パッタニー

ああ無情 たどり着けない彼の漁港

 雑誌に載っていた漁港のカラーコピーを手に、勇んでホテルを出たのだが漁港までの距離がかなりありそうだ。 トゥクトゥクは生徒達の下校にすべて奪われているし、私の酔狂な行動に合致するような交通機関は見つからない。

 交通整理をしている警官に近寄って、漁港の写真を示してここへ行きたい、と教えを請うと右への道を指さすが、道は遙か彼方まで続いている。困っていると警官はチャイニーズと聞いたので コンイプンと答えたところ、いきなり交差点に入って交通整理を再開した。

 しばらくして走ってきたトゥクトゥクを、道路脇の警官詰め所の前に寄せ、ここへ行けと不幸な運転手に漁港のコピーを手渡した。悪名高く、泣く子も黙る警察官ではあるが、日本人にはめっぽう優しいことを知っているので、卑怯かもしれないがまた頼ってしまった。

 ところがである。 今少しで漁港を見ることかなわず、引き返すことになろうとは。
 漁港に着く直前に、一転空がかき曇り台風並みの風と共に、雷と水が手を携えて落ちてきた。

 バケツの水をそのまま落としたような、土砂降りのスコールだ。 9月の南タイは雨季のまっただ中であることをしっかりと教えてくれた。

 情緒溢れる漁港の風景を楽しむ私のもくろみは、はかなく霧散してしまったが、ずぶ濡れになりながら走ってくれた不幸な運転手には感謝した。 

  夕食にタイ料理の食堂か屋台にでも行くか、と思っていたのだがスコールが延長戦を続けているので、ホテルのレストランですませることにした。

 こんな寂れた町のホテルなので、他に客の居るはずもなく、私一人の夕食である。
 海の近くなので、イカ焼き、海老の天ぷら、名も知らぬ魚の唐揚げ、野菜炒めなどに、
ビールを頼んで淋しい夕食となった。ビールの追加を頼むが、ウエイトレスはなかなか来ない。

 テレビの音が大きくて、奴らには声が届かないのだ。 遊んでないで仕事をせんか。気の弱い私は大声もたてず、足を運んで調理場の中を覗くと、やはりテレビに熱中して大笑いをしている。
 
 それもタイ語のアニメで、4人の従業員は楽しそうに笑い続けている。私に気づいて一緒に見ようと誘うなんぞ、日本ではあり得ない。

 ふとテレビに目を移すと、エ! これはなんだ、 日本のアニメじゃあないか。
だって、画面の中のお店には漢字で鈴木商店と書かれていて、その前には「特別大安売り」の幟が出ているんだから。 鈴木商店の店員のタイ語がペラペラでうらやましい。

 言葉はタイ語に吹き替えられても、大売り出しの文字までは替えようがなかったのだろう。鈴木商店さん、おかげで従業員と和やかなひとときが持てました。 コップンカップ。

 翌朝目覚めて耳を澄ますと、激しい雨の音が聞こえてくる。こりゃ駄目だ。 漁港を眺める望みが絶えたので、パッタニーでの連泊はやめた。とにかくハジャイまで帰って、航空券の変更がうまくいけばバンコクへ帰ろう。

 パッタニーはまた来ればいい。今度は乾季に来ようと思ったが、その後二度と行けずにいる。

 イスラム過激派の分離独立運動が盛んになり、パッタニーでは銃撃による死者が日常茶飯事のような厳しい状況が続く。これでは行きたくても行けない。 

 ここは14~19世紀は、タイではなくパッタニー王国であった。住民の80%以上がイスラム教徒でビルマ語を話す。 元のパッタニー国として独立を叫ぶ気持ちも分からぬではないが、長く続く紛争が解決しないものだろうか。

 

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異国情緒あふれるパッタニー

 運転手がわざわざホテル前でバスを止めて降ろしてくれた。 町で最も大きいホテル 
「マイガーデン」だそうだ。

Photo_3 フロントでは10代とおぼしき女性ばかりが、6人も井戸端会議中 「こんにちは」 と声をかけると会議は即刻終了して、営業用の笑顔に変身した。


 部屋はありますか。一泊いくらですか。 朝食は付いていますか。

と聞いてみると朝食はついてないらしい。

 マレーシアの至近距離の町なので、タイ語もどき が通じるか心配していたが、何とか意思の疎通は出来たようだ。ヤレヤレ。 さて、荷物を置いて、寛ぐ間もなく外出してみた。

 すると、少し離れたところに大変な人だかりができている。騒ぎは小学生たちの下校であった。 校門付近はバイクやトゥクトゥクで、子供を迎えに来た親たちでごった返しているのだ。  なんと過保護な! 
 
