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2010年8月

エアポートリンク 2年遅れの開通

 アジアのハブ空港を標榜する、タイのスアンナプーム空港はアクセスが非常に脆弱で、これまで各国の観光客からひんしゅくを買ってきたが、予定より2年遅れて 2010年8月23日に開通した。

 空港へ到着して、市内へ入る主役となる高速鉄道が、正式名「エアポートリンク」 である。 このエアポートリンクは空港のB1階に駅が作られている。

 空港は、エアポートバスを利用する場合は1階の乗り場、2階は到着ロビー、3階はレストラン街、4階は出発ロビーと従来通りと変わらない。

 空港からエアポートリンクのエクスプレスライン(特急)に乗ると、ノンストップ15分で終点のマッカサン駅(伊勢丹のかなり北方)に到着する。

 空港からエアポートリンクのシティーライン(各停)に乗ると、7駅停車して終点のパヤタイ駅へ25分で到着する。この駅はBTSのパヤタイ駅(戦勝記念塔駅の一つ南駅)と直結しているので、ここからBTSを利用すれば、都内の移動はこれまでより格段に早くなる。

 この電車の運行時間は午前6時から午前0時までとなっていて、将来的には24時間営業の予定となっている。

 ただ今日の時点(8月31日)では、パヤタイ駅は利用できるものの、連絡通路は工事の遅れで使用不能である。BTSのパヤタイ駅へのアクセスは、もうしばらくかかりそうだ。

 ともあれ、従来は渋滞が常態化していたので、バスはもちろんタクシーを使っても、時間が読めなかった。それが安くて早い電車の開通となれば朗報である。

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足が地に着かない 飛行機は怖い

 今年も御巣鷹山で慰霊祭が行われた。今から25年前の8月12日羽田発伊丹へむかう日本航空の飛行機が墜落した。お盆の帰省で満席の航空機の墜落であった。航空機事故としては世界でも最大級の事故で死者は520名におよんだ。

 私の子供の頃、同じ日本航空の羽田発の福岡行きの木星号が。伊豆大島三原山の山腹に激突して全員死亡した事故を新聞で読んで、地上を走らない飛行機ってものは何て怖い乗り物だろうと思ったものだ。

 地上に足の着いた乗り物の事故も多発はするが、助かる確率もかなりある。地上の事故より航空機の方が事故の確率は低い。と云われるが重い飛行機が1万メートルもの上空を飛んでいるのだから、これは確かに恐ろしい。

 私のタイの旅はかなり多いので、タイの航空機事故はどうなのだろう。と調べてみると、あるはあるは、私が知らなかっただけである。

 プーケットで海に墜落85人死亡。  タイ航空コンケーンで墜落40人死亡。

 カトマンズ空港でタイ航空機が山に衝突113人死亡。 

 格安ワンツーゴープーケットで墜落80人死亡。 サムイ島で管制塔に激突して死亡。

 軽微な事故はかなりの数起こっていた。私のような者は「知らぬが仏」で乗っていたのか。そういえば十数年前私の乗ったタイ航空がランパン空港に着陸した衝撃で、天井が落下したことがあった。

 これもかなり前になるが、友人と3人でチェンライを訪れるため、タイ航空の最終便に乗ったときのことである。ドムアン空港を定時に出発するため滑走路の端まで移動して待機中、管制官の出発合図を待っていた。

 管制官の指示があったのだろう。飛行機はエンジンを全開にして滑走を始めた。次第にスピードを増して離陸体制に入って、ボンと大きな音がし急角度に滑走路を外れて芝の中に突っ込んで停止した。何が起こったのかと窓から外を見ると消防車が4台こちらへ向けて急行中であった。

 火が出ていなかったので、みんな落ち着いて乗務員の指示に従った。飛行機は乗客を乗せたまま牽引車によって芝生から引き出され、空港の出発ゲート前に移動した。詳しい説明はなされなかったが、どうも左の車輪がパンクをしたらしかった。

 しばらく点検していたが、この機は今日は飛ばないので降りてください。こんな飛行機は降りますが最終便ですよ。 代替機は出るのかと乗客は騒ぐものの、まだ決まっていません待合室でお待ちください。

 1時間余り待っていると、遠くからのろのろと代替機が引かれてくるのが見えたが、すぐには飛びそうにない。機内食や乗客の荷物の積み替えに時間がかかるためだ。その後で我々の再搭乗となった。翌日の新聞にはこれに関する記事は皆無であった。

 タイでは乗客を乗せた飛行機が、飛び立つ寸前に滑走路を飛び出した位では、事故の内には入らないのだろうか。 どうも安全運行の基準が日本とは異なるようだ。

 この時の飛行機の遅延は4時間10分、海外旅行損害保険の遅延適応は6時間以上なので、ここでも保険金の3万円は逃げていった。

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常連紳士の話しによれば

 病院で知り合った日本人紳士は、この病院に入院すれば数日は優雅な暮らしが出来ますよ。  貴方も機会があればぜひ入院なさい。と薦めてくれた。

 部屋には電話はもちろん、浴室にはバスタブとシャワーブースがあって快適、テレビは大型液晶でNHKはばっちり、冷蔵庫にはいろいろな飲み物が入っていて自由に飲めるそうだ。さすがにアルコールは入ってなかったが。と笑っておられた。

 さらに体験談は続く、紳士の入院期間は一週間と短かったが、毎日夜間には専属の看護婦さんが、1時間置きに様子を見に来てくれるそうだ。(紳士は寝ないで見ていたのか?)

 入院中の食事は、院内のレストランのメニューから希望の食事を選べば、運ばれてきてホテルより立派な料理が食べられたそうだ。
 途中から薬袋を持った奥様も加わり、病室はもちろん個室で凄いですよ。この人はまた入院したい云うてますの。とおっしゃられていたので、まんざら虚言ではないらしい。

 ただ難点は治療費が高額であること、海外旅行傷害保険に加入していれば、キャッシュレスで何の心配もないが、経済的に恵まれていない人や無保険の人は来てはいけない。

 普通のタイ人はこのような私立病院を避けて、公立の病院で治療を受けている。前の首相であるタークシンが、公立病院の治療費を1診療につき30バーツに限定したからである。

 今も東北タイや北タイでは、この政策を熱狂的に支持する、貧しい人達がたくさんいて、前首相は海外へ亡命しているにもかかわらず、根強い人気を誇っている。

 さて、私の病状は、病院の薬2回の服用で、翌日は喉の痛みは消え、咳一つ無く快適そのものであった。  病気をするならバンコク、治療はバムルンラード病院にかぎる。

 帰国便で座席が近かった娘さんの話では、レーシック(近眼?)手術をしての帰りだそうだが、手術費用は13万円ほど、よく見えるようなりました。と笑顔だった。  やはり治療、手術はバンコクか。

