カオプラビハーン

山の上によくもこんな石像寺院が

 日本では紫式部や清少納言が活躍している頃、クメール(現在のカンボジア)帝国では、こんな巨石を山上に運び上げて、大寺院を建設していたのだ。

 本殿跡を見学して50メートル進んで、600メートルあまりの断崖上に立つと、その下には水平線まで広がるカンボジアの密林を望むことが出来る。この風景は神秘的としか表現できない雄大な景色であった。

Photo  しかし遺跡は荒れたままで、他の遺跡のように遺跡公園としては全く整備していない。

 おまけに地雷まで手つかず、これがかえって魅力を倍加させている。

 昨年まで閉鎖されていて、誰一人来ることが出来なかった幻の大遺跡、苦労して登った値打ちは十分あった。

 下山するまでに出会った観光客の国籍はタイ、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどで、珍しく白人も日本人にも出会うことはなかった。この遺跡の見学には麓からいくら大汗をかいても、最低でも4時間ほどは必要だろう。

 遺跡の最終石段を4本の足で降りる屈辱は、どう考えても情けないが、一応無傷で降りることが出来た。トイレに寄って、さて自分の情けない顔でも写真に撮るか、と見渡して目にとまった知的な感じのするご夫婦にシャッターをお願いした。

 撮って頂いた後、コップンカップ(ありがとう)と一応お礼を言うと、「どういたしまして」 との返事だから嬉しいではありませんか。こんな秘境で日本語に接するとは僥倖としか云いようがない。

 ご主人の側に立つ男の子に、ビスコを一箱を渡すと小さな手で受け取りワイ(合掌)。ふと見ると奥さんに抱かれた妹も私に向かってワイ、オオソウカと残りの一箱を渡しナーラック(可愛い)と云うと、彼女もにっこり微笑んでいた。

 帰途もタクシーは猛スピードで走り続け、ウボンラチャタニーのシーカモンホテルまで3時には帰り着くことが出来た。もちろん予約などはしていないので、部屋があるかどうか多少は不安であったが、フロントの若い女性に尋ねてみると、これがタイ語も英語でもまったく通じない。

 こんな事があるのだろか。それでは何語なら意志が通じるのだ。会話がいくら時間をかけても出来ないので、女性は半泣きで奥のマネージャーを探しに行き、やっと連れてきた。1400円で宿泊できたが、彼女の使った言葉はカンボジア語?なのだろうか。 

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 ホテルの近くには美しいムーン川が流れていて、その畔では早朝から昼までは大きな食材市場が並び、夕方からは巨大な屋台街に変身する。

この屋台はタイやラオスなどの人が多く利用して大繁盛である。

 川の夜景を眺めながら賞味する夕食は、 300円も出せばビールまで付いてくるのだからたまらない。

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これこそ本物の遺跡だ

 人もまばらな参道を歩いていると、青年がしきりに話しかけてくる。 旅で話しかけてくる人は注意が必要なので、疲れたふりをしてやり過ごそうと、腰を下ろすと青年も一緒に座ってきた。
 
 これは云うしかないと、「ガイドは要らない」と云おうとしたとき、遅れて下から登ってきた若い女性のグループの一員だと分かった。云わないでよかった。これはいい人なんだ。 旅ではこの見極めが難しいのである。

  この若いマレーシアのグループと暫く行動を共にしたが、こんなところで日本人と会うとは思わなかった。と喜んでくれたが、英語しか話せなかったので内容は希薄だった。
 次に出会った3人組はインドネシアの若い男女だったが、この人達もタイ語は理解できなかった。

 人との出会いは楽しいものだが、英語では話しかけんといてや。あなた方の国の言葉ではもっと困るが。 だいたい外国人だったら英語だろうなどと、誤解するようなことではいかん。しかし英語の授業を中学校から高校、大学と10年間も受けてきて会話が出来ない自分はどうなっているのだろう。 後悔先に立たずとはまさにこの事だ。

 さて、息も絶え絶え山上の本殿につく、この本殿は手つかずのクメール石造寺院遺跡、誰がこんなに高い所まで、大きな石材を運び上げ寺院を建立したのだろう。

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 西暦813年に着手して300年かかって完成したと伝えられているのだが、立派な遺跡が作られたものだ。 これは公園化した遺跡ではなく、ほんものの遺跡だったのですごく感動した。

Photo_4 本殿を越えて50メートルほど行くと、突然大地が無くなっていた。

 そこは650メートルの高さの断崖絶壁の上で、はるか地平線の彼方までカンボジアの大平原が広がっていた。

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 とても怖くて立っては覗けなかったので、腹這いになったがまだ怖い。 一人で眺めるのはもったいないほどの雄大な風景であった。
  
 昨年まで一般人は誰も来ることが出来なかった幻の遺跡、手が加えられず山上の荒れ地に遺跡がそびえ、歴史の重さを感じさせる、このカオプラビハーンには完全に魅せられた。必ずまた来たい。 (運のよいことにその後3回訪れることが出来た)

 今また、真偽は定かではないが、カンボジアとタイの国境紛争で遺跡は閉鎖され、誰も立ち入ることは出来ないとの非公式情報があった。

 私の知る限りでは、今回の閉鎖で4回目の閉鎖、早く解決して欲しいものである。また、現在の閉鎖中に地雷の完全除去だけは、ぜひしてほしいものだ。

 

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公開されたカオプラビハーンは

 ゲート前で警備隊に運転手がIDを提示するが、運転手はそのまま警備事務所に連れて行かれ、なかなか戻っては来ない。大分待たされて私のパスポートも確認されたうえで、ゲートはあげられた。

