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2010年10月

マッサージ師の資格は

 疲れた身体を揉みほぐすのだから、誰しもマッサージを受けるのが嫌いな人はいない。
日本人は特にマッサージが大好きな国民のようで、日本人がよく利用するホテルの周辺には、マッサージ屋が必ずあって、次第にその数が増えてくる。

 現地駐在員のおじさんも、その家族も さらには旅行者もマッサージを受けることを、こよなく楽しんでいるようだ。

 お金になるからと、見よう見まねで仕事に就いている人、しかるべき専門校で資格を取って働いている人などもあって、施術の上手な人と下手な人と玉石混淆ではあるが、まあそこはタイ人、何とか出来ればいいか。 と今日も働いている。

 日本の人にも、このマッサージを習得してやろうと挑戦する人が最近増えている。私の友人も3人ほどは、認定証を授与されて日本で働いている。
 マッサージ店のみならず、病院や介護施設での需要が多いそうだ。 私の元同僚の男性も退職後は、京都で専門の資格を取って山科の介護施設で、専属マッサージ師として忙しく働らいている。

 バンコクで正式に技術を習得しようとすれば、涅槃寺にあるワットポーマッサージスクールで学ぶのがいいのだが、この学校は講義がすべて英語なんだなあ。

 それは無理だと云う方は、ワットポーマッサージスクール・スクムミット校という学校がいい。この学校には日本人を対象とした、日本語の講義もあるのだ。 需要がかなりあるそうだ。

 基本コースの講義を30時間を受けて、上級コース30時間へと進む、講義にも技術にもテストに合格しないと先へ進めないので、卒業するのに最低でも10日間~20日間ほどかかるようだ。 さてその授業料は、上級コースまで行って、8万円~10万円と安くない。
  
 しかしここまで進めば晴れて「認定証」の授与となり、タイ古式マッサージの仕事にタイでも日本でも従事することが出来る。

 さらにフットマッサージやオイルマッサージを極めたい人は、それぞれ30時間ずつの講義を受けて7万円ほどの費用が必要になる。

 もっと安い学校も各地にあるのだが、一番権威があって日本でも通用するのは、ワットポーマッサージスクールである。

 マッサージで稼ごうというタイ人には、こんな授業料が払えるわけもないので、名もない学校や見よう見まね組が出てくるのだ。資格なんぞ無くても経験を積んで、素敵なマッサージをしている人はいくらでもいる。

 しかし、このような理屈はタイで通用しても、日本では働くことが出来ない。資格が無くてもうまけりゃあいいと思うのだが。

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隆盛を誇る タイ古式マッサージ

 職員旅行で温泉地に行き、いっぱい飲んだ後で、マッサージでも呼ぶか。と同僚と30分ほど揉んで貰ってそのまま寝てしまったり、何とか健康ランドなどのお風呂の後で、マッサージを受けて、その痛さに耐えきれず、途中で逃げ出したり、マッサージについては色々な思い出がある。

 昔はマッサージが足腰や肩こりの治療として、存在していたように思うが、最近では街なかで料金を書いた看板をよく見かけるようになった。 その看板を読むと60分5000円などと書かれている。昨日も心斎橋で10分800円などと書かれていたので、5000円くらいが相場なのであろう。

 このブログのマッサージは日本ではなくタイでの話だ。ワットポー(涅槃寺)を発祥とするタイ古式マッサージは、タイ人はもちろん日本人にも絶大な人気を博していて、その店は各地に雨後の竹の子のごとく増え続けている。 バンコクだけでも店の数は200店は確実に超すであろう。

 このタイでマッサージをしてくれる女性のほとんどは、北タイや東北タイからの出稼ぎの人たちで、田舎に子どもを残して、おじいちゃん、おばあちゃんが面倒を見ている事が多い。

 確実に日銭が稼げるマッサージは彼女たちにとって、過酷ではあるが無くてはならぬ収入源だ。最近特に感じるのだが、日本の女性客が老若を問わず爆発的に増えてきた。昼下がりに店にはいると、女性の日本語が飛び交い、嫌でも会話の内容が聞こえてくる。  

 ここはどこの国なのだろう、などと思いながら、気の弱い私などは、日本人客に遠慮して、ただただ無言でマッサージを受けることが多い。

 マッサージを受ける部屋は小部屋の場合もあるし、広い部屋で客との間をカーテンで仕切ってある場合も多いが、照明を落として冷房が効いているベッドで受ける2時間のマッサージはたまらない。

 マッサージの料金(普通は300バーツ)は、ほとんどの店では終わった後、一階の受付にて自分で支払うのが通例である。

 日本でマッサージを受けると、2時間で 10,000円位はするが、バンコクでは2時間で 900円が普通だ。もちろんツアーで行く場合や自称有名店は、かなりの料金らしいが、高けりゃあいいと云う物ではなく、自分の身体に合わなければ何にもならない。 これが地方の町に行くと2時間で600円となるからありがたい。
  
 マッサージを終えるとチップをどうしよう。 などと迷う人もあるようだが、私は100バーツ(300円)位を、施術してくれた女性に渡している。

 また、マッサージの料金が明示されている場合はよいが、書かれていない場合は、2時間でいくらかを確認しおくことが大事であろう。マッサージを終えた後法外な料金を請求されないためにも気をつけた方がよい。
 
 バンコクはもとより、どんな田舎の町に行っても、こんにちは、痛いですか、気持ちはいいですか、などの日本語は話せる。いかに日本人が色々なところでマッサージを愛用しているかがよく分かる。
 

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公共交通機関が発達した

  私がタイに行き始めた頃のバンコクは、交通渋滞が世界的に有名で恐ろしい都市であった。日帰りでサメット島へ行き、エカマイ(バンコク東バスターミナル)からホテルまで帰ろうと思うのだが、世界の五指にはいる渋滞には。思い知らされたものである。

 まだ電車がないときなので、タクシーかバス以外には交通手段はなく、乗ったバスが10メートルほど進むのに1時間はかかった。では歩けと言われるかも知れないが、ホテルまでは概算12㎞もあり、ホテルで帰りを待つ仲間のことを考えると地獄であった。

 それが10年前に高架電車(BTS)ができ、6年前に地下鉄まで出来て、バンコク都は電車によって縦断、横断路線が完成した。昔の地獄を思うとまさに隔世の感がする。

 最初BTSが出来て運行し始めた頃は、料金がバスより高いと言う理由でガラガラの状況だったが、その後スムースな移動が評価されて今では空席を探すのが難しいほどの繁盛ぶりである。

 このBTSは朝6時に始発電車が走り始め、24時まで走り続ける。そして運行間隔は5分ごとで、朝夕のラッシュ時は3分間隔となる。こうしてBTSも地下鉄も大入り満員で結構なことである。

 BTSがシーロム通りを走ってチャオプラヤ河まで来ると、大河チャオプラヤには水上交通のエクスプレスボートが待ち受けて、王宮、エメラルド寺院、ワットポー、あるいは暁の寺へと高速で客を運んでいる。

 高架電車の駅はサパンタークシンとう駅名で、ボートの船着場の名はサトーンである。同じ所にあるのに駅名が異なるのは、チャオプラヤ河に架かっている橋がタークシン橋、その隣で同じ方向に走っている道路がサトーン通り、というだけで気まぐれから命名されたようなものである。

 このような経過を辿って、有名な渋滞も若干は緩和され、首都らしくなってきた。

 電車からボートに乗り換えて上流(右方向)へ行くと、観光客は希望する観光地の桟橋で次々に下船して、乗客は少なくなっていく。サトーンから1時間も経った頃、それまでの都会の風景は一変して、河は田舎の様相に模様替えをする。

 それから暫くすると、少し町らしい建物が見え始めボートの終着、ノンタブリー桟橋で下船となる。このノンタブリー桟橋はバンコクではなく、北隣のノンタブリー県の船着き場である。

 ここから更に北上するならば、有名なアユタヤへ行くことができるが、一般のボートはすべてノンタブリーが終点で、乗船料は距離制なので最高でも80円くらいでここまで来られる。ボートの振動が心地よく、よく眠れること請け合いである。

 ノンタブリーの桟橋から3分も歩けばかなり大きな市場があり、食料品など品揃えが多く、かなりの見所がある。

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タイ 今はまだ雨期

 タイの季節は乾期、暑期、雨期の三つに大別される。 そして10月の今は雨期から乾期へ移る時期なのだ。 日本の梅雨の終わりがそうであるように、タイでも雨季の終わりには大量の雨がよく降る。

 タイの雨期は一般的に午後2時頃、空が漆黒の雲に覆われ、そのあと強烈な雨が降ってきて、夕方には矛を納めるのが普通である。 降っている間は道路は川のように水が流れるので、道を歩くのは時間に追われる観光客ばかりとなる。

 今朝(10月27日)の朝日、産経、読売の各紙に、「タイで洪水被害拡大、死者56人に」との記事が一斉に掲載された。 記事によると被災地域34県、被災者98万所帯で、チャオプラヤ河沿いのノンタブリー県やパトゥムタニ県でも被害が拡大しつつある。と書かれている。

