ムクダハーン

一芸に秀でた者は何でもこなす

 思いもかけぬお手伝いをいただき、温かい鍋と暖かい気持ちを馳走になって夕食は終わった。
今日のメニューは、ムーガタ、焼きめし、野菜炒め、ビールで一人580円である。さすがに田舎の料理は、バンコクとは比較にならない安さである。

 ホテルへ帰るとラウンジのピアノの曲が急に替わって、懐かしい日本の曲を奏で始めた。どうやら一目見て日本人とバレているらしい。数曲は聞く振りをして、拍手などを送っていたが、私は眠くなって部屋に引き取った。
 
 朝起きて彼らに聞いてみると、遅くまでダンスに酔いしれていたらしい。 N君は写真の他にダンスの講師を、三カ所ほど受け持って指導している、これもまたプロなのだ。タイの 田舎の女性が離すわけはない。この上に面打ちまでこなすと云うから、その才能は尋常ではない。

 それに引き替かえ俺の一芸はなんだ。タイ旅行と音楽を聴くこと? なんと寂しいではありませんか。己の努力不足を顧みず、ああ無情と嘆く私であった。

 気を取り直して、メコン川の夜明けの写真を撮りに行った。ラオスの空が次第に明るくなり、一条の光が川面に刺さり、じつにすがすがしい朝を迎えつつあった。
 対岸のラオスの鶏の鳴き声や犬の声がかしましく、川面に映る漁師の夫婦船が一幅の絵を描き出していた。

Photo_4 

 ムクダハーンの街は、バンコクからVIPバスで11時間、最寄りの空港までは3時間と非常に不便な田舎である。特にきわだった名所はなく、メコン河の風景と色浅黒いイサーンの人ばかりで、外国の観光客は殆ど見かけない。

 ホテルはプロイパレスホテル(4500円)、ムクダハーングランドホテル(ほぼ同額)くらいが適当だろう。 ただプロイパレスの方は、朝食に難がある。

 バスで行った場合、ターミナルからトゥクトゥクを利用しないと、歩いて街の中心には出られない。プロイパレスホテルと言っても通じない場合が多いので、ポーイパリーホテルと言い直すと多分うまくいくと思う。

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タイ女性は怖いけれど優しいのだ

 夕食は前に食べて美味しかった、近くの庶民的な食堂へ行った。ところが食材がちらほらケースにあるだけで客はいない。賑やかで気さくなおばさんの姿も見えない。
 日本には栄枯盛衰などの言葉がありますが、タイの田舎にも厳しい問題があるのかもしれない。

 しかたなく屋台街と反対側の通りを歩いていると、煌々と灯りをつけたムーガタ屋があった。ムーガタというのは、円錐形の鍋で下の円形部分には水を張って水炊きを、中央の山形の部分では豚肉を焼く変な鍋物である。

 寒さも少し覚えていたので、炭火を使うのは有り難い。さっそくムーガタに挑戦してみたが、こんなもん出来るかい。すぐに豚肉が焦げ付いて煙をあげ、見るも哀れな状況となった。 会長氏はおいガスを止めなあかんで。とおっしゃいますが、これは炭火でっせ。

 普段料理などやり慣れてないおじさん連が、見たこともない鍋など無事に出来る訳がない。これは無謀という物だ。

 隣のテーブルでは、二組の若い男女がビールを飲みながらムーガタを楽しんでいたが、外国人のおじさんが苦戦していることに気づいた。これだけの噴煙だもの従業員も気づきそうなものだ。

  すると、ここで救いの神の登場である。隣のテーブルの一人の女性が私たちのテーブルへやってきて、従業員を呼んで鍋の取り替えをさせ、最初から手際よくやり直してくれた。
 彼女はできあがったムーガタ(焼き豚)と水炊きを、我々おっさんの小皿に分け入れてくれ、調味料の使い方を説明して、自分のテーブルへ笑顔で去っていった。 ウーン秘訣は豚の脂身を最初に焼き、その脂を使って肉を焼けばよかったのだ。

 男友達は、彼女が見も知らぬおっさんのテーブルで、かいがいしく世話を焼いているにも
かかわらず、にこにこ笑顔でビールを飲んでいた。彼は大人物である。いやいやここで彼女に文句でも言おうものなら、後が怖いのだろう。

