メーホーソン

メーホーソン 朝の散歩は清々しい

 市場を出ると買い物客を狙って、人々の足であるモトサイ(バイク)が並んで客待ちをしていた。

Photo_2 太った女性のドライバーが、私を見て パイナイカー(どこへ行くの) と声を掛けてきたので、とっさにドイコンムー(山上のコンムー寺)と答えた。

 ドイコンムーは、 430メートルの山上にある寺院で、ここからはメーホーソンの全景を見ることが出来る。

 話はまとまって、オバサンのバイクはあえぎながら登山を始めた。
バイクに乗ったのは、山の上は気持ちが良いのは分かっているが、登りがあるから歩くのが嫌なのだ。

 早朝の曲がりくねった山道は、さすがに清々しく気持ちがよい。
重いオバサンと標準タイプの私を乗せたバイクで、やっと山上のお寺に着き、そこから見渡した風景は、町並みや空港の滑走路、霧にかすむ山々が一望できて素晴らしい光景であった。

 霧を背負った山に目をこらしてみると、あちこちの山から細い煙が立ち登っているのが見える。
煙の立つところが少数民族の村々で、独自の文化を持って、生活を営んでいるのだろう。
そんな彼らの生活を好奇の目で、見物に行くのはやはり好きではない。

 メーホーソンの遠景に満足して、再び重さにあえぐ可哀想なバイクで下界に降りた。オバサンにホテルではなく、ワットチョンクラーンまでといって、昨日と同じ池の畔まで送ってもらった。

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ビルマ風の寺院二つが連なって並び、その影を池に落とす景色は、何とも私の心を魅了してくれる。

 池を巡り、ワットチョンクラーンまで来ると、静かな境内を僧侶達が朝の掃除にいそしんでいた。

  挨拶を交わしたインテリ風の青年僧は私が日本人と分かると、猫を一匹従えて、私を本堂に誘い、隅々までを案内をしてくれた。
 この寺院の内部と資料館は入場料を取って、9時から見学が可能となっていたが、青年僧は開館1時間前であったが、入場料免除、猫の案内い付きの破格の扱いをしてくれた。

 ホテルへ帰ると、トレッキングの出発時間で、ファラン (白人) の男女が賑やかに四輪駆動に乗り込むところだった。 やはりヤツラは好奇心丸出しの顔をしとった。

 私は静かになったホテルの食堂で、トーストに目玉焼き、コーヒーの、まことに質素な朝食を取った。 さて、今日もひとりだけの旅が始まる

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メーホーソンの雨

 ホテルで寛ぐ間もなく、池の畔に立つ「ワットチョンクラーン」と「ワットチョーンカム」を見に行った。 ビルマ(ミャンマー)の影響を受け継ぐこの寺院は、静かな水面にその影を落してとても美しい。 うん、見たかったのはこれなんだ。 目に焼き付ける風景ってあるもんだ。

Photo

 美しい池畔で、寺院の落とす影を鑑賞したり金色の寺院に見とれたり、池にいる魚の群れに遊ばれたりしての2時間は、心休まるひとときであった。

 チョーンカムには光り輝く金色の重厚な仏像が安置されていて、黄色い袈裟を着けた老僧が座っていた。 暇そうにしていたので話しかけてみた。やはり人並みに退屈されていたようで、延々とお話は続き止まるところをしらない。


 いつもの事ながら古式マッサージを探した。やはりタイである。どんな鄙びた山の中の町にも、人がいればマッサージ店もあるのだ。

 昨日の午後自宅を出てから動き続けなので、2時間のマッサージの殆どは熟睡していたようである。

 促されて、目を覚ますと、凄い雷が大雨を連れて暴れていた。  チップを渡して、出口付近にあった古ぼけた傘を手に取り、プルンニー(明日)というと頷いていたので、そのまま傘を手に飛び出した。
 雨季の雨はよほどのことがない限り 午後に3~4時間ほどは、律儀なほどにやって来て激しく降っていく。

 マッサージを終えてホテルに帰ろうと、店から出てみるとかなりの雨の中を、三人乗りのバイクが5~6台傘をさして走っている。学校帰りと仕事帰りが重なっているからだろう。

 この大雨で、ボロ傘を差していても役に立ちそうにないので、近くの食堂に逃げ込んだ。
適当な料理を注文して、あと一品お勧め料理はないかと聞いてみると、「すき焼き」! これがうまいと男の店員がいう。本当かいな。

 物は試しと、、「すき焼き」を注文した。  出てきたのは、大きな丼茶碗に野菜、茸、卵、肉、その他をごちゃごちゃに入れたスープであった。こんなん、、「すき焼き」と違うやん。
日本のすき焼きを期待する方が間違っていた。それにしても大きな特製の丼であった。

 さて、このスープを一口飲んでみると、味が濃厚である。複雑でうまいのである。
辛い、酸っぱい、味噌の味もする、これは海老味噌かも知れない。 このすき焼きは次回来る機会があれば、また必ず食べるだろう。すき焼きは80円の料金で満足であった。

 
 日本より夜明けがかなり遅い。6時過ぎになってやっと明るくなってきた。まだ眠り込んでいた警備員に玄関を開けさせて、朝の散歩に出かけた。  あれほど降っていた雨も午前中は降らない。

