チェンライ

ダイアモンドリバーサイドホテル

 中国との関係が悪化している。自国だから身びいきしているのではなく、どう考えても舐められているとしか思えない。難癖を付けられている上に、日本が事を穏便に納めようとしているから、群島を失うだけでなく広大な経済水域を失いつつある。

 国内法にしたがって粛々と対処をしたい。などと日本政府はいっているが、大きな軍事力を背景に押してくる国にはもっと厳しく対してほしいものだ。日本には自国を守る自衛隊もあったはずだが、思い違いであったか。

  さて、タイという国にはホテルがたくさんある。バンコクには名のあるホテルは約320軒、チェンマイには約90軒のホテルが存在する。 これ以外にも小さな宿泊施設は数多くあるので、宿泊できないことは絶対あり得ない。

 旅で訪れて半分以上の時間はホテルで過ごすのだから、少々料金が高かろうが、旅を快適に過ごすことを考えると、ホテル選びには気を配らねばならない。
極端に安い料金を追ってみたり、電車やバスのアクセスを無視したりで、旅そのものを自分でぶち壊す事はままある。

 私の旅は一流のホテルなどは使えないのだが、従業員の接客態度や細かい心配り、朝食の内容などが、ある程度整っていないと、いいホテルとは云えないと思っている。

 だから、一度まずまずのホテルだと思ってしまうと、何回も利用することになる。 他にはもっと良いところが有るのだろうが、なかなかホテルを替えることへの踏ん切りがつかない。

 ある時、チェンライからチェンマイへ田原本のM氏と二人でポーヌン(一等)バスで移動した。ちなみに料金が少し安い二等の冷房バスもあるが、大きな違いは車内にトイレが着いているかどうかである。

 タイで有名なところは? と聞けば、多くの人はバンコク、チェンマイ、プーケットと答えるだろう。その中でもチェンマイは 「北方のバラ」 と云われるほど、みんなの人から親しまれ、季候が温暖で美しく、観光にも住むにも最適な街と云われている。

 タイの知人もいるにはいるのだが、私がチェンマイにあまり行かないのは、へそ曲がりの食わず嫌いだからである。

 今回は食ってみようかとばかりに訪れたのだが、以前宿泊して好印象を持ったホテルが満室との悲報をうけ、新たにナイトバザールにほど近いホテルを探すことにした。

 そして二人が探し出したホテルは、ピン川畔に立つ白亜の外観が美しい15階建ての「ダイアモンドリバーサイドホテル」であった。

 ホテルに入ってフロントでまず驚いた。20代の女性が二人いて、案内を乞うのだが、微笑みも見せず、返事もしない徹底ぶりである。
 こいつの笑顔なんか気持ちが悪くて見たくもないし、茶髪ももう少し染めようがあるだろう。

 チェンマイ市内の悪そうなやつを選んで採用したに違いない。そんなヤツでも部屋のキーだけは渡して、無言で指さした先はエレベーターであった。

 普通であれば、ボーイが荷物を持って部屋まで案内するはずだが、そんな気配は全くないので、勝手に部屋まで行くことにした。 それにしてもなあ。

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トレッキングって何だろう

 メーホーソンでもチェンライでも、ここはトレッキングの基地ですからいかがですか。と誘われることがよくある。 友人にも、そんなの行っておかないと話が出来ませんで。と云われる。

 なんやよう分からないので、調べてみるとトレッキングいうのは山を歩くことやそうな。 そりゃあかん。私など道を歩くだけでつまずくことが多い、後期高齢者予備軍なのに山歩きなんて出来るわけがない。

 象に乗りたいという、友人S氏が一緒だったので、チェンライのJトラベルに顔を出し、歩かなくてもいいトレッキングってありませんよね。 と期待を込めて聞いてみると、オーナーの山地さんは即座に、ありますよ。 ホントですか これはえらいことになった。

 翌朝8時、ホテルのロビーにカレン族のサイモンが元気な顔を出してくれて、すぐ出発となった。車をコック川の船着き場で降りて、スピードボート乗り換えた。ボートは速いスピードで上流に向かって疾走し始めた。

