チェンセン

誰しもそんな願望はあるのですが

 2年ほどにもなるだろうか、友人のN氏夫妻とチェンセンの街の散策に出かけた。N氏は高校の友人でダンス教師のかたわら、カメラを持たせると京都の写真展で連続して入賞している変わり種である。

 今回が2度目のタイ訪問で、観光写真は撮らない。.田舎の生活が表現されるような作品であったり、遺跡も美しく修復されたものではなく、苔むして昔が偲ばれるような写真がねらいであるらしい。

Photo  そのあと城壁を北回りに歩くことにした。ここには道路脇に中学校があって、休み時間になると、どこからともなくお菓子屋やジュース屋のリヤカーがバイクに引かれてやって来る。

 休み時間と共に生徒がわらわらと運動場の塀際に駆け寄って、塀から首だけを出して、おやつを楽しむのである。

 こんなことをすれば日本では先生からきつい指導を受けるか、教師対生徒のトラブルに発展するかであろう。

 タイでは絶対にトラブルにはならない。時には先生も塀越しに買っていることが有るのだから。 地方の学校によっては、昼休みともなれば校庭に屋台の3~4軒も並んで食事やおやつを食べている。 学校も細かいことを云わないし、指導などと頑張ることもない。

 この日は運悪く塀越しにおやつを買う光景の写真は撮れなかったが、どこからか大音量の音楽が聞こえていたので、そちらに向かって歩いた。

 ボリュームを最大にして音楽を流すと言えば、タイでは結婚式か葬式か、いずれかと思われる。 結婚ならば親戚はもちろん、音楽に引かれて見ず知らずの人も入り込み、目出度いメデタイと云いながら、飲み食いする輩がかなりあるらしい。

 葬式も同じことで大きな音楽が流れてくれば、堂々と入り込んで飲み食いにあずかる。音量を上げた音楽は慶弔をやってますよ。ご一緒にどうぞ。との呼び水になっているのだ。

 さて我々3人はかなり歩いて音源近くまでやって来た。結婚式か葬式か? 道には大型スピーカーを備えた音楽専用車が、これでもかとばかりに大音響をばらまいている。

 現場の横を通りかかると、突然声がかかった。「日本の方ですか」  エッ そうですが。 そこには30人ほどのタイ人が飲めや食べろのどんちゃん騒ぎ、声をかけた人だけが日本人だった。 私達も賑やかしに仲間入りして、食事を十分ご馳走になった。

 今日は家の新築祝いだそうで、大勢のタイ人に囲まれて、日本人はたった一人だったのでつい声をかけました。 彼は千葉県のYさんで、日本語の出来るチェンセン美人と結婚して両親の家と、夫婦の居宅兼ゲストルーム3室が完成した祝いだそうだ。 いいなあ。

 どうも会社の関係で日本とタイを往復されているらしく、私が留守でもチェンセンに来られたら遠慮無く泊まっていってください。とありがたいお言葉をいただいた。

Photo_2  

 2010年3月に前を通って見ると、ご夫妻は日本に出かけているとのことであった。

 あれほどどんちゃん騒ぎをしていた、庭も綺麗に整理してあった。

 いつまでも仲良くしてくださいね。

 メコン河の畔には遊歩道が作られていて、その木陰のベッドでタイマッサージを受けながら、対岸のラオスを眺めるのも至福のひとときである。

下流には新たな貨物船が、5艘ほど入っていた。

Photo_4  もう少し上流には、中国から輸入した果物をはじめ、木の実、雑貨品などの店が、たくさん並んで、中国製品のバザールをやっている。

 中国の観光ツアーのバスも立ちよって、ツアー客みんな、お土産の購入に忙しそうであった。

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チェンセンの裏通りを歩く

 チェンセンの町に入ったすぐの所にある 「ワットチェディールアン」 にまずお参りする。 お参りの後、チェンセンは使用できるトイレが極端に少ないので、境内の土産物屋の裏にひっそり隠れているトイレを是非使っておきたい。Photo_4

 今日は表の大通りを通らず、あえて裏通りに点在する遺跡を探索しながら、メコン河に向かって歩くことにした。

 家々の庭にはバナナやパパイヤが実を付けて目を楽しませてくれる。

 しばらく歩いて敷地の跡と思われる雑草地に見事なパパイヤが実り、美しい花が咲き乱れていたので思わずカメラを向けた。

 この瞬間離れたところにいた近所のオバサンが、大声を上げながら小走りに近づいてきて、止めとけという。 (そのように受け取れた)