 タイの女性は事と次第によっては恐ろしいが、本当は笑顔が素敵でとても優しいのだ。

Photo_2  メコン河がタイ領に沿って流れているのは、ゴールデントライアングルから下流である。

 我々がメコン河の雄大な眺めに感動するのは、ラオスとの国境、チェンセン、ノンカイナコンパノム、ムクダハーンなどで、タイを訪れるたびに、ああまたメコンが見たいと思ってしまう。

 この写真は左のメコン河を眺めた後、川岸前方を見たところである。

 この前方に向かって足を進めると、インドシナマーケットにたどり着く。ただ残念なことに売られている商品は、ラオス、中国、ベトナムなどの、安物雑貨が多いのでお薦めは出来ない。

 このマーケットの手前に砂糖黍を搾って、ペットボトルに入れて、クーラーボックスの氷でよく冷やした飲み物を売る屋台がある。疲れたとき暑い時に飲めば生き返る。

 

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ムクダハーンの街は

 今日は朝からカンボジアの大平原を見に行ったので、目的のムクダハーンまでは、走行距離が370キロとお年寄りには若干ハードである。いつもなら、「これがまだ動くのか」と思えるボロバスを愛用していたから、今回のように、いい男のタクシー利用は破格の出来事である。 

 かまわんかまわん 一日中タクシーを乗り回して、一人3300円だ。などと太っ腹な
事を言っているが、この三人で支払った料金は運転手の半月分の給料に相当するのだから、運転手にとって、今日の稼ぎはありがたいことだろう。
 
ムクダハーンの高級ホテルと言われる、プロイパレスホテルに飛び込みで宿泊することができた。ホテルから東へ15分ほど歩くと、母なる大河メコンが乾季にもかかわらず滔々と流れていた。 何度見ても壮大なメコンの姿である。

Photo_2   ラオスへのイミグレを眺め、ふと上流を見ると大きな橋の工事が進んでいた。

この橋はアジア東西回廊と呼ばれる。ベトナムのダナン港を起点にして、ベトナム、ラオスを通過し、構想ではタイを経てミャンマーの西海岸モーラヤミャンまで続くインドシナ横断ハイウエイだ。

 昨日行ったチョーンメックにも、その数年後に大きな近代的な道路が出来て、素朴な国境の味が台無しになってしまったが、この東西回廊が作られると、ムクダハーンの街の魅力もかなり影響を受けるのではないか。

 ここの第二メコン橋と呼ばれる橋の建設にも、日本が円借款の形でとして80億円つぎ込こんでいるのだ。

 今回の旅の2年後に橋の袂まで行ってみたが、完成間近な橋は実に立派だったが、橋はムクダハーンの街から5㎞も上流にあって、どうやら景観を台無しにしただけで、町には何の恩恵も無いとのことであった。

 考えてみれば、5キロメートルも先に立派な自動車道が出来ても、日常の食料や衣料品を高速道路を利用して、買い出しに来るラオスのおばさんなどいるはずはなく、ムクダハーンの鄙びた街は昔と変わることなく、メコン河を小舟で行き来する風景が見られるに違いない。

 大河メコンに敬意を表した後、ホテルへ向かってしばらく歩くと、大通りは車の通行が禁止され通りの400メートルほどが、夜の市場に衣替えしていた。
 この市場は美味しそうな料理を中心に、果物やお菓子、飲み物がたくさんあって、見ているだけでもお腹の虫が騒ぐ。 ただ家庭用の料理ばかりで、その場で食べることは出来ないのが難点だ。

 夕食準備の女性達で溢れかえるこの市場は、私どもには縁のない存在だった。 彼女たちは気にいった料理を買い求めて持ち帰り、夕食として家族みんなで食べているのだ。
雨季の間は雨が多いので、スコールでもきて屋台が閉まれば、夕食抜きの家も出てくることだろう。

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ムクダハーンの朝

  夜明けを告げる野鳥がひとしきり鳴いて、目覚めたのでカーテンを開けてみた。
ラオスの山並みの一点が明るくなり始めて、次第に朝焼けの気配が広がり始めた。思う間もなく大きな太陽が顔を出して、朝の開幕を告げた。 本当に綺麗だ。

 100メートルほど離れてダナンマーケットがあったので、散歩をかねて偵察に出向いた。
広大な食材ばかりの市場で、上品なものから虫やトカゲ、亀にカタツムリまで顔を揃えていて飽きることなく時間は過ぎていった。

