チョーンメック

思いもかけぬ 忘れ物

 チョーンメックの村は赤茶けた道路の両側に、三十軒ほどの人家(店)と国境ゲートがあるだけ、 京都の写真界では名の知れたN君は、Y氏とともに撮影に余念がない。適当な時間を見計らって国境ゲートへ誘った。

 さまざまな目的で出入りする、服装の異なった人々を見ているだけでも楽しい。彼らも被写体が多いので、撮影も忙しそうでごくろうである。 暇な私は国境の警備をしている係官に、パスポートだけで入れないか聞いてみた。分かっていますって、ビザがないのに入れるわけがないというのでしょう。聞いてみただけです。 

 しかし、数百メートル離れた道路の脇にラオスの市場があることを知っているので、
未練たらたらしいポーズでせめてそこまでは、とウロウロしていた。 今回も同じである。なにがしかの金額を支払えば、国境警備の係官が手書きの簡易ビザを書いてくれるのだ。

 日本のお年寄り3人は、恐る恐るラオスへと歩み始めた。 すぐ近くにはラオスの警備員が5人も見ているので、カラ元気を出して市場へと歩く。道路から少し降りたところにある市場には、欲しくなるような物は全くない。

 N君はと見れば市場の入り口付近で、赤ちゃんを連れた若いおばさんに、何かを買って
写真を撮っている。 なるほど。 しかし彼の被写体となるのは、人生の終着駅で下車の準備をしているような人が多いのだが、今日はどうしたのか若いですね。

 このようにラオスの市場の風景や、独特の衣装を身につけた、少し色は黒いが南洋の美人がたくさんフイルムに記録されたもようである。

Photo  十分に写真は撮ったし、見る物も見たので、タイ側へ帰って昼食をしようと、再び国境を越えた。

 この時気づいたのだが会長Y氏の大切な物が無いのである。こんな事ってあるのか、困ったどうしよう。

 会長A氏 がなくした物は入れ歯、この入れ歯をバンコクのホテル

 彼は私より6歳ほど老齢だが、あと5年もすれば私もこうなるのかと思えば、侘びしさも人ごとではない。

 しかしバンコクではホテルの部屋をメークした女性はさぞ驚いたたことであろう。

 こればかりはどうしようもない。取りに帰るにもバンコクから640キロも離れていてバスなら片道14時間もかかる。かといって薬局へ行っても買えるはずもなく、手のうちようはない。

 考えても、どうすることも出来ないことなので、不自由だろうが諦めるしかない。昔の人は歯が無くなっても生きていましたがな。  同情はしても、何の手伝いも出来ないのが残念ですが、4日間がまんしてくださいね。

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国境の街とはこんなものだ

 チョ-ンメックの村は赤茶けた道路の両側に、30軒ほどの店と国境ゲートがあるだけ。国境の街らしく、篭を中心とした竹細工、雑貨、衣類、食料、植物などが置かれた小屋のような店が、立ち並んで結構賑わっている。

 私は駄目で元々と、ゲート横にあるタイのイミグレーションへ寄って、ノービザ・ラオタラートと云ってパスポートを出すと、返事はシップバーツ(30円)との返事だ。じゃあ200メートルほど離れたラオスの国境市場までは行けるんだ。

 しかし30円でラオスへ入れるはずがないんだが、係官は粗末な紙切れにタイ語で意味不明なことをサラサラと書いてくれた。そして90円を支払ってスタンプをポン。行動限定一日ビザが確保できた。これは正式なビザではないので、彼らの煙草代になるのは当然である。堅いことは言わないのがタイ人なのだ。

Photo  恐る恐る入ったラオス、ラオの警備兵が何人もウロウロしとる。タイのイミグレで渡された紙切れを、後生大事に握りしめ、道路脇から下ったところの、ラオス市場に足を進めた。

 考えてみると買う気もないのに、市場と聞けば寄ってみたい。見てみたいという気になるのは何故なのだろう。この習性は誰でも遺伝子として伝えられているのだろうか。

 道路から少し降りたところにあるタラートには、色鮮やかな衣類、国籍不明のジョニーウォーカー、時計などの偽物が、各種取りそろえられて日本の半値くらいで並んでいる。

Photo_2  しかし日本のスーパーで、漬け物に目を引かれているような おじさんには魅力はない。

 左の写真はラオスの市場の入り口である。

 ものの1時間くらいでタイ側に引き返し、村の中を再度歩いてみた。売られているものを品定めをするより、色々な人を見ることが楽しい。

 重そうな荷物の天秤棒を担ぐ少女に、了解を得て写真を撮った。お礼に味覚糖のキャンディーを渡すと、母親がさっと取り上げて自分の口に入れ、残りは当然のように自分の袂にしまった。まさに虐待である。Photo_3 