 さらに山道を登ってカオ・プラ・ビハーン遺跡のある、山すその駐車場広場に到着した。この山の頂にクメール遺跡はあるそうだ。運転手を残して貴重品とカメラを携えて一人で歩き始めた。300メートルほどは平坦な広い道で、これは楽勝と思っていたのだが、この先は道路が途切れて、大きな岩盤が道路の役目を果たしていた。

 大きな岩を乗り越えるようにして、森の小道を少し進むと小さな広場に、土産物の店が数軒とカオプラビハーンの入場券売り場があった。入場券は200円だったが、タイの通貨で支払う。チケットの販売はカンボジアの兵士であった。なるほど売り場の小屋の上にはカンボジアの国旗が翻っていた。
 
 そこからは私の苦手な急な石段が長く続くのだが、砂岩で出来た石段の表面は風化して、踏み砕かれて滑りやすく、まともには歩く事が出来ないので、上の方では両手を使って四つんばいで登る。実はこの石段の上までがタイ王国でその先はカンボジア領であった。

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 つまりこの遺跡は、まさに国境上に建っているのだ。(ただしパスポートは要らない)
風化した石段を登り切ると、ここからカンボジア名 「プリヤ・ヴィヒヤ遺跡」 と名を変え参道は続いていいるのだ。

Photo_2  柱だけ残った第一の楼門を過ぎて驚いた。参道の右側にヘリコプターの残骸が落ちているし、更に離れたところには大砲も置き去りにされているではないか。ここが長い間、ポルポト軍の要塞であったのは、現実のことなんだ。

 1000年以上も前に作られた遺跡は風化して壊れ、更にまた戦火で破壊されたまま,昨年やっと顔を出して一般に公開されたばかりなのだ。遺跡にはカンボジアの国旗が誇らしげに翻っていた。
I  改めて見渡すと参道以外は、いたるところに赤い髑髏マークが立てられて、地雷除去作業がまだ終わっていないことを示していた。

 地雷原はすぐそこで生きていたのだ。平和が当たり前の国から来た私は、30メートルの参道以外は、いたるところに地雷が埋まったままであるとの認識が、なかなか実感できなかった。

 幾たびかの銃弾や砲弾にさらされた遺跡は、いたるところが壊されてまことに無惨な姿であった。
仏像の頭や神殿を飾るレリーフなども散乱している。これが持ち帰れるならお宝なんだが、と不謹慎にもつぶやいたものである。 

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幻だったクメール遺跡が

 1999年7月、雨季の旅も終わりに近づき、帰国を明日に控えてホテルのロビーでバンコク週報を読んでいた。週報に書かれていた記事を見て驚いた。 なんとカンボジアのアンコールワットよりもっと古い、クメール様式の遺跡が初めて一般に公開された。と写真入りで書いてあったのだ。

 その名前はカオプラビハーンである。これはとんでもないことになった、と気持ちは早くも危険が予測されるカオプラビハーン遺跡に飛んでいた。

 ところが、遺跡の場所がタイとラオスとカンボジア3国と接する、東の都市ウボンラチャタニーから車で2時間以上南へ走らないと行けないような、とんでもないところにあるのだ。 それでも帰国して四ヶ月後に一人で出発した。

 バンコクのドムアン空港を、早朝飛び立ったTG20便は予定通り飛行を続けているが、高度が低いこともあって、川の蛇行や三日月湖の様子が手に取るようによく見える。10年も早くこんな風景を見ていたら、もっと楽しいリアルな理科の授業が出来たことだろう。

 1時間あまりのフライトでも、タイ航空の国内便に乗ると、タイ航空のロゴ入りのコンパクトな朝食と、ビニール袋が配られる。一般のタイ人は自分は食べないで、手提げ袋に入れて持ち帰れば、家族への立派なお土産になるのだ。

 これは飛行機に乗ったという自慢の証になるからである。タイ航空がそれを見越して、袋は要りませんか、などと手提げ袋を配ることが面白い。中には朝食は食べ終わったのに、タイ国際航空と書かれた手提げ袋だけを持ち帰る人もある。

 7時40分着陸、ウボンラチャタニーまで飛行機で1時間あまりだったが、国鉄の特急なら14時間、急行エアコンバスでは13時間もかかる距離を、料金が高いだけあって飛行機はさすがである。

 今回のカオプラビハーンは、アンコールワット、パノムルン、ピマーイと並ぶ、クメール様式石造遺跡のトップクラスで、このうちアンコール遺跡はカンボジア領内だが、カオプラビハーンは非常に微妙な位置に存在する。

 長く続いたカンボジアが内戦だったとき、カオプラビハーンはポルポト派の要塞となっていた。残虐非道なポルポト軍が破れて、昨年の8月にやっと一般に公開されたばかりの遺跡である。

 まだ手つかずの遺跡なので、交通機関が整わないらしく、タクシーとバス、いつ来るか分からないソンテウを2回乗り継がねば行けない。仕方なく空港でタクシーをチャーターすることにした。

 空港のタクシーオフィスで行き先を告げてチケットを買うシステムで、料金はガソリン代は別で往復4500円だった。若い運転手は遠距離の大仕事なのでにこにこ顔で大喜び、タクシーは広い道路を猛スピードでカンボジア国境を目指して突っ走る。

 見渡す限りの平原の、広い直線道路をいつまでも走り続けているが、田圃では昔ながらの稲刈り風景が懐かしく散見され、小学校の校庭では児童達が旗を先頭に一列縦隊で行進練習をしている。

 ウボンラチャタニーを出発して1時間30分、遙か彼方に山らしい姿が見えてきた。しばらく走ってカーブを曲がったら、道路はゲートで遮断されていた。

 

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