかなりの賑わいだ。

 そして誰が名づけたか知らないが、日本語で看板が 「空飛ぶ野菜炒め」 などと書かれていて、ものめずらしく日本の旅行者が注文している。

 ま、これも愛嬌か。出来上がった野菜炒めをフライパンで投げて、それを店員がお皿で受け取るだけのことである。

 朝目覚めのよい方は4時頃に鉄道駅の前の通りに出かけると面白い。道路一帯が沢山の裸電球で煌々と照らされて朝市が開かれている。 後でもう一度などと考えて、食後に行ってみると朝市は跡形もなくなっている。

 スコータイへの旅も終わりに近づいた。健康を懸念していた会長氏もよく動いた。帰国して数年後に会長氏の様子を伺ったら、認知症が出ているらしい。 今では私も当時の会長氏と同じ位の歳、足が動いて頭も少しは動くうちに、もう少し頑張って旅に出てみようと思っている。

| | コメント (0)

スコータイ遺跡を後にして

 正午ころから自転車で駆け回り、出来るだけ丁寧に鑑賞をしようと思うのだが、こんな広い遺跡は2~3日位の日程でも十分回りきれるものではない。時間も気になるので後ろ髪を引かれる思いで遺跡を離れることにした。Photo   

 自転車を返す前に池の畔で休憩して、帰途についたが、この池は十一月のロイカトンの時、月を愛でながら灯籠を流して、祖先を偲ぶ場所として全国的に有名である。

 今回の旅はピサヌロークで一泊して翌日のタイ航空でバンコクへ帰る事にした。

 ピサヌロークはスコータイからバス利用となるが、所要時間は1時間30分くらいのものである。

 日本で発行されているガイドブックには、遺跡前からソンテウに乗ってスコータイ新市街でピサヌローク行きのバスに乗り継ぐ、と書いてあるが、無駄なことはしなくていい。

 自転車を返した店の前でバスを待てばいい。回数は多くはないが、ミャンマー国境にほど近いタークという街から、ピサヌローク行きのエアコンバスが遺跡前を通るので、このバスを止めて乗ればいいのだ。

 自転車屋の小学生くらいの子供が、道路脇に椅子を持ち出して、バスが通のを見張っていてくれたので、冷たい飲み物を飲みながら、休憩することが出来た。車掌にロークのトップランドで降ろしてくれるよう依頼して、居眠りタイムとする。

 平がる水田地帯の直線道路を単調に走るので、寝むりに落ちて目覚めた時バスは大きな川を渡っていた。この川は有名なナーン川で、沢山の水上家屋が並んでいる。

Photo ここからがピサヌロークの市街地となる。橋を渡ってほどなくの停留所で下車した。ピサヌロークバスターミナルまで行ってしまうと、市街地まで帰るのにまたバスに乗らねばならなくなる。

 下車したところは大きなショッピングセンター前、このショッピングセンターと17階建ての巨大なトップランドホテルが繋がっているのだ。

 最初に来た頃は川の景色が一望でき、夜の屋台街や朝市にも近いので、パイリンホテルをよく利用していたが、ホテルの老朽化が進んできたので、最近はトップランドを利用することが多くなった。

 どうしても今日やらねばならぬ事は、明日の航空券の確保である。ピサヌロークとバンコクは毎日3便のフライトがある。 とるもとりあえずタイ航空のオフィスに行って、バンコクまでの空席を調べると昼頃の便に空席があった。これで明日はバンコクまでばっちりだ。

| | コメント (1)

感動のスコータイ遺跡

 巨大なスコータイ遺跡は、タイ人による初めての統一王朝として200年栄えた街だったが、衰退した後は、熱帯雨林のジャングルの中で放置されたまま廃墟となっていた。そして40年ほど前にユネスコの支援を受けて修復がなった。

 自転車を利用して、城壁内(東西1,800メートル、南北1,600メートル)の遺跡を写真に納めることが目標である。城壁内と言っても遺跡は36個所あるので、一日では十分過ぎるくらいだろう。この遺跡ばかりは行ってみないと、良さも規模も理解が出来ないとおもう。

Photo_5   これほどの規模を持つ遺跡が良く残ったものだと感心しながら、ワットマハタート寺院まで来たとき、若い日本人女性二人に、日本の方ですねと声をかけられた。エッこんなところでよく日本人と分かりましたね。 すると私のナップサックを指さして、これで分かったのですよ。

 今まで自分でも気づかなかったが、ナップサックに 「大阪ねんりんピック」 と書いてあった。そして大阪から来られましたか。  いやいや京都です。 から始まって話を続けると彼女たちは京都の長岡京市からの訪タイ。 これはもう我が級友N君の出番だ、彼も家は長岡京市だ。よいモデルに恵まれて綺麗な写真を多く写す事が出来た。