 学校の前はもちろん校門の中まで、お菓子に甘い飲み物、果物や麺類の屋台までもが並んで親と子供で商売繁盛、こりゃ毎日が文化祭のバザー状態ではないか。
 ああそうか、授業時間が終わったら、あとの行動は親の責任が常識なのだ。タイの先生に生活指導なる言葉は無縁なのである。 うらやましいことですな。

 考えてみれば学校は学習をするところ、先生は校内の規律を保ち、学習指導に専念すればいいのだ。

 これはごく当たり前の事かもしれない。日本の教師はスーパーマンではあるまいに、扱えないほどの仕事を押しつけられて、ダウン寸前に陥っているように見える。

 出迎えのお母さん、授業を終えた児童も女性は、大半が色とりどりのスカーフで髪を覆っていてとてもかわいい。
Photo_2 

これほどたくさんの女の人たちが、スカーフを着用している姿は映画以外では見たことがなかったので、どぎまぎしながら見とれていた。右の写真は高校生の下校風景の一部。

 今回の旅にパッタニーを選んだのは 「ほほえみの国タイ」 という雑誌に起因すると書いたが、イスラム女性の素敵な笑顔の一端には接することができた。

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マレー半島を南下するミニバス

  ハジャイの空港から町の中心まではタクシーで40分あまり、運転手はパッタニーまでこの車で行くよう盛んにすすめる。

 あまり薦めるで、いくらで行くかを聞いてみたところ、1500B(約4,500円)だという。1500Bで乗れば、運転手の家族が4日は暮らせる。でもパッタニーまでは地元の色々な人と一緒がいい。なのでバス好きの私は首を縦には振らない。
 
 パッタニー行きのバスターミナルは、道路脇にテーブルがたった1個、置かれたところがバスの始発停留所だった。 この程度の扱いのバスであれば、パッタニーの町の規模は想像できる。

 切符を売っているおばちゃんが、パッタニーはどこで降りたいのと聞いてくれるのだが、まだ何も決めてないのでわからん。でもホテルの確保が一番だろう。 しばらくしてやって来ましたパッタニー行きのバス。  うーんハジャイでは古いライトバンの事をバスと呼ぶらしい。
  
 なるほど辞書にもバスとは「乗合自動車」と書いてある。客を乗せる自動車であればバスなんだ。 私のバスに対する認識が間違っていた。 そしてパッタニー行きのバスは動き始めた。

バスの乗客は女性ばかり、しばらく走って、次ぎに乗る客もすべて女性である。
私は年はとってもただ一人の外国人、彼女たちの視線の対象になって、乗り心地はきわめて悪い。

 その中でも母親に連れられた3~4歳の女の子が、一人前にスカーフで髪を覆い、前の座席から後ろをチラチラと振り返り、私と目が合うとにこっと微笑む。

 可愛いい(ナーラック) と思わず声をかけると、母親が同じ顔をして笑顔で振り向き、ありがとう。 いいですねえ。

 広い道を疾走するバスの車窓からは、さすがマレー半島と思わせる美しい海の連続である。反対側に目を転じると樹木の大半は椰子の木、その奥の草地には牛がのどかに
群れていて、北タイや東北タイの風景とは、ひと味もふた味も違う。