 ただし、レーシック手術、歯科治療、産科治療、美容、整形には保険は適用されないので、ご注意を願いたい。

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診察室では

 私を診察してくれる30代後半の先生は、髪をショートカットにして眼鏡のよく似合う女性の先生であった。

 診察室に入って椅子にかけると女医先生が 「血圧が少したかいねえ薬飲んでる」  いや飲んではいませんが。 「駄目じゃあない、飲みなさい」 はい。 流暢な日本語なのだ。よかった日本の先生だったんだ。

 「何を馬鹿なことを云ってるの、私はタイ人だよ」  ウッ  診察台で横になり丁寧に診察したあと 「炎症を起こしているのは喉だけだから心配ないよ」

  「△△さん、あなた京都だってね。もうすぐ大文字の送り火だねえ」 「私子どもの頃2回ほど行ったけど、京都はタイより暑いねえ懐かしいよ」  そうですねえ、ほんとうに京都は暑いのです。

 「ハイ、薬は5日分出しておくよ、薬局では食後って云うだろうが、そんな事はどうだっていいんだ、いつ飲んでもいいよ」。   「それからね、よく効く薬だから残ったら日本でまた使いなさい、有効期限は3年だよ」。

 先生有り難うございました。 「また来なさい」。  もう来ませんよ。

 診察室を出て薬局はどこかと探していると、診察待ちの日本人紳士が、広いからわかりにくいでしょう。 私の診察はすぐ終わりますから、待っていてください一緒に行きましょう。 と親切に云ってくれた。 彼は日本の現地会社の会長で、いつもこの病院の女医さんに世話になっているそうだ。

 どうでした。江戸っ子弁で小気味がいいでしょう。 彼女は浅草生まれで東京育ち、慶応出身で何年か東京の大きな病院に勤めている時、この病院にスカウトされたそうです。 それで京都の大文字をご存じなのだ。

 薬局で薬を受け取ったが、保険なのでキャッシュレス、お金の心配などまったく要らないのが心強い。可愛い小さな紙袋の中には、先生の処方箋が日本語で書かれて、最後に早くよくなりなさいと書いてあった。

 外国のお金持ちや私のような旅行傷害保険に入っている人達が利用する大病院は立派な施設と、充実した検査治療機器を備え、有名なドクターを高給で引き抜き、東南アジア最高級の病院を自負している。

 一般のタイ人や食い詰めた外国人は、支払い能力からいって、とても病院の門は叩けない。 旅行傷害保険はいいもんだ。

 

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海外旅行保険を初めて体験した

 これまでの十数年間で保険料として80万円以上は、損害保険会社などに掛け金を提供してきたが、今回初めて払い戻しの体験をすることになった。

 いつものように一人でタイを訪れて、イサーン(東北タイ)の田舎を中心に5日間回ってバンコクへ戻った。その後4日間ほどバンコク近辺をめぐり、帰国する2日前の夕刻から喉が痛みだし、激しく咳き込むようになった。 機内でひどい咳などすれば、他の乗客に迷惑がかかるぞ。

 これは困った、薬局へ行って、タイによくある副作用無視の、よく効く薬を買わねばと思ったのだが、ここで考えた。

 私はこれまでに海外旅行傷害保険に入りながら、一度たりとも利用したことがない。 保険だから利用などしないにこしたことはないが、掛け金は旅行回数から考えても、かなりの額になっている。私のような優良被保険者に損保会社は大喜びをしていたに違いない。

 薬局はやめて、急遽スクムミット通りにある、東南アジア最大と言われる「バムルンラード病院」へ向かった。

 この病院は五つ星のホテルかとも見まがう、建物も内装もゴージャスなのである。タクシーで乗り付け正面玄関に到着すると、ドアマンがサッとドアを開けてくれる。院内へ入ると、1階と2階は吹き抜けになっていて、豪華絢爛なロビーが広がっていた。

 ロビーの奥まった所には、マクドナルドやスターバックスが陣取り、このフロアーを見て誰が、病院の中だと思うだろうか。

 吹き抜けの部分にあるエスカレーターで2階に上がると、右側はタイ料理、日本料理、更には中華料理のレストランが並んでいた。喫茶店も数店あって病院に来た人達の寛ぎのフロアーである。 当然病院に来た人ばかりでなく一般の人もレストランとして利用できるようになっている。 昼食は病院で食べよう。などと考える観光客もあるのだ。

 エスカレーターで3階に上がると、左側のフロアーには英語、日本語、韓国語、中国語など六カ国の外国人専用の受付があって、それぞれの言語に堪能な、若い女性が笑顔で迎えてくれる。

  私は日本語対応の受付に歩み寄ると、三人の女性が一斉に立ち上がり、こんにちはどうされましたか。と笑顔で聞いてくれた。 こんなに気持ちがなごむ病院とは想像もしなかった。

 海外旅行保険証を渡して、診察に必要な書類を本人が記入するのだが、書類の記入説明はすべて英語で書かれていて、書けるはずもない。 当然お手上げである。

 すると受け付けの女性が、私でよければ書きましょうか。 何と謙虚な配慮であろうか。
ペンを持った彼女が、パスポートナンバーは何番ですか。 どのような症状ですか。氏名、年齢、宿泊ホテルはと矢継ぎ早に聞き取り、即座に記入するのは英語でっせ。

 さすがインターナショナルの私立病院の受付は凄いなあ。 日本語を聞いて英語ですらすら書いてくれるのは、大学出たてのような、まだ若いタイ人女性だ。 そのうえ、笑顔で親切なのだから、もう云うことはない。これなら病気はすぐに完治するはずだ。

 迷子になりそうな院内を案内されて、内科の第六診察室の前まできた。  この診察室は日本人を最優先で診察してくれる。 もちろんタイ人も含めて、色々な国の患者が40人ほども、待って座っているのだが、これら日本人以外の人は正規の順番を待たねばならない。

 もし私が中国語の受付を通って診察を依頼したら、中国人を最優先にしている診察室に案内されたであろう。 

 待合室の椅子に座るやいなや、看護婦さんのもとで働く若い女性が来て、日本語で△△さん身長と体重を計ります。次は血圧です。 と次々にカルテに書き込んでいる。
 この病院は喉が痛くなって咳き込む症状でも、身長と体重を計ることが不可欠らしい。こんな測定結果など必要ないと思うがなあ。 

 1,2分待っていると、診察室のドアを半分開けて、あまり綺麗ではないおばさん看護婦が顔だけ出して、△△さん診察室入ってくださーい。と大声で呼んでくれた。
 大勢の順番待ちのかたに 「すみませんねえ、私は日本人ですねん」 と心で詫びながら診察室へ入っていった。

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旅行保険に加入していても

 律儀に海外旅行保険に加入して、奈良県のM氏と深夜便でバンコクへ着いた。その足でチェンマイまでやって来て、飛行機を乗り換えて、山あいの秘境メーホーソンの町へ行く予定であった。