 写真を撮って何が悪い。 オバサンはしゃべり続けているが、意味が理解できない。  仕方なく、私は日本人でタイ語は少ししか分からない。と言うと彼女は私の顔をしばらく見ていて、突然笑い始めた。

 なめているのか! とムッとしたが、彼女の笑いが彼女の勘違いに対するものと分かってきた。 この土地の持ち主は性格が悪いから、土地を買うのは止めた方がよい。要するに親切でお節介なオバサンが、買い手と間違ったらしい。

 どこの国にもこういう人はいるものである。 このあとオバサンの家の前で、同じ話し好きのオバサン3人の、カモのなりながらイチゴとジュースをご馳走になった後、再びメコン河に向かって歩き始めた。

 色々な果物や花を愛でながら、東南方向に歩いていくと、ついにメコン河に突き当たった。 

今日はかなり下流の方へ出たようだ。 とある店で足が止まった。麺屋が見えたからだが、黄色の麺(バーミー)を亭主が打っている。タイの主流は米麺だから、珍しくて中に入った。 打つところから茹でるまで自分でやってくれるが、こんなところでこんな美味しい麺が食べられるとは思わなかった。発見はあるものだ。

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 引き返してチェンセン港に出ると、遙か中国の雲南省から下ってき貨物船が7隻、停泊していて苦力が荷揚げをしていた。船には中国国旗が掲げられ西納版名(シーサンパンナの文字が記されている。

 西納版名は雲南省にあるタイ族の故郷で、稲や茶の発祥の地とも云われ、納豆、味噌、醤油などが常食されていて、懐かしく身近に感じる中国の南端である。

 中国、ラオス、タイ、苦力が重い荷を肩に荷役している様は、まさに蟻の行列のように見えた。

 川岸のベンチに座り涼風に当たりながら、対岸のラオスの村や山並をながめる。    メコン河の流れは、時間の流れと同じように、ゆったりと流れていて、日本での些細な出来事など綺麗に忘れさせてくれる。

 

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ローカルバスは 昔の日本にもあった

 これまで北タイの田舎を走るバスをボロバスと、何度も書いてきたが、私はこのバスが大好きだ。

 こんな心が温まるバスは滅多にあるものではない。  何故なんだろうと考えるのだが、車体は車検制度があれば、廃車は確実だし引き取り手もない。 メーター類は故障はしてはいないが、部品によっては無い物もたくさんある。

Photo  いつぞやは、窓が全部閉まっていたからエアコンバスが紛れていると喜び勇んで乗ってみると、全部壊れていて開かないだけのことだった。

 また雨季で豪雨が降りしきっていても、前後に付いている乗降のドアは開いたままである。

 では何が良いのか。これは多分女車掌と乗客の醸し出す雰囲気であろう。

今日はいつもより遅く、9時に発車するバスにした。バスターミナルのチェンセン行き乗り場に近づくと、元気な若い女車掌にチェンセン行きはもうすぐ出るよ。とせかされる。 

 乗車するとき「私はワットパサック」 (パサック寺) だから着いたら教えてね。 と依頼すると、よく分からないよ。  チェンセンの有名なワットパサックを知らないはずがない。  知らないのではなく、私の発音が理解できないのだ。  いつものことなので驚かない。

 ふと気が付くと運転手の後ろの坐席に、3歳位の女の子が後ろ向きに顔だけ出して、乗客に笑顔を振りまいていた。キャッキャッと声を出しながら、実に可愛いいのである。

 発車間際に、日本の青年が一人で大きなリュックを持って乗り込んできた。ゴールデントライアングルかラオスにでも行くのだろう。

 バスが走り始めてしばらくすると、女の子がぐずりはじめた。 それをあやしに行くのは女車掌だ。何と優しい車掌なんだろう。 すると間髪を入れず近くのオバサンがだっこして、すやすやと眠り始めた。

 車掌は客の荷物の上げ下ろしから、お年寄りの世話や座席への 誘導、乗降を全て取り仕切るバスのコンダクターだ。 愛嬌たっぷり賑やかに車内を暖かいムードに作り上げていく、20代後半の車掌は見事であった。