 この遺跡は観光の人が非常に少ない。場所によっては一人も見かけない。N君の写真は、いつもの事ながら写真の片隅にさりげなく女性が小さく入る。 彼女たちの出現はカメラマンにとっては干天の慈雨であったようだ。Photo_3

 自転車と言えども、かなりの運動量に空腹を覚えた。池の畔の木陰の芝生に腰を下ろして、おもむろにナップサックの中から取り出したのは、バンコクエアウエイ様からいただいたパンの数々、こういう場所で食べてこそ美味しいのである。

 城壁外には大きなものだけでも、まだ遺跡は90個所以上もある。とうてい見て回ることは不可能だが、どうしても見て欲しいのは、ほど近いワットシーチュム寺院である。城壁内の遺跡の一部を省いてもこの寺院跡には行かれたらいいと思う。

| | コメント (0)

懐かしの遺跡 スコータイ

 幸い航空券が手に入って、年寄り3人組は早朝にもかかわらずドムアン空港へ出かけた。 バンコクエアウエイの専用ラウンジに落ち着いてみると、いかにも居心地がよい。 タイ航空など、ビジネスクラスの乗客だけしか入れない。まあこれが普通でしょうね。

 このラウンジには焼きたてのパンが山積みになっていて、その他にもお菓子や果物、飲み物がふんだんに用意されていて、つい手が出てしまう。

 さすがは民間の航空会社である。コーヒーとパンをいただくと、にこやかな女性従業員はもっといかがですか、と微笑んでくれる。なにか意地汚く思われるようだが、私は2~3個余分にいただいた。これには魂胆があるのだ。

Photo  そうこうしているうちに搭乗となった。なにか頼りなさそうな小さなプロペラ機で、搭乗が終わるとすぐ急角度で飛び立った。このプロペラ機はかなり低空を飛行していく、窓から覗くと緑の地図が、かなりのスピードで後方に流れていく。

 しばらくは興味深く地上を眺めているうちに、コーヒーとケーキが出てきた。さきほど食べたばかりと遠慮をしているうちに、機は下降体勢に移った。

 バスなら7時間かかるのに、もう着いたらしい。 このスコータイ空港はバンコクエアウエイの専用空港だそうだ。

Photo_2  広大な原っぱの空港は管理棟が二棟しかない。見るからに田舎のミニ空港そのものだ。いくら見回しても周りには建物一つ見あたらない。

 乗客は管理棟を通り抜けるが、手続きらしいことは一切しない。三々五々に別れて、迎えの車に消えていく。

 ソンテウ、トゥクトゥク等の乗り物も無くて、どうしようかと心配になるが、最初に来たときに経験しているので騒がない。最後に残ったバンが航空会社のリムジンなのだ。

 バンコクエアウエイズ航空のリムジンバス(5~6人乗り)に乗って、スコータイ遺跡まで行くのだが、スコータイと告げてはいけない。スコータイと言えば、現在の町(新スコータイ)までしか行かない。 

 遺跡まで行きたいときは、ムアンカオ(古い町)といえば遺跡まで送ってくれるのだ。遺跡に行く途中、客の要望に応えて、△△ゲストハウスとか、パイリンホテルなどへ送り届けて、最後に14㎞離れた古い町(遺跡)まで走ってくれる。

 遺跡前まで来ると、まず遺跡前で営業している自転車屋へ寄ることになる。自転車屋は3軒あるが、どこも似たようなものだろう。ただ気さくに大きな荷物を預かってくれる所がよい。 沢山の自転車の中から、自分にあったのを選び出して、ナップサック一つを背中にいざ出発である。

 自転車でも遺跡をくまなく回ることは出来ない。小さな遺跡を含めると遺跡は300箇所を越えるので、取捨選択が必要であろう。観光客が非常に少なく、多くの遺跡が堪能できるから、スコータイ遺跡の規模はアユタヤ遺跡どころの比ではない。

 数百年にわたって、ジャングルの中に放置されていた巨大な遺跡群。当然世界遺産としても文句なしに登録済み、だが、残念なことに観光客がここまで来るには、いかにも不便すぎる。

 

| | コメント (0)

味わいのある旅は終わった

 バンコクを離れて、イサーンを中心に撮影を目的とした4泊5日の旅も、なんとか無事に終わりそうだ。 一区切り着いたところで、また3人集まって明日からの真面目な打ち合わせをした。

 老いても皆サマ意気軒昂である。まだ遺跡を見とらんぞ。と遺跡も見たいとの意見も強い。 ご老体の体力に不安がなければ、有名なアユタヤは近くだし、遺跡群も立派で観光客も大変多い。ここにしますか。