 そして首都バンコクでは、中心部を流れるチャオプラヤ河の、水位が上昇し満潮時には氾濫の恐れがあるので、厳戒態勢が敷かれているそうだ。弟二人が今タイに滞在中だが行動に支障が出ていないかどうか気がかりである。

 日本では洪水の状況をメディアの報道は、激流、土砂崩れ、家屋の流失などと大きな被害が伝えられるが、タイではそうはならない。

 日本ならば山岳地帯に大量に降った雨は、日本海と太平洋の両側に急流となって流れ下るが、タイの場合は全部の雨がタイ湾を目指す。緩やかな広い平野を下流に向かうので、激流にはならず静かに流れつつ、広い地域が水浸しになるのだ。

 水浸しになるのをタイでは洪水と云うが、数年前の9月に東北タイのサコンナコン空港から、タイ航空の飛行機でバンコクへ帰る事になった。一日に1便しか飛ばない飛行機は午後4時頃のフライト予定であったが、昼頃から強烈なスコールに見舞われた。

 幸いスコールは2時過ぎにあがり、飛行機は飛んで来るだろうかと外の様子を見ると、何と大きな湖が出現しているではないか。滑走路など跡形もなく、深さの知れぬ洪水であった。こんな状況では欠航は当然だ。

 ところが4時前に飛行機の爆音が、遠くで聞こえ始め、機影が近づいてきた。こんな所に着陸するのか? 機長が勇敢なのか無謀なのか、ものすごい水しぶきを上げながら無事に着陸したのである。 空港の消防車も待機していたが、見る者みんな拍手で出迎えた。

 喜びもつかの間で、次は私達を乗せてバンコクへ向かうという。そんなあ、まだ滑走路は水浸しなのに、危険じゃあないですか、命を粗末にするタイの飛行機であった。さすがに雨期の洪水など毎年のことと、驚かないタイ人関係者であった。

 これも数年前の10月、中部タイのピサヌロークから、バスで、スコータイヘ向かった。この時も洪水に見舞われた道路をバスは走った。大きな湖の中に2列の樹が整然と並び、その樹の間をバスは何事もなく水をかき分け、平然と走ってスコータイに安着したのだ。

 樹列は道路の目印になっていたのだが、これも洪水に毎年見舞われる、タイ人の生活の知恵であると感心したものである。

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土産物を買うのは難しい

  一人で家を飛び出し、五日ぶりで我が家に電話をかけた。特に大きな問題もなく、みんな変わりがないそうで有り難い。 その電話のなかで、珍しく買い物の依頼を受けた。
いつも一人で飛び出して、気まま気楽に旅をしているので、こんな時こそと奮い立った。 

 電話でのリクエストだったので、若干不明瞭ではあったが、ノム石鹸が欲しいそうだ。最近は飲む石鹸が出来たのだろうか? と朝からバンコクを探し歩いた。

  600万人の人が生活しているバンコクのどこを探せばいいのだろう。考えてみればタイ語も満足に話せないのだから、絶望的な課題に取り組んでいるようで気が萎えてくる。

 探しあぐねて疲れ果て、スクムミットのホテルに帰り着いて気がついた。 ホテルの敷地内で日本人が経営している雑貨店があって、立ち寄ってみると書いてありました。「お肌が綺麗になる石鹸あります。」  これだな! 店に入って日本人のおばさんに、飲む石鹸はありますかと聞いてみたら、おばさんは暫くして、更に暫くして大声で笑い出した。

 なんとも感じの悪いおばはんだ。ムッとしていると、彼女はごめんごめん、この石鹸でしょうか。一緒に出してくれたパンフレットには、「日本のテレビで放映された、美容と健康にとてもよく効く、南国タイのフルーツをふんだんに使った石鹸が大人気、その名はノニ石鹸」とあった。

 ま、たった一字違いだ。旅の恥は何とかで笑ってごまかそう。 それにしても、今日は朝から何をしていたのだろう。灯台もと暗しなどと言うが、バンコクを探し回って見つからなかったお土産の石鹸が、宿泊しているホテルの敷地内にあったなんて、これはないで。
  
 お土産が買えたので満ち足りた気持ちを味わい安堵した。次に私と一緒に旅する人は、何の苦労もなく手に入れることが出来る。 旅は何でも最初にやってみることがいい経験になるのだ。

  お土産にお渡しした、知り合いの方から、また買ってきてとリクエストをいただいた。ということは、多少ともお肌が綺麗になったのでしょうか。

 何とか病院が監修して作っているノニ石鹸やそのほかの石鹸、化粧品をお求めの場合は、BTSスラサック駅前のビル 「タイCCタワー」 (泰華商興会館)一階に行けば品数が豊富で、お土産に困ったときには重宝する。

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故郷の思いで

 日本三景の一つとして有名な天橋立は京都府にある。これは日本海と阿蘇海とよばれる内海がせめぎ合って、長い砂州を作った地形である。

 天橋立からディーゼル列車で西へ1時間ほど行ったところに 、同じような地形が見られる所がある。ここが私の故郷である。

 ここも日本海と久美浜湾に挟まれて出来た地形で、この砂州は天橋立よりやや小さいので湊小天橋と呼ばれ、夏はリゾート地として、秋から冬にかけてはカニと牡蠣を食べに来る客で賑わっている。

 この集落の中央付近の内海側に我が家はあって、昔は家の庭が海と接していた。手漕ぎの和船が引き上げられる庭端には、小さな竹がこんもり茂り海から帰る目印の役目を果たしてくれていた。

 竹藪には棕櫚の木と銀杏の木が主人面して生えていて、絶好の風避けであった。ところが生命力の強い竹が、よその敷地にまで根を張るようになって管理が難しくなり、可哀想だがブルドーザーを入れて根こそぎ竹退治をした。

 そして残ったのが、樹齢100年にはなる1本の銀杏の大木であった。何十年も実を付けたこともなかったので、雄の木に違いないと思っていたのだが、3年前に突然実をつけた。それ以降は樹勢が次第に弱まり葉もつけなくなって、ついに2年前、風の強い日に横倒しになって寿命を終えた。 そして父親も銀杏と同じように翌年100年の寿命を終えた。

 私が勤務していた嵯峨や嵐山で一斉に、竹の花が咲いたことがあった。花を咲かせた竹は翌年すべて枯れてしまった。この場合は花が咲かなかった竹が、根を大きく張って数年で竹の林は旧に復した。

 銀杏と竹だけではなく、他の植物でも最後は花や実をつけるのだろうか。と不思議に思ったが、我が家の銀杏の枯死には他に原因があったようだ。

 それは海面の上昇である。畑を50㎝も掘れば水が出てくる、海は10メートルも離れていないので、畑の下に染みこみ進入する水は塩分が非常に濃い。大根の下の部分が塩害を受けて、無くなっていたりもする。このような海面上昇が近年少しずつ進行しているように思われる。

 タヒチではないが、海面がこれ以上に上昇しないように願っている。中華街で銀杏を見た帰りに、こんな事をふと思い出したので、旅とは無縁ながら書いてみた。

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目を奪われる食材の山

 チャイナタウンの続きには泥棒市場があって面白そうだが、これは後日に譲って、せっかくだからと買い物をすることにした。
 大振りな干し海老は、さすが海老の産地のタイだけあって、いい買い物だった。

 中国料理の食材専門の通りでは、円形で厚みのある海苔を買いたい。中国料理の食材なので、当然中国産である。この海苔はハサミで八等分に切って、その一片を丁寧に薄くなるようほぐし、さっと火であぶる。

 味付け海苔と同じように醤油をつけて、ご飯にかぶせて食べると絶妙な味であり、朝の食欲をかき立てくれる。 日本の味付け海苔は、食べやすく形が整えてあり、美味しい味もついている。だから味付け海苔と明記されているのだ。

 が、そうではなく海からあげた海苔を細かく切り刻んで、丸い枠の中に豪快にどばっと流し込み、乾燥させただけの海苔には、海の、磯の、香りと味が色濃く残っていて、自然をそのまま食べているような、得も言われぬ味わいがある。この海苔は自分へのお土産としてお買いあげの予定だったが、横目で見ただけで素通り。

 なぜなら最近中華街へ行っても、この海苔は買うまいと心に決めていたのだった。 昔食べて味わいと香りに感激したものだが、中国の沿岸部の汚染を考えると美味しくても、さすがに手が出ない。

 買って帰りたいものが目についた。銀杏を茹でて皮をとった中味だけが、山積みになっている。茶碗蒸しの底に沈んでいる銀杏のほろ苦さは、何ともいえぬ美味しさだ。

 銀杏の木は、植物には珍しく雌雄異種なので、雌の木しか実を付けない。更に雌の木があっても近くに雄の木がなければ、あのほろ苦い美味しい実はできない。

 街路樹として植えられた銀杏に実が付けば、滑りやすく匂いもきついので、雄の木しか植えてない。 しかし植木屋もたまには手違いか、故意なのか雌の木を植えてしまい、銀杏の住民サービスをしてしまうこともあるようだ。

 さて、本題から外れてしまったが、買い物も整いチャオプラヤ河に向かった。 チャイナタウンのはずれには 「ラチャウォン」 というエクスプレスボートの船着き場がある。この桟橋は名高いスリの名所なので注意が必要だそうだ。

