旅のあれこれ

いろいろな旅があるもんだ

 サンクラブリーの旅を終えてバンコクに帰った翌日、エカマイからバスで、タイ人がこよなく愛するラヨーンへ向かった。  3時間あまりでバスターミナルについて、近くのスターホテルにチェックインした。

 さっそくサメット島の白い砂浜と青い海、大きな実を付けた椰子の木を求めて、バスターミナルの片隅に隠れるようにひっそりと停車しているソンテウで、サメット島対岸の村バーンペーまで行った。 約20分走ると港特有の海の匂いが、あたりに広がり懐かしい。

 サメット島までは約40分の船だが、渡船会社がたくさんあって客引きが煩い。
私は船といえば日本ならば白いものだと信じ込んでいたのだが、タイの船はそうではなく、赤と青が基調となった派手な彩色である。

 この海で捕れる魚だってそうだ、えげつない赤や青、見事な色彩の大きな熱帯魚だ。間違っても刺身にして食べようなど思わない。

 まあ、いろいろなことを考えながら南タイのリゾートとは一味違った、サメット島に上陸した。どこまでも続くホワイトサンドビーチ、藍色の海、椰子の木の林、何と気持ちのいいリゾートであることか。

 あー また来てしまった。いいオヤジがタイ有数のリゾートを一人で訪れて、なにしとるんじゃ。この美しい島にはミスマッチだと、自分でもわかっていますって。 でも、魅力的なんですなあ。今回もやはりロマンチックな風景の素晴らしさに反比例して、気持ちは落ち込んでいった。

 

 タイ国際航空の時刻改正で大阪に向かうのは一日4便になったのだが。 1便はマニラ経由で、お昼の直行便、残りの3便は23:00~23:50のたった50分間に、渡り鳥のようにつながって飛び立つ不自然さだ。したがってほとんどの客が、深夜便となってしまった。 

 深夜便に乗り込むと、私の座席の横には60台のご夫婦が座られていたが、開口一番トイレが近いので夜はご迷惑をかけますがよろしく、とのご丁寧な挨拶をいただいた。

 長年働いた会社を定年前に退職し、親の介護をしてきました。親には「死んだらあかんで」と言い残して夫婦で旅に出ました。
 そして、北タイのチェンマイから始めてスコータイまで、51日間をかけて、タイの歴史を探る楽しい旅が出来ました。  もう生涯、こんな旅は出来ないでしょう。と二人は寂しそうであった。

 老いた親の介護が続き、展望のないこれから先を見据えて、二人が行くなら今、と心に決めての旅は、介護を経験した者にしか分からない。 私も昨年10月に老父を亡くしたのでよく分かる。
 それだからこそ、これから長く続く介護を思って、ご夫婦の思いきった旅が充実したものであったことを心から喜んだ。

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初めての海外旅行

 もう28年くらい前になるだろうか。久美浜町の実家にはまだ両親が健在で、正月には兄弟がみんな帰省して、煮染めにお酒の三が日を送るのが慣例になっていた。

 その頃は末弟が学生時代からアジアに興味を持って、アフガニスタンや近隣諸国を巡って、そのあと集中的にタイへ行き始めた頃だった。彼がタイは素晴らしい国だぞ、と話すたびにタイに偏見を持っていた私は、ようもタイなんかに行くなあ、とひやかしていたものである。

 酒の上での話は酔いにまかせて、一度兄弟で行ってみるかと簡単にまとまってしまった。行きがかり上とはいえ、お酒とは恐ろしい物である。こんな軽はずみなきっかけが、その後何十回と続くタイへの旅に、結びつくことになろうとは思いもよらなかった。

 私は海外旅行など行ったことがなかったので、パスポートなどは見たこともなく、何を用意すればいいのか。タイまでの航空券はいくらか。小遣いはいかほどか。と出発までパニック状態だったが、それでも出発してしまった。

 弟2人と妹、希望親族ご一行様は、バンコクドムアン空港へ深夜に到着して、宿泊ホテルのあるシーロム通りへとタクシーで移動した。緊張のあまり機内食もほとんど残し、ホテルに着いてやっと空腹であることに気がついた。

 さっそく空腹の数人は、シーロム通りの屋台で、得体の知れない麺を食べたのだが、出発前に悪友がバンコクの麺には蛇が入っているらしい、などと言ったのを真に受けて、麺の上の食材が気なって仕方がなかった。

 こんな思いで始まったタイの旅も、ミイラ取りがミイラになって、今ではタイ料理が大好物である。

 しかし、その後の私は一人で旅をすることが多なって、そのため困ることも多くなってきた。特に困ったのは何を隠そう食事だった。 ボロボロのバスで国境近くの村に到着しても、夕食がたべられないのだ。食べ物の名前が伝えられないのである。