 と提案するがあまり気乗りしない様子である。 さもありなん。 旅のテーマが「田舎の風景をカメラにおさめる旅」だもんなあ。機内でもう一度考えてみる、と私が熟考することになった。

 この飛行機はバンコクドムアン空港行きである。まずはドムアンのバンコクエアウエイ航空のチケットを当たってみよう。明後日早朝のスコータイ行きのチケットが手に入れば、世界的に有名なスコータイ遺跡が可能かも知れない。 とそこまでは事前相談をしておいた。

 さあ懐かしのバンコクである。今回も宿泊したのが、スクムミット通りのトンロー駅前にある グランドタワーインホテルである。

Photo_2   まず第一にホテルでやることは、会長の入れ歯の一件である。

 恐る恐る五日前に忘れ物をしたのですが、入れ歯は残っていなかったでしょうか。と聞いてみるとフロントの女性達が一斉に、こちらを振り向いた。ン あったな。

 フロントの奥からこれでしょうか、と容器に入った入れ歯が会長に手渡された。 こんなに手際よく現物が出てくるというのは、相当話題になっていたのだろう。

 会長Y氏は一躍話題の人に昇格した。五日間も食事の度に、不自由を囲って辛い思いをした会長であったが、俄然笑顔と食欲が戻ってきたのは、云うまでもない。

 明日は我が身と言いますが、忘れ物紀行でもあった。終わってみれば、忘れ物も笑いの種と化し、旅に大きなアクセントが加わったのである。
 本人の名誉のために書くのをためらっていたのだが、入れ歯だけではないぞ。会長氏が忘れた物品は5点、その他にせっかく買ったお土産や荷物の預かり証など多岐にわたっていたのである。

 その代わりと言っては何だが、貰っていないと大騒ぎをした、ホテルの朝食券だけはしっかりと出てきた。本人も交えて三人で大笑いをしながら、こういう旅もまた味があると、納得したことであった。
 

| | コメント (1)

TATお墨付きの バンチャンホテル

 ちょっと待て。とはおっしゃるが何かご用か。

 二人は奥へ入り、次に出てきたときは何と、ピストル持参の警察官の服装ではないか。
驚きましたねえ。案内する。乗れと出した車がパトロールカー、どないなってるんや。 まだ何も悪いことしてませんで。
 
 いやいや大丈夫です自分で探していけますよ。お二人とも外出では政府観光案内所が空になります。 他の観光客が来たら困りますよ。  要らぬお世話だこれも公務だ。
 ま、いいか、いつもの気楽な勤務なんだろう。おじさん達はそのままパトカーに同乗してホテルに向かった。

Photo_2  こんな経験はタイで初めてである。これはツーリストポリスが政府観光案内所を兼務していたからだが、こんな例は今までに経験した事がなかったので驚いた。

 ホテルに到着すると、パトカーを見たガードマンとベルボーイが不動の姿勢で敬礼して迎えてくれた。

 が、敬礼は我々にではなく、当然鬼より怖い警察官に対してであった。 そうでしょうね。

 年配の警官が一緒にフロントまで来てくれて、偉そうに「ペラペラナントカナントカ」というと我らの宿泊費は大幅にダウンした。 
(当然なにがしかのお小遣いはホテルが渡さねばならない)

 ボーイに案内された部屋はツインルームで誠に広くて豪華、年金暮らしのおじさんにはかえって落ち着かない。
 この部屋がひとり1室だから豪勢なものだ。

 日本のホテルなら1室何人様と詰め込まれ、そのうえ1人づず別々で料金を計算されるのに、タイでは1室に何人泊まっても同じ料金だ。ホテルは部屋を貸す商売だから、一室分しか使用料を取らない。

 とすると、旅行社のツアーで外国へ行き、一人一室使用すれば、追加料金は○○万円必要です。などと請求されるのは非常におかしい。しかしまあこれが商売でしょうな。

  ホテル前の一帯が広い食材の市場になっていたので、野次馬のおじさん達はまずは市場見学、次はお定まりのマッサージとばかりに、ホテル周辺を探してみたが、ただ一軒あった店は古式マッサージと書いてはあるが、私の目ではイケナイほうのマッサージと思われたので、今日はお休みとした。

 ウドーンタニの、タイ航空オフィスで、明日午前中の航空券が確保できた。ここまでの東北タイ(イサーン)を巡る旅も4泊5日となり、いよいよ明日はバンコクだ。   会長の入れ歯は、はたしてあるのだろうか。無事を祈るばかりである。




 

| | コメント (0)