 メーホーソンは山深いビルマのすぐ近くにあって、周囲に連なる山々に囲まれた小さな盆地の町である。その山にはミャンマーから逃れてきた人たちや、たくさんの少数民族が生活を営んでいる。

 憧れと希望に老いた胸をふくらませ、メーホーソンのチケットを手にして、搭乗券と引きかえるためにチェンマイ空港のカウンターへ歩み寄った。
ドル箱路線なので、大変な混雑を予想していたのだが? 閑散としているではないか。

 ここにいたタイ航空のお嬢さん係員にチケットを示すと、一言 「飛ばない」 エッ 今なんて云ったの。 私たちは今日の航空券を持っているのに何でや。 と詰め寄るが、お嬢さんはにべもなく「飛ばない」。 こんなのありか。

 更に彼女は云う、メーホーソンまでどうしても行きたかったら、無料バスを用意しています。どうしますか。  バスなら何時間かかるの。 5時間くらいでしょうか。
そんなことはない。 前回来たときに調べたら、8時間30分曲がりくねった山道を行かねばならない。と説明されたから飛行機にしたのだ。

 ここはタイである。彼女にいくら抗議をしても、騒いでも飛行機が飛ぶことはない。 M氏には申し訳ないが、こういうアクシデントは、この後どうしようか、と善後策を考えることが、また楽しいのである。

  では明日のフライトはありますか。(明日も飛びません)   ならもうメーホーソンには行かない。欠航の証明をしてください。(欠航証明はします) これでHISに返金手続きをすればよい。
 
 次に、今夕のホテルのキャンセル連絡だ。ここはタイ語の堪能なM氏にお願いして伝えることが出来た。 私一人なら悪戦苦闘なんだが、M氏のおかげで連絡はうまくいった。事後処理を終えて、急な変更ではあるが、バスで遠方のメーサイへ向かったのである。

 数ヶ月後HISから欠航した航空運賃の返金を受けたのだが、同時に失敗も犯していたことに気づいた。それは海外旅行保険の申請である。保険というヤツは説明の文字が極端に小さい。腹立たしいので計ってみたら文字の大きさは1,2ミリでしかなく、故意に読みにくくなっているようだ。

 改めて読んでみると、乗換地において、代替となる他の航空機が利用可能となるまでの間に被保険者が負担したホテル代、食事代国際電話代などの費用、目的地における旅行サービスの取り消しなど3万円を上限にお支払いします。と書かれていたのだ。

 急なアクシデントに遭遇して頭が混乱しているときに、こんな小さな文字でびっしり書かれた文章が、読み取れて理解が出来るはずがない。予約を入れていたメーホーソンのバイヨークシャーレホテルのキャンセル料や、チェンマイに残ってホテルに宿泊したとしても、夕食を食べても補償が受けられたのだ。

 いずれにしても気づくのが遅すぎた。たとえ読みにくかったにしても、明記されていた補償の申請をしなかった私に非がある。何年経っても勉強は続くものだ。

 生命保険でも火災保険でも、今回の海外旅行保険でも説明の文章が、小さくて読みづらい理由がよくわかった。これからは何かあったときには腰を据えて、文章を解読して悔いを残さないようにするぞ。

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海外旅行保険

 これまで保険と名のつく物は、あまり興味がなかったし好きではなかった。現職の頃は××生命のおばちゃんなどが職場にやってきて、タイスキさんこの度、お得な保険が出ました。などとささやかれ、世間知らずの私は彼女の口車に乗って(自分で乗ったのだ)新たな契約を結んできた。

 そして長年掛けてきた保険も、60歳の退職と共に保証は半額に減額され、いつしか更新されないまま消滅してしまった。考えてみれば××生命に長い年月かなりの額奉仕してきたことになる。

 生命保険なんか自分が保険金を手にすることなど絶対にあり得ないのに、なぜ加入していたのだろう。だいたい保険などは、「もしも」の場合に支払われるもので、「もしも」がなければ、それはそれで有り難いと思わねばならないのだが、それでも好きにはなれない。

 そんな保険の中で、海外旅行保険だけは几帳面に加入してきた。これは一人で海外へ旅をしていく自信がないからである。自信が持てない時ほど、「もしも」が多く現れるからだ。「もしも」病気をしたら、「もしも」怪我をしたら、、「もしも」盗難にあったら、等々 これを処理する言葉もお金も持ち合わせていないのだ。

 海外旅行保険に加入していれば、。「もしも」病気や怪我をしても大都市であれば、通訳が病院に常駐し治療も入院もキャッシュレスである。これなら病状の説明も現金の持ち合わせも全く必要がないので、気楽に診察を受けることが出来る。

 またカメラを落として使えなくなっても、飛行機が飛ばなくなっても、お店の調度品を壊しても、保険会社の日本語デスクに電話をすれば、24時間日本語で対応し損害額は全部保険でカバーしてくれるので、旅行中気持ちが楽になる。

 ところが、一昨年から71歳以になると健常者の標準プランには加入できない。あれほど悪評高い健康保険の後期高齢者でも75歳以上なのに、なぜか旅行保険は71歳からと差を付けられるのが腹立たしいかぎりだ。

よく見ると健常標準プランの障害死亡の上限が5千万円、71歳以上も上限が5千万円 だが健常者標準プランの疾病死亡の上限が3千万円、71歳以上は上限が1千万円と激減する。     

   つまりあなたはもう病死をする確率が高くなったので、補償額を低くしましたよ。と云われているのだ。分かっているけど……… 気持ちは滅入っていく。

 これ以外に81歳以上の方、脳疾患のかた、心臓疾患、癌の方は赤信号で、さらに別のプランになるので厳しい。

 我が命の値段が下落するにしたがって、乗った飛行機が大きく揺れるたびに、これで墜落すれば保険は1000万か、しかし生命保険よりかなり良いか。などとだんだん卑屈になっていく。

     

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ピーの話しに尾ひれは続く

 バンコクに帰って、夕方からスリウォンにある、古式マッサージに行った。この店はモンテインホテルの客が多いせいか、日本語が少しは出来るおばちゃんマッサージ師が多い。
 私はうっかりおばちゃんに、ウボンでの出来事を話してしまった。 すると、おばちゃんは即座にそれは 「ピー」 ( 霊 )だと断定した。  何たることか、おばちゃんの話を聞きつけて、新たに4人のオバサンが嬉しそうな顔で話しに加わった。タイではよく「ピー」が現れるといいながら、興味津々で目が輝いている。

 死んだ若い女が天国へあがれずホテルの8階の高さでさまよっていて、あなたの部屋に現れたのだ。今 「霊」 は 、あなたに取り憑いて助けを求めているのだ、と真剣に主張する。 オイオイそんなことはあるはずがない。 と云うのだが、私の意見などにはまったく聞く耳を持たない。 

