パヤオ

パヤオの次はどうしよう

 パヤオへ行く旅は、何しに行ったのと云われかねないような、バスの旅であったが、私にとってはバンコクからタイの北の端までバスで縦断できたことに意義があった。

 航空券の手配が出来て、チェンライからバンコクに着いてみると、ドムアン空港のあまりな変わりようにとまどった。
 この空港が数年前までバンコク国際空港であったのに、新空港が完成して、これほどまでに寂れてしまうとは、なんか空港が可哀想になってしまった。

 バンコク都内へのアクセスは、エアポートバスが廃止され、タクシー以外は適当な物は見あたらない。 あれほど多くの人々が利用した国際線の施設もベニヤ板で閉鎖されて、まるで廃屋となっていた。

 仕方なくタクシーで、という発想は私にはない。 気が小さいのに新しい発見を求めている物好きなおじさんなのだ。
 国内線から外に出ると、右方向に向かって旧国際線の方へ歩き始めた。閉鎖されている旧国際線まできて、車に気をつけながら左に折れて、そのまま進めば国道にぶつかる。
そこにはバスの停留所がある。 ここまでは5分も歩けば十分である。

 左方向に走るバスを待って、29,59,510,513系統のバスか来たら、斜め下に手を出せばバスは停車する。これで出来上がり。
 ただ行き先を告げて切符を買わねばならぬので、「アヌサワリー」 (戦勝記念塔) と言って、30バーツも出せば釣り銭をくれる。

 前述4系統のバスはすべて、パポンヨーティン通り(BTSに沿っている)を通り戦勝記念塔(アヌサワリー) までは行くので、途中で高架電車(BTS)の駅が見えたら適当なところでバスを下車し、電車に乗り換えればよい。

 そうだ、ホテルが決めてなかった。 この機会をのがす手はない、気になっていたホテルを当たってみよう。
 アソークから地下鉄に乗り替え、フアイクワーン駅で下車、5分ほど歩くとサイアムビバリーホテルがあって、弟に云わせると食事がうまいそうだ。

 食い意地が張っていると思われるが、歳が行くほどにそうなるのである。残念ながら空室が無く暑い中を引き返した。

 次はラチャダピセーク駅だ。 ラチャダピセークまでの切符を買おうとするのだが、舌が回らない。これは ラチャダ・ピセークと二段構えで発音しないとうまくいかないのである。
 駅から3分の所に 「トラベラーズ ホテル 」 がある。このホテルも以前から気になっていた。

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必ず迷う パヤオの市場

 パヤオの空が白み始め窓を開けると、昨晩は見ることが出来なかったパヤオ湖がなんと美しいことか。 琵琶湖と見まごう広さで、遙か遠くに対岸の山脈がかすんで見え、幻想的にさえ見える朝の風景であった。

 さっそく湖畔の散歩に出かけると、湖面をわたってくる涼風が気持ちよく、旅の疲れをすべて持ち去ってくれるようだ。

 湖岸では、まだ暗いのにお爺さんとお婆さんが、並んで竿を出している。歳を重ねると寝覚めが早くなるのは、どこの国であっても同じなんだなあ。 それにしても老夫婦の仲むつまじい姿が、一幅の絵になっているようだった。

 素晴らしい朝の風景を愛でた後は、やはり早朝の市場だ。 地図なんて無くても市場なんぞすぐに分かる。
 朝靄をついて時折走ってくるバイクを見ればいい。 こんな時間に走る行き先は、市場に決まっているので、市場までの道順なんかすぐに分かるのだ。

 パヤオの市場は豊富な、しかも珍しい食材が揃っていてとても面白い。ところがこの市場の広がりは特に難解だ。小さな露地が曲がりくねって交差し合い、どこを通っているのか、すぐに分からなくなる。
市場の主人公は写真でよく見る少数民族の娘さんの、なれの果ての人が大多数で大変趣があった。

 そして道に迷った。 私は方向感覚にはいささか自信があるのだが、久しぶりに方向を失った。
買い物帰りの青年にボーコーソー(バスターミナル)はどちらでしょうか。と尋ねると、親切にこの道を行き、その先を左に折れて、更に………  いや方向だけで良いのです。ありがとう。

 あまり美味しくない朝食を済ませチェックアウト、ホテルを出ると昨夜の食堂のおばちゃんが,めざとく見つけて笑顔で手を振って見送ってくれた。

 バスターミナルへ着くと、昨夜あれほどいたエアコンバスは姿を消し、ボロバスが3台ターミナルの横に停車しているだけだった。
バスの車掌にチェンライへ行くのはどれかを尋ねると、窓の閉まった一台に案内してくれた。

