日本を訪れたタイ人

京都を訪ねるチェンマイの高校生

  私は日タイ教育交流協会の末席を汚している。 とはいえ活動からは身を引き楽隠居をきめこんでサボっている。 ただ困ったことに、協会の代表から忘れたころに電話を受けることがある。

 タイから京都へやってくる高校生の市内案内をしてほしいとの依頼である。 受け入れ側の協会員は現職者が大多数なので、平日は人手のやりくりに困ることがままある。
どうにも人手のやり繰りがつかない時に、タイ語が出来ない、タイスキおじさんの出番となるようだ。

 タイ語がなめらかに話せなくとも、ガイドではあるまいし何とかなるものだ。外国人と関わる場合、緊張したり動揺したりするものだが、いつもタイへ行っているとタイ人を前にしても、物怖じしないので
つとまっているだけだ。

 神社仏閣を巡る事もするが、東山の高台寺や清水寺などは言葉には表さないが興味はなさそうだ。 それより金閣寺や平安神宮の方がよい。それは金色に光っていたり、鮮やかな朱色に惹かれるのだ。

 タイの寺院はすべて金色に光っていて、それでも足りず仏像に金箔を貼り続けている。そういうお寺の中に仏教を見いだしている生徒達だから、光っていなければ駄目なのである。

 引率の先生や生徒達に欠かせないのが、100円ショップだ。 タイ人を魅了するのはワンコインで全てのものが手にはいる。 ここに錯覚があることに気づかない。

 タイの一番高額硬貨は10バーツ(約28円)、このワンコインであらゆる品物を買えると錯覚をするのだ。 日本のワンコイン100円は、34バーツと気づかずに、どんどんお買いになる。

 大型電気店などでのデジタルカメラは、それはそれは大人気、タイにも同じ日本製カメラはいくらでもあるが、それでは駄目なのだそうだ。 日本で買う本物の日本製だけが純正日本製だそうだ。
この気持ちは分からないではないが、本当だろうか。

 京都駅前や四条河原町などでは、まっすぐ歩けない。それはお馴染みのティッシュを配っているからだ。 
 タイには無料でティッシュを配るなど考えられないことなので、前を行ったり来たりして、何度も無料で手に入れご満悦、男子生徒だけは欠伸をしてお待ちである。
  この無料で配られるティッシュペーパーも、チェンマイに帰れば必ず話の種にはなるのだ。

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タイ人が京都にやってくる

  タイの僧が日本に来ると、必ず男性の荷物持ちの若い衆がついてくる。今回の高僧についてきたのは、東北タイの中心部に位置する、マハサラカムの青年であった。学歴も僧籍もない田舎育ちの彼は、生涯初めてとなるだろう日本観光であった。

 なぜ彼が選ばれたかは、大阪に嫁いできていたタイ人が、私たちの協会と関わりがあって、高僧を推薦し、協会が認めたからである。
そこで高僧のお付きである荷物持ちに、彼女の弟が起用されたのだ。

 近鉄東寺駅に集まったのだが、あまりの寒さに震え上がっていたので、自動販売機で熱い飲み物を購入したところ、青年は驚いたの何のって、生まれて初めて自動販売機を見たのである。
彼にとって見る物すべてが驚きであった。

 鴨川の橋から眺めると、遠く北山が白くなっていて大騒ぎ、生まれてこのかた雪なんか見たこともない。 鴨川の水鳥を見て大興奮、なぜならご馳走がたくさん遊んでいたからである。

 無理もない、彼らが東北タイの田舎の畑で蛇などに出くわすと、一目見るなり蛇が青くなって逃げ出すほどである。
山でオオトカゲなどに出会うと、その夜の内に一家のおかずに変身してしまう。

 東北タイの市場を覗くと、コオロギの佃煮や芋虫の塩ゆでなどのご馳走が並び、蟻の卵、蛙などは
高級食材でかなりの高値である。
 タイが大好きな、タイスキおじさんでも食べられないものは、たくさんある。粋がって無理に食べることはない。

 彼は何でも興味を示しはしゃいでくれた。タイの田舎に帰って友人に自慢話が随分出来るだろう。
それでいい。彼のような学歴のない平凡な青年は、申請しても在タイ日本大使館が絶対にビザを発給しないので、来たくても日本には来れないから。

 日本人は一ヶ月くらいならビザ無しで、いつでもタイへいけるのに、タイ人にはなかなかビザを出さない。不法就労の問題はあるだろうが、日本は不公平な国だ。

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同じ僧でも 高僧ともなれば

  あるとき我々の協会でタイから僧侶を招く計画を立てた。恐れ多くも東北タイのルーイからイサーンでも有数の高僧をである。

 バスでも飛行機でも最優先で乗り込み、一番よい席に座る特権階級の人なので、ひどく緊張してその日を迎えた。
歓迎のセレモニーを終えて翌日から、京都各地の見学に入る。私は1日目の案内役をI先生と担当することになった。

 寒い冬の日、近鉄大久保駅から高僧を案内して、I先生の待つ東寺まで行くため電車に乗り込んだ。 こんなに緊張して大変なこととは思いもしなかった。
 知らなかったわけではないが、タイの僧侶は妻帯はもちろんしないし、それだけではなく女性には絶対触れてはいけないのだ。

 日本の女性にはお叱りを受けるかも知れないが、女性に触れるとこれまでの修行が無になる。との仏教の教えがタイでは堅く守られているのである。
バスや汽車などに僧侶が乗ってくると、女性は手を合わせて合掌し、座席を譲って距離を置くのだ。

 慌てましたねえ。朝の通勤電車は満員状態で女性もたくさん乗っている。黄色の袈裟を着けた高僧とはいえ、座席を譲る人とてなく、強い日本女性が一緒に押し合っているのだ。
こんな状況ではタイスキおじさんが、いくら間に立って女性と触れないように努力しても、痴漢と間違えられこそすれ、無駄な抵抗であった。

 東寺駅で待っていたI先生と通訳のタイ人を通して高僧に、詫びてみたが終わったことはどうにもならない。 知らない日本人にそのようなタイ仏教の教えを押しつける方が、おかしいことではあるのだ。

 通訳を通して帰ってきた高僧の言葉は、習慣の異なる国へ勉強に来たのです。 60年の修行は、いくら戒律とはいえ、消滅するものではない。全く気にしないから、大丈夫ですよ。とのたもうた。
さすが東北タイで崇められている高僧は、人間の器が大きい。

 そのあと、訪れた平安神宮で壮大な朱色の建物と庭園を見学し、赤い袴を穿いた巫女さんと一緒に写真に収まるなどは、普通の僧侶に出来る芸当ではない。
もし、タイのお寺に帰って、写真を誰かに見られたら大変なことになるだろう。 高僧は何でも勉強されているのだ。

 研修に来た高校生や大学生、教師などいろいろなタイ人を案内したことはあったが、これほど神経を使ったことは初めてであった。

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