 市場はその町の表情が色濃く表れているので、買い求めることは全くないにもかかわらず、よほどのことがない限り、見に行くことにしている。

  チェックアウトをした後、ホテルの近くを走っていたトゥクトゥクを止めて、サタニーコンソン(バスターミナル)と言ったのだが、全く通じない。 それならと、ボーコーソーまでというと意志が通じた。

 バスターミナルのことを、サタニーコンソンとも云うし、ボーコーソーとも云う。 使ってみるとイサーンでは、ボーコーソーを使う方が相手に伝わりやすいようだ。

 ターミナルからウボンラチャタニーへ行くバスに乗ると、さっそく車掌が切符を切りにやってきた。
「ウボン」まで というと60バーツ(180円)だったので、今日のバスも約3時間はかかりそうだ。

  普通バスが町や村々で停車して、田舎の人達の暮らしの様子が垣間見られるのは楽しいのだが、私の年ではバスの移動は最近5時間くらいがリミットなのだ。 3時間なら安心だ。

 今日の行程もメコン川に沿って南下する部分が多いと見えて、沿道にはトウモロコシ、西瓜、煙草などの栽培が多く見られ、おまけに何故か木炭もたくさん売られていた。

 行き交う大型トラックには、今にも横転するのではないかと思わせるほどの、砂糖キビを積んで轟音を響かせて去っていく。 コンケーンあたりの製糖工場へ運ばれるのだろう。

 遠足の小学生が炎天下、先生を先頭に2列に並んで旗を立て、整然と歩いていく。
日本の生徒なら、こんな暑さのアスファルト道路を2列に並んで歩かせるなど、怒鳴ってもすかしても至難の業なのに、タイの生徒も先生も偉い。

 タイの先生は社会的地位が非常に高く、権威ももちろん高い。 そのために、生徒も保護者も、先生を信頼して、その指導を素直に受け入れているのだ。 羨ましい事ですねえ。

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プロイパレスの町一番はどうした

  夕食をすませてホテルの部屋に入って異常を感じた。小さな虫が飛び回っている。
何だこれはとよく見れば、無数の蚊の群れなのだ、何が町一番のホテルだ。 怒り心頭レセプションへ行って部屋の変更を迫った。 私の部屋近くは、隣の部屋も向かいの部屋も蚊の養殖をしている。

 こりゃあかん。もう一度レセプションに出向き殺虫剤をすぐ用意するように、抗議をして廊下で待つこと10分、 私の部屋の前に立ったのは幼い少女で殺虫剤を手にしてオドオドとしていた。
子どもだったら、むげに怒鳴られることはないだろう。との見え透いた行動だ。

 幼い子どもにさせるわけにもいかず、手にした殺虫剤を部屋とロッカー、浴室などにまき散らしていたら中味が無くなった。 部屋が煙るほど噴霧したからもう大丈夫。後は部屋から出てしばらく部屋はそのままにしておこう。

 行くところなく、食堂のオヤジに聞いてマッサージに行った。今日のマッサージは特別だ、まるでアクロバットさながらの、柔軟体操の練習ではないか。これでは年寄には酷というものだ。
今日は鬼門とみえて、何をやってもうまくいかないようだ。

 早々に切り上げてホテルに帰ると、ロビーでは綺麗な調べが流れていた。 ん、 これはどこかで聞いたことがあるぞ、女性がタイ語の甘い声で歌っているのは 「アカシヤの雨」 続いて「雪の降る町を」
であった。

 酔っぱらってその歌を口ずさんでいると、それを耳にしたピアノのお兄さんは、前奏から奏で直して女性歌手に繰り返し歌わせてくれた。これもサービスだ。

 部屋の帰ってみると浴槽に10匹、洗面台に16匹、ベッドのシーツの上に20匹ほどが討ち死にしていた。まだまだいたがバカらしくなって止めた。蚊は白い色の上で死ぬのが好きらしい。

 だが、就寝後全滅したはずの敗残兵の、逆襲に遭おうとは思いもよらなかった。なにが町一番の高級ホテルだ。





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ムクダハーンの町では

  町から5㎞ほど上流に完成して運用をはじめた友好橋は、人も含めて物流を一変させたようだ。 これまで小さな船を使って移動していたのが、立派な橋が出来たので外国人などは、橋のイミグレーションを使わないとラオスへは入国できなくなってしまった。