Photo_4  渓谷の冷気と水しぶきで寒いのを我慢すること1時間15分、スピードを落としながら川岸の粗末な桟橋に繋留された。

 船から下りて前を見ると鉄製の檻の中にいましたでえ。

 大人の太ももよりもっと太いのが2匹動いとる。大蛇が居るとは聞いていなかっただけに驚いた。

 爬虫類なんて蛇はもとよりトカゲや亀なども大嫌い。私が鶏が苦手なのも足が爬虫類の名残を残しているからなのだ。

 有料だが、希望する人には大蛇を檻から出して首に巻き、写真を撮らせるという。S氏はさっそく長いのを首に巻いてVサイン。 人間のできが違うぞ。

 ここはカレン族とアカ族の象の村、生まれて初めて象に乗ることになった。高い象の脊中に乗るには、いったん死刑台のような高い台に登り、怖々背中にしつらえてある鉄の台に移るのである。高い高い。地上で見るのと全然違い、坐席にしがみつかねばならない。こんな状態で象が歩くの。

Photo  S氏と2人は、背の上の客用の坐席について、象使いの兄さんは首の上である。いざ出発すると象は地面をドスンドスンと踏みしめるように歩く。この乗り心地の悪いこと悪いこと、このまま象は山に向かって歩いていく。

 道は次第に細くなり原野を通って山にさしかかった。これはもう象の世界だから象使いはいるが、象の本能が芽生えてくる。 笹の中であろうが蔓が伸びた山であろうが、かまっていない。そりゃそうだ、山に入って背にいる客のことを考えている象がいるはずがない。

 象だって食べたい植物があるらしい。そんなときは1メートルほどの段差があってもドンドンと首を下げて草むらに降りていく。そうなると笹で身体を打つは落ちそうになるは、鉄枠を握って難行苦行である。この2時間は、歩いてはいないがドーンと重い疲れを覚える苦難であった。

  このあとアカ族とカレン族の村を案内してくれたが、サイモンがカレン族なのでみんなが顔見知り、どの家でも裏から、畑から入り込み気軽に話していく。織物をしているオバサンなども親戚づきあいであった。 

 それにしても象に乗るトレッキングって、半端な遊び事ではない。アユタヤあたりで日本の女性が象に乗ってイエーイなどとVサインをしているが、彼女たちをコック川の象に乗せてあげたい。

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出家をするこども達

 チェンライの町なかには、これといった見所は少ない。しいてあげるなら、格式のある ワットプラケオであろう。バンコクのエメラルド寺院と同じ名前を持つ、このワットプラケオ寺院も本尊はエメラルド仏である。

 ある時、市場の帰りにお参りをしたら、黄色の袈裟を着けた小さな子ども達が緊張の面持ちで集まっていた。 よく見るとどの子の頭もクリクリに剃ってある。集まった小坊主達はお寺の奥へ先輩僧に誘われ移動していく。その数ザット見て100名ほどだ。

 どうもお寺の入学式の様相に見受けられた。年齢に差はあるが小さな子供は小学校の低学年くらいである。

Photo  タイは90%以上が仏教徒であり、子ども達は一生に一度は、ある期間出家する風習があるそうだ。短期間であろうとも、この期間は修行僧なので、頭髪を剃り木綿の黄色の袈裟をまとう。

 修行僧の1日は、まず読経に始まり、次は裸足で托鉢に出る。(托鉢できなければその日の糧はない)  托鉢で得た食べ物をみんなで午前中にいただき、午後以降は食べることは出来ない。

 この修行のうちは僧侶として社会的にも敬われる存在なので、戒律は厳重に守らねばならない。戒律の一つに女性に触れてはいけないなんてのもあって、 妹にも母親にも触れてはならないことになっている。

 このような戒律や、規則正しい生活を徹底的にたたき込まれる場なのである。 家族とすれば、こどもが出家するということは、仏に仕えながら一人前の人間となるよう修行するのだから、とても嬉しことであり名誉なことなのだ。

 親の云うことも聞かず好き放題をしていたガキ坊主も、この期間だけは神妙らしい。托鉢中に道で父親に会うことがあったとしても、父親は手を合わせて我が坊主殿に頭を下げ敬意を払わねばならない。