 明日はお寺でどうしてもお祓いを受け霊を慰めねば、と勇み立っている。それにしても、タイの女性は ピー 「霊」 の話が本当に好きらしい。                      私は寺になんか行かないと云うのだが、どこのお寺にしようという相談ばかりである。

 ついに屈服した私は、翌日おばちゃん2人と連れだってラーマ四世通りのお寺へお祓いに行った。
寺の近くでバケツいっぱいのお供え(食べ物ばかり)を買って、本堂にはいると、さまざまな悩みや願い事を聞いてくれる僧侶が座っていた。 その前に正座をして事情を説明するのだが、私がそんな説明をタイ語をはなせるわけはない。

 すると私に代わって、彼女達が見てきたように、滔々と僧侶に訴えている。 どうも話は何倍にも誇張されて、話しているようだ。彼女たちは勝手に興奮していく。  当事者である私は、全く蚊帳の外で唖然として見ているだけであった。

 僧侶が私に直接聞いたのは、女の顔は? 手のひらは上を向いていたかそれとも下か?  何かあなたに云ったか?  そのあと、僧侶は厳かに断定した。 「ピー」 だ。
ついに私も日頃の行いが良いので、若い女性に憑いていただいたのか。

 だが祓わなくてはいけない。 ピーには持参した供物を与えて、心を残さず天国に旅立たせるために、お経をあげなさい。 と僧侶について読経をするよう求められた。

 お経など日本語でもあげられないのに、タイ語でなんか出来るはずがない。 そこで僧侶に続いて少しずつ区切りながら読経をすることになった。

 読経が終わるとお祓いの水をかけられて、めでたくピーは私の身体から離れて、天国へ旅立っていったのである。

 この投稿は、信憑性に疑義を持たれる方が多い。日本の人からは有りもしない疑惑を持たれたり、笑われたりと五月蠅いことであったが、タイの留学生達はそれが霊であると口を揃え、霊の存在を真剣に肯定していた。

 例年以上に暑い日本でも、ご先祖をお祀りするお盆やってきました。故郷に帰って心穏やかに過ごしたいものです。 つたないブログの投稿もしばらく休みます。

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今まで長く生きてきましたが これは

 別棟の1階にあるイサーンディスコの、音楽や若者の歌い騒ぐ声が、8階の私の部屋にまで聞こえてくる。 テレビのNHKの受信状況が悪いのか見づらいので寝ることにした。
ドアのチェーンはした。不要な照明はけした。ベランダの施錠もした。 よし寝る!

 午前2時過ぎ、ノックの音で目が覚めた。こんな深夜に誰だ。 若いのが酔ってイタズラをしているに相違ない。  もう一度ベッドに入ってウトウトしているとまたノックの音がする。 イタズラにしても、こんな時間に悪質だ。 丑満時ではないか。

 そうか従業員かも知れないと、ドアの小さなミラーを覗いたが、人影は見られない。 チェーンをはずしてみたが、長い廊下に誰もいないし物音もしない。
不審に思いつつベッドに戻ってしばらく、またもノックだ。 もう完全に目も覚め頭もさえた。

 耳を澄ますと、どうもノックは廊下ではなく、ベランダのほうから聞こえるような気がする。  
そんなことあるはずがない? ここは8階のベランダだぞ。

 気味は悪いが、窓に近寄ってカーテンを開いてみた。 いた!  20歳くらいの女性がノックを続けながら、ガラス戸を開けて欲しいと云っている。
一瞬迷いを覚えたが、女性なら大丈夫か。 私は思いきって施錠をはずし、ガラス戸を開けた。

 白い靴、白いワンピース姿の女性が、小さな声で コト−コトー (すみません すみません)と言いながらベッド脇を通って、廊下に向かったので私は思わずドアのチェーンをはずすと、蚊の泣くような声で、ありがとう。と言って静かに去っていった。

 やれやれ、こんな一幕があったが、その後 朝5時までぐっすりと眠る事が出来た。目覚めると昨夜の女性が気になり始めた。私は就寝前にベランダを開けてうるさい外を外を眺めてから寝たんだぞ。 それから施錠をしてベッドに入ったのだと鮮明に思い出した。

  朝食を済ませて、まずいコーヒーを飲みながら新聞に手を出すが、文字が読めるはずもなく部屋に向かった。
エレベータのなかで、思い出した。昨夜の女性は何だったのだろう。

 改めてベランダを開けて眺めてみたが、8階の下はコンクリートのプール,落ちれば即死だ。

隣の部屋のベランダまでは1,5メートルほども離れている。
 隣の部屋から脱出するためなら、命の危険を冒すことなく自室の鍵を自分で開けばいい。

 私がうるさい音楽はどこだろう、とベランダから眺めたあと、施錠をしたのが22時頃だったから、あの白い服装の女性は、いつから、どうして、ベランダにいたのだろう。

 私が目的で、部屋の入ったのなら、なぜ午前2時までも寒いベランダで待っていたのか。何とも気味の悪い謎は、私の乏しい頭の配線をどう繋ぎ合わせてみても判明しない。

 バンコクに帰って、夕方からスリウォンにある、古式マッサージに行った。
この店はモンテインホテルの客が多いせいか、日本語が少しは出来るおばちゃんマッサージ師が多い。

 私はうっかりおばちゃんに、ウボンでの出来事を話してしまった。 すると、おばちゃんは即座にそれは 「ピー」 ( 霊? )だと断定した。  何たることか、おばちゃんの話を聞きつけて、新たに4人のオバサンが嬉しそうな顔で加わった。
タイではよく「ピー」が現れるといいながら、興味津々で目が輝いている。

 死んだ若い女が天国へあがれずホテルの8階の高さで彷徨っていて、あなたの部屋に現れたのだ。 今 「霊」 は 、あなたに取り憑いて助けを求めているのだ、と真剣に主張する。 オイオイそんなことはあるはずがない。 と云うのだが、私の意見などにはまったく聞く耳を持たない。

 明日はお寺でどうしてもお祓いを受けねば、と勇み立っている。 私はいいから勝手に行って。それにしても、タイの女性は 「ピー」 (霊)の話が本当に好きらしい。

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紹介されたネバダグランドホテル

 ライトーンホテルのフロントから、電話で照会があり依頼を受けていたためか、ネバダグランドホテルでは、とても好意的な応対をしてくれた。
ボーイに案内されて部屋に入って驚いた。とにかく部屋は広いし、重厚な家具は高級感を誇っている。

 更に驚いたのはバスルーム。 広すぎてトイレなどは隅っこにポツンと置き忘れているようだ。トイレと浴槽までの間には、卓球台を置いてもよさそうなほどの広さなのだ。 しかし良いことばかりではないぞ。水道の水にやや濁りが見られること、ホテル周辺に気軽な夕食を摂るところがないこと。である。