  ムクダハーンのバスターミナルから、ラオスのサワンナケートへ行く国際バスが運行されていて、これに乗れば橋のイミグレーションに寄って、タイ側、ラオス側の手続きが簡単に出来 200バーツ(600円)あれば入国できるとのことである。

 メコン川の畔をインドシナマーケットを目指して歩いていると、竹をぶつ切りにしたような砂糖黍を搾り器にかけて、絞り汁を集めている屋台に出会った。
この絞り汁を氷と共にビニール袋に入れて、10バーツで売っている。

 汗をかいて喉が渇いていたので一袋と、横の屋台で餅米の焼きおにぎり(カオニャオヤーン)2個を買って、川岸のベンチで涼風に吹かれながら口にすると、なかなかいける。初めて飲むほの甘く冷たい砂糖黍ジュースは疲れたときには最高であった。

 現地の人だけが利用できるラオスとタイを結ぶ船が着くたびに、同じ肌の色をしたタイ人とラオス人が、大きな荷物を持って自由に乗り降りしている。こんな光景を見ていると私まで彼らに紛れ込んで対岸に渡れそうだ。でも日本人なんかが船に乗れば、すぐに外国人とばれてしまう。そんなに違いはないと思うのだが。

 夕暮れが近づきホテルへと帰り始めると、大きな通り全面を使った大屋台群が出現していた。この屋台では驚くほど多種多様な料理が作られていて、どれを見ても美味しそうなのだが、私の夕食には食べられないようである。

 どこを見ても座る場所がない。多くの人達は自宅の夕食に、できあがった料理を何種類も買って、ビニール袋を下げて我が家に帰るのだ。これなら奥さんが、今夜の夕食は何を作ろうと考えることはない。 朝は朝食用の屋台へ行けばいいから、とても合理的である。

 だから旅行者が買っても、部屋のテーブルをべたべたに汚しこそすれ、何の風情もなく味気ない思いをするだけなので持ち帰れない。屋台街は見るだけである。

 炭火で煙と匂いをまき散らしている食堂に入った。イカや蟹を焼く匂いは何でこんなに食欲をそそるのだろう。
 当然 焼きイカ、世界の三大スープと云われるトムヤムクン、カオパットクン(海老入り焼きめし)、ヤムカイケム(塩ゆで卵のサラダ)、ビールが夕食である。こんなに食べられるわけはなく、たくさん残した夕食は770円だった。

 オイルショックで日本にタイ米が輸入された時期があった。日本人はこのご飯を食べて、こんなまずい飯が食べられるかと云って、タイ人を悲しませたが、タイで焼きめしを食べると、こんなにタイ米が美味しかったのかと驚かされる。

 日本はお米を炊くが、タイはお米を蒸すからだ。そんな違い(文化)も理解しないで、まずいまずいと云っていた事を今になって反省している。

 タイ米の餅米を蒸した「おこわ」をカオニャオという。これはイサーンの主食だが、これを一口サイズに手で握り、塩辛の汁などを付けて食べると、臭いも強いし辛いのだが、病みつきになるほどうまい。イサーンへ行ってで焼きめしやカオニャオを食べなかったことは一度もない。

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ホテルに落ち着くまでの一苦労

  バスターミナルでメモ用紙に一筆書いた。 「 PLOY PALACE HOTEL 」 、このホテルは宿泊を予定しているホテルだが、何か気になって書いたのである。

 客を送ってきたトゥクトゥクの運転手に、プロイパレスホテルまでいくらで行くかと聞くと、50円で行くと答えたので乗り込んだ。
しばらく走って停車し、何か云いながら手を出したので20バーツを手渡そうとしたが、どうもそうではないらしい。

 言葉が理解できないので、ムクダハーンまで乗ってきたバスのチケットを出してみたが、もちろん違うし。 ひょっとしてホテルの名前が知りたい?
 プロイパレスホテルは先ほど告げたし、それで20バーツと答えたのだからそんなことは無いはなあ。

 どうやら走り始めたのは良いが、ホテルが分からないのだそうだ。今日の私の勘はさえわたっているのだ。 私は少しも騒がず、おもむろに 「 PLOY PALACE HOTEL 」 と書いたメモを渡す快感は得がたいものだ。
ウンウンと頷いて走り始めてまた止まる。