 これも余談だが私はバンコクでは、いつもお尻のポケットに財布を入れて、大きく膨らませて歩いている。これは私のスリ対策で、この財布の中身は小額紙幣が数枚入っているだけだが、しっかりと囮の役目は果たしてくれている。

 ラチャウォン桟橋から船で、上流(右)へ二つ目がラーチニー桟橋である。ここで下船して、少し歩けばパーククローン市場だ。

 この市場は野菜も少々あるが、「切り花」を中心に商っていて、バンコクの切り花を一手に扱っている。美しい切り花が信じられぬほどの安さで、こんなに大量に一日で消化しているバンコクは驚くばかりであった。 
 

 

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何でもあるチャイナタウン

  満員の屋台でおかゆを食べるという、得難い経験をして大通りへ出ると、さすがに金行がたくさん見られる。 銀行なら馴染みがあるのだが、金行は金製品ばかりを扱っていて私には縁のないものの、客はかなり入っている。

 タイ人は小金が貯まったら金を買うと云うが、物は試しだ、買う気もお金も無いのだが、後学のために入ってみた。店員は微笑みながら、これがいい、あれもいい。と薦めてくれるが、店全体が金製品なのだから、そりゃいいでしょうよ。

 秀吉の茶室にいるようでまったく落ち着かない。 お粥を食べている方が分相応ですな。

 今度は銀行だ。その名は何と「京都銀行」と書いてある。京都銀行もなかなかやるもんだ。 ついにバンコクのチャイナタウンに支店を設けたか。
と思ったが、ここはチャイナタウン、中国語の生活圏だ。どんな名前でも漢字なら付けられる。

 営業はしていたが、実態は中国の資本で営業していたようである。 我が京都の京都銀行の力を過信しすぎであった。

 左へ折れると雑貨を中心とした商品が、山をなしているような街へ出てしまった。
そして、この通り全体に甘い中国語の歌声が流れていた。魅力的な女性の声に耳を傾けていて、待てよこの歌どこかで聞いたことがあるぞ。

 忘れっぽくなった頭を駆使して、やっと思い出した。 これは森進一が昔歌っていた「港町ブルース」だ!
ここ中華街で聞く中国女性歌手の「港町ブルース」は、大変エキゾチックで、申し訳ないが森進一よりはるかに素晴らしかった。声もいいしかすれても居ない。

 この雑貨通りでシャープの電卓を60円で買った。この電卓ホテルで確認してみたら「6」の数字だけ機能していなかった。 6の動かない計算機をどう使えばいいのだろう。 敵もさるものである。

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今日も元気だ お粥がうまい

  今日は朝食を抜いて、チャイナタウンまで足を伸ばしてみようという試みである。 地下鉄の一番電車で終点ファランポーンまで行き、そこから西へ向かって徒歩10分で中華街に到着した。

 中華街には迷路のような狭い路地が幾筋もあって、歩いても実に面白く、時間の経つのを忘れほどである。この街で商う食材は、どこで仕入れてくるのか、何でも揃っていて歩いても歩いても見飽きることはない。中華料理の食材を中心に、なまこ、むき海老、鱶ひれ、燕の巣、豚の皮と数えられない珍品が、これでもかとばかりに並べてある。

 私などは稲作文明の末裔であるからなのか、あの辛い終戦後の飢餓のせいなのか、今でも 「米」 を食べないと暮らしていけない。

 その稲は中国から東南アジアへ広がり、ついには日本にも渡ってきた。本家である中国では 「お粥」 が現在でも非常に好まれる食物である。  私もお粥が大好きなので、本家本元である中華街の朝の粥を食べてみるのが今朝の目的である。

 ここでは  ソイと呼ばれる街角に、おかゆ屋、豚まん屋、麺屋、カオマンガイ屋(煮て味付けした鶏をスライスして、だしと共にご飯にかけたたもの)、豆乳屋などの屋台が、路上で競って客を呼んでいる。

 こんなところに、朝食を抜いて来てはたまらない。お腹の虫が何か催促を始めている。 それでは食べてみるか。おかゆの屋台に歩み寄ってみたが、中国人の常連に椅子と机が占領されていて、簡単には座れそうもない。

 おかゆ屋は3人がかりで威勢がいい。手際がいい。声もいい。顔はそうでもない。見たこともない大釜2つで二種類の粥を提供しながら、新たな釜の用意もしている。
 米を炊きつぶした白い粥(ジョークと呼ばれる)と、鶏肉、豚肉、肉団子などが入る粥(カオトムと呼ばれる)の2種類である。

 ぼーっと眺めていると、こっちへ来いと声がかかった。 なんと黄色い袈裟のお坊さんが呼んどる。坊さんが私に向かって言う、今終わるからこの後へ座れ。 やはり敬われるだけあって優しいんだ。

 注文はさきほどから見ていたので簡単だ、と思ったがなかなか難しそう。今日は白粥のほうにしよう。声がかかると同時に、白粥の大釜を指さす。次に山積みになっている玉子を指さすと、即刻ドンと壊れかかった机の上に、つゆを零しながら置かれる。生卵が2個入っていたが、注文から机まで5分もかからない。

 粗末な机の上には、刻まれたパクチーと呼ばれる香草、酢、唐辛子の粉、その他に名も知らぬ粉末や調味料が無造作に並べられていた。 これを使って自分の粥の味を調えるのだ。汗を流しながらの熱いおかゆであったが、やはり本場だ美味かった
。 

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急ぎの旅はしないで 本でも読もう

 私がタイへ行き始めた頃、バンコクには大丸、そごう、東急、伊勢丹などの百貨店があった。
今では大丸とそごうが撤退して、東急も衣料品のスーパーと化し、伊勢丹だけが隆盛を誇っているようだ。その伊勢丹の6階に紀伊国屋書店があって、あらゆる日本語の書籍や雑誌が手にはいる。

 私がタイへ行くときは、機内で気楽に読む事が出来る文庫本を一冊持参して、読み切ってしまうと、地方では日本語の本は、まず購うことが出来ないので、バンコクで古書を求めている。
 高架電車(BTS) のプロンポン駅の西側改札口をでて、高架上の通路を50メートルほど行けば、小さな日本語の本屋がある。

 このあたりは日本村と呼ばれるほど、日本人の駐在員やその家族が集中して住んでいる。多数の日本人が読み終わった本を売りに来て、新たに古書となった日本の本を安価に買い求めるのだ。

 ここでは、読み終わった文庫本なら 60円、90円、120円くらいで求めることが出来、本の種類も多くて皆さんが重宝している。 
 古書ならば非常に安いので、タイに関する書籍を買って、重いという難点はあるが、私も日本へ持ち帰ることがよくある。

 安価と云うだけでなく、タイに在住する日本人も観光で来ている人も、読む本はタイに関わる本が圧倒的に多いので、面白いタイに関する本が集まるこうゆう店は有り難い。

 さて、新書となるとスクムミット通りのソイ33の奥にある東京堂書店と、伊勢丹の紀伊国屋書店が日本の書籍、雑誌、ガイドブックなど、かなりの種類の本をそろえている。

 タイに関する新書を買うなら、タイで印刷発行された本だけを買うのがよい。書棚には日本で発行された本も多数並んでいるが、さすが海を渡ってきた本は、日本で買うよりはるかに高い。

 私は紀伊国屋で毎年 「歩くバンコク」 と 「バンコクバス路線図」 の2冊だけは必ず買うようにしている。
この本さえあれば、高架電車と地下鉄の沿線なら日本語でホテル、料理店、デパートなどは記載されているし、立派な地図として使える。

 バンコクバス路線図の方では、都バス254系統の全てが網羅されているので、この本を使えばバスでの移動は自由自在である。
時間の出来た昼下がり、バス路線図を片手にのんびり、都内の散策をされたらいかがだろう。日頃は目にしない、新しい発見がたくさん見つかるはずである。

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日本にはない 外国人価格

 ある時スクムミット通りから8番(現在は508番)のバスに乗って、サムップラカーンの終点まで行った。 ここからソンテウに乗り換えて少し行けばファームチョラケー(鰐園)がある。

 私は大人料金900円を払って入場券を購入したのだが、後ろに続いたタイ人のおじさんは180円の入場券で入園し、私に券を見せてニヤリと笑った。 ン やはりそうか。

 この鰐園には鰐が4万匹もいて、右も左も気味の悪い鰐がひしめいている。この鰐は最初は高級鞄やベルトの材料にするため飼っていたそうだが、後に公園にしてしまったらしい。雨季で洪水になる度に、下流に流されていく鰐も少なからずいるそうだから、物騒な話ではないか。

 またターチャン桟橋から運河ボートに乗るとき、船頭に料金はいくらかと聞いたら180円だった。その時もタイ人から受け取る料金は60円だった。次ぎに乗ったときタイ人と同じように60円を出すと、黙って受け取った。

 このような外国人価格なるものがタイにはあって。気をつけてみるといくらでも存在しそうで、枚挙にいとまがない。ほとんどの拝観料や入場料には大きな差がつけられている。日本では信じられぬ話である。

 私もうすうすは、気づいているのだが、ミミズが柔軟体操をしているような、難解なタイ文字が読めないので、実感できないだけである。
外国人への表記はアラビヤ数字で、タイ人に対してはタイ語の文字で書かれているから分からない。

