パノムワン遺跡

宴の後は身綺麗にしたいもの

 パノムワンからバスターミナルまで帰って、さっそくお礼にと本屋へ行ってみると、女性警備員が心配そうな顔で迎えてくれた。有り難う楽しかった。とお礼の言葉をかけると、ずいぶん気になっていたとみえて、魅力的な顔が急にほころんだ。

 さて、切符を買ってバンコク行きのバスを探していると、近くにいた流暢に日本語を操るバスの車掌が、離れて停車しているバスまで案内してくれた。出発までまだ時間があると、彼女もバスに乗り込み話し出した。

  女性ガイドは36才で、埼玉県浦和市の「Yさん」と結婚して子どもも一人いるのだがもう7年間も音信が途絶えているそうだ。
 電話も手紙でも連絡が出来なくなってしまい、もう諦めてはいるけれど、私も子どもの国籍も日本になっているしほんとうに困っているのです。

 二人が暮らしていた、タイの家も銀行に取られてしまったし、いま日本領事館で日本国籍を抜く手続きをしているところです。 日本の人を見かけたので思わず声をかけてしまいました。と云われてもなあ。
 
 浦和市の「Yさん」、後々まで責任を持ってあげないと駄目じゃあないですか。 逃げ出したにせよ、お子さんだって可哀想だと思いませんか。

 彼女は、私はこのバスには乗務しませんが、どうかいい旅をしてください。と一番前の席を用意して、同僚のバスガイドに、この日本人は私の知り合いだからよろしくと、申しし送ってくれた。タイだけではなく色々な国で、日本の強者どもが悲しいドラマを繰り広げているのだ。

 そうかと思えば、以前東北タイのナコンパノムという、寂れた町の食堂で働いていた女性に、貴方は千葉県浦安市の××親分を知っていますか、と尋ねられたことがあった。
 親分と意外な言葉を聞いて、だいたいの経緯は想像できたが、日本の男も悪いのがたくさんいるようだ。

 このたびの、パノムワン遺跡は交通が不便であるうえに、遺跡としての魅力に乏しくあまりお勧めは出来ない。 

| | コメント (1)

思わぬ展開となった

見るべきパノムワン遺跡は、非常に小さく狭いので、賑やかな方へ近寄ってみると葬式らしい。祭壇の設けられた講堂では、多くの黒中心の服を着た参列者が盛大に飲み食いし、子ども達はお菓子を手に走り回っていた。

 人の死でさえも楽しい場に変えてしまう、たくましいタイ人達である。講堂の後ろから覗いている外国人の私に気づいた黒服のおばさんが、氷の入ったコーラを片手に、食べ物もビールもあると、中へ誘ってくれた。
 
 旅は道ずれ世は情けなんて云いますが、近くには屋台すらなく無くて空腹だった私は、手もなく釣り上げられて、葬式に巻き込まれてしまった。 

 椅子に並んで座っているが、流れる音楽は賑やかな踊りに使うようなモーラム(民謡)であった。

 コーラを持って式場へ招き入れてくれたご婦人は、イサーンの田舎にまったく似つかわしくない、英語を話す女性であった。 話されてもなあ。みんなの視線が集まっているので、相づちはうっているが内容は理解できない。
 
 ビールを飲んで、食事をご相伴するのだが、老若男女50人ほどの中で緊張して楽しかろうはずがない。  照れ隠しに日本のキャンディーを一袋差し出すと、周りでそれとなく見ていたおばさん連が一斉に オー! この黒糖飴がうまいうまいと大好評、もっとないかとせがまれた。

 賑やかなこと賑やかなこと、大音響の音楽のなか、飲んで食べて、子どもも大人も大騒ぎ、これが本当に荘厳な葬式の最中なのだろうか。
私も遠慮がちに食べて飲みながら、黄色い衣の僧侶が読経を終えるまで座っていた。