 今度は何やねん。 私に聞かず下校途中の女の子を呼び止めて、彼女たちにメモを示して何か聞いている。彼女たちはメモを見るとタイ語で 「ペラペラ」 としゃべって終わり。
彼女たちはタイ語で私の行きたいホテルを、運転手が理解できるように告げてくれたに違いない。

 しかしまあ、自分は読めなくても彼女たちなら読めると考えたことは一応誉めておこう。
私が車上から「ありがとう」と声をかけると、手を振って見送ってくれた。 旅は何があるか予測は出来ないが、楽しいものだ。

 後刻ホテルでこの話をすると、私がプロイパレスと云ったのだが、地元の人は 「ポーイパリー」 と
呼んでいるので理解が出来なかったのでしょう、と言うことであった。そんなこと云われてもなあ。

 このプロイパレスホテルは、この町では一番のホテルとガイドブックには出ていたが、ガイドブックの紹介はあまり信用が出来ない。
さて、レセプションで一泊の料金を聞くと 4,500円と言う。 高い! 怪訝な顔をすると改めて料金表を出して見せた。

 まあしゃあないか。 と諦めて1,500バーツを出すと、500バーツを返してくれた。 なんだかよく分からないが、デポジットを多めに預かろうとしていたようだ。  最初から3,000円といえば、気分もよかろうが、訳の分からんことをするな。

 荷物を部屋の置くと、すぐさま外出した。チベットを源流とするインドシナ半島随一の、大河メコンを見るためである。
乾季のメコン川は流れる水が少なく、砂州が広がって対岸のラオスが、すぐ近くまで忍び寄っているように見える。
 
 上流を見ると景観を台無しにする大きな橋が造られていて、車がラオスに向かって走っていた。
この橋が、タイ・ラオス第二友好橋と名付けられた、ベトナムまで続く幹線道路である。日本も経済援助をしているそうだが、自然破壊の感は否めない。


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いざ、ムクダハーンの町へ

  イサーンのムクダハーンの町、タイには似合わぬ何と響きのよいエキゾチックな町の名前だろう。 ローイエットを出たバスは相も変わらず小さなボロバスだったが、なかなか風情があり、それなりにスピードを出して頑張って走っている。

 イサーンの大地は赤い色をした粘土質の土ばかりで、およそ耕作には向きそうもない。わずかにしがみついたように、粘土の割れ目から出ている雑草を、水牛や白い牛が舐めるようにあさっている。

 1時間も経ったであろうか、砂糖黍やパインの畑が広がってきた。太古からメコン川の氾濫などで、育まれた肥沃な土地に近づいたに違いない。 これに付随するように高床式の家も増えてきて、床下ではお婆さんが織物をしているような光景も見かけるようになってきた。

 貧しいと云われるイサーンでもメコン川の恵みを受けて、地味のいい所では、比較的生活の匂いに余裕が感じられる。 そんな村を通り過ぎると、初めて山が見えてきた。

 絶えて久しい山を感激の面持ちで眺めていると、山すそには巨岩がごろごろと奇怪な風景を見せていて、岩の間の桜が満開であった。(タイでは2月頃、桜によく似た花があちこちで美しく咲き乱れる)

 峠を下りたところでバスは止まって、6人ほどの警官がどやどやと乗り込んできた。 国境が近づくと検問が行われるのだ。
全員のIDカードを調べて、ややこしそうな荷物は片っ端から開けていく。

 私がパスポートを見せると、顔とパスポートの写真を見比べて、ニヤリと笑って終わり、しかし私のパスポートは有効期限が10年有効だが、期限が切れる頃は顔がこのままではあるまい。命さえもおぼつかないぞ。  日本ではIDカードなんか持たなくても生活できるのに、この国では通常の生活が叶わない。日本は平和な国なんだ。

 そういえば日本では一般に身分証明書なるものがない。パスポートは写真付きなので使えるが、健康保険証や介護保険証には写真がなく、公的な使途以外には使えない。
 運転免許証など老いて返上したら困ってしまう。 最近私は写真付きの住基ネットのカードを身分証明書の代替として使用している。

 バスの車内を改めて見渡すと、今日もやはり色浅黒いラオス系の人ばかりだ。イサーンの田舎を外国人である私が一人乗っていても、自分では全く違和感を感じないのは不思議である。

 午後1時40分に予定通り、町の郊外にあるターミナルに到着した。これからがホテル探しの時間だ。
 

 

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