 そこで、近くのバス停から市内バスに乗り、市内の見学をかねて夕食に出かけることにした。このバスは京都のバスのように、後部から乗って前から降りる方式なのだが、運転席の横に回転する鉄棒が設置されていて、料金箱に料金を入れて、棒を押さねば降車できない仕組みなのでとまどった。

 このバスは道路を一直線に南下し、ムーン川にかかる橋を通過して国鉄のウボンラチャタニー駅に向かう路線だったので、橋の手前の停留所で下車をした。

 橋の袂には大きな市場があって、予想外の食材が売られていて、いつも楽しませてくれるのだが、この市場は夜間になるとかなり広い屋台街に変身するのだ。 

 夜になると煌々と電球が輝き、沢山の人々が三々五々に集まってきた。私も近くのコンビニで買ったビールを片手に、がたがたのテーブルにつき、あちこちの屋台から料理を運ばせて、存分に夕食を楽しんだ。

 タイのビールは、ビアシン、ビアチャンなど、かなりの種類があるが、いずれも日本のビールよりアルコール度が高い。 これはタイでは、ビールを入れたコップに氷を入れて飲む習慣がある為である。

 コンビニで冷やしたビールをコップに入れて飲み始めると、近くの屋台の人がわざわざ氷を入れてくれるので、ギンギンに冷えたビールを飲むことが出来る。 氷を使用するのでアルコール度は、それを見越して親切に高めにしてあるのだ。

 帰途はバスの回数も少なくなってきたので、トゥクトゥクの乗ることにした。 2月10日、今日の京都は立春を過ぎたとはいえまだ寒いことだろう。  涼しい風に吹かれて、気持ちよくホテルに帰った。

 夕食からホテルに帰って、広いバスルームでシャワーを浴びて汗を流した。 しかしトイレなどは大きな部屋の隅にポツンとあるので、落ち着かないことおびただしい。  大きければいいという物ではない。

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不思議なことがあるものだ

 娘に借りた群ようこさんの、東方見聞録という本を読んでいて、また思い出してしまった。  著書の一部を無断で引用させていただく事を、お許し願いたい。

 プーケットに行ってタイがことのほか気に入った著者が、新たに女性4人でサムイ島へ行く予定を立て、その前にバンコクで2泊したときの紀行エッセイの一部である。

 明日のために、その夜は早く寝た。ベッドに入るとすぐ寝られたのだが、明け方ふと目が覚めた。時計を見たら朝の4時50分。まだ早いから寝ようとしたとたん、部屋の隅でチリーンと綺麗な鈴の音がした。 

 はっとして気配をうかがっていると、また、チリーンと音がした。私はベッドの中で、絶対に寝ぼけてないよな、起きてるよなとつぶやいた。音のする方を見るのが怖いので、じっと身を固くしていると、今度はドアの前からチリーンという音が二度した。だんだん近づいてくる。

 しばらくすると、ドアの向こう側からチリーンと音がした。ドアは開いてないのに、音だけが移動していった。そして最後にばたん!と私達の部屋のドアが閉まる大きな音がした。 あまり大きな音だったので、私は誰かが入って来るんじゃあないかと、気が気ではなかった。しかしその後は何も起こらなかった。

 朝食をとりながらみんなに、明け方起きてグラスで水を飲んだりした? 鈴の音がしてたんだよ。と音の話をしたのだが、誰も気味悪がって知らないと云った。

 私は子供の頃から、妖怪とか霊のような話は怖わかったけれど、その存在は全く信じていない。ところが群ようこさんのこのような実体験などがエッセイとして出版されると、本当にあるのかなあ、と半信半疑になってしまう。

 実は私も7年ほど前に不可解な体験をしているので、お盆ということではないが再掲してみる。

 イサーンの旅の最後の夜なので、ウボンラチャタニー随一の高級ホテルであるライトーンホテルをめざした。これまでは、市場やムーン川に近い私にとって手頃なホテルばかりに泊まっていたが、いよいよウボン随一の高級ホテルかあ。

 身の程もわきまえず訪れたライトーンでは、私の姿が見えるとすぐ、ボーイの敬礼に迎えられて、フロントへ誘われた。つたないタイ語で部屋はありますか。と尋ねると、気の毒そうな顔で今日は満室です。 これだ。
 
 高級ホテルにしようなどと、生意気な考えを起こすからこうなるのだ。 そこで困ったときの隠し球を出してみた。

 日本のタイ語教室でタイ人に書いて貰ったメモ 「良いホテルがあったら紹介してください」。 を出すと、フロントの女性は即座に市内地図をだして印を付た。そして印の横にホテル名を書いて手渡してくれた。

 紹介されたホテルは NEVADA GRAND HOTEL と書いてあったので、念のためタイ語でも書いてもらった。(トゥクトゥクの運転手に見せるため)  しかし、この心配も杞憂の終わった。

 気の毒に思ったフロントの女性は、従業員を呼んでネバダグランドまで送るように指示をしてくれた。 ここで私は大きな送迎用バスの無賃客となった。 さすがは高級ホテルである。

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綺麗に整備されたピマーイ遺跡

 イサーン高原にに残る、タイのアンコールワットと称されるピマーイ遺跡は、クメール帝国時代の様式を保つ寺院遺跡で、期待通りの荘厳で美しい立派はな遺跡であった。誰がいつ、こんな寺院を建立したのだろう。

Photo_4  すでに廃墟となった遺跡寺院も、国が遺跡公園として整備管理を怠らず、芝も樹木も崩れかけた寺院も非常に美しい。

 いつまで経っても昔の気分が抜けず、社会見学に来ている中学生に声をかけたり、先生の許しを得て写真に納めたりして楽しませてもらった。

 雨が上がって遺跡内の緑が鮮やかに輝くようだ。

 12世紀頃にピマーイの遺跡は1キロ四方もある大きな規模であった痕跡が残っているが、いつの間にか人々が特に多く集まる所だけをを遺跡と称したらしい。

Photo  しかしへそ曲がりのおじさんは、遺跡は往時の面影を色濃く残していないと気に入らない。

 これだけ綺麗だと、遺跡もあるただの公園のように見えてしまう。

 改めてガイドブックを開いてみると、なるほど「ピマーイ遺跡公園」と書いてあった。

すみません遺跡のある公園だったのですね。

 バスばかりの旅であるが、ゆったりした日程を組んでいるので疲れはない。南国の田舎の風景はとにかく興味深く面白い。ところどころに沼があって、日本ならば花見にくるような睡蓮の花の群生が見られる。