 窓が全部閉まっていると云うことはエアコンバスだ、とほくそ笑んで乗車してみると、窓が壊れて開かない昔はバスだったと思われる代物であった。 何たる不運なのだろう。
私は必死の思いで、窓がわずかでも動く座席をやっと探しあてた。やれやれ。 

 東北タイではいつもボロバスに乗っていて、大概のボロでは驚かないが、それにしても見るほどに凄いバスだ。

 臭気が鼻を突き服が汚れないか気がかりなほどだ。周りの乗客は色の浅黒いラオスやビルマ系、山岳民族の人ばかりのように見える。
 むせ返るような暑さの車内は人いきれで匂うこと臭うこと。 朝から気持ちが萎えてしまった。

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パヤオの夕食は

  11時間に及ぶバスの旅を終えてパヤオの町に到着したのだが、すでに雨と夜の闇があたりを支配していた。
ホテルの予約などはしていなかったので、すがるような気持ちでフロントの前に立った。
 恐る恐るフロントの女性に、部屋はありますか。と尋ねると 爽やかな笑顔で 「ミーカー」 と答えてくれた。

 やったあ、部屋があった! フロントの女性の顔が一段と美しく見える。  が、一度に疲れと安堵感を覚えた。

   雨と闇の世界の中を路頭に迷うことなく、ホテルのベッドで休むことが出来る。料金などいくらでもいいぞ。

 しかし、やはり尋ねました。 一部屋一泊いくらですか? 美しい女性は 2,800円です、朝食も付いていますよ。
 朝はパヤオ湖の見晴らしが素晴らしいとのことで、ツーベッドで、バスタブもシャワールームもついて、まったく文句なしのホテルのようだ。

 この 「ゲートウエイホテル」 では、夜はレストランが閉まっているため、夕食を求めて外出した。
 200メートルほどのところの、道路沿いで10数軒の屋台が美味しそうな匂いと煙をまき散らして、空腹の人々を狙っていたが、ビールを置いていなかったのでこれは駄目だ。

 灯台もと暗し、何とホテルから少し離れた所で食堂を見つけた。調理を店先でやっているので中級の食堂だ。(調理を客の目に触れない奥でしている店は上級の店である)

 店先ではオバサンが、フライパンでもうもうと煙と匂いを出しながら調理をしている。手際が非常によく美味しそうなので入ってみた。

 一瞬、外国人だと、とまどったようだが、笑顔でサワデイーカーと平静に戻った。
五目野菜炒め、オムレツ、イカ焼きとビールを所望して、改めて店内を見渡すと、テーブルが六卓あって客も三組ほどの入りで盛り上がっている。

 料理ができあがったところで、カオ(ご飯)はどうすると云ってきたが、最後に麺類が食べたかったのでお断りした。

 ホテルは近いし、料理もなかなかうまい。 お世辞半分に 「なかなか美味しい」 と北タイの言葉で言うと大喜びして、客ともども笑っていた。彼女たちは滅多に見たこともない日本人が「ラムテーテー」などと云ったので、驚くと同時に笑ったのだ。 

 十分堪能して仕上げに麺 (センレックナーム) を注文した。 具には何を入れるか、と叫んでいるので、何でもいい任せると、鷹揚なところを見せると、鶏の蒸したのをスライスして入れようとしている。
待て待て、私はカシワが苦手だ。

  ガイマイアオ (カシワは要らない) と云っているのに、オバサンは強い。
首を横に振りながら、 「これは鶏ではないアヒルだ」。 そして麺が隠れるほどアヒルを乗せてしまった。食わず嫌いと云うのでしょうか、食べてみると意外に柔らかく、味付けもよかったので完食!

 わいわい言いながらの夕食も10時が過ぎて終わった。見上げる空には見たこともない南国の星の群れが瞬いている。
 遙か北タイの田舎で知らない人との、わずかなふれあいではあるが、こんな事が旅の醍醐味を増してくれるのだ。
 

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VIPバスは走り始めた

国歌の演奏が終わると同時に、我々のバスはゆっくりと走り始め、車掌はさっそく ケーキ、クッキー、コーヒー、ミネラルウォーター、昼食券を配ってくれた。
 
 私の席の近くは、前に中国系の金持ちらしい爺様、通路を隔てた隣の席には20代の娘さんが後ろの母親と大声ではしゃいでいる。

 私の後ろの席には、病気の妹を実家へ連れ帰るお姉さん。
私はシートを倒したまま動けない、痩せて顔色の悪い20代の妹さんを見て、彼女はバンコクで悪性感染症を発症し、姉さんが連れて帰るのだと確信した。 数年でもいいから生きながらえて欲しいものだ。

 バスはバンコクを離れて、北へ北へと走り続ける。車窓には田圃が次々と後方に流れ、二毛作なので稲刈りと田植えが交互に見られる。
沢山の人が横一線に並んで植え付けている姿などは昔の日本そっくりだ。

