パヤオへのバスは走る

パヤオは遠かった

  バンコクを発って8時間30分、雨が降り始めてきた。あたりは夕闇が迫ったかのように薄暗くなっている。  久しぶりに畑や人家が見え始めて、山間から平野に降りてきた。何やら人恋しい懐かしい感じすらしてきた。

 そして、ついに初めてのバスターミナルに到着した。 ああやっと着いた。 ここがパヤオだ!  ところが客の一部が降りただけで、バスは停車を続けたままだ。 パヤオと違うのか。

 私はたまらず、前の中国系の爺様に 「ここはどこですか」 と尋ねたところ、厳かに 「プレー」 とのたもうた。  パヤオではなく、まだプレーか。

  プレーは、タイ語の指導をしてくれたユン先生の生まれ故郷である。こんな山深い町だったのだ。 彼女はタイ語教室でも落ちこぼれであった私に、優しく丁寧に旅に必要なタイ語だけを選んで、集中指導をしてくれたものだ。
 
 そのおかげで、今も一人で何とか旅を楽しむ事が出来ている。 まさに恩師である。現在はチェンマイのラチャパット大学の日本語学科主任として活躍中だそうだ。

 物思いに耽っていると、何を思ったのか、爺様が急にどこまで行くのか尋ねてきた。パイパヤオと答えると、このまま乗っていけ。  分かっていますよ。このバスはパヤオ行きなんだから。 込み入ったくどい話になりそうなので、後は狸寝入りをしてやった。
 
 降り続く雨の中をバスは走って40分、パヤオとナーンの分岐点へさしかかった。
右折して100㎞程行けばナーンの町、山の中の静かな町だそうだ。 以前は行きたいと思ったこともあるが、これほど遠いとは思わなかった。 もういい。 

 パヤオはガイドブックには記載のない町、地図さえも見たことはない。ホテルの予約はもちろんしていない。
夕暮れ近い雨の中なのに、無事にホテルを見つけることが出来るだろうか。

 心細いが、座席を最大限に倒してふて寝をしていると、大きな声で目が覚めた。ついにパヤオのターミナルにバスが入ったのだ。

 昼食とプレーに短時間停車したほかは、走り続けの11時間、予定通りの午後7時である。
 バイクやトゥクトゥクの運転手が、客を求めて集まってきたが、振り切ってターミナルの職員に、ホテルがあるかどうかを聞いてみた。

 ホテルは、バスターミナルの隣にある小高い丘の上にあるそうだ。 近づくとピンク色の立派なホテルだった。問題は空室の有無である。 無ければ暗くなった雨の中をさまよわねばならない。

 

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ピサヌロークからウタラディットへ

バンコクを出て5時間、バスは休憩所に寄っただけで、停車することなく北へ向かって走っていく。午後1時頃、エンさんの故郷であるピサヌロークの近くを通過して、初めて山が見えてきた。
  
 バスは山中に分け入って、道路はS字というかU字と云えばいいのか、曲がりくねった道をあえぎながら登っていく。 バスが好きな私でも最後まで耐えられるかどうか不安になってくる。1時間後にバスはやっと山を抜け、町らしきところへでた。

 ウタラディットの町だ。 やれやれと思う間もなく、また峻険な山に挑戦するバスは、エンジンの強い新車でもやっと登れる状態だった。

 このあたりの山には自生のバナナがたくさん見られて、大きな房をつけていたが、食べられるのだろうか。

 10メートルを超す緑豊かな大木が、赤やピンクの花をいっぱいつけている。こんな可憐な色の花は、小さな草木に咲くのが日本の常識なのだが、タイの樹木はお構いなく派手なのだ。

 原色の花を眺めていて、バンコクで見る女性の服装を連想した。 若い女性もそうでない女性も、それはもう派手な色の服を好んで着用している。 それがまた、とても似合って美しく見えるのだからいやになる。 これも南国、樹木も女性の装いと同じなのだろう。

 バスは山脈の尾根ずたいに走っている。高い位置なので左右の見渡しは 最高、あちこちの山腹や谷の間には、山岳民族と云われる人たちの家々が散見できる。

 ふと谷底を見下ろすと、思いがけなく汽車が走っていた。 こんな山の中でまあ、どこに行こうとするのか。
 そうだ、私が乗った汽車はこれだ。ランパーンからウタラディットを通り、ピサヌロークまで乗った、凍えつきそうに寒かった汽車だ。

 あの汽車の冷房は、日本の真冬のような寒さだった。それでも超ミニスカートの車掌は笑顔で、弁当と冷たいジュースを配ってくれたっけ。 タイの自慢の特急列車の思い出は苦かった。

 やがて汽車は左遠方に去り、バスは右の尾根を回って、更に深山に分け入る気配である。



 

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