 たとえば、日本の有名寺院の入場料が、10$ と表記されていて、その横に難解な日本語でさりげなく、日本人は弐百圓と書いてあったとすれば、外国人にこんな日本語が読めるわけはない。

 敬虔な仏教国であるタイは、豊かな者がお金を持っていない人より、多く支払うのは当然だ。建物の管理や整備などは、タイ人の税金でまかなわれているので、その分外国人は多く支払うあたりまえ。

 などと分かったような分からないような事を、理由にする人もいるようだが、この説明には無理がある。 まあ観光税と考えなければ腹が立つことである。

 付け加えるならばホテルの宿泊料金だ。全部とは云わないが、タイ人が宿泊する場合は驚くほど安い料金である。
 私の友人などは、親戚だと称してタイ人に申し込んでもらいタイ人価格で宿泊している。

 私はタイにしか行かないので、その他の国に外国人料金なるものが存在するかどうか分からないが、あったとしても文句の言える筋合いではないだろう。

 これは外国人価格ではないが、ホテルに一番高く泊まっている客はツアー客かもしれない。旅行会社からお叱りを受けるだろうが、タイでは一部屋に1人泊まっても3人泊まっても料金は同じである。

 2人が同じ部屋に泊まれば、宿泊料は当然部屋代の半額ずつが当たり前である。それなのに日本のツアーでは、一人部屋を希望すれば、なぜか別料金が請求される。まあこれは旅行会社の美味しいところだから、あまり詮索しない方がいいのだろうが。

 

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もう少し思ったこと

 土産物を売っている小道まで帰ってきたとき、女性の大声が聞こえてきた。一人の女性が、あたりの店の人々に罵声を浴びせ、物を投げつけ喧嘩をしていた。
タイの女性は優しく親切で、ほほえみを欠かさない。「微笑みの国タイ」ではなかったのか。

 時には大喧嘩もし、嫉妬深く男性より怖い存在であることをかいま見てしまった。
こんな女性達を相手に、日本の多くの健男児が奮闘努力のかいもなく、嫉妬におののきながら、逃げ回っているのはよく聞く話である。

 気分を変えようと海がよく見えるお店に入って、コーヒーを頼んだ。出てきてたコーヒーの甘いこと甘いこと、こんなコーヒーは初めてだ、よく見るとカップの底には解けきれない砂糖がどっさりと沈んでいた。サトウキビが特産の国はさすがである。

 なお、コーヒーという発音は、タイでは実に卑猥な言葉なので気をつけて カフェと云はねばならない。 バンコクのような日本人が多いところでは、ああ日本人がまたあんな事を言っている。とひんしゅくを買うだけで済むが、田舎などでは……

 これを知ってはいるが、習慣とは恐ろしいもので、ついコーヒーお願い、等とやってしまい嫌な顔をされることがよくある。

 帰りのソンテウを待つ間、私は軒下で雨宿りをしていた。 突然横から手をだしたのは、赤ちゃんを抱いたカンボジアの女性である。 反射的に私は横に首を振っていた。

 雨にぬれて赤ちゃんを抱いた女性へのタンブン(喜捨)を、無意識に拒否していたのである。心ならずも無視をしてしまった行為は、長く自分への嫌悪として残ってしまった。

 旅もツアーではない一人旅には、今回の旅のように苦しみを味わうことが幾度もある。
だが、いつまでも記憶に残っている旅は、やはり楽しい旅なのだ。

 

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国境の村で思ったこと

 2時間ほど国境の街を歩くうちに、たったゲート1本で、国の豊かさが何でこんなに違うのだろうか。人々の表情もタイ人のほうが生き生きしているし、話すタイ語も優雅に聞こえる。特に女性の会話なんか、内容は分からないが、楽しくなるような美しさがある。
 
 おなじインドシナ半島なのに、長く続いた内戦の影響で、国力が疲弊しているのか、それとも社会主義国家が貧困を呼ぶのか。 

 村には30軒ほどが集落を形成していて、おみやげ物の店と漁業を生業にしている人たちが混在している。

Photo  土産物屋の前の小道を海岸の方へ進むと、突堤の途中から船が出入りしていた。
 港から延びる防波堤の突端まで行ってやろうと、歩き始めて気がつけば近くの小屋から自動小銃の銃口が私に向けられていた。 

 引き返す途中に小屋の前に行ってみると、3人の国境警備兵がいたので、私は日本人、ここはどこですか。 と知っていても聞いてみる。 

 ここはタイだ。  堤防の向こうを指してカメー(クメール)と教えてくれた。
 
よほどの事がない限り彼らが発砲をしないことは分かっているが、気持ちのいいものではない。

 日本の近くには北○○のように、短絡的に発砲射殺する国もあるので、タイボケをしていてはならぬと改めて自省した。


 

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カンボジアとの国境だ

 食事もとらず空腹のままソンテウの客となった。 国境へ行く客は6人と少ないが、
野菜、日用雑貨品、文房具、衣料など荷物が多いので、足の踏み場もない状態であった。

 小雨になってきているが、右手に見える海は相当な波が打ち寄せている。6時30分にハートレークに到着した。

 この村には道路の途中にゲートがあって、それを越えるとカンボジアである。  
カンボジア人(クメール人)たちはゲートが開く午前7時まで、列を作って小雨の中でを待っていた。

 午前7時きっかりにゲートが上がった。 カンボジアから大勢の人々が一斉に駆けてくる。みんな雨に濡れ、足もとは裸足か よくてゴム草履、濡れたタイのバーツ紙幣を握りしめている。
Photo  私はカンボジアへ入国したいと、パスポートを提示して交渉してみたが、どうしてもビザなしでは入国できなかった。

  駄目で元々なんだから、悔しくも何ともない。

 タイに入ったカンボジアの人たちは、道路に並んだタイの露店に駆け寄り、少しでも安い物を、いい物をと物色して、売り手と値段の交渉をしている。

 これが毎日繰り返されているのがここの国境のPhoto_3姿なのだ。

 後の方から遅れて入国してきたカンボジアの少女が、タイの硬貨を握りしめ、お菓子をたった一個だけ買って、服も黒い髪もずぶぬれになりながら、一人でカンボジアへ帰っていった姿は、強烈な印象として今でも私の脳裏に刻み込まれている。

 カンボジアで生きることと、日本で生きることには、大きな違いがあることに気づかされた。

 物が溢れ、飽食を当然と考えている日本の生活は、ある意味で危機的であるかもしれない。

 

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苦難はいつまで続くの

 バスを降りた客は、それぞれ迎えに来ていた車で闇の中に消えていったが、この土砂降りの中でどうして泊まるところを確保すればいいのだろう。

 客を拾い損ねたソンテウが一台ウロウロしていたので、どこでもいい泊まれるところへ
連れて行って欲しい。 と懇願しトラートの町を探しまわるが、どこにも潜り込めるところはなかった。宿無しとは俺のことだ。など笑っている場合ではないのだ。

 この町に無ければ次の村をさがそう。嫌がる運転手をチップの力で、なだめすかして
50㎞ほど先のクロンヤイの村までやってきた。

 それらしき宿を探して三軒目で、オヤジがまだ起きていた。 拾う神かそれとも鬼か。
雨の漏らない空室があったのだ。 今度の旅で始めて安堵の気分を味わった。
 さっそく粗末なホットシャワーをあびて、ふと見ると排水口から大きな蛙が覗いていた。

 オヤジのところへ行って、ハートレークへの行き方を聞いてみると、朝の5時にすぐ近くからソンテウが出ることがわかった。 あと一時間半で出発だからまったく寝ることはできない。

 ベッドも家具もやけに派手な部屋だったが、ここは使途の異なるお二人様専用の宿であった。それでオヤジは深夜でも起きていたのだ。 こんな状況では横になれればどこでもいいのだ。
 
 まもなく部屋の角で、かすかな音がしてトッケートッケーと大きな鳴き声が聞こえだした。
これは見ない方がよい。壁際の机の裏でトッケーが鳴き始めたのだ。

 声はかわいいが、極彩色の20センチもあるトカゲが住み着いているのだ。(このトカゲは、タイの部屋にはよく住んでいるが、特に害はない。でも気持ちは悪い。)  


 
 

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多難極めるカンボジア国境

 国境の町、と聞けば島国で育った私は、たまらなく魅力的に聞こえる。ゲートをくぐれば、そこは異国であった。 などとロマンチックじゃあないですか。

 私がタイへ通い始めた初期の頃である。 南国の雨季の何たるかを知らず、愚かにも旅はタイの最東南部でカンボジアとの国境の村、ハートレークを目指してみた。

 ハートレークの村まで行くバスはなく、トラートの町が終点で、その町までは約6時間で到着するそうだ。 タイのバスは過剰なまでの冷房を誇っているので、今回も防寒対策としてチョッキ、防寒ヤッケ、ホカロンなど万全の準備で、バンコクの東ターミナルを夕刻出発した。

 さっそく女性の車掌がケーキとペプシコーラを配って歩く。長距離バスではサービスに、社運を賭けているかのようだ。

 今回のバスもご多分に漏れず最大のサービスである冷房は、震えを誘うべく快調に稼働している。今日も有り難い意地悪が始まった。私のホカロンも腿に背中に始動開始である。 肌寒い雨季に冷房などまったく不要なのにバカなのか、いやいやこんな状況でもサービスは大切と心得ている国なんだ。