 この修行中に戒律厳しいお寺で修行して、兄弟子や師である僧侶の厳しい指導を受けて、修行を終え還俗する頃には、見違えるような成長ぶりに家族は感激の涙を流すという。

 さて、ワットプラケオの奥の広場に集められたこども達は、ガチガチに緊張して私語など聞こえない。 広場の木陰では子供の門出を喜びながら、しばらくの別れに絶えきれず、涙するお婆さんやお母さんが、かなりの数に上っていた。

Photo_3 

 日本以上に超過保護に甘やかされて育てられていた我が子が、自分で仏門を叩いたとはいえ、今日からはお母ちゃんと呼んではくれない寂しさに、うつむいて泣いているのだ。

私も側にいるだけで辛くなってきた。

 タイの子供の出家は制度ではないから、出家をしない子供もいる。しかし社会的に認められているこの出家の風習は、子供から成人になる課程で、日本にもあれば人間形成に大きく役立つにちがいない。 と思いながらお寺を去った。

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チェンライの朝市の終わったあとは

 朝市が終わる頃、黄色い袈裟を着けた僧侶の托鉢が始まる。三々五々に列を作って今日一日の糧を受けるのである。 この托鉢僧は全員が裸足で町のなかを歩き回るのだが、熱心な仏教徒である人々は毎朝喜捨(タンブン)を欠かさないようだ。

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  すると僧侶は有り難い経の一節を、ムニャムニャとのたまう。 この托鉢によって、喜捨をした人々は善根をほどこしたから、心の安心と来世の幸せを約束されるに違いない。 

僧侶は善根の手伝いをして経を授けたので、信者の心を救ったことになるらしい。

Photo_2
それにしても、タンブンをするために毎朝、夜が明ける前から喜捨する食べ物を、たくさん作って待つのは、家族が数人新しくできたほどの労力とがいるはずだが、なかなか出来ないことである。

 タイにはこんな仏教徒が珍しくない。ひるがえって日本ではどうだろうか。
日本では仏教が本当に根付いているのだろうか、私なども今だかってタンブンなどしたことはない。自分のことを棚に上げながら、疑問を覚えるのである。

 そして、あなたの宗教は何ですか。と尋ねられれば仏教です。 などと臆面もなく答えている。仏教が何たるかを理解していない私で恥ずかしい限りだ。


 こんな風景を眺めながら、ホテルへの道を歩いていると市場で野菜を売っていた人が、正装をして仲間と山へ帰るピックアップトラックを待っていた。

Photo_4 国籍はタイかどうかは分からないが、深夜山から降りてくるのは大変ですな。


 現金収入を求めて遠方から、来ている人達は村のピックアップトラックでやってきて、夜が明けると町の一角に集まって、山の奥に帰って行くのだ。

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チェンライのナイトバザール 2

 西の空に太陽が沈む頃、昨日と同じようにナイトバザールを冷やかしついでに、屋台で夕食を取ろうと足を運んだ。

Photo  この屋台街は観光客もいるにいるが、地元のタイ人が中心である。   恋人と二人、若者のグループ、家族連などが大半で、私のような一人で来ている客はまず見あたらない。

 タイ人から見て、友達もなく寂しく可哀想に見える客は、それはそれで注目に値すると見えて、いろいろと声をかけていただける。 私の左側のテーブルには、40代のご夫婦が小学生とおぼしき男の子と女の子と共に、夕食を取っていた。

 お父さんとお母さんはビール、子ども達はジュースとコーラ、そして沢山のご馳走がテーブルに並んで笑顔は絶えなかった。実に楽しそうな光景であった。

 ビールに酔った私が、不覚にもつい声をかけて、同席させて頂くことになった。ご馳走になりながら話をしようと頑張るのだが、タイ語教室の落ちこぼれを自他共に誇る私が、日常的な会話が出来るほど甘いものではなく、かみ合わない会話はとぎれがちになる。

 すると奥さんが偉い。車まで走って子どもの鞄から鉛筆と用紙を持ってきてくれた。これで筆談しようと云うのだ。
この家族は中国系のタイ人だったのだ。お互いに漢字のやりとりで何とか意志は通じるものだ。