 子どもの頃、田舎で見慣れた光景だが京都に出てきて45年、昔を偲ぶ思いも錆び付いて、改めて近くで見ると、とても新鮮に見える。
 
 沼地には、色とりどりの花に混じって蓮の花が咲き乱れ、美味しそうに丸々と太った水牛が泥に浸かって遊んでいる。
 行けども行けども同じような風景が続き、朝が早かったので睡魔が襲い始めた。こればかりは瞼を叱咤激励しても抗しがたい。

 4時間が経過し、眠りから覚めた時バスは寂れた休憩所で停車した。おやつの買い出しと昼食だそうな。
食事券を渡すとオバサンが、お皿にご飯をドバッと盛ってくれ、その上からタイのカレーをザッとかける。 そんなに入れても食べきれない。それでなくともインディカ米のご飯がまずいのだ。

 だが上品ぶっても、ここで何かを食べないと、あとで必ず後悔をすることになる。
ご飯はご遠慮願って、奥に置かれた数種類のおかずから、美味しそうな物だけを選んでいただくことにした。

 気が付くとテーブルの上には小さな赤蟻が行列を作って、食べ残したお皿へ急いでいた。
行列が一本だけではなかったので、気になってつぶしていたら、指を噛まれてしまった。
小さな蟻でもタイの蟻は強いのだ。

 食事を終えてリポビタンDを買ってみると、日本の味と全く同じだったが、値段が違う。
なんと一本が日本円で34円だ。 大正製薬さん瓶の色もマークも同じで、会社名もちゃんと書いてありまっせ。 これからリポビタンDを飲むならタイだけにしよう。
 

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似合わぬバスで北タイへ

  アユタヤへ向かうイングランドとか云っていた大学生と別れて、私の旅は動き出した。

 712㎞、所要時間11時間のバスなので、体力と相談してVIPバスの座席があるかどうかを聞いてみた。 パヤオ行きのVIPバスは午前8時と夜間に発車する3本とのこと、そのうち空席があるのは朝の便だけだそうだ。

 こんな事もあろうかと、始発電車で来ていたので、かろうじて8時のバスに間に合った。
タイの超田舎であるパヤオ行きのVIPバスには驚いた。 普通の大型バスと同じ大きさなのに、座席が24席しかない、座席を倒して足を伸ばしてみても、足が短いせいもあるだろうが、前の座席に届きもしない。

 私の座席は左側の3番目、縦3列なので隣は何も無し、しかも新車だった。 でも料金はタイにしては 1,600 円と高かった。

 運転手はパイロットと見まごう威厳ある制服を着用して、交代運転手をいれて2人乗務。 車掌は白のブラウス、黒のスカート姿で、女子大生のような小柄の女性。
ブルーの絨毯が敷き詰めてあるせいか、車掌は靴を脱いではだしだ。

 車掌が出発に際して早口で挨拶を始めた。高校生がはにかみながら、暗唱発表をしているようで、とっても可愛いが、挨拶の内容は全然分からない。

 午前8時の発車時刻となって、運転手と車掌はバスから降りた。 出発時間と違うのか。
3人は乗車口の下で横に並び整列、時報と共にターミナル全体に国歌が流れてきた。バス内の乗客以外の人は、ターミナルの客も売店のおばちゃんも直立不動で聞いている。

 彼らは国王を敬愛し、僧侶をあがめる仏教徒なのだ。そして、バスから電車から仏像があれば必ず手を合わせることを、親から教わって実行している国民なんだ。
子ども連れで、いろいろなお寺へお参りする事が楽しく思える人々である。 日本とは違うんだなあ。

 タイでは午前8時と午後6時に、公共施設のスピーカーから、大音量の国歌が流れ、国民は起立して国と国王に敬意を払うことを習慣としている。
 この国歌が終わるのを待って、ターミナルで出発を待っていたバスの群れは、目を覚まし動き始めた。

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見知らぬパヤオへ

 タイの田舎に定住することを決意されるだけあって、田舎の自然を見る目、生活の様子や風習、村の人達とのつながり、タイ人の気質などが克明に描かれて、読んでいる私がそこで生活をしているかのような錯覚に陥る、見事な描写であった。

 特に奥さんが去った後、ハイさよならではなく、家族と近縁の人たちの中で生活を共にして、一家の主としての生活に、心から拍手を送ったものである。

 この彼が生活を始めた町が、バンコクの北710㎞に位置する寒村パヤオである。 
パヤオは日本人には馴染みはほとんど無いが、非常に貧しい県で、タイではエイズが多いことで知られている。

 私はS氏のブログを読むにつれ、一度パヤオの町を訪れてみたい。と思う気持ちが高まってきた。 彼に逢おうとは思わないが、彼が書いている町の匂いでもかいでみたい。そんな気持ちを抱かすブログって本物である。