  出発して3時間も経ったろうか、凄い雷鳴とともに激しいスコールがやってきた。雨季の8月だもんなあ。  しばらくたってあちこちで声がする。何とバスの天井から雨漏りが始まったのだ。地獄の責め苦の始まりである。

 不幸にもバスの中なのに、ずぶ濡れの人が出始め、どうにもならない。  これでも
冷房は動いたままで、寒さは極限に近い状態になってきた。私も左半身が水の被害を受けた。 乗客多数の猛烈な抗議を受けて、やっと冷房はきられた。

 それでもバスは走り続けたおかげで、深夜の午前2時に土砂降りのトラートにたどり着いた。ここが終点なのでこの豪雨の中に放り出され、深夜なので身動きすら出来ない状態になった。

 

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トラベラーズホテル

 トラベラーズホテルは、交通至便で100室程度のホテルである。地下鉄が出来て名前を知られるようなったらしい。
 幸い空室があって宿泊をすることにしたのだが、日本人は全く見かけず、白人とタイ人だけがかなり利用していた。

 部屋に入ってみると、これまでのホテルと感じがぜんぜん違う。シンプルではあるが、壁と天井が白いのと照明がしっかりしてるので、部屋は非常に明るい。
明るすぎてホテルの重厚さは感じない。バスルームも明るく清潔で水回りは完璧であった。

 人間贅沢なもので明るく清潔過ぎると落ち着かない。宿泊料は一泊2,800円と経済的には、お得だと思うが、あまりにも清潔すぎて連泊はしたくない。
 タイ人の学生達が団体で宿泊していた。 まあそういうホテルなのだ。

 今回の旅での食事は、田舎のタイ料理ばかりだったので、気分を変えて日本に近い夕食をと、スクムミットのソイ33にある 「らーめん亭」 に入ってみた。らーめん亭と言うだけあってラーメンは非常に種類が多い。

 それだけではなく、野菜炒めから焼きそば、冷麺にどんぶり、餃子や天麩羅、はもちろん卵料理まで、日本語で書かれたメニューは40種類を超えて多彩だった。

 調理はすべてタイ人がやって、サービスしてくれる若い女性も全部タイ人、話す言葉は日本語である。 バンコクにはこの 「らめん亭」 が4店舗ほどあるようだ。

 味はと言えばここは日本か、と思うほどの美味しさ、きっと日本人が指導したチェーン店なのだろう。 なんか褒めまくったようだが、本当に美味しい。
 ただ難点は料理のボリュウムが多すぎる。私など、五目焼きそばとビール一本で夕食は十分であった。

  客は日本人が8割くらいで、後はタイ人とファラン(白人)だった。 この店のお値段は全品 350円から600円くらいまでと、少し高めだったが、料理一品の量が多いので最高でも2品しか食べられないだろう。

 暖簾をくぐれば、若い女性が イラッシャーマセ と迎えてくれ、支払って出るときには、コップンマーカー (ほんとうに有り難うございました) と送り出してくれるだろう。 ぜひ一度は訪れていただきたいものである。

 なお、トラベラーズホテルは、追加料金を少し出せば朝食を用意してくれるが、これはどう贔屓目に見てもまずい。すこし電車に乗れば美味しい朝食にいくらでもありつける。

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パヤオの次はどうしよう

 パヤオへ行く旅は、何しに行ったのと云われかねないような、バスの旅であったが、私にとってはバンコクからタイの北の端までバスで縦断できたことに意義があった。

 航空券の手配が出来て、チェンライからバンコクに着いてみると、ドムアン空港のあまりな変わりようにとまどった。
 この空港が数年前までバンコク国際空港であったのに、新空港が完成して、これほどまでに寂れてしまうとは、なんか空港が可哀想になってしまった。

 バンコク都内へのアクセスは、エアポートバスが廃止され、タクシー以外は適当な物は見あたらない。 あれほど多くの人々が利用した国際線の施設もベニヤ板で閉鎖されて、まるで廃屋となっていた。

 仕方なくタクシーで、という発想は私にはない。 気が小さいのに新しい発見を求めている物好きなおじさんなのだ。
 国内線から外に出ると、右方向に向かって旧国際線の方へ歩き始めた。閉鎖されている旧国際線まできて、車に気をつけながら左に折れて、そのまま進めば国道にぶつかる。
そこにはバスの停留所がある。 ここまでは5分も歩けば十分である。

 左方向に走るバスを待って、29,59,510,513系統のバスか来たら、斜め下に手を出せばバスは停車する。これで出来上がり。
 ただ行き先を告げて切符を買わねばならぬので、「アヌサワリー」 (戦勝記念塔) と言って、30バーツも出せば釣り銭をくれる。

 前述4系統のバスはすべて、パポンヨーティン通り(BTSに沿っている)を通り戦勝記念塔(アヌサワリー) までは行くので、途中で高架電車(BTS)の駅が見えたら適当なところでバスを下車し、電車に乗り換えればよい。

 そうだ、ホテルが決めてなかった。 この機会をのがす手はない、気になっていたホテルを当たってみよう。
 アソークから地下鉄に乗り替え、フアイクワーン駅で下車、5分ほど歩くとサイアムビバリーホテルがあって、弟に云わせると食事がうまいそうだ。

 食い意地が張っていると思われるが、歳が行くほどにそうなるのである。残念ながら空室が無く暑い中を引き返した。

 次はラチャダピセーク駅だ。 ラチャダピセークまでの切符を買おうとするのだが、舌が回らない。これは ラチャダ・ピセークと二段構えで発音しないとうまくいかないのである。
 駅から3分の所に 「トラベラーズ ホテル 」 がある。このホテルも以前から気になっていた。

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必ず迷う パヤオの市場

 パヤオの空が白み始め窓を開けると、昨晩は見ることが出来なかったパヤオ湖がなんと美しいことか。 琵琶湖と見まごう広さで、遙か遠くに対岸の山脈がかすんで見え、幻想的にさえ見える朝の風景であった。

 さっそく湖畔の散歩に出かけると、湖面をわたってくる涼風が気持ちよく、旅の疲れをすべて持ち去ってくれるようだ。

 湖岸では、まだ暗いのにお爺さんとお婆さんが、並んで竿を出している。歳を重ねると寝覚めが早くなるのは、どこの国であっても同じなんだなあ。 それにしても老夫婦の仲むつまじい姿が、一幅の絵になっているようだった。

 素晴らしい朝の風景を愛でた後は、やはり早朝の市場だ。 地図なんて無くても市場なんぞすぐに分かる。
 朝靄をついて時折走ってくるバイクを見ればいい。 こんな時間に走る行き先は、市場に決まっているので、市場までの道順なんかすぐに分かるのだ。

 パヤオの市場は豊富な、しかも珍しい食材が揃っていてとても面白い。ところがこの市場の広がりは特に難解だ。小さな露地が曲がりくねって交差し合い、どこを通っているのか、すぐに分からなくなる。
市場の主人公は写真でよく見る少数民族の娘さんの、なれの果ての人が大多数で大変趣があった。

 そして道に迷った。 私は方向感覚にはいささか自信があるのだが、久しぶりに方向を失った。
買い物帰りの青年にボーコーソー(バスターミナル)はどちらでしょうか。と尋ねると、親切にこの道を行き、その先を左に折れて、更に………  いや方向だけで良いのです。ありがとう。

 あまり美味しくない朝食を済ませチェックアウト、ホテルを出ると昨夜の食堂のおばちゃんが,めざとく見つけて笑顔で手を振って見送ってくれた。

 バスターミナルへ着くと、昨夜あれほどいたエアコンバスは姿を消し、ボロバスが3台ターミナルの横に停車しているだけだった。
バスの車掌にチェンライへ行くのはどれかを尋ねると、窓の閉まった一台に案内してくれた。

 窓が全部閉まっていると云うことはエアコンバスだ、とほくそ笑んで乗車してみると、窓が壊れて開かない昔はバスだったと思われる代物であった。 何たる不運なのだろう。
私は必死の思いで、窓がわずかでも動く座席をやっと探しあてた。やれやれ。 

 東北タイではいつもボロバスに乗っていて、大概のボロでは驚かないが、それにしても見るほどに凄いバスだ。

 臭気が鼻を突き服が汚れないか気がかりなほどだ。周りの乗客は色の浅黒いラオスやビルマ系、山岳民族の人ばかりのように見える。
 むせ返るような暑さの車内は人いきれで匂うこと臭うこと。 朝から気持ちが萎えてしまった。

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パヤオの夕食は

  11時間に及ぶバスの旅を終えてパヤオの町に到着したのだが、すでに雨と夜の闇があたりを支配していた。
ホテルの予約などはしていなかったので、すがるような気持ちでフロントの前に立った。
 恐る恐るフロントの女性に、部屋はありますか。と尋ねると 爽やかな笑顔で 「ミーカー」 と答えてくれた。