ウドーンタニへ到着した

 午後3時頃ウドーンタニのバスターミナルに到着した。 さあやって来ましたで。カモを求めて、わあーっと集まってきたのは、トゥクトゥクの運転手の群れ。. 我がちにどこまで行く? 自分のタクシーに乗れと執拗に攻勢をかける。 どこまでと言われてもそれが分からないから困っているんじゃ。

 そうだ。TATに行って町の様子を聞こうと思いつき、運転手に向かってTATと云っても、書いても分かるわけ無いなあ。 TATをタイ語で発音すればトートートーだがこれも駄目、 そうだ! 昔タイの留学生に書いてもらったなかに「政府観光庁案内所」というのがあったはず、リュックの書類をひっくり返して探してみたら、ありました。出てきましたあ。

 タイ語で書いてある「政府観光庁案内所」のメモを手に、 このタイ語が目に入らぬか。最初に読んだ運転手が即座に乗れというが、料金の交渉が済んどらん。
それで いくらで行く。 ワンハンドレットバーツ。 こいつ等はワンハンドレットバーツが常套句なのだ。客にはいつもそう云って吹っかけて様子を見る。 寝ぼけるな50バーツで行け。 オーケー。

 しまった、もっと値切っておいたらよかった。 と思ったがあとの祭りである。まあ危急の場合だ仕方なかろうと乗ることにした。 しかし地図を持っていないので、どのくらいの距離があるのかさっぱり見当がつかない。ずいぶん走ってTATにたどり着いた。

Photo  美しい池の畔にTATはあったが、ここには色気皆無の男性職員が2人勤務していていた。

 TATの男性職員に市内のマップが欲しいこと、空港までのリムジンを持っていて、そこそこのホテルを紹介して欲しいことをたのんだ。

 彼らはホテルリストを出して上位にランクされている「バンチャンホテル」がいいぞと薦めてくれた。

  若い方の職員ががさっそく電話をかけて、ホテルに空室が3部屋あること、料金は朝食付き 3600円だと確認してくれた。この料金は田舎都市では最高級のホテルである。 

 ウドーンタニの市内地図も手に入ったし、ホテルの位置も理解できたので、お礼を言って帰ろうとしたら、ちょっと待て。

| | コメント (0)

前途不明の旅は面白い

 メコン河から老舗ホテルに帰って、3人で作戦会議を開いた。行き当たりばったりの3人であっても、合意したうえで一日の予定を立てねばならない。バンコクまでの飛行機はすべて満席と判明した今、次善の策として次の空港を目指すことで意見の一致を見た。

 次の空港ってどこやねん。バスで何時間かかるんやなどと、急に動きは慌ただしくなった。それで、その空港からは飛行機はあるのか、大丈夫かいな。と騒げども今となっては行ってみないと分からない。こういう難問が立ちはだかると、旅は俄然楽しくなる。

 結論はバスでウドーンタニの町まで行って、飛行機があればバンコクへ帰る。無ければウドーンタニで宿泊して、翌日バンコクに帰ることに決した。

 ウドーンタニへ行くことを決めたのはいいが、予定外の町なので何一つ資料を用意していない。N君と会長Y氏がガイドブックを持参しているかどうかを聞いてみたが、そんなもんあるわけもない。資料なんかいるか。口があれば何とかなる。 と 出たとこ勝負の旅の一日が始まった。

 会長Y氏が急にバスの後尾の席に移動して、若い女性と話し始めた。何と話は英語のようである。そういえば若い頃外国にいって、英語を使ったことがあると聞いたことはあったが。なかなかやるじゃありませんか。

 ナコンパノムから、サコンナコンの町へ入って、ターミナルに停車すると、10人近くの物売りのおばさん達が、バスに乗り込んできて騒々しいこと、大混雑の中で食べ物を売りあるく。中には発車した後も車内の残ってまだ販売を続けている。

 これといった現金収入のない人たちなので、わずかな商売でも熱心である。朝早くから遅い時間まで何10本と立ち寄るバスを目当てに働くのである。

 かなりたって、会長氏が我々に席に戻ってきた。彼女はコンケンの大学生で、日本に行ってみたいというとる。 へーそうですか。 で、どう答えたのと、畳み掛けると交通費と滞在費は持ったる。具体化しようと言うことで返事をした。

 会長ビザが出なかったら日本になんかこられませんで、と言うのだがアユタヤの取引先を利用してでも何とかする。 この話にはあまり立ち入れないほうがよいと判断して、話から手を引いた。

 日本のあの悪名高い大使館が、タイ人の提出するビザ申請を簡単に受けて、ビザを発給するはずがないのだ。タイ政府は日本人なら、良いのも悪いのもよほどのことがない限り、ビザなしで入国をさせるが、そのタイ人を簡単には入国させない我が日本国なのである。

 サコンナコンを経てウドーンタニまでの5時間、難問もあったが、食べたり眠ったり、車窓を眺めたりで休養のひとときとなった。さてバスが停まったらどのような展開が待っているのだろうか。

 
 

| | コメント (2)

後悔先に立たず 私の英語は?