 この二人は小学校の先生だった。 私もタムガンクルーと言っていたのだが、筆談ではいつの間にか私は「老師」に昇格していた。頼りない老師で申し訳ない。

 羨ましい家庭のご夫婦は、次回は必ず自宅に来て頂きたいと、市内にある住所を書いてくださったが、お気持ちだけいただき訪問は遠慮した。

 昨年、ウィアンインホテルの近くの古式マッサージに寄り、ここで失敗したことがあった。
料金を聞かずに上がったのだ。 乗り物でもそうだが、古式マッサージでも事前に料金を確認しておくのが鉄則なのに、慣れか気のゆるみか、それを忘れていたのだ。

 気持ちよく眠り込んで2時間、料金を聞くと450B(1350円)だそうだ。チップを入れると、1650円にはなる。
 前日この店に行った時の料金が200Bだったから、一夜にして料金が2倍以上に跳ね上がったのである。

 これは確認を怠った私に非がある。 いろいろと授業料を払って学習するのだが、私の場合は忘れることが早いため、授業料を払う機会が近年多くなった。困ったものだ。

 先ほど、この店の前を通ると店ははつぶれていた。 詐欺まがいの営業をしていて、長続きなどするわけがない。おめでとう。

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チェンライは朝市といえるか?

 日本での生活習慣は時差には関係なく健在である。 21時頃には就寝するのだが、目覚めるのは早い。 道路を走るバイクの音で目をさまし時計を見ると午前2時、音は2台3台と増えていくが、まだ少し早いかな。

 このバイクの音は市場に行く人達のたてる音なのだ。市場はワンカムホテルから歩いて7分ほど北にある。  もう3時になったからよかろうと、私は足音を忍ばせてホテルのロビーに降りると、フロントで熟睡していた保安員が「パイナイカップ」と聞くので、タラートと答えて出かけ、振り返るとまた寝ていた。

 乾季で空が澄み切っているからか、北半球では見慣れない星達が綺麗に瞬いている。満天の星とはこんな空を言うのだろう。
  
 少し北へ歩くと大きな通りに突き当たる、昼間は交通量が非常に多くてなかなか渡れない通りも、深夜なので、犬くらいしかいない。
 左折をすると、有名な時計塔が金色の光を放って、我が天下とばかりに輝いている。
Tokeitou

一転して人々のざわめきが聞こえて市場の灯りが見えてくる。
 この市場は食材が中心であるが、多くの野菜と果物を商っている。
  鶏肉や豚肉、蛙や名も知れぬ虫などもあるにはあるが、これらが全部路上で売られている。

 バンコクでは35℃もあって、こんな時間でも冷房がないと辛かったのに、北のチェンライではご覧のように防寒着が放せない。

 夜明け前の市場ではあるが、買い物客は毎日非常に多い。小さな屋台やお店の人達の仕込み材料が大量に売れている。 Photo_7     Photo_8 

 時差は2時間あるのだが、6時頃から夜が明け始め空が明るさに目覚め始める。そしてカメラの出番である。(暗い時間のストロボははばかられる)

 6時30分になると一斉に荷物を片づけて清掃にはいる。 遅れた人は警官の警笛が吹かれ注意を受けている。  このころ夜更けまで遊び回っていた観光客が眠い目をこすりながら現れるが、あらかた被写体は去った後である。 これを後の祭りというのだそうだ。

 7時には完全に一般の道路の機能を取り戻していた。 この市場は朝市なのか、真夜中の市場なのか、どう呼べばいいのだろう。

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チェンライのナイトバザール 1

 チェンライの一番賑やかな通り、パホンヨーティンロードの中心から東に少し入ると、雨が降らない限り毎夜ナイトバザールが開かれる。  通りからバザールの中を10メートルほど行くと、ステージがあってタイの音楽演奏や舞踊が誰でも鑑賞できる。

Photo  その舞台の前にはオープンエアーの食事や飲み物を供するお店があるが、これは完全に観光客用であるから、我々にはあまり縁がない。

横目で一瞥してバザールの中をさらに奥へと進むと、そこには広い屋台街が姿を現すのだ。

 ここには100脚ほどのテーブルが広場全体に雑然と置かれ、周りをずらっと囲むように屋台が取り巻いている。

 イサーン料理、北タイ料理、揚げ物、鍋物、麺類、串焼き、シーフード、虫料理、ビール、果物に混じって、堂々と寿司まで仲間入りしている。

 テーブルを定めると、渡り鳥のように屋台を巡り、好みの料理や飲み物を注文し、坐席の方向を指さして、テーブルで料理を待てばいいのだ。

 ここからが偉いのである。屋台の若い従業員は調理が出来ると、テーブルの隙間をぬって運んでくるのだ。
薄暗い広場の中の百人をはるかに超える客のなかから、注文した客を違えず捜し当てるのは神業としか思えない。ほんとうに凄いのである。