 やったあ、部屋があった! フロントの女性の顔が一段と美しく見える。  が、一度に疲れと安堵感を覚えた。

   雨と闇の世界の中を路頭に迷うことなく、ホテルのベッドで休むことが出来る。料金などいくらでもいいぞ。

 しかし、やはり尋ねました。 一部屋一泊いくらですか? 美しい女性は 2,800円です、朝食も付いていますよ。
 朝はパヤオ湖の見晴らしが素晴らしいとのことで、ツーベッドで、バスタブもシャワールームもついて、まったく文句なしのホテルのようだ。

 この 「ゲートウエイホテル」 では、夜はレストランが閉まっているため、夕食を求めて外出した。
 200メートルほどのところの、道路沿いで10数軒の屋台が美味しそうな匂いと煙をまき散らして、空腹の人々を狙っていたが、ビールを置いていなかったのでこれは駄目だ。

 灯台もと暗し、何とホテルから少し離れた所で食堂を見つけた。調理を店先でやっているので中級の食堂だ。(調理を客の目に触れない奥でしている店は上級の店である)

 店先ではオバサンが、フライパンでもうもうと煙と匂いを出しながら調理をしている。手際が非常によく美味しそうなので入ってみた。

 一瞬、外国人だと、とまどったようだが、笑顔でサワデイーカーと平静に戻った。
五目野菜炒め、オムレツ、イカ焼きとビールを所望して、改めて店内を見渡すと、テーブルが六卓あって客も三組ほどの入りで盛り上がっている。

 料理ができあがったところで、カオ(ご飯)はどうすると云ってきたが、最後に麺類が食べたかったのでお断りした。

 ホテルは近いし、料理もなかなかうまい。 お世辞半分に 「なかなか美味しい」 と北タイの言葉で言うと大喜びして、客ともども笑っていた。彼女たちは滅多に見たこともない日本人が「ラムテーテー」などと云ったので、驚くと同時に笑ったのだ。 

 十分堪能して仕上げに麺 (センレックナーム) を注文した。 具には何を入れるか、と叫んでいるので、何でもいい任せると、鷹揚なところを見せると、鶏の蒸したのをスライスして入れようとしている。
待て待て、私はカシワが苦手だ。

  ガイマイアオ (カシワは要らない) と云っているのに、オバサンは強い。
首を横に振りながら、 「これは鶏ではないアヒルだ」。 そして麺が隠れるほどアヒルを乗せてしまった。食わず嫌いと云うのでしょうか、食べてみると意外に柔らかく、味付けもよかったので完食!

 わいわい言いながらの夕食も10時が過ぎて終わった。見上げる空には見たこともない南国の星の群れが瞬いている。
 遙か北タイの田舎で知らない人との、わずかなふれあいではあるが、こんな事が旅の醍醐味を増してくれるのだ。
 

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パヤオは遠かった

  バンコクを発って8時間30分、雨が降り始めてきた。あたりは夕闇が迫ったかのように薄暗くなっている。  久しぶりに畑や人家が見え始めて、山間から平野に降りてきた。何やら人恋しい懐かしい感じすらしてきた。

 そして、ついに初めてのバスターミナルに到着した。 ああやっと着いた。 ここがパヤオだ!  ところが客の一部が降りただけで、バスは停車を続けたままだ。 パヤオと違うのか。

 私はたまらず、前の中国系の爺様に 「ここはどこですか」 と尋ねたところ、厳かに 「プレー」 とのたもうた。  パヤオではなく、まだプレーか。

  プレーは、タイ語の指導をしてくれたユン先生の生まれ故郷である。こんな山深い町だったのだ。 彼女はタイ語教室でも落ちこぼれであった私に、優しく丁寧に旅に必要なタイ語だけを選んで、集中指導をしてくれたものだ。
 
 そのおかげで、今も一人で何とか旅を楽しむ事が出来ている。 まさに恩師である。現在はチェンマイのラチャパット大学の日本語学科主任として活躍中だそうだ。

 物思いに耽っていると、何を思ったのか、爺様が急にどこまで行くのか尋ねてきた。パイパヤオと答えると、このまま乗っていけ。  分かっていますよ。このバスはパヤオ行きなんだから。 込み入ったくどい話になりそうなので、後は狸寝入りをしてやった。
 
 降り続く雨の中をバスは走って40分、パヤオとナーンの分岐点へさしかかった。
右折して100㎞程行けばナーンの町、山の中の静かな町だそうだ。 以前は行きたいと思ったこともあるが、これほど遠いとは思わなかった。 もういい。 

 パヤオはガイドブックには記載のない町、地図さえも見たことはない。ホテルの予約はもちろんしていない。
夕暮れ近い雨の中なのに、無事にホテルを見つけることが出来るだろうか。

 心細いが、座席を最大限に倒してふて寝をしていると、大きな声で目が覚めた。ついにパヤオのターミナルにバスが入ったのだ。

 昼食とプレーに短時間停車したほかは、走り続けの11時間、予定通りの午後7時である。
 バイクやトゥクトゥクの運転手が、客を求めて集まってきたが、振り切ってターミナルの職員に、ホテルがあるかどうかを聞いてみた。

 ホテルは、バスターミナルの隣にある小高い丘の上にあるそうだ。 近づくとピンク色の立派なホテルだった。問題は空室の有無である。 無ければ暗くなった雨の中をさまよわねばならない。

 

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ピサヌロークからウタラディットへ

バンコクを出て5時間、バスは休憩所に寄っただけで、停車することなく北へ向かって走っていく。午後1時頃、エンさんの故郷であるピサヌロークの近くを通過して、初めて山が見えてきた。
  
 バスは山中に分け入って、道路はS字というかU字と云えばいいのか、曲がりくねった道をあえぎながら登っていく。 バスが好きな私でも最後まで耐えられるかどうか不安になってくる。1時間後にバスはやっと山を抜け、町らしきところへでた。

 ウタラディットの町だ。 やれやれと思う間もなく、また峻険な山に挑戦するバスは、エンジンの強い新車でもやっと登れる状態だった。

 このあたりの山には自生のバナナがたくさん見られて、大きな房をつけていたが、食べられるのだろうか。

 10メートルを超す緑豊かな大木が、赤やピンクの花をいっぱいつけている。こんな可憐な色の花は、小さな草木に咲くのが日本の常識なのだが、タイの樹木はお構いなく派手なのだ。

 原色の花を眺めていて、バンコクで見る女性の服装を連想した。 若い女性もそうでない女性も、それはもう派手な色の服を好んで着用している。 それがまた、とても似合って美しく見えるのだからいやになる。 これも南国、樹木も女性の装いと同じなのだろう。

 バスは山脈の尾根ずたいに走っている。高い位置なので左右の見渡しは 最高、あちこちの山腹や谷の間には、山岳民族と云われる人たちの家々が散見できる。

 ふと谷底を見下ろすと、思いがけなく汽車が走っていた。 こんな山の中でまあ、どこに行こうとするのか。
 そうだ、私が乗った汽車はこれだ。ランパーンからウタラディットを通り、ピサヌロークまで乗った、凍えつきそうに寒かった汽車だ。

 あの汽車の冷房は、日本の真冬のような寒さだった。それでも超ミニスカートの車掌は笑顔で、弁当と冷たいジュースを配ってくれたっけ。 タイの自慢の特急列車の思い出は苦かった。

 やがて汽車は左遠方に去り、バスは右の尾根を回って、更に深山に分け入る気配である。



 

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VIPバスは走り始めた

国歌の演奏が終わると同時に、我々のバスはゆっくりと走り始め、車掌はさっそく ケーキ、クッキー、コーヒー、ミネラルウォーター、昼食券を配ってくれた。
 
 私の席の近くは、前に中国系の金持ちらしい爺様、通路を隔てた隣の席には20代の娘さんが後ろの母親と大声ではしゃいでいる。

 私の後ろの席には、病気の妹を実家へ連れ帰るお姉さん。
私はシートを倒したまま動けない、痩せて顔色の悪い20代の妹さんを見て、彼女はバンコクで悪性感染症を発症し、姉さんが連れて帰るのだと確信した。 数年でもいいから生きながらえて欲しいものだ。

 バスはバンコクを離れて、北へ北へと走り続ける。車窓には田圃が次々と後方に流れ、二毛作なので稲刈りと田植えが交互に見られる。
沢山の人が横一線に並んで植え付けている姿などは昔の日本そっくりだ。

 子どもの頃、田舎で見慣れた光景だが京都に出てきて45年、昔を偲ぶ思いも錆び付いて、改めて近くで見ると、とても新鮮に見える。
 
 沼地には、色とりどりの花に混じって蓮の花が咲き乱れ、美味しそうに丸々と太った水牛が泥に浸かって遊んでいる。
 行けども行けども同じような風景が続き、朝が早かったので睡魔が襲い始めた。こればかりは瞼を叱咤激励しても抗しがたい。

 4時間が経過し、眠りから覚めた時バスは寂れた休憩所で停車した。おやつの買い出しと昼食だそうな。
食事券を渡すとオバサンが、お皿にご飯をドバッと盛ってくれ、その上からタイのカレーをザッとかける。 そんなに入れても食べきれない。それでなくともインディカ米のご飯がまずいのだ。

 だが上品ぶっても、ここで何かを食べないと、あとで必ず後悔をすることになる。
ご飯はご遠慮願って、奥に置かれた数種類のおかずから、美味しそうな物だけを選んでいただくことにした。