 バンコクのホテルで教えてくれた焼きめしが、「カオパット」と呼ぶこと、くらいの知識しか持たず、そのうえ言葉も分からないのに、注文なんか出来るはずもなく、昼食は屋台の麺、夕食も麺、という惨めな旅をした事もある。

 「カオパット」 と覚え立ての名前で注文しても、食堂のオバサンは怪訝な顔をするばかり、老人だとばかりに無視をするのか。と思っても聞いてくれないのだから困ってしまう。日本なら 焼きめし! と云えば発音はどうあれ、しばらくすれば焼きめしが登場する。

 タイの焼きめしは非常に種類が多く、何を素材とした焼きめしかを告げないと、オバサンは作れない。それで「カオパット」の次の言葉を待っているのだ。だから 次の言葉がクンであれば、海老がたくさん入った焼きめしが出来てくるし、ムーといえば豚肉入りの焼きめしが作られてくる。

 タイの焼きめしは、クン(海老) ガイ(鶏肉) ムー(豚肉) プー(蟹) ネーム(発酵ソーセージ)が一般的である。 今夜は蟹入りにしようか、と思えば 「カオパットプー」、と言えばオバサンの笑顔と共に蟹身のたくさん入った焼きめしが現れるのだ。

 タイの長粒米は粘りけがなく、さらに焚くのではなく蒸してご飯にするから、焼きめしには最高にマッチする。いろいろな焼きめしを食べてみるが本当に美味い。 このような苦難を乗り越えて、現在はやっと多少の料理は注文出来るようになった。

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タイを旅する季節は

  タイを旅する季節は、11月から2月の終わりまでが最高である。この間は乾季で雨も降らず、気温も穏やかなので、絶好の旅日和が続くのである。

 これだけタイへ行き続けているが、私はまだ4月に出かけたことは一度もない。 3月の下旬から5月頃までは気温40℃を超すことも珍しくなく、間違って行けば炎暑地獄巡りを覚悟しなければならない。当然タイの学校は、この間は夏休みである。

 少々の暑さには汗もかかない南の国の生徒さえも、屋内で気息奄々昼寝をしているというのに、クーラーに冷やされ続けている柔な日本人が、高い旅費を出して猛暑の国に行くことはあるまい。

 5月から10月までは雨季なので、旅は雨と心中することが覚悟の上でないと行くことは出来ない。
差し引きすると、やはり 11月から2月の終わりまでが最適なのである。

 ただし、しょぼしょぼと年金で糊口を凌ぐ我々後期高齢者予備軍は、せめてヒコーキの安い時に狙いを定めなければならない。

 まず年末年始を避ける。ゴールデンとかシルバー何とかの連休も、お盆も避ける。就職難で大変であろうが大学生の卒業旅行にまで気を遣う。 その上、最近では高校生まで卒業旅行などと言うご時世だ。

 私たちが高校の頃なんか、海外旅行など認められず、ましてやビザも発給されないのであり得なかったのだ。まあ昔のことは云うまい。 お分かりにならないだろうが、私たちのご幼少の頃は、まだ複葉機が飛んでいたんだ。

 話は戻るが、今までの経験から、1月の8日~2月下旬。 5月の中旬~7月中旬。10月中旬~12月20日 の航空券はかなり安くなる。

 ときどき5月、6月、9月にも行くことはあるが、この雨季には沢山の果物が一斉に実り始め、それらを十分賞味したいとの、衝動を抑えきれないからである。

  さて、こうしてみると1月、2月はどうしても、タイへ旅をしたいと思ってしまう。そこで寅年の 1月、2月は、連続2回タイを訪れようかどうしようか思い悩んでいる。

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チェンライへのバスでは こんな事があった

  メーホーソンの空港は小さな町なので、歩いて10分で行ける。今日の目的地は、チェンマイをとばして、一応チェンライと考えている。
以前はチェンマイからチェンライへ、エアーアンダマン航空が飛んでいたが、現在のアクセスはバスしかない。

 メーホーソンからチェンマイ空港につき、軽い昼食をとって、トゥクトゥクでチェンマイアーケードバスターミナルへ移動した。 このターミナルからチェンライ行きのグリーンバスが出るのだ。   山道を3時間30分ほどかかるそうだ。

 ターミナルに赤毛を伸ばし放題にして、髭だらけのヒッピー風の青年が、ボロリュックを担いで座っていた。 うっとうしい一番嫌いなタイプだ。

 不運である。神に見放されたのである。 ヤツが俺の隣の座席番号を持っていたのだ。
旅は楽しいものと云うが、楽しくない旅だってあるのだ。 バスが動き出しても車窓だけを眺めて、無言の行が2時間半ほども続いた。 もうそろそろチェンライ県に入ってもいい時間だ。