 さらに道路沿いでは、塩田や海老の養殖場が堂々と景観を損ねている。
 この海老を輸入して、飽食にふけるどこかの国も、南国の自然破壊の共犯者と云われてもしかたがない。  海老好きの人は、時に立ち止まって自省することが必要かもしれない。
  2時間ほど走った頃、パッタニーの町に近づいて、乗客が次々に降り始めた。
残った乗客も運転手も、私がどこで降りるのか、気が気ではないらしい。 初めて私は
ホテルに行きたいと運転手に告げると、乗客の皆さまがたには ホッとしたようすがありありと感じられた。 ご心配をかけましたなあ。

 パッタニーのブログからは外れますが、2010年3月から、政府の治安部隊と反政府デモ隊との2ヶ月にわたる紛争は、死者85人と1,400人以上の負傷者を出して、何とか解決の兆しを見せはじめた。

  しかし北部や東北部ではまだまだ火種を残しているようで、チェンマイもチェンライも、さらにはランパンまでも、午後8時から午前5時までの外出禁止は続いている。

 この夜間の外出禁止令は、一応23日(日)夜で解除されそうだが、ナイドバザールも 有名な朝市にも大きな影響がでて、観光客や一般市民の被害が少なくない。この紛争の形の上での解決を見たので、時間と共に従来通りの平穏なタイの姿が見られるに違いない。 一刻も早くと祈念している。

 


 

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初めての南部へ いざ出発

 期待を胸に早朝ドムアン空港に着いた。 南に向かう51番ゲート前付近は、多くの若い日本人観光客が、賑やかに待機している。

 この男女の若者集団は、プーケット行きのボーディングが始まると、きれいに姿を消してしまった。 やれやれ!

 それにしても若者たちが去った後のゴミの散乱は、旅の恥はかきすてと云うものの、常識からは完全に逸脱していた。

 かりにも外国の準国際空港で、裾やすねをわざと破ったジーパン、半ズボンなど、いい合わせたように、古ぼけたゴム草履をはいた姿では、いくらリゾートへ向かうにしても他の乗客からは、大ひんしゅくを買っていたのは当然であった。  

 タイ人の通学する服装や通勤姿などを見ると、毎朝必ずパリッとアイロンがかかって身だしなみが非常にいい。 生地の悪い制服などピカピカに光っているが、アイロンさえかかっていれば、そんなことはどうでも良いのだ。

 ほほえみの国の人達は、笑顔で接しながら、他方では服装で人を厳しく評価している
ことを忘れない方がよい。 と、おじさんは呟くのであった。
Photo_2 

 私は急上昇していく小型機に搭乗するのが好きだ。可能ならプロペラ機がさらによい。

 機はチャオプラヤ河に沿って南下していくので、バンコク南部の地形がよく見える。 

 以前、渡河したことのある河口の町、サムップラカーンもこうして見ると、まだまだ本当の河口は南に伸びているのがよくわかる。

 河口から海に出ると、赤く染まった帯がかなり長く尾をひいている。チャオプラヤの大河が、700キロにわたる人々の生活の残滓を運んでいるのだから、赤潮の発生もやむを得ないだろう。

 真綿のような白い雲の切れ目からは、藍色に輝く海面が現れて、白い航跡を描く船が
幾艘も交差している。
 と、雲がすべて切れてきて、マレー半島に沿って白く長いビーチが延々と伸びている。
これは何という美しさだ。 素晴らしい地図が眼下に果てしなく続いてとぎれることはない。

 半島の西側に見える高い山並みはビルマ(ミャンマー)である。 今日は低空飛行を
予測して、窓側の座席をリクエストしていて十分値打ちがあった。

 地形から判断すると、サムイ島もプーケットも後方に去っていったので、後しばらくでハジャイに着陸する予定である。

 思った通り、しばらくすると高度が次第に下がり、山のすぐ上を通過して滑走路に着陸した。だが、飛行機は滑走路で大きくバウンドをするような、恐怖を覚える着陸であった。

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衝動的な南への旅

 私は日本海に面した町で子供時代を過ごした。当時は岬にある畑の仕事も、山の手入れも、すべて和船を使っていた。
 
 高校生の頃、裏の桟橋から出航する定期船に乗って、汽車に乗り継ぎ、二つ離れた町にある高校まで通学する毎日だったが、丹後縮緬の産地ともあって紡織科、機械科、普通科、染色を主眼とする化学科が設置されていた。