 早暁のメコンを写真に納めようとN君と会長Y氏にモーニングコールを入れると、会長は寝る との返事、ご老体はゆっくりしていただき、N君とメコン河畔へでかけた。

 今日の太陽は機嫌が悪く、ラオスの山並みは明るくなってくるものの、雲に隠されている。会長が正解だな。 写真は諦めてジョギングしたり、太極拳をしている人をぼーっと眺めていると、オバサンが話しかけてきた。

 どこの国の人、何をしに来たの、いつまで居るの、などと聞いてくれるのだが、すんなりと理解ができない。その様子を察してオバサンは英語に切り替えてくれるのだが、よけい分からん。外人は誰でも英語を話すって誰が決めたの、私はタイ語も駄目だけど、英語よりまだ可能性が少しはあるのだが。

 こんな田舎のオバサンが英語を使うなんて、朝から自分の不甲斐なさ、惨めさに打ちひしがれる。こんな気持ちが襲いかかって落ち込んでしまったが、まあ愚痴は言うまい己が悪い。 それでも霧が晴れてメコン河がくっきり見え始め、ラオスの奇怪な山並みも顔を出した。
Photo_5
 数年前の乾季に来たとき、渇水による遠浅の砂州に出てみへたら、小さな虫が無数に飛び跳ねていた。

 よく見るとそれは5ミリもない、蠅くらいの蛙が何万匹もはね回っていたのである。

蛙の子供はオタマジャクシなのにどうしたのだろう。


                         

 今回も遭遇できないかと密かに期待をしていたのだが、まだ水量が多くて見ることが出来なかった。こんな事を考えながら水際まで行ってみると、老いた夫婦が貝をたくさん掘っていた。
これは絵になるし、いい風景だ。かなり大きい貝はこれから市場に持って行って売るのだという。
Photo_7 

 イミグレーションまで足を延ばしてみると、早朝の連絡船の客が集まっていたが驚きましたねえ。そのラオス行きの客の中に仏像が売られていくため、一緒に待っていた。

 売られていくこんな様子を見ると、有り難みも失せてしまい、可哀想だった。

  賑やかな朝市も見学して、まずい朝食も済ませて、さて今日はどうしよう。飛行機でバンコクへ帰るつもりだったので、どこへも行く計画はたてていない。 どこかでもう一泊するか。ということで、バスで5時間ほどかかるが、飛行機の便が多いウドーンタニまで足を伸ばすことにした。

| | コメント (0)

ナコンパノムの街では

  広大な面積を占める東北タイをイサーンと云う、今回訪れている町はすべてイサーンであって、タイの中では最も貧しい地方と云われている。表には出ないが潜在的に蔑視されているラオス系の人たちが数多く定着していている。

 イサーンは耕作には向かない塩害地なので、形ばかりの農業はしているが、現金収入は望めない。 したがってバンコクへ出稼ぎに出て、男性は建設現場かタクシーの運転手、女性はマッサージやホステスを生業にしている人が多い。

 そんな人たちが、子供達をお爺さん、お婆さんに託し出稼ぎに出るのだが、辛いだろうが暗さは感じさせない。 タイの女性はアルコールを殆どたしなまないが、イサーンの女性はよく飲むし、モーラムという民族音楽を歌いながら踊ることが大好きである。

 ムクダハーンから、北へバスで3時間ほど行くと、ナコンパノムの町がある。ここまで来ればイサーンでも北東の端に位置し、観光客もまれにしか見ることはない。ただ一つ近代的と言い得るのは小さな空港があって、一日2便くらいはタイ航空が飛来する。

 今回の旅をしているコースは、メコン河流域を北上しているのだが、メコン河が長い年月肥沃な土を運んでくるせいか、他のイサーンの町や村より、比較的生活が恵まれている町である。

Photo_2   ムクダハーンとナコンパノムの間に、タートパノムと言う町があって、折悪しく今の時期は祭りが7日7晩通して行われている最中だった。

 この町の有名なワットプラパートパノムは変わったお寺で、メコン河を隔ててラオスを見渡している。つまりラオスのための寺院で、そのためラオスからの参拝客が数多く詰めかけている。