 そう思って北部の地図を開き、現在地を確かめていた。 するとヤツが横目でチラチラ見とる。
そして 「アナタハ、ホンノ カタデスネ」  オドロイタ驚いた。 流暢な日本語ではないか。
私が日本人とよく分かりましたね。というと、 顔が日本顔です。
それから、地図の文字が全部「カタカナデシタ」  これは残念ながら完敗であった。

 彼はニュージーランド人で、4年間東京大学に留学していてこの間卒業したので、タイからミャンマーを経てインドに行きます。 とのことでした。

 和やかに日本語の会話を続ける内に、チェンライのバスターミナルに到着した。 ヤツは私に
「オキヲツケテ、イイタビヲ、シテクダサイ」   君には負けました。 
 人は見かけで判断してはいけないことを、この歳で実感した。  それにしても旅ではいろいろな体験することがあるあるものです。

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飛行機のしっぽ

  昨日書いたように、毎日4便飛んでいるタイ航空も乗りづらくなってきた。
現在の帰国便の時刻を見てみると、午前中に飛び立つのは、時間のかかるマニラ経由関西空港行き1便だけ、午後便は無くて、深夜23時から24時までの間に残り3便が続けて飛び立つのである。

 深夜の3便は何もすることがないので、皆さまシートを深々と倒してお休み。トイレを考えると、どうしても通路側の座席を確保したいのである。
 いつものM氏と旅をすべく、京都の旅行社で航空券を購入したとき、うっかりと座席の予約を忘れてしまった。 

 往路は昼便を使って問題はなかったのだが、帰りは3便全部が深夜便だ。 航空券をチェックインカウンターで搭乗券と引き替えるとき、私はアイルサイド(通路側)とリクエストをした。
係の女性がパソコンで検索してくれた結果、通路側が一座席だけ確保できた。ヤレヤレ。

 搭乗券の座席ナンバーは、77ーB であった。  ボーディングタイムとなり私の座席を見て驚いた。
77は客席の一番後ろ、つまり飛行機のしっぽなのだ。飛行機は後ろになればなるほど、揺れが激しいのは常識、苦難を自分で引き寄せてしまった。

 機内での慌ただしい軽食が終わり、ベトナム上空にさしかかった頃、「本日、当機は非常に気流の悪い所を飛行しますので、シートベルトは絶対にはずさないでください。」 誰だ、こんな機内放送をしたヤツは。

 そんな殺生な。 しかし台湾付近に台風があることは承知していたし、しかたないか。
うとうとして、30分も経った頃それはやって来た。 船が大きな波に弄ばれるような、上下の揺れと
左右の揺れが交代にやって来る。

 まさに天空のエレベーターである。 高空では当然の事ながら、足は地に着いていない恐怖があって、眠るどころではない。

 飲み物も飲めず、本も読めずの2時間30分は、時間の経つのがとても遅かった。 

 私は一睡も出来ず、墜落死亡による補償は3,000万円であったか、5,000万円に加入したかを真剣に思い出していた。

 関西空港に着陸し、M氏に揺れましたねえと話しかけると、少し揺れましたがぐっすり寝てました。
なんと、やはり尻尾はあかん。 これからは出来るだけ頭に近い座席を確保したいものである。


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やはり私が悪いのか

  私がタイへ行きはじめた最初の頃は、シンガポール航空ばかりを利用していた。
これは機体と食事がいいのと、格安航空券の運賃が安いからという理由であった。 

 ただ、この航空会社は、往復とも同じ航空会社を利用しないと、格安航空券が購入できないのは仕方がないが、一に日1便しか運行していなかったので、使い勝手が非常に悪かった。
 そこで、大阪から一日4便飛んでいるタイ航空に変更してみた。

 関西空港を一番早く飛び立つタイ航空は午前0時30分発で、バンコク国際空港へ着陸するのは午前5時である。 
 深夜に出発すれば時差の関係で未明の着くのだから、タイでの行動スケジュールは大きく広がり魅力的だ。
 実際に利用してみると、午前0時30分に出発してバンコクで乗り換えれば、同じ日の午前9時にはチェンマイに降り立っているのだから便利であった。

 こんな理由によって、タイ国際航空ばかりを利用するようになったのだが、深夜便はシートを倒して睡眠を取るので、窓側の座席などトイレを使うとき非常に苦労する。
 そこで、私は航空券を購入する時点で、通路側の座席を予約することにしているのだ。 

 ところが、先日苦い経験をした。 座席番号が決まっているので安心していたら、そこにはタイ人の女性が座って、隣には小さな子どもが寝ていたのだ。
 俺の席に他人が座っている。座席の番号を更に確認して、客室乗務員に搭乗券を示して申告した。

