ハートレーク

もう少し思ったこと

 土産物を売っている小道まで帰ってきたとき、女性の大声が聞こえてきた。一人の女性が、あたりの店の人々に罵声を浴びせ、物を投げつけ喧嘩をしていた。
タイの女性は優しく親切で、ほほえみを欠かさない。「微笑みの国タイ」ではなかったのか。

 時には大喧嘩もし、嫉妬深く男性より怖い存在であることをかいま見てしまった。
こんな女性達を相手に、日本の多くの健男児が奮闘努力のかいもなく、嫉妬におののきながら、逃げ回っているのはよく聞く話である。

 気分を変えようと海がよく見えるお店に入って、コーヒーを頼んだ。出てきてたコーヒーの甘いこと甘いこと、こんなコーヒーは初めてだ、よく見るとカップの底には解けきれない砂糖がどっさりと沈んでいた。サトウキビが特産の国はさすがである。

 なお、コーヒーという発音は、タイでは実に卑猥な言葉なので気をつけて カフェと云はねばならない。 バンコクのような日本人が多いところでは、ああ日本人がまたあんな事を言っている。とひんしゅくを買うだけで済むが、田舎などでは……

 これを知ってはいるが、習慣とは恐ろしいもので、ついコーヒーお願い、等とやってしまい嫌な顔をされることがよくある。

 帰りのソンテウを待つ間、私は軒下で雨宿りをしていた。 突然横から手をだしたのは、赤ちゃんを抱いたカンボジアの女性である。 反射的に私は横に首を振っていた。

 雨にぬれて赤ちゃんを抱いた女性へのタンブン(喜捨)を、無意識に拒否していたのである。心ならずも無視をしてしまった行為は、長く自分への嫌悪として残ってしまった。

 旅もツアーではない一人旅には、今回の旅のように苦しみを味わうことが幾度もある。
だが、いつまでも記憶に残っている旅は、やはり楽しい旅なのだ。

 

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国境の村で思ったこと

 2時間ほど国境の街を歩くうちに、たったゲート1本で、国の豊かさが何でこんなに違うのだろうか。人々の表情もタイ人のほうが生き生きしているし、話すタイ語も優雅に聞こえる。特に女性の会話なんか、内容は分からないが、楽しくなるような美しさがある。
 
 おなじインドシナ半島なのに、長く続いた内戦の影響で、国力が疲弊しているのか、それとも社会主義国家が貧困を呼ぶのか。 

 村には30軒ほどが集落を形成していて、おみやげ物の店と漁業を生業にしている人たちが混在している。

Photo  土産物屋の前の小道を海岸の方へ進むと、突堤の途中から船が出入りしていた。
 港から延びる防波堤の突端まで行ってやろうと、歩き始めて気がつけば近くの小屋から自動小銃の銃口が私に向けられていた。 

 引き返す途中に小屋の前に行ってみると、3人の国境警備兵がいたので、私は日本人、ここはどこですか。 と知っていても聞いてみる。 

 ここはタイだ。  堤防の向こうを指してカメー(クメール)と教えてくれた。
 
よほどの事がない限り彼らが発砲をしないことは分かっているが、気持ちのいいものではない。

 日本の近くには北○○のように、短絡的に発砲射殺する国もあるので、タイボケをしていてはならぬと改めて自省した。


 

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カンボジアとの国境だ

 食事もとらず空腹のままソンテウの客となった。 国境へ行く客は6人と少ないが、
野菜、日用雑貨品、文房具、衣料など荷物が多いので、足の踏み場もない状態であった。

 小雨になってきているが、右手に見える海は相当な波が打ち寄せている。6時30分にハートレークに到着した。

 この村には道路の途中にゲートがあって、それを越えるとカンボジアである。  
カンボジア人(クメール人)たちはゲートが開く午前7時まで、列を作って小雨の中でを待っていた。

 午前7時きっかりにゲートが上がった。 カンボジアから大勢の人々が一斉に駆けてくる。みんな雨に濡れ、足もとは裸足か よくてゴム草履、濡れたタイのバーツ紙幣を握りしめている。
Photo  私はカンボジアへ入国したいと、パスポートを提示して交渉してみたが、どうしてもビザなしでは入国できなかった。