 その祭りのあおりを受けて、良質のホテルはどこも満室なので、ナコンパノムの中心にある「ナコンパノムホテル」という老舗のホテルに泊まることにした。

 ガイドブックが町一番の老舗ホテルと書けば格好はいいが、やはり老舗とは疲れ果てたボロホテルだった。 ガイドブックは無責任だから裏を読まないとこんな目に遭うのだ。

Photo_4  まず市場をのぞいてみたが、取り立てて珍しいものはなく、ムクダハーンからずっと一緒だったおばさんが、もう市場で働いていた。

食欲はあまりないが、果物だけは幾らでも食べられる。

 タイ航空のオフィスへ行って、明日のバンコク行きのチケットを聞いてみると満席だった。

 飛行機もホテルも予約をしないで、行き当たりばったり臨機応変で、旅は面白い。しかたなくバスでさらに3時間行ったサコンナコンという町からの飛行機を尋ねてみたが、ここからも満席だそうだ。 ま、慌てないでゆっくり考えましょう。

 食事を抜くと体力が極端に落ちるので、近くの食堂へ入った。すると調理場に日本語が話せるという女性がいて、店員が早速呼んで来た。なるほど話しは十分出来たが、その女性は2年間ほど日本で暮らしてタイへ帰国したところだった。

 話の中で女性いわく 「浦和市の××親分を知っていますか」 。これで彼女が日本でたどった生活が、どのようなものかが想像できた。やはり日本人としては、困りますねえ。

 今日もマッサージへ行くことにして、近くのマッサージ屋へ出かけた。この店は何の表示もなく、ただ粗末な薄暗い建物だけなので、外国人は誰もマッサージ屋とは気づかない。 
これも昔に来たとき、迷いに迷って探し出した財産である。 

 2時間を休み無く揉んでくれたおばさんの腕は、なかなか年季が入っていて疲れは十分癒された。このマッサージの料金は日本円でわずか2時間 450円、日本との格差に、またバンコクとの格差に驚くばかりであった。もうしわけないことです。

| | コメント (0)

一芸に秀でた者は何でもこなす

 思いもかけぬお手伝いをいただき、温かい鍋と暖かい気持ちを馳走になって夕食は終わった。
今日のメニューは、ムーガタ、焼きめし、野菜炒め、ビールで一人580円である。さすがに田舎の料理は、バンコクとは比較にならない安さである。

 ホテルへ帰るとラウンジのピアノの曲が急に替わって、懐かしい日本の曲を奏で始めた。どうやら一目見て日本人とバレているらしい。数曲は聞く振りをして、拍手などを送っていたが、私は眠くなって部屋に引き取った。
 
 朝起きて彼らに聞いてみると、遅くまでダンスに酔いしれていたらしい。 N君は写真の他にダンスの講師を、三カ所ほど受け持って指導している、これもまたプロなのだ。タイの 田舎の女性が離すわけはない。この上に面打ちまでこなすと云うから、その才能は尋常ではない。

 それに引き替かえ俺の一芸はなんだ。タイ旅行と音楽を聴くこと? なんと寂しいではありませんか。己の努力不足を顧みず、ああ無情と嘆く私であった。

 気を取り直して、メコン川の夜明けの写真を撮りに行った。ラオスの空が次第に明るくなり、一条の光が川面に刺さり、じつにすがすがしい朝を迎えつつあった。
 対岸のラオスの鶏の鳴き声や犬の声がかしましく、川面に映る漁師の夫婦船が一幅の絵を描き出していた。

Photo_4 

 ムクダハーンの街は、バンコクからVIPバスで11時間、最寄りの空港までは3時間と非常に不便な田舎である。特にきわだった名所はなく、メコン河の風景と色浅黒いイサーンの人ばかりで、外国の観光客は殆ど見かけない。

 ホテルはプロイパレスホテル(4500円)、ムクダハーングランドホテル(ほぼ同額)くらいが適当だろう。 ただプロイパレスの方は、朝食に難がある。

 バスで行った場合、ターミナルからトゥクトゥクを利用しないと、歩いて街の中心には出られない。プロイパレスホテルと言っても通じない場合が多いので、ポーイパリーホテルと言い直すと多分うまくいくと思う。

| | コメント (0)

タイ女性は怖いけれど優しいのだ

 夕食は前に食べて美味しかった、近くの庶民的な食堂へ行った。ところが食材がちらほらケースにあるだけで客はいない。賑やかで気さくなおばさんの姿も見えない。
 日本には栄枯盛衰などの言葉がありますが、タイの田舎にも厳しい問題があるのかもしれない。

 しかたなく屋台街と反対側の通りを歩いていると、煌々と灯りをつけたムーガタ屋があった。ムーガタというのは、円錐形の鍋で下の円形部分には水を張って水炊きを、中央の山形の部分では豚肉を焼く変な鍋物である。