 女の子をひざの上で眠らせていた、オバサンの目的地が近づいてきた。すると車掌は女の子を日本の青年に託した。

Photo_2  何か変だ、母親はいずこかと観察を続けると、どうやら車掌が母親らしい。3歳位の子供をつれて仕事中だった。

「私の娘は日本人のひざの上だ」 と大声で吹聴して乗客と一緒に喜んでいる。  日本の若いの、車内に溶け込んでいるのがとても素敵ですぞ。

 日本ならお年寄りや身体の不自由な人に座席を譲りましょう。とか携帯電話はご遠慮ください。などと機械的に放送しているが、こんな放送に心のあろうはずはない。

 子供連れで仕事をするなんてと非難をする人もなく、みんなが譲り合い和やかに目的地に着けば、それでいいではないか。 なんか人間的でホッとするではありませんか。 何も口を挟まずに笑顔で、車内のことは全て車掌に任せていた運転手も偉い。

 私が子供の頃、田舎で乗ったバスが終点に着いて、運転手がボク今日はどこまで行くのと聞いてくれたので、駅まで行って汽車でおばあちゃんの所へ行くの答えると、一人で偉いねえ、駅まで送ってあげよう。と2㎞の道を空のバスで送ってくれたことがあった。

 日本にも昔は人情とか思いやりとか良いことがたくさんあったが、今では規則とか権利とか、もやもやしたことが横行して、すっかり心がすさんでしまったように思う。  

 タイには今でも 日本の昔が脈々と生きているようで、とても心が和むのだ。Photo_3

 バスはワットパサックに近づいてきた。

 私が車掌に合図をするとバスを停車させて下ろしてくれた。もちろん停留所ではない。

 ここには後世まで、その姿を残した仏塔がひっそりと建っていた。

 

 

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チェンセンの町

 チェンセンは大河メコンが流れ、太古の遺跡が新しい町に同化している。その上ラオスを対岸に持ち川岸に設けられたチェンセン港には、中国雲南省から常時貨物船がやってくる。非常に興味深い町である。

Photo_5 

 チェンライから いつものボロバスに乗って、1時間30分でチェンセンに到着した。この町の突き当たりに、インドシナ半島随一の大河メコンがあって、膨大な水を下流に運んでいる。
この川の恩恵を受けつつ、チェンセンの民は古より生きてきたのである。

 乾季である3月なので、対岸のラオスでは、生意気にも重機と大型トラックを使って砂利の採取に余念がない。遅まきながらも建設工事が忙しいようであった。

 チェンセン王国は700年前に建設された古都で、この小さな王国は外敵の侵略から国を守るために、前面のメコン川を楯にして王国の背面に、町を守る土塁を建設したのである。

 この土塁は城壁の役目をしていて、現在もその形をとどめているが、土塁は長い年月によって放置されたため、チークの大木によって占領されてしまった。
この城壁の中央部分に切れ目があって、現在ではここが町に通ずる重要な道路となっている。

 あるとき私は、この城壁の入り口でバスを降りて南に向かって歩いてみた。城壁跡は遙か彼方まで続き、高いチークの大木が、我が世の春と云わんばかりに繁茂している。
土で出来た粗末な道は、細々と城壁から離れることなくどこまでも付いてくる。

 草に覆われた所々に、太古の遺跡が一部を覗かせ存在を主張している。

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そして時折現在の人家が遠慮がちに遠望できる。 

 誰一人行き交う人もいない土道を、汗を拭き拭き歩き続けた。

歩くことが苦手なタイ人なら、100メートルも離れていたら乗り物に乗るお国柄なのに、私の姿を見たら奇異に見える、いや気が触れているとしか写らなかっただろう。

 炎暑の中、水もなく3時間40分かかって、外壁はついにメコン川に到着したのだ。 先を見通すことが出来ない道、誰とも会わない道はことのほか遠く感じるものであった。

 このあと人間社会に立ち返って、人家に入り込んだ所にひっそり立つ 「チェンセン・リバーヒル・ホテル」 に入り込んで、冷たいビール(小瓶)を飲んでお昼寝、最終バスの時間があるのでお暇をして、ボロバスでチェンライのホテルに帰った。

 翌日の朝、私は再びチェンセン行きのバスに乗った。
城壁の残りの半分を歩くためである。北側の半分にもチークの大木が多く茂っていたが、道路は舗装がなされて、小学校や人家などの家並みがあって、人の文化が見られたので昨日のように、孤立感は感じなかった。

 こちらの町の外れは、古い昔の監視所になっていたであろう遺跡が残っていて、突き当たりがタイ海軍の施設であった。
この2日間で城壁を完歩したのだが、暑かったのでとても長いように思えたが、 メコン川畔を加えると全長8キロメートルの小さなチェンセン王国であった。

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