 脳が退化の兆しを見せかけている私なら、注文した客の顔など思い出せるわけはなく、料理の皿を手にして、呆然と立ちつくし数時間で首になるに相違ない。それにしてもタイの若い従業員は記憶力抜群である。

 私は春巻きとソーセージを肴にビールを飲み始めた。漂ってくる匂いに屈して、焼きスルメの伸したのと、野菜炒めを追加して、気が付くと隣のテーブルで制服の高校生が、コップにビールをついで、私の方に向かって、チャイオー! (乾杯)  こんな大勢の中でいいのかいなあ。でもありがとう。

 明るかったチェンライの空が夕闇に包まれてきて、涼風に吹かれて最高の気分であった。 また明晩も来てみよう。

 食事が終わり、ゆっくりナイトバザールを歩くと、山岳少数民族の衣装を身にまとった女性達が、いろいろ民族的な土産物を広げている。
そんな店の間に鉛筆(4B)で写真の模写をしている男女がいた。実に綺麗にそっくり模写をするのを毎日見ほれていた。

 日本に帰って、父親の遺影に使えないだろうかと、不謹慎かも知れぬが、弟と計ってみた。 二人の意見は一致して、昨年10月の葬儀には、遺影写真の横にタイで描かれた肖像画が並んだのである。  とても良いできばえで満足であった。

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山深い チェンライの町

 チェンライの街は山が近く美しく、田舎の風情が残っていてとても落ち着くのだが、、チェンマイなどのようには発展していない。
町の中心には古ぼけたバスターミナルがあって、これまたボロボロの小型バスがチェンコンとかチェンセンやパヤオなどに向かうため、かなりの台数が蝟集している。

Photo_2  この小さなチェンライの街には、ホテルは大小あわせると 10軒ほどの数が散在しているし、毎夜バスターミナルの近くではナイトバザールも開かれて、観光客の絶えることはない。

 観光客の絶えない原因は、ミャンマーとの国境がすぐ近くに控えていること。 ラオスとの国境も近く、麻薬で有名な黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)も指呼の間にある。また周りの山中には少数山岳民族も多く、一大トレッキングの基地になっていることなどが挙げられるだろう。

 このように観光の中継地として、基地として重要な役割を持った町なのだ。 トレッキングや遺跡、メコン川の散策に疲れた人々には、古式マッサージの店が非常に安い料金で我々を誘い癒してくれる。 何とみっちり2時間で800円(チップ込み)である。

  この町はタイでも最北に位置するので、バンコクがいくら暑くても、朝夕は長袖が必要なほどで、我々観光客にとっては非常に過ごしやすい。つまり居心地が抜群に良い。アクセスはタイ航空が一日3便と民間航空が数便あるので、非常に便利である。

 明日からは、ボロバスをフルに利用し、現地の人の中の混じりながら、周辺の町あちこちを旅をするのだ。 私はタイでは一番好きな町なので、これからしばらくはこの町を中心に書いてみたい。

  
 なお、ホテルやトレッキングの斡旋をする旅行社は、数社あるようだが、私はいつも日本語の通じる Jトラベルの世話になっている。 Jトラベルのオーナーは日本人の女性で、いつも手際がよい。

 ホテルは北タイと東北タイの殆んどが網羅されていて、支払いは事前に日本の銀行に振り込めば、メールでバウチャーが届くから便利がよい。

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チェンライよ おまえもか

チェンマイのアーケードバスターミナルの窓口で、チェンライ行きのキッフを買おうと並んでいると、車掌が外から飛び込んできて、一人でチェンライまで行く人はありませんかあ。 と叫んだ。
誰もいないので、仕方なく手を挙げてパイチェンライと答えると、手を引っ張って動き始めていたバスへ私を誘った。