 寒さも少し覚えていたので、炭火を使うのは有り難い。さっそくムーガタに挑戦してみたが、こんなもん出来るかい。すぐに豚肉が焦げ付いて煙をあげ、見るも哀れな状況となった。 会長氏はおいガスを止めなあかんで。とおっしゃいますが、これは炭火でっせ。

 普段料理などやり慣れてないおじさん連が、見たこともない鍋など無事に出来る訳がない。これは無謀という物だ。

 隣のテーブルでは、二組の若い男女がビールを飲みながらムーガタを楽しんでいたが、外国人のおじさんが苦戦していることに気づいた。これだけの噴煙だもの従業員も気づきそうなものだ。

  すると、ここで救いの神の登場である。隣のテーブルの一人の女性が私たちのテーブルへやってきて、従業員を呼んで鍋の取り替えをさせ、最初から手際よくやり直してくれた。
 彼女はできあがったムーガタ(焼き豚)と水炊きを、我々おっさんの小皿に分け入れてくれ、調味料の使い方を説明して、自分のテーブルへ笑顔で去っていった。 ウーン秘訣は豚の脂身を最初に焼き、その脂を使って肉を焼けばよかったのだ。

 男友達は、彼女が見も知らぬおっさんのテーブルで、かいがいしく世話を焼いているにも
かかわらず、にこにこ笑顔でビールを飲んでいた。彼は大人物である。いやいやここで彼女に文句でも言おうものなら、後が怖いのだろう。

 タイの女性は事と次第によっては恐ろしいが、本当は笑顔が素敵でとても優しいのだ。

Photo_2  メコン河がタイ領に沿って流れているのは、ゴールデントライアングルから下流である。

 我々がメコン河の雄大な眺めに感動するのは、ラオスとの国境、チェンセン、ノンカイナコンパノム、ムクダハーンなどで、タイを訪れるたびに、ああまたメコンが見たいと思ってしまう。

 この写真は左のメコン河を眺めた後、川岸前方を見たところである。

 この前方に向かって足を進めると、インドシナマーケットにたどり着く。ただ残念なことに売られている商品は、ラオス、中国、ベトナムなどの、安物雑貨が多いのでお薦めは出来ない。

 このマーケットの手前に砂糖黍を搾って、ペットボトルに入れて、クーラーボックスの氷でよく冷やした飲み物を売る屋台がある。疲れたとき暑い時に飲めば生き返る。

 

| | コメント (0)

ムクダハーンの街は

 今日は朝からカンボジアの大平原を見に行ったので、目的のムクダハーンまでは、走行距離が370キロとお年寄りには若干ハードである。いつもなら、「これがまだ動くのか」と思えるボロバスを愛用していたから、今回のように、いい男のタクシー利用は破格の出来事である。 

 かまわんかまわん 一日中タクシーを乗り回して、一人3300円だ。などと太っ腹な
事を言っているが、この三人で支払った料金は運転手の半月分の給料に相当するのだから、運転手にとって、今日の稼ぎはありがたいことだろう。
 
ムクダハーンの高級ホテルと言われる、プロイパレスホテルに飛び込みで宿泊することができた。ホテルから東へ15分ほど歩くと、母なる大河メコンが乾季にもかかわらず滔々と流れていた。 何度見ても壮大なメコンの姿である。

Photo_2   ラオスへのイミグレを眺め、ふと上流を見ると大きな橋の工事が進んでいた。

この橋はアジア東西回廊と呼ばれる。ベトナムのダナン港を起点にして、ベトナム、ラオスを通過し、構想ではタイを経てミャンマーの西海岸モーラヤミャンまで続くインドシナ横断ハイウエイだ。

 昨日行ったチョーンメックにも、その数年後に大きな近代的な道路が出来て、素朴な国境の味が台無しになってしまったが、この東西回廊が作られると、ムクダハーンの街の魅力もかなり影響を受けるのではないか。

 ここの第二メコン橋と呼ばれる橋の建設にも、日本が円借款の形でとして80億円つぎ込こんでいるのだ。

 今回の旅の2年後に橋の袂まで行ってみたが、完成間近な橋は実に立派だったが、橋はムクダハーンの街から5㎞も上流にあって、どうやら景観を台無しにしただけで、町には何の恩恵も無いとのことであった。

 考えてみれば、5キロメートルも先に立派な自動車道が出来ても、日常の食料や衣料品を高速道路を利用して、買い出しに来るラオスのおばさんなどいるはずはなく、ムクダハーンの鄙びた街は昔と変わることなく、メコン河を小舟で行き来する風景が見られるに違いない。