 変わり種の店は多種にわたっていて、実に面白いのだ。

 緑のバナナの房が山積みになっていて、その山の上には首輪を付けた猿がお留守番。その隣ではスプレーで色を付けたヒヨコ、訳の分からぬ骨董品、蘭の苗など実に不思議な品揃えだ。

 中でもラオスから入ってくる、竹を利用した工芸品がバンコクの半値くらいだ。しかし、いくらお買い得であっても、かさばって日本に持って帰れないのが残念である。
 ラオスの子供連れのおばさんや、若い女性達が一列になって、かごを背負って小高い山道を登っていく。 朝早く荷物を背負ってタイへ入り、商売が終わってラオスへ帰るのだ。

 小学生くらいの少女も混じっているが日本と違い学校なんか行ってないんだ。国境を接する2国の人はIDさえ持っていればゲートを自由に行き来できるのだが、面倒なのか抜け道を辿る人が多かった。彼女たちの後を追えばラオス入国は可能だろうが、まだ捕まるのは少し早いので、無謀な行為は避けた。
     


 

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ラオスとの国境 チョーンメックへ

 タイとラオスの国境は何ヶ所もあるが、メコン河を渡らず陸路で外国人が通過できるポイントはここだけである。まあ国境だから仕方ないが、遠くて不便なところで、タクシーを使っても一日がかりである。

 昨日の気のいい運転手のタクシーが8時30分に迎えに来るので、その前に市場に出かけた。 熱帯のタイでも夜明けは寒いので、まずは5時から開いている豆乳屋の屋台に座った。ここは中国系の親父がいつも炭火を使って営業している屋台で、寒いときには何にもまして美味い。

Photo_2  食べた後、アローイ(美味しい)と言うと、、屋台の親父が「アリガト」と日本語だ。

こんな遠いところでも物好きな日本人が入っている証拠である。

 この飲み物は、サークーンピアという名で、豆乳にココナッツミルクを入れて、湯葉、キャッサバ、きくらげ、麦などが入った、熱いスープ状の飲み物だ。これが寒いときに美味いのだ。

茶碗一杯が15円なので、日によってはお代わりなどしてしまう。

Photo_2 右の写真で、川の対岸一帯が市場だが、その市場で露店を広げているのは、どこの国の人か予想も付かない。  野菜、果物、魚介類、鳥類、茸に穀類など、食べられそうなものなら何でもあるという品揃えなのだ。

 ウボンラチャタニーを含むイサーンの人達は、ルーツが同じだから色が浅黒く背が低く、お世辞にも美人とは云えない。だからみんな同じ顔に見えるのだ。

 食べられそうと書いたが、蛙、昆虫類、蟻の卵、亀、トカゲなども食べられるものの範ちゅうなので、当然売られている。それがまたよく売れるのだ。

 さて、昨日の運転手が、約束通りホテルまで迎えに来て出発準備は整った。今日は事務所を通していないので、ガソリン代はサービスとして往復で3000円で行きますと云うが、当然でしょう。この2日間で半月分以上の稼ぎになったのだから。

 平原の広い道路を130㎞のスピードで走っていく、その道路脇を小学校の児童が3人歩いている。学校はおろか見渡すところ家屋すら見えない。どこまで歩くのか知らないが、暑いのに大変だなあ。この道路脇には100メートル事にタイの国旗が立っているが、今はロイカトンや象祭りの時期なのでその関連であろうか。

 ウボンを出て1時間ほど走ると巨大な湖が見え、岸辺には放牧の牛が遊び、沖合にはクルーザーが湖面を走る。運転手に聞くとムーン川の支流の人造湖クアンシリントーン湖とのことであったが、それにしても琵琶湖を思い起こさせるような湖であった。

 出発して1時間40分湖を過ぎ、初めての山道にさしかかり、ついにチョーンメックの村に到着した。ここまでタクシーを使わずソンテウに乗り継いで来ると、半日はかかり、ウボンラチャタニーまでの日帰りはまず不可能だ。

 ソンテウを利用する旅人は、チョーンメックでラオスへ入国して悪路を通って、ラオスのパクセの町へ向かう人たちだろう。

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