 何のことはないゴールデントライアングル行きのハイクラスのグリーンバスに、空席が一つ出来たのだ。まあ空気を運ぶよりいいわなあ。

Photo  タイの道路は広くて直線なのが多いのだが、チェンライへは長い曲がりくねった山道を、3時間走り続けて、眠っていればチェンライに到着する。

 さて、眠りから目を覚ますと何やら騒がしい。もしかしてチェンライか。

  降りようとしている人に聞いてみると  やはりチェンライだそうだ。しかしこんなターミナル、見たことないぞ。

 これまでのターミナルとは見違えるほどの美しさ、運転手に聞いてみてもチェンライバスターミナルだという。

 バスを降りた私にトゥクトゥクの運転手が寄ってきて、どこまで行くかを聞いてきた。私がボーコーソー(バスターミナル)だと答えると100Bで行くから乗れという。
このバスターミナルからチェンライバスターミナルまでは100B、じゃあここはどこのバスターミナルだ。

 このターミナルは最近出来たバスターミナルで、町から大分離れたところに違いないと気づいた。タイのバスターミナルは意地が悪く、町の中心部から数キロ離れたところに作られていることが多い。

 客には大変不便だが、ターミナルまで客を運ぶソンテウやトゥクトゥクを潤すためなの見え透いた策略なのだ。

 ついに素朴なチェンライの街も、悪事に手を染めたらしい。それにしてもトゥクトゥクの  100Bは高い。

 そんなはずはないとタイ人の動きを見ていると、ターミナルの一番端に動いていく。
これだ! このソンテウだ。 と気づき運転手にパイボウコウソウと尋ねると、行くから乗れとの答え、正解である。

ここで分かったのは、私がいつも使っていたボロバスのターミナルを「ボーコーソーヌン」といい、新しくできたターミナルは 「ボーコーソーソン」 と呼んでいて、ここはエアコンバスやVIPバスのような上級バスの専用ターミナルとして使用していることであった。

 15分ほど待って、ソンテウは動き出した。このソンテウは昔からのターミナルを経て山の方の村まで行くらしく、それぞれにかなり高い料金が記されていたが、ターミナル1まではわずか10Bであった。

そして、今晩から5泊するチェンライの中心部ある「ワンカムホテル」にチェックインした。

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 このホテルは朝のバイキングが付いて、一泊4,300円くらいで宿泊できる。

 周囲には古式マッサージがよりどりみどり、まったく過当競争をしている。
 ナイトバザールや屋台街へは徒歩5分とロケーションは最高である。

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チェンライの朝市の終わった後は

  朝市が終わる頃、黄色い袈裟を着けた僧侶の托鉢が始まる。三々五々に列を作って今日一日の糧の喜捨を受けるのである。 この托鉢僧は全員が裸足で町のなかを歩き回るのだが、熱心な仏教徒である人々は毎朝喜捨(タンブン)を欠かさないようだ。

  すると僧侶は有り難い経の一節を、ムニャムニャとのたまう。 この托鉢によって、喜捨をした人々は善根をほどこしたから、心の安心と来世の幸せを約束されるに違いない。 

 侶は善根の手伝いをして経を授けたので、信者の心を救ったことになるらしい。 

それにしても、タンブンをするために毎朝、夜が明ける前から喜捨する食べ物を、たくさん作って待つのは、家族が数人新しくできたほどの労力とがいるはずだが、なかなか出来ないことである。

 タイにはこんな仏教徒が珍しくない。ひるがえって日本ではどうだろうか。
日本では仏教が本当に根付いているのだろうか、私なども今だかってタンブンなどしたことはない。
自分のことを棚に上げながら、疑問を覚えるのである。

 そして、あなたの宗教は何ですか。と尋ねられれば仏教です。などと臆面もなく答えている。
仏教が何たるかを理解していない私で恥ずかしい限りだ。

 こんな風景を眺めながら、ホテルへの道を歩いていると市場で野菜を売っていた人が、正装をして仲間と山へ帰るピックアップトラックを待っていた。
国籍はタイかどうかは分からないが、深夜山から降りてくるのは大変ですな。

  写真を入れることにしたのですが、送ったはずの写真が翌日には消えてしまいます。
どこが悪いのか確認是正出来るまで、お見苦しいと思いますが、ご容赦ください。

 



 
  

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