 気が付くとテーブルの上には小さな赤蟻が行列を作って、食べ残したお皿へ急いでいた。
行列が一本だけではなかったので、気になってつぶしていたら、指を噛まれてしまった。
小さな蟻でもタイの蟻は強いのだ。

 食事を終えてリポビタンDを買ってみると、日本の味と全く同じだったが、値段が違う。
なんと一本が日本円で34円だ。 大正製薬さん瓶の色もマークも同じで、会社名もちゃんと書いてありまっせ。 これからリポビタンDを飲むならタイだけにしよう。
 

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似合わぬバスで北タイへ

  アユタヤへ向かうイングランドとか云っていた大学生と別れて、私の旅は動き出した。

 712㎞、所要時間11時間のバスなので、体力と相談してVIPバスの座席があるかどうかを聞いてみた。 パヤオ行きのVIPバスは午前8時と夜間に発車する3本とのこと、そのうち空席があるのは朝の便だけだそうだ。

 こんな事もあろうかと、始発電車で来ていたので、かろうじて8時のバスに間に合った。
タイの超田舎であるパヤオ行きのVIPバスには驚いた。 普通の大型バスと同じ大きさなのに、座席が24席しかない、座席を倒して足を伸ばしてみても、足が短いせいもあるだろうが、前の座席に届きもしない。

 私の座席は左側の3番目、縦3列なので隣は何も無し、しかも新車だった。 でも料金はタイにしては 1,600 円と高かった。

 運転手はパイロットと見まごう威厳ある制服を着用して、交代運転手をいれて2人乗務。 車掌は白のブラウス、黒のスカート姿で、女子大生のような小柄の女性。
ブルーの絨毯が敷き詰めてあるせいか、車掌は靴を脱いではだしだ。

 車掌が出発に際して早口で挨拶を始めた。高校生がはにかみながら、暗唱発表をしているようで、とっても可愛いが、挨拶の内容は全然分からない。

 午前8時の発車時刻となって、運転手と車掌はバスから降りた。 出発時間と違うのか。
3人は乗車口の下で横に並び整列、時報と共にターミナル全体に国歌が流れてきた。バス内の乗客以外の人は、ターミナルの客も売店のおばちゃんも直立不動で聞いている。

 彼らは国王を敬愛し、僧侶をあがめる仏教徒なのだ。そして、バスから電車から仏像があれば必ず手を合わせることを、親から教わって実行している国民なんだ。
子ども連れで、いろいろなお寺へお参りする事が楽しく思える人々である。 日本とは違うんだなあ。

 タイでは午前8時と午後6時に、公共施設のスピーカーから、大音量の国歌が流れ、国民は起立して国と国王に敬意を払うことを習慣としている。
 この国歌が終わるのを待って、ターミナルで出発を待っていたバスの群れは、目を覚まし動き始めた。

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見知らぬパヤオへ

 タイの田舎に定住することを決意されるだけあって、田舎の自然を見る目、生活の様子や風習、村の人達とのつながり、タイ人の気質などが克明に描かれて、読んでいる私がそこで生活をしているかのような錯覚に陥る、見事な描写であった。

 特に奥さんが去った後、ハイさよならではなく、家族と近縁の人たちの中で生活を共にして、一家の主としての生活に、心から拍手を送ったものである。

 この彼が生活を始めた町が、バンコクの北710㎞に位置する寒村パヤオである。 
パヤオは日本人には馴染みはほとんど無いが、非常に貧しい県で、タイではエイズが多いことで知られている。

 私はS氏のブログを読むにつれ、一度パヤオの町を訪れてみたい。と思う気持ちが高まってきた。 彼に逢おうとは思わないが、彼が書いている町の匂いでもかいでみたい。そんな気持ちを抱かすブログって本物である。

 パヤオへは飛行機の便がないので、無謀にもバンコクからバスで北上し、車窓から風景など楽しみながら、彼が根付いている町 「パヤオ」 行きに挑戦することにした。
 
 7月4日、高架電車BTSを利用して終着駅モーチットへ到着した。
この駅はチャトチャック公園の前にあって、今日は運悪く日曜日、サンデーマーケットが開かれるため、人の大波がうねりかえっていた。 なんでもサンデーマーケットが開かれる日は、一日に十万人を超える人が訪れるそうである。

 バスターミナルのモーチットマイへ行くには、電車の駅からバスに乗り換えが必要なので、バス停から77系統のバスに飛び乗った。(バンコクのバスは完全には停車はしない)
 バスはほぼ満員で、横には大きなリュックを担いだ白人の青年が2人立っていた。

 女車掌が金属の料金箱をカシャカシャ鳴らしながら、切符を切りにやってきた。バスがバスターミナルへ行くかどうかを青年が尋ねたが、この車掌は知らぬ顔だ。

 あかんなあ。 車掌に流暢な英語で聞いても分かる訳がないではないか。 世界中英語が通用するとでも思っているのか。 ここは「バスターミナルOK」なら彼女も理解ができただろうに。 

 しかし、77系統のバスには同じ77を表示していながら、違う方面へ行ってしまうバスもあるのは確かだ。 正直に言えば、私も多少は不安を抱いていたので、車掌に行先を確かめ、青年にも伝えてやった。

 車掌も若者の質問を無視した、後ろめたい気持を持っていたらしく、ホッとした表情を見せ私に向かって微笑んだ。到着したこのターミナルは、ばか広くて方向も定かではない。

 自信の全く持てない長身の青年2人は、小さなおじさんの後を従順についてくる。生意気に髭などはやしているが、かわいい大学生なんだ。でも、他人が見たら随分と滑稽な3人組に見えたことだろう。

  このターミナルは、一日に何百台ものバスが地方へ向けて発着するので、大変混雑している。 しかしここに集まる人はすべてターミナルを目指しているのだから、人の流れさえ見ていれば迷うことはない。 

 彼ら2人は、自分たちはイングランドから来た、とかなんとか云っているが、ようするにイギリス人なのだろう。 私の感覚では、世界には白人と黒人、黄色人種の三種類しか存在しないことになっている。 でもそんなこたあどうでもいいんだ。 いったい彼らはどこへ行こうとしているんだ。

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退路を断って永住

 四国出身のS氏のブログに行き当たり、Tタイと言うブログを長い間愛読させて頂いた。
S氏は平成11年に、勤続30周年の記念として、旅行券を会社からプレゼントされて、奥様とツアーでタイを訪れたそうだ。

 彼はバンコクを中心に、おきまりの有名寺院や王宮、アユタヤなどの遺跡、などを巡って帰国された。 しかし車窓から眺めた、ややこしそうな屋台や黒煙をまき散らして走るバイクの群れ、人々の笑顔などを思いだし、何かをタイに忘れてきたような気持ちが、いつまでも消えなかったそうだ。

 これで彼の人生は目覚めたというか、狂い始めたというか、立派にタイにはまるお膳立てができあがった。
52才で早期退職制度に応募して、定年並みの退職金を手に、タイへの旅が深まって、バンコクにアパートを借りるまでになった。

 それから数年経って、彼がマレーシアの旅からバンコクへ帰る途中、国境の町スンガイコーロクで出会った女性に思いを寄せるようになった。 それだけのありふれた話である。

 ところが1年後に、バンコクで奇跡的に彼女と再会を果たしてしまった。 その時彼女は28才、彼は55才であった。 間もなく日本の奥さんとは当然のごとく離婚して、彼女の故郷である北タイに、彼女名義の家を新築して永住を決意することになった。

 若い彼女とは正式に結婚し、村を挙げての祝福を受けたのち、彼女の両親や親族がたくさんいる村での生活がはじまった。

 残念なことに数年で破局は訪れ、女性は家を捨てバンコクへ去っていった。  ここまではよくある話なのだが、彼の決断は少し異なった。

 女性の家出後も、彼女の家族とともに生活を続けていて、その経緯がありのまま、ずっとブログに綴られていたのだ。
 この長期にわたるブログの内容は、中身が濃くて膨大な量にのぼり、私も毎日楽しみに読んだものである。

 一昨年タイに長期滞在していた日本人は、45,000人、永住者の数はは974人である。この永住者974人のなかに、S氏のように日本に帰ることなく、タイに住みついている人がかなり含まれるのだ。

 Tタイと言うブログを (今はこのブログは読むことが出来ない) 長く読み続けるうちに、私もこんな山の中の町を一度訪ねてみたいと思うようになった。

 

 

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規格外の僧侶

  40代とおぼしき僧侶は、袋の中からペットボトルのお茶とお弁当を出して、少し早いお昼ご飯を食べ始めた。

 通常、朝早い托鉢で喜捨された食べ物を、正午までに食べて、午後からは何も食べないのが、僧侶の日々なのだが開いているお弁当は買ってきた物だ。今朝、托鉢に出ていない証拠だ。

  私はあまり見る気はないのだが、目の前なので嫌でも目にはいる。まず弁当を包んでいたビニール袋を車窓から外に捨てた。魚の骨も捨てた。食べ残しも捨てた。ずだ袋をかき回してありったけのゴミも捨てた。お茶でうがいをして車窓からはき出した。