  駄目で元々なんだから、悔しくも何ともない。

 タイに入ったカンボジアの人たちは、道路に並んだタイの露店に駆け寄り、少しでも安い物を、いい物をと物色して、売り手と値段の交渉をしている。

 これが毎日繰り返されているのがここの国境のPhoto_3姿なのだ。

 後の方から遅れて入国してきたカンボジアの少女が、タイの硬貨を握りしめ、お菓子をたった一個だけ買って、服も黒い髪もずぶぬれになりながら、一人でカンボジアへ帰っていった姿は、強烈な印象として今でも私の脳裏に刻み込まれている。

 カンボジアで生きることと、日本で生きることには、大きな違いがあることに気づかされた。

 物が溢れ、飽食を当然と考えている日本の生活は、ある意味で危機的であるかもしれない。

 

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苦難はいつまで続くの

 バスを降りた客は、それぞれ迎えに来ていた車で闇の中に消えていったが、この土砂降りの中でどうして泊まるところを確保すればいいのだろう。

 客を拾い損ねたソンテウが一台ウロウロしていたので、どこでもいい泊まれるところへ
連れて行って欲しい。 と懇願しトラートの町を探しまわるが、どこにも潜り込めるところはなかった。宿無しとは俺のことだ。など笑っている場合ではないのだ。

 この町に無ければ次の村をさがそう。嫌がる運転手をチップの力で、なだめすかして
50㎞ほど先のクロンヤイの村までやってきた。

 それらしき宿を探して三軒目で、オヤジがまだ起きていた。 拾う神かそれとも鬼か。
雨の漏らない空室があったのだ。 今度の旅で始めて安堵の気分を味わった。
 さっそく粗末なホットシャワーをあびて、ふと見ると排水口から大きな蛙が覗いていた。

 オヤジのところへ行って、ハートレークへの行き方を聞いてみると、朝の5時にすぐ近くからソンテウが出ることがわかった。 あと一時間半で出発だからまったく寝ることはできない。

 ベッドも家具もやけに派手な部屋だったが、ここは使途の異なるお二人様専用の宿であった。それでオヤジは深夜でも起きていたのだ。 こんな状況では横になれればどこでもいいのだ。
 
 まもなく部屋の角で、かすかな音がしてトッケートッケーと大きな鳴き声が聞こえだした。
これは見ない方がよい。壁際の机の裏でトッケーが鳴き始めたのだ。

 声はかわいいが、極彩色の20センチもあるトカゲが住み着いているのだ。(このトカゲは、タイの部屋にはよく住んでいるが、特に害はない。でも気持ちは悪い。)  


 
 

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多難極めるカンボジア国境

 国境の町、と聞けば島国で育った私は、たまらなく魅力的に聞こえる。ゲートをくぐれば、そこは異国であった。 などとロマンチックじゃあないですか。

 私がタイへ通い始めた初期の頃である。 南国の雨季の何たるかを知らず、愚かにも旅はタイの最東南部でカンボジアとの国境の村、ハートレークを目指してみた。

 ハートレークの村まで行くバスはなく、トラートの町が終点で、その町までは約6時間で到着するそうだ。 タイのバスは過剰なまでの冷房を誇っているので、今回も防寒対策としてチョッキ、防寒ヤッケ、ホカロンなど万全の準備で、バンコクの東ターミナルを夕刻出発した。

 さっそく女性の車掌がケーキとペプシコーラを配って歩く。長距離バスではサービスに、社運を賭けているかのようだ。

 今回のバスもご多分に漏れず最大のサービスである冷房は、震えを誘うべく快調に稼働している。今日も有り難い意地悪が始まった。私のホカロンも腿に背中に始動開始である。 肌寒い雨季に冷房などまったく不要なのにバカなのか、いやいやこんな状況でもサービスは大切と心得ている国なんだ。

  出発して3時間も経ったろうか、凄い雷鳴とともに激しいスコールがやってきた。雨季の8月だもんなあ。  しばらくたってあちこちで声がする。何とバスの天井から雨漏りが始まったのだ。地獄の責め苦の始まりである。

 不幸にもバスの中なのに、ずぶ濡れの人が出始め、どうにもならない。  これでも
冷房は動いたままで、寒さは極限に近い状態になってきた。私も左半身が水の被害を受けた。 乗客多数の猛烈な抗議を受けて、やっと冷房はきられた。

 それでもバスは走り続けたおかげで、深夜の午前2時に土砂降りのトラートにたどり着いた。ここが終点なのでこの豪雨の中に放り出され、深夜なので身動きすら出来ない状態になった。

 

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