 何の間違いか、将来の確たる志望も持たないで、化学科に進学したのだ。 この高校の三年間で担任から「君らの将来は、会社の中堅幹部だあ」と叱咤激励され続けた。それなのに私だけ級友とは異なった進学という道を選んでしまった。

 このとき就職ではなく進学を選んだことが、私の人生を大きく変えてしまった。 それはさておき、今でも「海」を見ると非常に強く郷愁を感じるのは、子供の頃の海辺での生活が起因しているからだろう。

 ある時バンコクのホテルで、何気なく一冊の雑誌を見ていた。
そこには綺麗な漁港の写真が掲載されていて、ページをめくるにつれて、この港を実際に見てみたいとの思いが募って、早速実行に移すことにした。

 雑誌に掲載されていた漁港の写真を見ただけで決めたつもりだが、本音は赤色や青色をした漁船もさることながら、漁港の片隅に写っていたスカーフを頭にしたイスラム女性の姿に、こよなく魅力を感じたのも一因である。

 衝動的に計画をしてしまったし、動機としてはやや不純な面があったかもしれない。だが、旅とはそうゆうものなのだ。

 さっそく調べてみると、目的地はタイとマレーシアとの国境近くにあって、漁港とイスラムのモスク以外に、見るべきものは特にない町、と書いてあった。 が、いいんです。 行きたいと思ったのですから。


 この町の名前は、プーケットより更に南にあるパッタニーという。バンコクからバスを使って往復すると31時間はかかるそうで、こりゃあかん。
 
 裕福という言葉には生まれてこのかた縁はなかったが、バンコクからハジャイ(ハートヤイ)まで飛行機を使うことにした。
 さっそく シーロム通りにあるタイ航空のオフィスへ行って、明日からの往復航空券を
購入したが、距離が長いだけあって、料金はなかなかのものだ。

 突然の旅なので、何の下調べも準備もせず、飛び出す楽しさは、ひとり旅の醍醐味である。

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タイの南部では

  イサーン横断の旅からは、少々話題は横道にそれますが、今日の朝日新聞の記事を見て、何も分からないが憂いている。

 タイは微笑みの国と呼ばれるほど穏やかな国であり、当然タイの人達も、御仏を敬う優しい国民だとかねがね思っている。
私はタイを旅することは多いが、これまで一度しか南部に足を向けたことはない。 それは南部が危険だからである。

 タイの国民6,400万人のうち80%が仏教徒で、そのほか仏教徒以外の一つにイスラム教がある。 このイスラム教の人たちの殆どが南部のマレーシア国境に近いパッタニー、ヤラー、ナラーティワートの3県に居住している。

 どのような事情にあるのか私には詳しいことはよく分からないが、イスラム系の人達はタイから分離
独立を目指して動いているそうだ。
今日の新聞 (2010,1,13) によれば、南部3県では2004年から爆弾テロや射殺事件によって約4,000人の犠牲者が出ているようである。

 イスラム過激派のターゲットは、タイ国軍や仏教徒、それに準ずる民間人となっている。 となると
信仰心が薄くとも私達も当然この中に入っているのだ。
有名観光地となっているプーケットも南部には違いないが、イスラム過激派が活発な南部3県からは離れているので、一応安全であると云われている。

 3県には犠牲者の数が増加の一途を辿っているので、仏教徒の自衛組織が出来ているが、指揮系統があいまいで規律に欠け、拷問や暴力、レイプなどが多発してまだまだ危険であると記されていた。

 ハジャイからソンテウで南下したときの、陽気なイスラムの人々、南部で一番美しいと云われたモスク、パッタニーの小学校ではスカーフを頭にした子ども達の笑顔などに接して、もう一度機会があればぜひ訪ねてみたいと思う旅であったが、なかなか事態は解決しそうではない。

 タイのバンコクやチェンマイ、コラートなどでは、このような南部の出来事はほんの一部しか知られていない。
タイでは日本のように、新聞が宅配されて読むという習慣がないので、危機意識が全体に行き渡らないのかも知れない。

 行きたいところがたくさんある南部地方なので、和解の成立を心から願っている。 



 

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