 これが社会的地位が高く、人々から尊敬されるはずの僧侶のやることか。タイでは車窓からゴミを捨てるという習慣があるのかどうか知らないが、見るだけでも不快きわまりない。

 うがいしたお茶をはき出したのが、風にあおられて私の顔にかかりそうになって、「エエ加減にしとけえ」 と日本語で大声を上げると、きょとんとしていた。

 タイでは殆どが立派な僧侶で、お祭りにも葬式にも、嫁入りでも、棟上げでも、あらゆる機会に仏の道を説き、住民から絶大な信頼を得て尊敬されている。でも中にはこんなできの悪い坊主もいるのだ。
 
 まあこんな坊主でもお経の一つも唱えれば、ちょっとは庶民の役には立つか。不愉快なので、ずっと離れた坐席に避難した。

 しかし他人事ではないぞ。 我々の勤務していた場でも色々とあった。
 入学式後に、校長が生徒や保護者に向かって云う。これから1年生を担当される先生を紹介します。一番右の先生は3月に大学を卒業された××先生で、1年2組担任の先生です。教科は英語の先生です。なんてやってしまう。

 昨日までは、追い出しコンパだ、卒業旅行だと遊び歩いていた若いのが、一夜明ければ校長から、これだけ先生先生とみんなの前で云われるのだから、オレは先生かあ、などと勘違いして舞い上り、後々どうにも自省できず、先生と言われる駄目教師ができあがるのだ。

 話は横道にそれたが、汽車は透明な水の流れる渓谷を供にして、坂をあえぎながら登り続けて平原に達した。 このチェンマイ行きの汽車の旅は、車窓から見える美しい南国の風景とは裏腹に、尊敬を裏切る行為に終始した坊主に幻滅を感じたけれど、今晩からのバンコクはどのような表情で迎えてくれるのだろうか。

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花馬車の乗り心地は

 馬のいななきで目覚めた爽やかな朝である。ホテルの朝食ブッフェはどこに行っても代わり映えはしないが、年齢と共に朝食が一番美味しく食べられるようになってきた。中でもブッフェは体調に合わせて、料理を選択できるので有り難い。

 チェックアウトをすませて、今日はまたチェンマイへ帰るのだが、往路がバスだったので、復路は普通列車にしてみようとM氏と意見の一致を見て、国鉄のランパーン駅までの足を考えた。

 昨年一人で来たときに歩いてみたら25分ほどかかったので、日がかなり高くなったこの時間は少々きつい。

 そこで念願の花馬車の出番となった。通勤通学の時間は過ぎたものの、まだかなりの車が走っている。 その大通りの中央を我が馬車は誇らしげに悠々と、ひずめの音を響かせて 「そこのけそこのけお馬が通る」 とばかりに走るのだから、まさに快感である。

 感心したのは、交差点でもどこでも、道路の優先順位は馬車が一番、車が二番、残念ながら人は三番なのである。馬車がやってきたら車は停車するか避けるかするのだからたまらない。

 これに乗ったら多少は偉くなったようで、優越感をくすぐられる。 次ぎに来る機会があれば、また必ず乗ることになるだろう。 駅まで乗って一人300円は安かった。

 ランパーン駅でチェンマイまでの切符を買って、ホームで30分ほど待つと列車が入ってきた。幹線列車に乗るのは本当に久しぶりのことだ。
 めったに汽車を使わないのは、バスより遙かに時間がかかるから乗る気がしないのだ。でもたまに乗るのは気分が変わって趣がある。

 空席がたくさんある、気持ちのいい列車で楽しい旅になるぞ。と思ったが、次の駅から一人の僧侶が私の前に座った。 国民の尊敬を受けて敬まわれる存在だから、緊張するじゃあないか。

 今回ランパーンでは僧侶を見ることがなかった。 どんな田舎の村や小さな町でも、朝は托鉢のため何人かで列をなして歩いているはずなのだが、一人として見かけることはなかった。今日はどうしたのかと思っていた矢先の出来事であった。

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決して悪気ではないのですが

 夕食に立ち寄った食堂で、「この店のお勧めの料理を三品作ってください」 とタイ語で書かれたメモをオバサンに渡したところ、勇んで出ていったオバサンがなかなか帰ってこない。 

 そんな時、女主人とシェフらしき男性が現れて、ご注文は何でしょうか?  ちょっと待て、注文した料理は 「お勧めの料理を三品」 だ。 だから何を注文したのか分からない。

 それでも事情を説明しようと、メモを示し身振りも交えて奮闘するが、こんなデリケートな会話が出来るわけもなく、お互いに疲れて会話は絶えてしまった。諦めて気まずくビールだけを飲んで時は流れた。 あのオバサンどこへ消えてしまったのだろう。

 そんな時、注文をしたオバサンが颯爽と帰ってきたのであった。
やった! これですべて解決する。 と思ってよく見ると彼女の手にはビニール袋が下げられ、空芯菜とフクロタケ、名も知らぬ野菜の三点ほどが入っていた。そしてオバサンは、にこにこしながら立っていた。

 おいおいオバサン、頼んだのはお勧めの料理3品で、食材を3種類頼んだのではないよ。勘違いならよいが、タイ文字がよく読めないのなら悪いことをしたなあ。
事情が分かってみんなが大笑いしたが、オバサンも一緒に大口開けて笑っていたから安心した。無邪気なオバサンであった。

 私たちが改めて注文したのは、焼きイカのサラダ、五目野菜炒め、魚のすり身揚げ、海老の焼きめしで、それからビールも うまかったあ。
 メモなんか使わずに最初からすんなり口頭で、注文したらよかったと、しっかり反省した。 その後は店客ともども、和気藹々の夕食のひとときが持てたからまずはよかった。

 夕食が終わって夜が更けて、空を見上げると日本では見かけない無数の星達が瞬いている。 二人は遠く離れた南国で、何思うことなく星を見上げる幸せをかみしめながら、ホテルにたどり着いた。 遠くには、まだ馬のひずめの音の残る睦月の夜であった。

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花馬車の走る街

 北方の薔薇と、みんなに愛されるチェンマイも、心ない中国人観光客の振る舞いによって、非常に心証の悪いチェンマイとなってしまった。

 気を取り直して今日はチェンマイから、南へ約90㎞の距離にあるランパーンを訪ねることにした。チェンマイからランパーンへ向かうバスは、ピン川の畔から出ているが、このバスには乗ってはいけない。というのはここからのバスは、時間ばかりかかる普通バスしか出ていないからである。

 エアコンバスは、チェンマイではアーケードバスターミナルが始発となっている。ここから出るバスは、大きなターミナルしか停車しないので、所要時間も少ない。

 ところがこのターミナルで、調べてみるとランパーン行きの表示はどこにも無いのだ。
ランパーンへ行くには、バンコク行きの大型エアコンバスがランパーンを通過するので、このバスを利用して、途中のランパーンで下車をしなければならない。

 時刻表には 「行き先」 の表示しかなく、途中の町の記載がないので、チケット売り場では十分確認する必要がある。また途中で降りる場所も定かではないので、車掌に告げておき、到着したら知らせてくれるよう依頼をしておく。気ままな旅はなかなか難しい。

 快適なバスは約2時間で、花馬車で有名なランパーンの町に到着した。バスターミナル付近で昼食をすませ、ソンテウで今日のホテル「ウィエントンホテル」にチェックインした。ホテル内を見渡してみると、昨日のホテルが最悪だっただけに、ここが何といいホテルと感じられることか。

 このホテルもそうだが、田舎の高級と言われるホテルの大多数は、町の中心から離れた場所に建てられている。
車で動ける人には最高なホテルなのだろうが、一般の交通機関で移動する旅人には不向きだ。あたかも車も持たない人は来るな、と云われているようで、ひがみたくもなる。

 仕方なく、くたびれたソンテウをチャーターして、名所や寺院を一応見学をしたが、見るべきものは少なかった。

 ホテル前が花馬車の基地になっており、美しく飾った馬車が数台並んで客を待っていていたが、花で飾られた小型の馬は実に可愛い。 アスファルトで舗装された大通りを、たてがみ をはためかしながら、ポクポク小走りで行く姿は、町の雰囲気を和ませている。ランパーンでは毎日この馬車が走っているのでとても趣がある。

 町はずれのホテルなので、夕食を食べるところの有無が心配である。外出をしてレストランを探してみると、少し離れたところに小さなタイ料理店があって夕食の準備に余念がないかった。

 夕方を待ち、この店で食事をしようと出かけてみると、まだ客はなくオバサンが一人で食材の準備をしていた。

 実は数年前タイ語教室のゴー先生(現在アントーン大学の先生)に書いてもらった、タイ語のメモを持参していたので、今日はこれを使ってみよう。
 このメモには、タイ語で 「この店のお勧め料理を三品ほど作ってください」 と書いてあるのだ。

 食材の下ごしらえをしているオバサンにメモを見せると、彼女は鷹揚にうなずいて出ていった。ところが彼女がなかなか帰ってこない。

 しばらくして、店の女主人と身なりを整えたシェフのようなのが奥から現れて、ご注文は? エッ これは困った。  先ほど三品注文したのだが、お任せの注文なので何を頼んだか分からない。 答えようがないではないか。

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