ピサヌローク

トップランドホテル

 ピサヌロークのトップランドホテルは、街の北側を東西に貫く国道沿いにある。
このホテルを利用し始めたのは、街で唯一のデパートとつながっていて、一人旅には
非常に便利なためであった。

 特に雨期には雨の心配なく、買い物も食事も、更には古式マッサージも建物内ですませることができる。

 デパートの最上階のフードコートには、十数軒の屋台が並び、ビールすら置いている。雨で足止めをくらったときなど、一人座って時間をかけてビールを飲みながら食事をするのは、 これは便利なものである。 眠くなればここがホテルだ。

 古式マッサージもホテル内にあるのだが、普通の独立した古式マッサージ屋に比べると便利ではあるが、いろんな意味でお薦めは出来ない。

 市内を走るバスや郊外に向かうバスの停留所がホテル前にあるので、何処へ行くにも道路を横切る必要も無く便利である。

 ホテルの裏側にはこの町でも有名な、長い名前のお寺があって朝の散歩でお参りしてみると、参詣の人がとても多かった。これはお参りすれば霊験あらたかで、必ずご利益があると云われていた。

 珍しく長雨が続いた9月のある日、急に思いついてスコータイ遺跡へ行くことにした。ホテル前の停留所から、バスターミナルへ向かう小さなバスに乗りこんで、ターミナルについてみると、まさにスコータイ行きのバスが出るところだった。

 バスの車掌が、パイナイカ (どこへ行くの) と聞いたので、スコータイと答えると、更にムアンカオ?(古い町?)と聞き直したのでうなずくと、乗るな。

 スコータイというのは新しい街のことで、ムアンカオは古い町つまり遺跡のことなのである。だからスコータイ行きに乗ると、ソンテウに乗り換えて更に14㎞は走らねばならないので、ターク行きのバスが良い。ターク行きのバスは遺跡の中の道路を通るので、直接遺跡前まで乗ればよく、この方がはるかに便利である。

 遺跡前の自転車屋で自転車を借りて、水とパトンコーやお菓子を入れたリュックを背に、明るい日差しの中でのんびり遺跡を探訪する。スコータイには遺跡が300個所以上有りとても一日では見ることは不可能だ。そのため城壁内の主立った10個所くらいの遺跡にとどめてもいいだろう。

 その上、アユタヤとは異なり交通の便が悪いので、観光客は非常に少ない。このように広大な遺跡が熱帯雨林の中に、数百年間も放置されていたとはとても信じられないが、現在は立派にその姿を見せているので、是非とも探訪したいものである。

 

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ピサヌロークの街

 ピサヌロークという街の名前は、タイらしくない名前のように思うのだが、バンコクとチェンマイのおよそ中間に位置し、有名なスコータイ遺跡にいく玄関口に当たる街である。
 
 街の中央にはにはナーン川が流れ、その川には水上生活をしている人たちの家々が数多く浮かぶ、夕暮れも近い時刻などに散歩をすると、学校帰りの子供達が細い渡し板を上手に渡り、家々をゆらしながら屋内に消えていく。

 こんなのどかな田舎の町ではあるが、バスはもとより国鉄北本線の駅もあり、その上タイ航空の飛行機も飛んでくる。この街から西へ向かえばスコータイからターク、もう少し進むとメーソットというビルマとの国境である。

 また北へ進路をとればチェンマイやチェンライに達し、ビルマやラオスに接している。そして東へ行けば天険の山脈を越えて東北タイへ抜けられる。このように東西南北へ進むことが出来る要衝の地なのだ。

 夕日に照らされたナーンの川面は、キラキラと輝きまことにのどかである。その川に沿った通りが薄暗くなる頃、あたり一帯が屋台となって、街の人や旅人を誘ってくれる。とても風情があって、食欲をかき立ててくれる。

 この屋台通りの入り口には大きな看板があって、その看板には日本語で「空飛ぶ野菜炒め」と書かれていた。野菜炒めを注文すると空から皿に乗って飛んでくるらしい。誰が書いたか知らないが、せっかくの旅の気分を台無しにしているように思えて気に入らない。