 その中に水牛が3頭もいて、踏みつぶしながら花ごと食い荒らしている。丸々と太った水牛がなんと美味そうに見えることか。

 道路沿いに中学校があって集会をしていた。ボーイスカウトのような制服を着用した生徒達が、暑いグランドで整列し先生の話を、一見熱心そうな顔で聞き入っている。

 タイの先生は、日本の先生に比べ社会的地位が高く尊敬され、みんなその指導に対しては全幅の信頼をおいている。つまり先生は偉いのである。

 日本で時々見聞きする 親が先生の指導にたいして、抗議をするようなことは夢にも考えられない。日本の中学校なんかは学校にもよるが、集会で話を聞く生徒を教師がそれとなく取り囲み、逃げられないように気を遣わねばならない。 タイの先生はうらやましい。

 コラートまで1時間30分、料金は90円くらいだった。 この都市はイサーンにしては非常に大きな都市で、正式名はナコンラチャシマーと言うのだが、イサーン高原の玄関口なので、コラート(高原の意味) との通称名が普段は使われている。

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クメール遺跡ピマーイ

 コンケーンを過ぎると、見渡す限り砂糖きび畑が広がっていた。昨年鮫島由美子さんのリサイタルで聞いた沖縄の歌、「砂糖きび畑」のメロディーがふと浮かんでくる。今回は時間的に可能だから、ピマーイ遺跡に寄ってみよう。

よし、そうしよう。 そして気がついた。 おらん。 コラートが来たら教えて欲しいと依頼していたた、賢い方の車掌がいつの間にか姿が見えん。胸を張ってOKと云ったのは嘘か。眠気も覚めて、頼りなさそうなもう1人の車掌の所に行って、ピマーイに行くことにしたので、コラートに着いたら教えてくれと改めて依頼した。

 この依頼で車掌も運転手も混乱した。どうしてコラートまで行くのだ。ピマーイはコラートの40㎞手前なのにどうしてそんな遠くまでいくのだ。 いやいやそれは尤もなご意見なれど、私にも事情がありますんや。

 バスは広い国道を南へ疾走している。ピマーイは国道から東に10キロ余り離れているから、こんな人家もないところで下車してしまうと、ピマーイ行きのバスかソンテウ乗り換えねばならない。

 停留所のない国道で、ピマーイと表示して走ってくるバスが私に止められるわけがない。まともに書かれていても読めない表示が、ミミズが柔軟体操しているようなタイ文字だから恥ずかしながら絶望的なんだ。だからコラート始発でピマーイ行きのバスに乗ろうとしているのだ。

 そうこうしているうちに、バスはピマーイに向かう三叉路まで来て停車した。左の道がピマーイへ行く道だからここで降りろという運転手。分かっているが尻込みしているおじさん。救世主というのは、言葉だけやなく存在するものだ。 

 やりとりを最前列で聞いていたインテル風な女性が、私に分かるようにゆっくりと話しかけてくれた。左の道を指して「 カンサーイ、ピマーイ、サーティーミニッツ 」 、今度は国道の向かい側を指して「 ソンテウ、ピマーイ、ハーバーツ 」、これなら私にだって分かる。

 皆さま大変お騒がせをしました。乗務員を始めインテリのおばさん大変お世話になりました。と言葉では表せませんが、とても感謝しています。 この三叉路で下車できたおかげで時間が2時間30分ほどは節約できた。

 バンコクへ向かうバスを見送って、国道を左に渡ると2台のソンテウが止まっていた。ピマーイまで行きたいというと隣のソンテウに乗れという。

 先客の娘さん2人に私を加えて待つ間もなく出発した。ソンテウは新たな客を次々に拾いながら、30分でピマーイの町に到着した。街中のカーブを曲がると遺跡の入り口が見えたので、屋根の鉄パイプを棒で叩くと停車してくれた。料金はおばさんが言っていたように5B(15円)だった。ノンカーイを出発して8時間後のことであった。

   今日はまたタイ人に世話になった。タイ語なんて流暢に出来なくっても、困っている人をほっていくようなタイ人ではない。一人で歩いていても、必ず何とかしてくれる。愚直なまでに仏をあがめる仏教徒、善根を施し得を積もうとするタイ人はクールだ。        

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ノーンカイからバスでバンコクをめざす

 ノーンカイからバンコクに帰るには、ウドーンタニまでバスで行って、その後は飛行機に乗る方法と、ノーンカイから汽車に乗ってバンコクを目指す方法がある。ノーンカイへはいつも飛行機を使っているので、汽車にしようかとも思ったが、東北本線の急行列車を使っても11時間以上かかるので敬遠した。

 それでは最後の手段とばかりに、バンコクまでバスで縦断南下することにした。乗車して10時間でバンコクまで帰れるが、急ぐ旅でもないのでイサーンの玄関口と呼ばれるコラートで一泊することにした。それであれば途中でピマーイ遺跡にも寄ることが出来る。

 さて、朝から雨の降るなかをバスターミナルまで歩くのがチト辛い。国道を走るトゥクトゥクに乗ろうと思うのだが、朝は利用する人が多いのか空車が来ない。その時、露地から出てきたトゥクトゥクが止まってくれた。人の良さそうなおばちゃんが市場に行く途中で、どこまで行くのと声をかけてくれたので、サタニーコンソンと答えると。 ボーコーソーか乗っていけ。

 ご好意に甘えてターミナルに着いた。さっそく切符売り場でバンコク行きのバスを尋ねると、停車しているエアコンバスを指して、あのバスだ、七時に発車だよ。

 乗車はしたがバンコクまで行くバスなので、乗ってしまえば走るだけ、日本のように「次は○○、お忘れ物のないように」などのお節介はしない。途中下車するコラートに着いてもこれでは分からない。なにぶんにもターミナルの表示が読めないのでお手上げだ。そこで乗り組んでいる少しは賢そうな車掌に、コラートに着いたら教えて欲しいと依頼した。

 彼は大きく頷いて承知した。これで安心して眠れるぞと気持ちが楽になる。寒いエアコンバスは、通学や通勤客を乗降させながら南へ走り続ける。タイのエアコンバスは冷房が売り物なので、どんなに冷えても冷房のスイッチは切らない。腹立たしいが寒さを辛抱しないといけないのだ。

 常夏のタイであっても、薄い防寒具は必携である。 私は耐えられず車掌を呼んで毛布を依頼したら、装備してあるのを持ってきた。あるならあるで早く云ってくれ。

 イサーン特有のサテライトと呼ばれる赤い大地がいつまでも続く。走る車窓に水田の2毛作の稲穂が揺れ、麻の畑が続く。痩せ地を思わせるユーカリの林が延々と広がり原野へと変化していく。

 民家の軒下には、どこの家でも屋根に届きそうな大きな水瓶が2~3個は置かれている。屋根に降った濁りのない透明な水は貴重品、雨水であっても大切な生活のための水である。

 微睡みと流れゆく車窓の風景を眺めて4時間、昨日のコンケーンバスターミナルに到着した。この休憩時間に麺を食べるため近くの屋台へ寄って、細緬を食べて、幾らですかと尋ねるとおばちゃんは、イーシップバーツと答えたので、10Bを置いてバスへ向かった。