 パヤオへは飛行機の便がないので、無謀にもバンコクからバスで北上し、車窓から風景など楽しみながら、彼が根付いている町 「パヤオ」 行きに挑戦することにした。
 
 7月4日、高架電車BTSを利用して終着駅モーチットへ到着した。
この駅はチャトチャック公園の前にあって、今日は運悪く日曜日、サンデーマーケットが開かれるため、人の大波がうねりかえっていた。 なんでもサンデーマーケットが開かれる日は、一日に十万人を超える人が訪れるそうである。

 バスターミナルのモーチットマイへ行くには、電車の駅からバスに乗り換えが必要なので、バス停から77系統のバスに飛び乗った。(バンコクのバスは完全には停車はしない)
 バスはほぼ満員で、横には大きなリュックを担いだ白人の青年が2人立っていた。

 女車掌が金属の料金箱をカシャカシャ鳴らしながら、切符を切りにやってきた。バスがバスターミナルへ行くかどうかを青年が尋ねたが、この車掌は知らぬ顔だ。

 あかんなあ。 車掌に流暢な英語で聞いても分かる訳がないではないか。 世界中英語が通用するとでも思っているのか。 ここは「バスターミナルOK」なら彼女も理解ができただろうに。 

 しかし、77系統のバスには同じ77を表示していながら、違う方面へ行ってしまうバスもあるのは確かだ。 正直に言えば、私も多少は不安を抱いていたので、車掌に行先を確かめ、青年にも伝えてやった。

 車掌も若者の質問を無視した、後ろめたい気持を持っていたらしく、ホッとした表情を見せ私に向かって微笑んだ。到着したこのターミナルは、ばか広くて方向も定かではない。

 自信の全く持てない長身の青年2人は、小さなおじさんの後を従順についてくる。生意気に髭などはやしているが、かわいい大学生なんだ。でも、他人が見たら随分と滑稽な3人組に見えたことだろう。

  このターミナルは、一日に何百台ものバスが地方へ向けて発着するので、大変混雑している。 しかしここに集まる人はすべてターミナルを目指しているのだから、人の流れさえ見ていれば迷うことはない。 

 彼ら2人は、自分たちはイングランドから来た、とかなんとか云っているが、ようするにイギリス人なのだろう。 私の感覚では、世界には白人と黒人、黄色人種の三種類しか存在しないことになっている。 でもそんなこたあどうでもいいんだ。 いったい彼らはどこへ行こうとしているんだ。

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退路を断って永住

 四国出身のS氏のブログに行き当たり、Tタイと言うブログを長い間愛読させて頂いた。
S氏は平成11年に、勤続30周年の記念として、旅行券を会社からプレゼントされて、奥様とツアーでタイを訪れたそうだ。

 彼はバンコクを中心に、おきまりの有名寺院や王宮、アユタヤなどの遺跡、などを巡って帰国された。 しかし車窓から眺めた、ややこしそうな屋台や黒煙をまき散らして走るバイクの群れ、人々の笑顔などを思いだし、何かをタイに忘れてきたような気持ちが、いつまでも消えなかったそうだ。

 これで彼の人生は目覚めたというか、狂い始めたというか、立派にタイにはまるお膳立てができあがった。
52才で早期退職制度に応募して、定年並みの退職金を手に、タイへの旅が深まって、バンコクにアパートを借りるまでになった。

 それから数年経って、彼がマレーシアの旅からバンコクへ帰る途中、国境の町スンガイコーロクで出会った女性に思いを寄せるようになった。 それだけのありふれた話である。

 ところが1年後に、バンコクで奇跡的に彼女と再会を果たしてしまった。 その時彼女は28才、彼は55才であった。 間もなく日本の奥さんとは当然のごとく離婚して、彼女の故郷である北タイに、彼女名義の家を新築して永住を決意することになった。

 若い彼女とは正式に結婚し、村を挙げての祝福を受けたのち、彼女の両親や親族がたくさんいる村での生活がはじまった。

 残念なことに数年で破局は訪れ、女性は家を捨てバンコクへ去っていった。  ここまではよくある話なのだが、彼の決断は少し異なった。

 女性の家出後も、彼女の家族とともに生活を続けていて、その経緯がありのまま、ずっとブログに綴られていたのだ。
 この長期にわたるブログの内容は、中身が濃くて膨大な量にのぼり、私も毎日楽しみに読んだものである。

 一昨年タイに長期滞在していた日本人は、45,000人、永住者の数はは974人である。この永住者974人のなかに、S氏のように日本に帰ることなく、タイに住みついている人がかなり含まれるのだ。

 Tタイと言うブログを (今はこのブログは読むことが出来ない) 長く読み続けるうちに、私もこんな山の中の町を一度訪ねてみたいと思うようになった。

 

 

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