 適当な夕食を簡単に食べて、いったん近くにあるパイリンホテルに引き返した。ホテルに帰って驚いた。 ロビーには20人くらいの女子高生が制服姿で立っていて、私がロビーに立つと一斉に「サワディーカー」 お、なんだなんだ。

 ああ驚いた。彼女たちはこのホテルで体験学習をしている高校生なのだ。そして彼女たちは何人かづつに別れて各階に配置されていった。今回パイリンホテルに宿を取ったのは、このホテルからナーン川が一望出来るからだったが、暗い川面を眺めてみると水上家屋やレストランの明かりが、優しく揺れて幻想的であった。

 年を重ねると朝の目覚めが早いので、まだ暗い4時頃からそっと散歩にでかけようとした。何と各階の廊下には数人ずつの女子高生が立っていて「サワディーカー」。ロビーに降りても、また「サワディーカー」だもの。全く落ち着かない。

 幾ら実習といえども夜を徹してまでやって大丈夫か。日本の高校が同じ事をやったら、いっぺんに親から人権蹂躙と抗議が来るぞ。

 駅の近くまで歩くと、何と煌々とした裸電球に照らされた道路が出現し、その道路には
名も知れぬ野菜、取れたての魚類の数々、美味しそうな果物、鶏や豚の肉、亀や虫などが山積みにになって売られている。これは朝食後にもう一度来なければならぬ。

 ホテルに帰って朝食を済ませ、興奮冷めやらず、7時30分頃にもう一度駆けつけてみると、夢か幻か朝市は跡形もなく消え失せて、車やソンテウが行き交う普通の道路であった。

 霊界から出た悪魔のように、光と共に消え失せた朝の市場は、チェンライの朝市と同じ形態であった。

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勇気ある日本の若者

 私くらいの歳になるとパソコンは持っていても、メールに年賀状、ワードくらいの使用で、なかなか新たな機能を使うことなどは出来ない。 ま、歳もとしだからと、適当にやっていたのだが、娘に勧められてパソコン教室に通うことになった。

 私が通い始めた教室は、近鉄モモの中にあって、親切丁寧な4人の先生に手取り足取り指導をうけた。教室にはコーヒーや紅茶、など飲み物が置いてあって、非常に居心地の良い教室であった。

 しかし認知症予備軍のような私なので、少ずつしか進むことは出来なかったが、それでも楽しく通うことが出来たのは、優しいインストラクターの皆さんのおかげである。 そして一年も過ぎたある時ブログをやってみませんか。と優しく声をかけられて、やってみるか。と始めたのが一昨年だった。

 そして始めたブログは、タイの旅に特化することにした。これまでブログなど考えたこともなかったので、タイの写真などは使えそうなものが無く、しかたなく文章を書きつづるだけのブログとして出発した。

 地理的に考えて、タイの中央部から始めて全体に広げていこうと、中部のピサヌロークの町から始めてみた。全体に範囲を広げるまでに、当然挫折をするであろうと思ったが、何とか皆さまに励まされて今まで続いているのは驚きである。

 読み返してみると第1回目のブログには 、こんな事を書いていた。    ピサヌロークのバスターミナルは、町の中心からかなり東に離れている。このバスターミナルには英語の表記はなく、すべてタイ語で純国産の非常に不親切なターミナルであった。

 ミミズが柔軟体操しているように見えるタイ文字が、読めるはずもなく、行き先にはいつも神経をつかっている。ある時私はターミナルから、ホテルへ帰るためバスに乗った。
  
 発車まぎわのバスに、見事な金髪青年が飛び乗ってきた。乗客の視線は一斉に青年の金髪に注がれている。

 このバスは田舎町ではあるが、料金は生意気にも距離制である。さっそく車掌が行き先を尋ねるのだが、彼は自分の行き先が答えられない。

 リュックをかき回して、やっとガイドブックを探しだしたが、急にはページも繰れない。その間バスはどんどん走っていく。こんな時の焦る気持ちはよくわかる。彼のガイドブックが日本語のように見えたので、お節介なタイスキおじさんは、「何処まで行くの」と声をかけた。

 と 金髪青年は大声で 「日本語が話せるんですか」 ま、私も日本人の端くれなんですよ。何処まで行きたいの?と聞くと 「エキ駅」。 鉄道の駅であることを確認して、車掌に告げるとコップンカーで一件落着し、彼はキップを手にすることが出来た。