 こんな勘違いをするとは。おばちゃんの言ったイーシップを10バーツと勘違いしてしまったのだ。マージャンではありませんぜ、マージャンならイーは1ですが、タイではイーシップは20のことだったことをうっかり忘れていた。 屋台まで引き返して平身低頭したことは言うまでもない。 ボーとしていると基本的な言葉も間違えてしまう。

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夕暮れのディナークルーズは素晴らしい

 夕暮れのメコン河、西の空の太陽が間もなく沈みそうな風景に誘われて、赤い灯火をたくさんさげて出航した。 

 岸の近くでは子ども達が群れ泳ぎ、男は魚を釣り、女性は水浴びしている。まことにのどかである。涼しい川風に吹かれてビールがうまい。船は静かなタイ音楽を流しながら、メコン河の中央線を越えてラオス側を下っている。

 すぐそこでラオスの子ども達が貝を掘っていて、声をかけると手を振り返してくれる。1時間も経ったであろうか、船が反転して上流に向かったとき、太陽があたりを赤く染めながらラオスの彼方へ沈んでいった。何と美しいのだろう。

 地元の人がノーンカイの夕日は世界の3大夕日だと胸を張るが、その気持ちはよく分かる。マニラ湾でもマラッカ海峡でもその素晴らしさに圧倒され、利尻富士の夕焼けには涙するという。それぞれの場所で美しい自然を愛でることは人間の特権であろう。

 メコン河をはさんで左側のタイと、右側の東南アジア最貧国であるラオスの家々の明かりが同じように輝いている。その両国をつなぐ友好橋のイルミネーションも、はるか上流に美しく見える。

 それにしても気持ちの良い最高の夕食となった。またノーンカイを訪れることがあれば、再度ルアンペーハイソークのディナークルーズを楽しみたいものだ。なおこのクルーズは約2時間で、乗船料、食事、飲み物共で日本円で1000円を超すことはないだろう。

ノーンカイは落ち着いた村で心が安らぐ、アメリカのある雑誌の、引退後に住みたい場所の人気投票で7位にランクされたこともあったらしい。欧米人向けのレストランも増えつつあるらしく、私の好みから遠ざかりつつあるようだ。

 しかしノーンカイに人気が集まるのは、ライスの首都ビエンチャンに簡単に行くことがあげられるかも知れない。直行バスがありわずかな手続きで、22㎞離れたビエンチャンに行けてしまうのも魅力か。

 

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小心者が悩むディナークルーズ

 夕暮れが近くなったので、夕食をかねて散歩に出た。ホテルから10分ほど歩くと ワットハイソーク(寺) が有って、青年僧が境内の大きな木から落ちた木に実を集めていた。

 こんにちは、この実は何ですか? と声をかけると、長々しい名前を云ってくれたがさっぱり理解できない。  聞かなきゃよかった。と思ったが後の祭りだ。

 彼が何を思ったか、 「ユージャパン トーキョー ナリター オサカー」 ようするに空港所在地を並べてみせた。 立場を変えると、私もタイ人に対して、彼らが理解できないようなタイ語?で話して、自己満足しているのだろう。 会話が成立しないのは当りまえだ。

 彼にタイ料理の店は何処にありますか。と聞くと、彼は笑いながら境内の端まで連れていってくれた。
そこにはメコン河に降りる粗末な木製の階段があった。こんな階段があるとは地元の人でなければ探し当てるのは難しい。 

 壊れかけた木製の階段の下には、粗末なレストランと、その横には大きな遊覧船が繋留されていて、食事をしながらメコン河をクルーズするようになっている。

 困ったなあ。 タイ人が食事をする時は大勢で賑やかに騒ぎながら食べるのが当たり前の習慣、ましてディナークルーズともなれば一人でなんて考えられない。 

 そのような場で私は一人で食事をする事が出来るだろうか。友達もいない 淋しくてかわいそうな人だからこそ、挑戦する値打ちがあるはずだ。

 ひとりで田舎を歩き、食事をとるときは、屋台か小さな食堂が最適なのだが……といつまでも思ってないで乗船しよう。と船を見上げてみると、デッキのテーブルには、家族連れや白人の小さなグループ、タイ人の恋人同士、年が不相応で国の異なるアベックなどが出航を待っている。

 えーいやるか。 気合いをかけて、レストランのおばさんに、話しかけるが要領を得ない。ここで私は おもむろに 「一人でも食事が楽しめますか」 と書いたメモをおばさんに示した。 
 このメモは、京都教育大学に留学していたユンさんが、一人旅で困ったときに使えるかも知れませんね。とタイ語で書いてくれたメモなのだ。

 おばさんは笑いながら、船上に案内してくれた。  次の難関は食事の注文だ。
隣で食事を始めている恋人同士が、食べているソーセージの盛り合わせが美味しそうに見える。

 注文は ビール、トムヤムクン、焼きめし、と あれ(指さしたのは)隣の席で恋人達が食べていたソーセージの盛り合わせ、 隣席の二人は笑って見ていた。

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大河メコンがそこにある

 昨夜に引き続き、飛び込みのホテル探しも 「タイ・ラオスリバーサイドホテル」に決めた。しかし、このホテルはかなり古く清潔感に欠ける。部屋に入り窓のカーテン開いて これは!   目の前に現れたのはチベット高原を源流とし、東シナ海へ注ぐ 大河メコンの激流だ。

 滔々と流れる 雄大なパノラマが、ホテルのすぐそこに見えるではないか。 目を奪われるような景観に魅了され、しばらくは眺めつくしていた。齢を重ねるごとに感激することが少なくなって、感性劣化を気にしていたのだが、まだまだ感激する心が残っていた。

 立派なホテルではなかったが、自然の景観がそれを補って余りある事に満足して、小さな最北の町を眺めようと外出した。しかしいくら小さな町とはいえ歩くにはしんどい。これはもうトゥクトゥクしかない。

 ノーンカーイのトゥクトゥクは可愛いのだ。エンジンも弱く痛々しく見える物ばかりだ。そんな中の1台が寄ってきたのでイミグレーションに寄って、ワットケークに行き、その後リバーサイドホテルまでだ。幾ら(タオライ)で行くと聞くと、運転手はいつもの通りワンハンドレットバーツ(300円)と答えた。

 距離はまずまずだが、時間はかなりかかるので、この値段なら儲け物と乗ることにした。今ならタイ・ラオス友好橋が上流にできて、イミグレもそちらへ移ってしまったが、当時は町の中心近くにあって、付近には土産物、ライスの雑貨、民芸品、食堂などがかなりの数立ち並んでいたものだ。

Photo

 私が最初にこの町を訪れたとき、ここの食堂でコーヒーを飲んでいたら、広いメコン河の下流域一帯の雲が黒くなり、川面を広く叩きながら驟雨が迫ってきた光景が、非常に印象的であった。