 男性のキャビンクルーは、この席が違うことを説明して、自分の座席に戻るようにと云うのだが、
子どもの座席の隣でないと困ると動かない。
 困り果てたキャビンクルーは、私に座席を変わって欲しいと頼みに来た。

 私も事情が分かるので、通路側であればいいですよ。と誘導された5席ほど後ろに座った。
ところがその座席番号を持った客が現れたのだ。 せっかく京都で確保していた通路側の座席権は霧散し、窓側の席になってしまった。

 このトラブルで、なかなか自席につけなかった乗客に、すぐに座るのが常識だろう。と苦情を言われたが、その通りですなあ。

 しかし、私だって善意で動いたつもりなんですが。こんな時どうすればよかったのだろう。
子どもを連れて困っているお母さんを、無理に子どもから引き離すほどの無情さはないし、
この鬱憤を、誰に向かって云えばよかったのだろう。 予想通りトイレへ行くのに苦労した。




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タイのうどん屋台はどこにでもある

  お昼の食事は麺類でもいいか、と思って実際に食べることが多いので、注文の仕方を書いてみる。

 タイでは麺類をクエティオというのだが、クエティオをくださいと言えば、日本のうどん屋でうどんをください、と云うのと同じで注文した事にはならない。

 タイの麺は日本の小麦麺と違って、米麺である。  クエティオ屋の前にはガラスのケースが置いてあって、白い麺が普通三種入れてあるからすぐにそれと分かる。
 この麺の一番細いのがセンミー(センは線)、うどんのようなのがセンレック、きしめん状の帯のようなのがセンヤイである。

 そこでセンミーナームとかセンレックナームなどと注文すればよい。 たとえばセンミーナームといえば、ナームは水(汁)なので 「極細麺に汁を入れてください 」 という注文になる。
 もしもガラスケースの隅の方に、遠慮がちに黄色の麺が置いてあれば、それは中華麺なので、  バーミーナームと注文すれば、中華そばが作られる。

 次は麺の中に何が入ってくるかであるが、黙っていればその屋台のお定まりの、焼き豚、蒸し鶏、魚のつみれ団子、訳のよく分からない内臓などが入れられて出てくる。
 できあがって出されたクエティオは、超薄味の汁なので驚くのだが、勝負はこれからである。

 薄汚れたテーブルの上には、ナンプラー(小魚を発酵させた醤油)の瓶と酢、砂糖、唐辛子粉、ピーナツ粉などが置いてあり、これを使って自分にあうよう味を整えるのである。
 うまい麺、まずい麺は自分の腕で作り上げることになる。 日本でうどんを注文して、醤油やら酢などをガバガバと入れたりすれば、店を追い出されかねないが、これはタイの常識なのだ。

 まれに見かけるのだが、汁がやや濁っている場合がある。これは豚の血を混ぜて、深みのあるいい味を出しているからである。苦手の人は今日は運が悪かったと、諦めてもらうことだ。
これらの麺はだいたい、50円~90円くらいで、昼食としては最高であろう。

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お昼ご飯が食べられるだろうか

  タイの食事は辛くて酸っぱくてスパイスもよくきいて、とても美味しく大好きだ。 でもレストランや 田舎の食堂で料理を頼むと、出てきた料理の量が多量で驚かされることがままある。
 この量の多さを頭に入れて注文しないと、大変なことになる。

 東北タイの、ある街で夕食を取るため、ひなびた食堂に入って焼きめしと野菜炒めとスープ、いかの唐揚に加えてビールを注文した。
 一人旅をはじめて間もない頃であった。今思えばバカを絵に描いたような行為である。

 最初に焼きめしが出てきて、見ると3人前はあろうかという量である。 タイでは一人で食事をすることなど、めったに無いので、この量はタイの常識であったかも知れない。
 この悲劇の結末は、ご想像の通りであった。 タイの旅で食事をする難しさは、この後も長く悩みの種となった。

 朝食はホテルで取るので何ら悩むことはない。 夕食はドキドキしながらも町の食堂で何とかなる。
 昼食は小さな田舎の集落か市場近辺で、粗末な屋台をやっと探して、食べないといけないので、これが大変なのだ。

 幾度も失敗を重ねているので、京都で留学生に教えを請うた。焼きめしの発音からの学習である。
何度も何度も 「カオパット」 と繰り返し、やっと発音のOKをもらい、勇躍旅へ出てメーチャンという田舎の村で小さな食堂に入った。

 こんにちはと言いながら入っていくと、ご主人と奥さんが固まってしまった。いきなり外国人が入ってきたのだから、驚くのも無理はない。

 ご主人はアワアワいいながら、奥へは入り込んで高校くらいの息子を引っ張ってきた。
息子が学校で英語を習っていることを思い出したのだろう。
 残念でした。この外人は立派な日本人なので、英語は何一つ身に付いておらんのだ。

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