 気がつけば、私が降りるトップランドホテル前のバス停は、はるか後方に去っていた。
車掌に小声で停車を告げてそっと降りると、金髪の若者と車掌が笑って手を振っていた。 言葉が全く出来なくて頭は金髪でも、一人で旅している彼の勇気はほめてやろう。

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ピサヌロークから東北タイへ

 イサーンと呼ばれる東北タイは、山深い山間部や塩害に悩まされ耕作に向かない田園が多く、日々の生活は恵まれない地方と云われている。 イサーンと接するのはラオスとカンボジア両国で、クメール帝国以来民族交流は深い。

 したがって、タイ東北部の人々は皮膚の色が多少黒く、身長も小柄な人が多い。そのうえ主要な産業もなく、地味が悪いため農業すら、収穫は期待できない。殆どの地方で生活のためバンコクなどへの出稼ぎに頼る生活を余儀なくされている。

 詳しいことは分からないが、バンコクやチェンマイなどの人々は、イサーンの人々を貧しい田舎の人と、一段下に見ているように思えるのである。

 私などは生活は貧しくとも、素朴な田舎の様子を見るにつけ、昔の日本を見たように思って懐かしむのである。バンコクでイサーに行ってきたなどと話すと、何でそんなところが良いの。といぶかしい目で見られることが多い。 でもイサーンは楽しいのだ。

 バンコクからイサーンに飛ぶ飛行機はあるが、北タイから東北タイへは飛行機がほとんど無く、いったんバンコクまで帰って改めて東北タイをめざして飛行機に乗り換えねばならない。
この事実は、ラオ系の人々への差別感が、強く働いているのではないかと思うのだがいかにも不便である。

 タイには詳しい弟に聞いてみると、最近はチェンマイから東北タイのウドムタニ空港まで民間航空が飛んでいるらしい。その後ウドムタニから、ラオスのビエンチャンまで乗り継げるとの話しであった。

 日頃からこんな思いを持っていたので、ある時北タイのピサヌロークから、バスを使って東北タイのコンケンをめざす旅に挑戦することにした。厳しい山道を直線距離で250㎞バスで走破するのである。

 京都の大学に留学中のエンさんの実家で、ご馳走になったジュースが思った通りとても甘く、いつまでも口に残る。タイの飲み物は暑い国なのか、コーラ、ペプシ、ジュースなど何を飲んでも激甘で私には向かない。
  
 タイで飲めるのは、ミネラルウオーターとオレンジやスイカなどを直接絞ったジュースとリポ(リポビタン)くらいであろう。

 バスはピサヌロークから一時間もすると、山間の険しい道路に挑戦を始めるのだが、その前にガソリンの補給をとばかりに、スタンドに入っていった。土地の広いタイではガソリンスタンドは、コンビニとトイレを必ずと言っていいほど併設している。

 乗客はトイレで用をすませ、食堂で軽食を食べてコンビニでおやつを買うのである。もちろんバスは、スタンドでガソリンを飲んで乗客を待っている。
そして休憩を終えたバスも乗客も、機嫌良く次の目的地を目指すのである。

 バスは高い峠をあえぎながら登っていく、左の谷底を覗くと渓谷を汽車が走っている。渓谷の川の水は、タイには珍しく透明である。
 
 タイ国鉄の北本線(バンコク~チェンマイ)が汽笛を鳴らしながらのんびりと散歩しているかのように動いている。山を走るバスは登っては谷をなぞり、いろいろな山の姿を提供してくれる。

 野生のバナナが、あちこちに自生して、たわわに実をつけている。谷底に近い場所にある少数民族の村、峠の上から彼方に見えるのも、山岳民族の村々である。この人たちは何を生業にして生活をしているのであろう。 何を考えてこんなに山深い場所を生活の場所にしているのだろう。





 

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ピサヌロークのあれこれ

 トップランドホテルは便利がよい。買い物は3階の通路を通ってショッピングセンターへ行けばいいし、夕食も5階のフードコートがあるから10数軒ある屋台を利用すれば、たとえ雨が降っても濡れることはない。何より有り難いのはフードコートにビールがあることだ。