 それ以降ノーンカーイの町は私の好きな町の一つに加えられた。

 そんな昔を思い起こしながら軽食をとった後、待たせていたトゥクトゥクで、ワットケークへむかった。

 この寺は緑豊かな敷地にインドの神話さながらに、さまざまな奇怪な仏像が並ぶ不思議な寺である。

 トゥクトゥクに乗っていって見ると、町からかなり離れた山の中にあって、一般の交通機関はない。

 トゥクトゥクの言い値を値切らずホテルまでのチャーターにしたのが正解であった。

 写真のような奇怪で理解が出来ないような像が、数十体林立しているが、ここを何回も訪れたいとは思わない。

 

 

 

 
 

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ノーンカイへのバス

 今日は東北タイの北の果てに向かって、早暁のバスでノーンカイを目指すことにした。ノーンカイは、ラオスの首都ビエンチャンとメコン河はさんで向き合う位置にある町である。
午前5時、まだ暗いバスターミナルから、ノーンカイへ向かうバスに乗った。
 
 650㎞も南東にあるリゾート地、ラヨーンを夕方出発して12時間かけてコンケーンまでたどり着いたバスである。そしてここから更に北上してノーンカイを目ざすのだ。

 リゾート地から北へ向かうバスなので、車内はほとんどが白人客でいぎたなく爆睡中であった。私も車掌から毛布を受け取ると、時を置かず夢の中にはいった。 騒がしい物音で目覚めると、ウドーンターニーのターミナルに到着したところだった。

 ここでは白人客が30人ほど下車して、入れ替わって色浅黒いラオス系の人々が乗車してきた。早朝の車窓から流れゆく風景を見ていると、バスが突然停車して、警官による検問が始まった。

 今日の検問は偉そうに乗客に向かって長々と演説をしている。 が 私には中身はさっぱり理解出来ない。そのあと全員のIDをチェックし3人の乗客が 「不審のカドあり」 で
検問事務所へ連行された。

 私のところでは、赤いパスポートの表紙を見るなり、イプン(日本)と一言、チェックもしないで敬礼して終わりであった。 僻地では日本の国の信用は、まだ残っているようだ。

 午前8時過ぎに、終点のノーンカイのバスターミナルに到着した。群がるトゥクトゥクの運転手を避けながら、すぐ横にあるポーチャイ市場へむかう。
 熱気溢れるポーチャイ市場は野外市場であるが、たくさんの食材が所狭しと並び面白い。隅から隅まで物珍しく眺めていると、急に空腹であることを思い出した。

 餅米の焼きおにぎりを中心に草餅、トウモロコシ、ガイヤーンなどを買って、隣接するワットポーチャイ(寺)へ、朝のお参りへ行った。

 家内安全を祈り、賽銭もしっかりあげたが、異国の仏が日本の我が家のご利益にまで手をさしのべてくれるかどうか心もとない。

 境内の片隅を拝借して、朝食を食べ始めると、お腹の大きな猫が身体をすり寄せて
一緒に食事がしたいと云ってきた。
 私は鶏があまり好きでなはないので、これ幸いと焼き鳥の一部をお裾分けしてやった。

 これを見ていた鶏が、産まれたばかりの雛を8羽もつれてやってきた。まさに共食いである。これだけ集まると、ひとり旅の朝食も賑やかである。
 
 

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恐怖を覚えながらの 東北タイ

 峻険な山道をあえぎながら登ったバスは、急カーブを曲がって突然停車した。運転手が車掌に何か指示をだし、それを受けて車掌は乗客全員を車外に誘導した。前方を見ると上の方からばらばらとこぶし大の石がおちてくるのが見受けられる。落石が止むまで走行を控えるそうだ。 当たり前やないか。

 私の横にいたおばさんも、後ろにいたおじいさんも涼風に目を細め、休憩の時間を楽しむかのようにくつろいでいる。何事も楽しさに替えるタイ人の特技である。時々前方を眺めていた運転手が乗れ!
 
 走り始めて15分も経ったか、再び停車して客に向かって降りろ! ゾロゾロと指示にしたがう哀れな乗客の群れ。 今度は落石ではなく、道路の崩壊である。道路の左側が半分ほど崩れ落ちて、その上に丸太と板が乗せてある。

 車掌が先導して乗客数名ずつが怖々歩いて渡って行くのだ。全部渡った後、運転手だけ乗ったバスが徐行しながら進んでくる。ここでバスが落ちれば、運転手は重傷、我々乗客は野宿である。
 
  この山越えもバスは無事に通過することが出来たが、なんとも危険な道路であった。
日本なら当然、長期の通行禁止であろう。 人命があまり重視されていないタイのひとこまを垣間みた。

  それにしても、北タイから東北タイへバスで移動することがこんな危難なら、間違っても友人などを誘うことは出来ない。これが雨季であれば当然長期間の運休になるだろう。   

 やっと山岳地帯から下界へ降りてきたのは、午後6時30分頃であたりは夕闇が支配し始めていた。その後もバスはけなげにも走り続けて、コンケーンのバスターミナルにたどり着いたのが、夜の帳も完全に降りた午後8時になっていた。 
所要時間8時間にわたる、バスでの山越えは、老人にはチトきつすぎる一日であった。

 さて、これからが暗い夜道のホテル探しである。コンケーンは比較的ホテルの多い町なので、明日の行動を考えて、エアコンバスのターミナルにほど近い 「ケーンインホテル」 に飛び込みで、一夜の宿を得た。

 コンケーンのホテルにチェックインして、遅い夕食をとるためにまだ人の動きが見られるバスターミナル近くの食堂へ入った。私の座る場所はあるだろうかと見回していると、小学校3年くらいの女の子がさっと近づき、手早くテーブルと椅子を用意してくれた。

 焼きめしとおかず二品、ビールを注文したら、女の子はすぐに氷を入れたコップと、よく冷えたビールを運んできて、手際よくコップについでくれる。 なんと!

 今夜の食事はことのほかうまい。いつもよりビールもはかどる。それにしても良く動く女の子だ。客への食事のお運び、後かたづけ、お金の受け渡しまで一人でこなしている。

 聞いてみるとやはり小学校3年生であった。思わず隣の席の中国系の男性と顔を見合わせた。 彼も同じ思いであったに違いない。

 奥からおばあさんが箒を持って出てくると、その箒をにっこり笑顔で受け取り黙々と床を掃き出した。 おばあさんの仕事をとるな。食事中にホコリをたてるな。など云う気はさらさらおこらず、感心するばかりであった。

 食事が終わり、お勘定はいくらというと、少女は即座に 215バーツと頭の中で計算していたであろう金額を答えた。 えらい!                   

 わずかのチップを渡すと小さな手を合わせて、ありがとうとかわいい。表で調理を担当している母親と共に手を合わせて、見送ってくれた少女、爽やかな気持ちをプレゼントしてくれてありがとう。

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