 大河メコンに敬意を表した後、ホテルへ向かってしばらく歩くと、大通りは車の通行が禁止され通りの400メートルほどが、夜の市場に衣替えしていた。
 この市場は美味しそうな料理を中心に、果物やお菓子、飲み物がたくさんあって、見ているだけでもお腹の虫が騒ぐ。 ただ家庭用の料理ばかりで、その場で食べることは出来ないのが難点だ。

 夕食準備の女性達で溢れかえるこの市場は、私どもには縁のない存在だった。 彼女たちは気にいった料理を買い求めて持ち帰り、夕食として家族みんなで食べているのだ。
雨季の間は雨が多いので、スコールでもきて屋台が閉まれば、夕食抜きの家も出てくることだろう。

| | コメント (0)

危機感を失ったおじさん達

 昨日の 運転手が来たので、パーモーイーデーンまで行ってくれと言うと怪訝な顔をしている。それもそのはず、昨日告げた行き先とは正反対のカンボジア国境なんだから。
 それでも、気のいい男は100キロほど西方へ走って、ついには山の上に登った。 ここがカンボジア国境である。

 さらに歩いて山道を少し行くと、道はとぎれて無い。 国境と呼ばれる断崖の頂に立っていたのである。 そう、ここはカオプラビハーン遺跡の隣の山だ。
600メートルの断崖の下には、遙か彼方まで広がるカンボジアの大平原が、密林が、自然のパノラマを展開して、私たちを感動の世界へと誘ってくれた。

Photo_4
 現在はカンボジアが、タイの大使館を焼き討ちした事件により、両国すべての国境ではこの紛争のあおりを受けて閉鎖中、普段は行き来できる両国の一般人も入国は出来ない状況となっていた。なので残念ながらカオプラビハーン遺跡もカンボジア領なので行くことは叶わない。

 実はこのバーモーイーデーンでも、緊張した国境警備隊の兵士が、山中の小道を6人単位で厳重なパトロールをしていた。 少し離れた鉄条網に囲まれた要塞の中には、たくさんの兵士が待機して、いつ起こってもおかしくない緊急事態に備えていた。

 パトロール隊の後を、日本のおじさん三人もついていくと、彼らは途中で休憩をとった。
つかの間の休憩に入った兵士に近づいて、写真を撮ってもいいかと尋ねてから、数枚の写真を撮ることができた。銃は持っているが根は優しいタイ人である。

 こんなことでいいのか。紛争中の国境でパトロール中の兵士ですぞ。 まったく危機感を覚えない平和ボケの日本人そのものの行為であった。 誠にお恥ずかしい。これからは十分注意をします。

 その夜のテレビは国境閉鎖で経済の行き詰まったカンボジア人が、物資を求めて密入国し、それを国境警備隊が追跡して取り押さえるシーンが放映されていた。 この現場がなんとバーモーイーデーンであった。 非常に厳しいところを訪れていたものである。

| | コメント (0)

魅力的な朝の市場

 朝の5時に三人そろってって、暗闇のムーン川に日の出を撮りにでかけた。歳が歳ですから早起きは何の苦にもならない。しばらくすると東の空が白みはじめ、カメラは三脚にセットされた。

 ムーン川を遡ってきた漁師船が、薄明かりの中で魚を揚げ始め、フラッシュも光りはじめる。そのあと漁師は河原で焚き火をして暖をとる。 川面に黄金色の輝きを与えながら、大きな太陽が顔を出し始めた。

Photo
 素晴らしい朝の風景に彼らカメラマンはシャッターを押し続けている。私は漁師と共に焚き火に手をかざし片言のタイ語をつぶやく、何と爽やかな朝であることか。
 
 河原から上がると昨夜の屋台街は跡形もなくなり、大きな朝市に変貌していた。食材を売る人買う人はタイの国籍を持つものの、ラオス人がかなり居るようだ。活気が充ち満ちている市場を見て歩くが、反対に変な日本人と観察されている度合いが多い。

Photo_3  
 彼らはさすがに写真展でいつも上位に入賞しているカメラマン、たくさんの人に声をかけて、個性豊かな写真を撮りまくっているようだ。

 こんな時に彼らが話す日本語は、相手にその意志が十分伝わるから不思議である。

 市場で軽い朝食をすませ、ホテルへ帰ってミーティングをした。

 ウボンラチャタニーはラオスにもカンボジアとも接している。

 昨日はラオスの国境を見たので、今日はカンボジアの国境だ。カンボジアの密林を高い崖から一望できるところへ行ってみようか。 運転手が驚くぞ。

| | コメント (6)

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »