東北タイ

初めての海外旅行

  私の初海外旅行はいつのことだっただろうか。 正月に田舎で兄弟が集まって気勢を上げたとき、
気まぐれに末弟がよく行くタイへ行こうではないか。という途方もない話題が出て、飲んだ勢いで決行が決まってしまった。

 見たこともないパスポートを取得して、関西空港から初めて海外へ出かけたのだから、弟からはぐれたら右も左も分からず、どこかでのたれ死にするのは必至である。
深夜にホテルについて、さっそく道路脇の屋台へ行って、訳の分からぬ麺を食べた。

 深夜も2時を過ぎていたが、人通りは多かった。 初めて食べる麺は変な味がして、その中に入っているのは麺の他には、蛇か蛙でも入っていそうで食べられなかった。この程度の認識しか持っていなかったのだ。

 これ以外はバンコクでの記憶が無く、飛行機でウドムターニーまで行って、気がつけばバスターミナルの前にいた。
 弟は私たちを待たせて、近くにいたどこかのオバサンと何やら交渉している。交渉がまとまったらしく、オバサン所有の軽トラックに乗り込んだ。

 着いた先は田舎も田舎、まばらに家のある集落であった。そこには小さな小学校があって、校長がアピチャートという先生である。
事前に弟が来意を伝えていたので、私たちはその先生の家に泊まることになった。

 軽トラックの運転をしてきたオバサンを家に帰すと明日の足が無くなるので、校長が家に電話をして無理矢理同宿することを、ダンナに伝え了解を取った。

 アピチャートは学校の先生や村の若者を集めて、宴会を催してくれたが、お土産に持って行ったサントリーウイスキーは、そっと棚に隠して、代わりにメコンウイスキー(タイの安物)を出してきた。
お風呂は? そんなものは当然無いので、濁った小川で水をかぶるか、かなり離れた小学校の手洗い場で汗を拭くことになった。

 夜の10時ころ、アピチャートは一緒に来いと我々だけを引っ張って歩き始めた。殆ど闇夜に近いあぜ道を歩いていくと、一軒の賑やかな民家から歌声が聞こえてきて騒々しい。
アピチャートが教えた生徒の結婚披露宴であった。

 彼は日本から来た友人が祝福にきた。と紹介して宴は更に盛り上がった。飲み過ぎてどうして帰ったか分からない。
夜明け前に大きな音で目が覚めた。スコールがトタン屋根を雷のような音を出して叩いているのだ。
 高床の竹板の上にゴザを敷いて寝ていたのだが、雨漏りもひどく寝られたものではない。

朝になって、アピチャートの奥さんが喜んでいた。 屋根の高さほどもある大きな水瓶に、透明な飲み水がたくさん貯えられたからだった。そういえばどこの家にも大きな水瓶が2~3個備え付けてあった。 東北タイでは飲み水の確保がなかなかできない。

 一週間滞在したタイ旅行で、今でも残っている記憶は全部でこれだけしかない。人の後をついて歩くだけの旅は、何も残らないのである。
だから、一人で歩くことも必要ではないか。 と屁理屈をつけて、毎年タイのどこかをさまよっている。

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ピマーイからコラートへ

  ピマーイ遺跡を見学した後は、今日の宿泊地であるナコンラチャシマーを目指した。
ナコンラチャシマーは通称コラートと呼ばれる大きな街で、東北タイの玄関口にあたる大都市である。

 バスばかりの旅であるが、ゆったりした日程を組んでいるので疲れはない。南国の田舎の風景は
とにかく興味深く面白い。 
 ところどころに沼があって、日本ならば花見にくるような睡蓮の花の群生が見られる。その中に水牛が3頭もいて、踏みつぶしながら花ごと食い荒らしている。

 地下から吹き上がる塩分のため、僅かな雑草しか生えない平原には白いやせこけた牛が、舐めるようにして草を食べている。 タイ人が痩せて堅い牛肉をあまり食べない理由が分かるような気がする。   それに引き替え丸々と太った水牛がなんと美味そうに見えることか。
 
 ちなみに、タイの肉と云えば豚と鶏肉が主力である。(日本人が食べない肉も虫も多々あるが)

 道路沿いに中学校があって集会をしていた。ボーイスカウトのような制服を着用した生徒達が、
暑いグランドで列を整え先生の話を、一見熱心そうな顔で聞き入っている。

 タイの先生は、日本の先生に比べ社会的地位が高いので、尊敬され、みんなその指導にたいしては全幅の信頼をおいている。つまり先生は偉いのである。
日本で時々見聞きする 親が先生の指導にたいして、抗議をするようなことは夢にも考えられない。
       
 日本の中学校なんかは学校にもよるが、集会で話を聞く生徒を教師がそれとなく取り囲み、逃げられないように気を遣わねばならない。 タイの先生はいいなあ。

 コラートのバスターミナルからトゥクトゥクに乗って着いたのが今日の宿 「ロイヤルプリンセスコラートホテル」 であった。  大都市の高級ホテルは私には敷居が高すぎる。落ち着かない物ですな。

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ピマーイ遺跡公園は

  バスを使っての 旅で困るのは、自分の目的地が終点ではないところで下車して、聞く人も無く、次のバスに乗り換えねばならぬ時である。

 車掌はここで下車して××行きのバスに乗り換えなさい。と優しいのだが、疾走しているバスの行き先表示がタイ語なのにどうすりゃいいの。 バスが停まって昼寝をしていたって読めないんだから。

 私などはそれらしいバスを次々に止めて、××に行きますか。と尋ねるのだが、気が非常に重い。

 今日はカーラシンを発って、途中何もないような寂れたT字路で下車して、ピマーイ行きのバスに乗り継がねばならない。面白いが鬱陶しいな。

 いつものように、ピマーイ遺跡に行きます。と車掌にも周りの乗客にも伝えて布石は完了である。
これで私がピマーイへの分かれ道で下車することが多くの人に認知された。後は待つだけ、タイ人はことのほか日本人には優しいのだ。

 ところがなんたる幸運、 M氏と一緒にピマーイ遺跡へ行くと宣伝中に、無口のおっさんが俺も行く
ついてこい。 うまくいく時はこんなものです。
「旅は道ずれ世は情け」なんて云いますが、無口のおじさん、世は情けは確かにいただきました。

 タイのアンコールワットと呼ばれる、クメール様式で作られた「ピマーイ遺跡」は緑が溢れて
よく整備されていて、素晴らしい美しさであった。
 しかしへそ曲がりの私は、遺跡は往時の面影を色濃く残していないと気に入らない。これだけ綺麗だと、遺跡もあるただの公園のように見えてしまう。

 改めてガイドブックを開いてみると「ピマーイ遺跡公園」と書いてあった。すみません公園だったのですね。。

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カーラシンのリンパオホテル

  おばさん車掌に声をかけられて目を覚ますと、エアコンの効かないエアコンバスはカーラシンの
町へ近づいていて、わざわざ大きな建物の前で降ろしてくれた。
 そう、ここが町一番のリンパオホテルなのだ。(誰かの旅行記にそう書いてあった)

 オッ 広い駐車場が満車になっている。 大きな会社の親睦旅行か、警察か学校が研修会を開いているのか、まさか満室ではあるまいな。
 ど田舎の町だ、どうせホテルはガラガラだろうと、舐めていたのが甘かったか。

 ホゾをかみながら、レセプションの女性と交渉するのは約束通りM氏で、私は薄情にも知らんぷり。
よかった。部屋はありました。 改めて眺めると内装は整い、部屋は広く豪華、そのうえ従業員は優しい、と申し分なしである。

 明日のバスを調べに町へ出た。 近くですとの声に送られ歩き始めたが、暑季も過ぎた雨季の7月と言うのに、この暑さは何だ。 おまけに遠い!
 日が落ちて少しでも気温の下がる、夜になってから夕食に出かけることにしてホテルでくつろいだ。

 ところが悪魔の存在を忘れていた。 また南の空に真っ黒な顔を覗かせて、私たちの外出を阻もうとしているではないか。
 
 しかたなくホテルのレストランで夕食をとったのだが、これが正解! すごく美味しいうえに、料金
も信じられないほど安い。 こんなディナーは初めてだ、必ずまた来ますよ。

 その後、窓外を見てみると雨はまったく降らず、悪魔は北の方角にそれていた。
まあこんなものでしょう。 それにしても今日はよかった。

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バスターミナルの風景は面白い

 出発して3時間30分でコンケーン のバスターミナルに到着した。ここからはいつも愛用している、
昔は確かにバスであっただろうと思われるバスに乗り換えて、タイの東北部(イサーン)の中心に位置するカーラシンへと向かう。

 発車までに少々時間があったので、ボロバスの車窓からターミナルの風景を観察した。
このあたりの人たちは大体がラオ(ラオス系)なので、色浅黒く背丈は低い。トゥクトゥクを運転する
おっさんが、カオニャオ屋でジュースを買って、汚い手でつかんだ氷を入れて汚れた手でかき回しながら持って行く。

 麺を食べさせる屋台のおばさんは、食事後の食器を汚いバケツの水でゆすぎ、洗剤が泡立つ
バケツの水にすっと通す。次に薄い濁りのある水をかけて食器洗いは終了である。
 とにかく手際はいいのだが、次の客がお腹を壊さないだろうか? そんな結果は時間が経ってみないと分からん。

 タイ人は免疫があるから大丈夫、などと云う人がいるけれど、日本人の私でも、まだ食あたりはしたことがない。ま、せいぜい生水には注意をしよう。

 ジュースやコーラの中に氷が入っていたら飲まない方がよい。などとふざけたことを書いているガイドブックもあるが、無菌培養で育った人間ではあるまいし、異国に何を求めて旅をするのか。
 何事も経験だ、チャレンジするのも必要だし、その国への礼儀でもあるだろう。
これは言い過ぎました。
 
 これを不潔だと思い悩むなら、(本当は不潔なのだが)イサーンの旅は止めた方がいいだろう。

 走り始めたボロバスは、まだテレビが生き残っていてホラー映画を流していた。 本当はおしゃべりで姦しいイサーンの人々なのに、怖い話が大好き、話し声一つなく目はテレビに釘付けとなっていた。


 

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車窓に見るイサーンの風景

  雨の洗礼を受けながらノンカーイを後にしたエアコンバスは、広い道路を南下していく。
 湿原や湖には、がまの穂が繁茂し、田園脇の木陰にはサーラー(昼寝と休息の吾妻屋式のバラック) が所々に見られる。 少しだけ働いて長く昼寝はいいなあ。

 10数人の人たちが横一線に並んで田植えをしている。機械があれば手軽に出来る田植えも、多人数が集まって話をしながら、楽しく作業する習慣を大切にしているのかも知れない。
 この風景は昔の日本を見るようでとても懐かしい。

 高床式の家々の横には、ひさしまで届くような超大型の水瓶が2~3個ずつ置いてあり、雨季の今では毎日のように悪魔がやってくるので、瓶は短時間で満杯になる。
 茶色く濁った水があたりまえのタイでは、水瓶に蓄えられた水は貴重な「透明な水」として、日々の生活には欠かせない。

 最近はバンコク以外のどんな町に行っても、黒い壷のようなものが、50メートルほどの間隔でおいてある。 実はこれ、古タイヤで作ったゴミ箱なのだ。
 そのせいか、以前のようなゴミの散乱が少なくなって、年を追うごとに町は美しくなっているように感じられる。

 京都の市街地を歩いて思うのだけれど、ゴミ箱の設置が非常に少ない。
これはすぐにいっぱいになるから? それともゴミ箱の近くの家の人に迷惑がかかるから? 収集にお金がかかるから?

 ゴミの捨て場が無くて困っている観光客をしりめに、山科方面からくる赤いバスは、「世界で一番美しい町京都を実現しましょう」と今日もアナウンスを続けている。 いつまでこのアナウンスが必要なのだろう。 文化観光都市京都が泣きませんか。

 腹立ち紛れにもう一つ、市営地下鉄の北山駅を上がると京都コンサートホールがある。
いろいろなコンサートが開かれて、多くの人たちが良質の音楽に触れる、貴重なホールなのだが、何とこの駅に地上へ上がるエスカレーターが無いのだ。
 
 お年寄りが地上まで上がるのに難行苦行していても、やはり文化観光都市京都のなだろうか。
 エスカレーター1基で、市民を中心に多くの人たちが、何度も立ち止まって息を整えることなく、地上に出られて音楽を楽しめるのです。
 おじさんは怒っています。是非にも京都市に設置をお願いしたい。
 



 

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悪魔に捕まった

   せっかくビエンチャンの近くまで来たのだから、行けるところまで行ってみようと、あさはかな
おじさん達は眺めるだけでは物足りず、国境に架かる橋をビザもないのに渡り始めた。

 テクテクテクテクと暑い中を汗を拭きながら、橋の中央まできた。 ここから先はラオスか、でも
誰かに阻止されるまで行きましょうと歩き続けた。
 ふと振り返ると、東の空に悪魔が顔を出しているではないか。悪魔としか表現できないような真っ黒な日本では見たこともない気持ちの悪い雲である。

 タイの雨季は日本の梅雨と異なって、午後になるとこの悪魔が顔を出し、ドカッとバケツをひっくり返したような水が落ちてきて、道路などは瞬時に川と変身する。
 したがって、スコールがやってくると、屋外の人の動きは数時間ストップしてしまうのだ。 
その中で時間に追われる哀れなツアー客だけは、蛮勇をふるって走り回っている姿をよく目にする。

 笑い事ではない。我々も走るようにタイ側に戻ってトゥクトゥク(客用オート三輪車)を探して、値切る余裕すらなく、運転手の言い値でホテルへ向けて走り始めた。 頑張れ!  ところが悪魔はホテルのわずか50メートル手前で我々を捕捉し、大量の水を浴びせてほくそ笑んでいた。

 ノンカーイへ来た目的は、有名なケーク寺の奇怪な仏像などを見ることではなくて、ラオスを目の前にして、メコン河のディナークルーズを楽しむことであった。
 このクルーズはハイソーク寺の近くにある、レストラン「ルアンペンハイソーク」から出航する。

 スコールも上がったので、待望のディナークルーズに繰り出した。 ところが大雨の影響で客は
我々の二人だけ、少ない客では採算が取れず出船しないと、おばはんは云っている。

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空には黒い悪魔が住んでいる。

   7月の午後、雨が降りしきるバンコクへ到着した。空港では田舎歩きに不必要な荷物は
一端空港へ預けて、東北タイの中都市ウドーンタニへ行く飛行機に乗り継いだ。
 ウドーンタニ空港へ降り立ったのは、あたりが暗闇に支配された午後8時だった。

 今回の旅はタイ語教室の仲間である、奈良県の公立中学校を退職されたM氏との熟年
ふたり旅である。 予約をしていた「チャルンシーグランドロイヤル」は、名前負けをしない立派なホテルであった。

 私の旅はこれまでもそういう傾向にあったが、口では田舎の人たちと同じ食事をし、同じように
ボロバスも使って、彼らと同じ目線で、大家族が支え合って生活している田舎の姿を見てみたい。
などと格好をつけているが、夜だけは街一番のホテルにくつろぎもしたい。
 云うこととなす事がまったく矛盾した甘ったれた旅である。 

  まあ旅をするのに無粋な理由づけなどは、まったく必要ないのである。
 大多数の人たちが仏教を信じ、王様をあがめながら穏やかに生活している。そんなタイの
田舎の生活の中に、日本の原風景をかいま見ることがある。
 こんな瞬間にホットするのはなんでだろう。

 翌日、東北タイの最北の町ノーンカイに移動した。 雨季のメコン河は濁水を集めて、雄大な
眺めを見せていた。

 毎日午後になると決まって、空に墨汁を流したような黒雲がわき出て、土砂降りの雨が
時間に狂いなく落ちてくるので、空のようすが気になるが、上流にある「タイ・ラオス友好橋」まで
足を伸ばす。
 この橋を渡れば、ラオスの首都ビエンチャンは目の前である。

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