 ホテルの近くには、霊験あらたかな寺院があって、いつも参拝客が絶えることがない。そのお寺の先ではナーンの流れがゆったり流れている。水上家屋が並び、子ども達が遊ぶ、こんな夕暮れ時の景色は抜群である。

Photo_2  慌しい旅に終始していたので、夕方のナーン 川は心が落ち着く。

 ピサヌロークにはこれといった見所は少ないが、この町はチェンマイ、ランパーン、スコータイなどの中継基地のような役割を果たし、田舎都市にしては珍しく飛行機も汽車も、市内循環の小型バスもそろっている。

 ナーン川に沿って少し下ると、川沿いに屋台街が出ていて、雨以外はいつもかなりの賑わいだ。

 そして誰が名づけたか知らないが、日本語で看板が 「空飛ぶ野菜炒め」 などと書かれていて、ものめずらしく日本の旅行者が注文している。

 ま、これも愛嬌か。出来上がった野菜炒めをフライパンで投げて、それを店員がお皿で受け取るだけのことである。

 朝目覚めのよい方は4時頃に鉄道駅の前の通りに出かけると面白い。道路一帯が沢山の裸電球で煌々と照らされて朝市が開かれている。 後でもう一度などと考えて、食後に行ってみると朝市は跡形もなくなっている。

 スコータイへの旅も終わりに近づいた。健康を懸念していた会長氏もよく動いた。帰国して数年後に会長氏の様子を伺ったら、認知症が出ているらしい。 今では私も当時の会長氏と同じ位の歳、足が動いて頭も少しは動くうちに、もう少し頑張って旅に出てみようと思っている。

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スコータイ遺跡を後にして

 正午ころから自転車で駆け回り、出来るだけ丁寧に鑑賞をしようと思うのだが、こんな広い遺跡は2~3日位の日程でも十分回りきれるものではない。時間も気になるので後ろ髪を引かれる思いで遺跡を離れることにした。Photo   

 自転車を返す前に池の畔で休憩して、帰途についたが、この池は十一月のロイカトンの時、月を愛でながら灯籠を流して、祖先を偲ぶ場所として全国的に有名である。

 今回の旅はピサヌロークで一泊して翌日のタイ航空でバンコクへ帰る事にした。

 ピサヌロークはスコータイからバス利用となるが、所要時間は1時間30分くらいのものである。

 日本で発行されているガイドブックには、遺跡前からソンテウに乗ってスコータイ新市街でピサヌローク行きのバスに乗り継ぐ、と書いてあるが、無駄なことはしなくていい。

 自転車を返した店の前でバスを待てばいい。回数は多くはないが、ミャンマー国境にほど近いタークという街から、ピサヌローク行きのエアコンバスが遺跡前を通るので、このバスを止めて乗ればいいのだ。

 自転車屋の小学生くらいの子供が、道路脇に椅子を持ち出して、バスが通のを見張っていてくれたので、冷たい飲み物を飲みながら、休憩することが出来た。車掌にロークのトップランドで降ろしてくれるよう依頼して、居眠りタイムとする。

 平がる水田地帯の直線道路を単調に走るので、寝むりに落ちて目覚めた時バスは大きな川を渡っていた。この川は有名なナーン川で、沢山の水上家屋が並んでいる。

Photo ここからがピサヌロークの市街地となる。橋を渡ってほどなくの停留所で下車した。ピサヌロークバスターミナルまで行ってしまうと、市街地まで帰るのにまたバスに乗らねばならなくなる。

 下車したところは大きなショッピングセンター前、このショッピングセンターと17階建ての巨大なトップランドホテルが繋がっているのだ。

 最初に来た頃は川の景色が一望でき、夜の屋台街や朝市にも近いので、パイリンホテルをよく利用していたが、ホテルの老朽化が進んできたので、最近はトップランドを利用することが多くなった。

 どうしても今日やらねばならぬ事は、明日の航空券の確保である。ピサヌロークとバンコクは毎日3便のフライトがある。 とるもとりあえずタイ航空のオフィスに行って、バンコクまでの空席を調べると昼頃の便に空席があった。これで明日はバンコクまでばっちりだ。

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