 30分ほどで式が終わると、死者は一段と高い斎場に運ばれて、煙りにつつまれていった。偉そうな人が参列者に向かって、最期のお別れの挨拶を述べた。

Photo
 そのあと、大きな段ボールの箱が4箱ほど揚げられて、箱に詰められていたお菓子が、人々の頭上に投げまかれた。

 参列者が先を争って拾うさまを見て、幼い頃田舎の嫁入りや家屋の棟上げなどで、同じようにお菓子が撒かれて、競い合って拾った事を思い出した。

 慶弔の差はあるが日本でもタイでも、喜びや悲しみを皆なで分かち合う風習は、同じなのだと改めて納得した。

 気のいいソンテウの運転手は、目覚めて首を長くして待っていてくれた。チップを過分に渡したのは当然である。

| | コメント (0)

日帰りのパノムワン遺跡

 パノムワン遺跡は、東北タイ(イサーン)の玄関口にあたる、ナコンラチャシマー(通称コラート)から20㎞ほどのところにあるらしい。有名なピマーイ遺跡と同じ頃に作られたが、崩れた神殿跡が一つだけ残っているそうである。

 出たとこ勝負の気楽な旅で、見学できればよし、出来なくてもかまわない。バンコクから日帰りで行く遺跡としては距離的には、ここが限界であろう。

 バンコクのモーチットマイ(北バスターミナル)から、早朝のコラート行きのバスに乗った。
バスの冷房は例によってガンガンに効き、用意のヤッケが大活躍をしてくれる。このバスでのサービスは氷入りのペプシだ、乗客の身体を外と内から冷やす作戦としか思えない。

 バスは2時間ほどで、自然の美しいカオヤイ国立森林公園の中にさしかかった。「この木何の樹、気になる木」とコマーシャルに出てくるような大きな木が林立し、巨大な湖が白波を立ている。
 道路沿いには湖で獲れた蟹が茹られて買い手を待っていた。なぜかしら木炭も名産らしく、たくさん見かけられる。

 バンコクを出発して約3時間、バスはコラートの第1バスターミナルに到着した。
バンコクで読んだガイドブックには、第2バスターミナルからソンテウが出ていると書いてあったので、乗ったこともないオートバイの後ろにまたがり、冷や汗をかきながら移動した。

 やっぱりなあ。ここからパノムワン遺跡へ行くバスもソンテウなど誰も知らない。再びバスターミナル1に引く返しである。
 ここでも沢山の人に聞いてみたが、遺跡への交通手段は模糊として分からず、今日はここまで。 念のためターミナル内の本屋へ寄って地図を探すことにした。

 しかし、これは無駄な抵抗であった。東北タイで地図を買っても読めるはずがない。ウロウロしている外人に不審を抱いたか、女性ガードマンがつかず離れず、チラチラと視線をを送ってくる。

 私は容疑を解消するために、30代後半の女性ガードマンに声をかけた。
パノムワン遺跡にはどうして行けばよいか、教えていただけませんか。と聞いてみると、しばらく考えていたが、一緒に来なさい。 といってくれた。今日行くことを半ば諦めていたが、ひょっとして行けるのか。
 
 彼女は300m ほど離れた国道まで案内してくれた。 炎天下の国道で待つこと30分、走ってきたソンテウを止めて、この日本人をパノムワン遺跡まで乗せていけと交渉してくれた。このソンテウは次の村が終点になっているので、その後はチャーター料金にすることで話はまとまった。

 暑いなか仕事中にもかかわらず、案内してくれた女性の優しさは、心にしみて嬉しかった。そしてソンテウの運転手もまた気のいいオヤジさんで、今回の旅はいい人に恵まれた。と言うのも遺跡に着いても帰りはどうする、と心配してくれる。 バスターミナルへの交通機関が全くないのだ。

Photo_3  彼は昼食をすませてきたので、この日陰で昼寝をする。

 それで見学が終わったら起こせ。昼寝を口実に待ってくれるなんて、嬉しいじゃあないですか。

 遺跡なんて壊れた寺院の一部しか残ってなくて、15分もあれば十分であった。

 ところが少し離れた建物から、大音量の音楽が流れて、たくさんの人が出入りしている。

| | コメント (0)