 爽やかな朝の空気を満喫しながら歩く道々には、托鉢の僧侶の列が絶え間なく続いていて、これはこれで一幅の絵である。
それにつけても、こんなに托鉢僧が多い町は初めてだ。タンブン(喜捨)をする善良な仏教徒でも、毎日となると大変だろう。

 賑やかな市場があったので、さっそく覗いてみた。山で取れた食材を並べた山の人たち、まだ暗い山道を何時間も掛けて降りてくるのだから大変な事だろう。
川や沼で獲れた魚や蛙、亀、バッタ、タニシやゲンゴロウまでタンパク源になっている。

 動物や植物は毒性がなければ、全部食用になると頭では分かっているが、、鶏の足首とか芋虫や豚皮の天麩羅を買って帰る様子を見ていると、生育環境の違いに寄るのだろうが、食べてみようと云う気にはならない。

 

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ミャンマーにほど近い メーホーソン

第二次世界大戦で、雨季のインパール作戦に破れた日本軍は、食料弾薬ともに無く、大敗北を喫して、ぬかるみの中を徒歩でタイへ向けて敗走を続けた。

 殆どの将兵は豪雨のなか、傷つき疲れ果て、飢餓にあえぎつつ、泥濘の道に次々と倒れていった。日本兵の死者は退却路に沿って累々と並んでいたという。そしてこの道路は今も白骨街道と呼ばれている。

 白骨街道は延々とビルマからメーホーソンまで続いた。やっとたどり着いたメーホーソンでも死者は7,000名以上にのぼるという。その死者をタイの人たちは鄭重に葬り続けてくれたそうだ。インパール作戦での戦死者は40,000人以上で、その殆どの兵が餓死であったという悲壮な戦であった。

 私達は戦争によって、日本の若い兵士ががこのようにたくさん戦死している事実を、知るよしもない世代に生きている。日本の地に帰ることが叶わなかった、数え切れない若者がいることを思うと、鎮魂の思いを抱くと同時に、この地を訪れることに一抹の躊躇を覚えていた。

 これではならじと、今回は思い切ってメーホーソンを訪ねることにした。バンコクの午前5時は、まだ暗闇の中に蒸し暑さが同居していた。

  入国審査を終え、スーツケースを空港の荷物預かり所に託して、チェンマイへ向けて出発した。更にメーホーソン行きの飛行機に乗り換えて30分のフライトで、山の中の小さな空港へ着陸した。

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 メーホーソン空港は山深い小さな空港なので、飛行機は山すれすれに進入しなければならず、手に汗握る着陸となる。

 強者どもが夢の跡ではあるが、首長族をはじめ少数山岳民族の村を訪れるトレッキング基地としても有名なメーホーソンの村である。
 もちろん時差の関係もあるが、関西空港を深夜1時30分に出発して、同じ日の 午前10時35分にはメーホーソンに着いていた。

 チェンマイからメーホーソンへのタイ航空は、一日2便しかなく座席はいつも満席で航空券の確保が難しい。 この航空券が取りにくいのは、タイ航空を利用すれば30分だが、バスでは曲がりくねった山道を何と8時間30分もかかるからである。

 それでも、ついにやって来ました。ビルマのすぐ側の山間の町は、霧に覆われて神秘的だった。

 さっそく空港から遠くない、市場が近い、優雅な寺院にも一番近い、手頃なホテルを探すことにした。 選んだのは木造のホテルで「 バイヨークシャレーホテル」 が希望に近かったので、宿泊することにした。清潔、機能的な

Photo_2 山小屋風の部屋は快適で気に入った。

 
 今回メーホーソンを選んだのは有為な若い日本兵が無念の死を遂げた、白骨街道に近づき、少しでも慰霊の意を表したい。

そのことと、ガイドブックには必ず紹介される、池の畔に建つビルマ風の優雅な寺院もあわせて観賞したかったからである。

 ホテルの従業員が盛んにトレッキングを薦めてくれるのだが、私は首の長い女性には興味はないし、観光化した山岳民族の村に入村料を払ってまでの魅力は感じなかったので遠慮した。


 

 



 

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朝のメーホーソンは清々しい

  市場を出ると買い物客を狙って、人々の足であるモトサイ(バイク)が並んで客待ちをしていた。
太った女性のドライバーが、私を見て パイナイカッ (どこへ行くの) と声を掛けてきたので、とっさにドイコンムー(山上のコンムー寺)と答えた。

 ドイコンムーは、 430メートルの山上にある寺院で、ここからはメーホーソンの全景を見ることが出来る。 話はまとまって、オバサンのバイクはあえぎながら登山を始めた。
山の上は気持ちが良いのは分かっているが、下りは良いが登りがあるから歩くのは嫌なのだ。

 早朝の曲がりくねった山道は、さすがに清々しく気持ちがよい。
重いオバサンと標準タイプの私を乗せたバイクで、やっと山上のお寺に着き、そこから見渡した風景は、町並みや空港の滑走路、霧にかすむ山々が一望できて素晴らしい光景であった。

 霧を背負った山に目をこらしてみると、あちこちの山から細い煙が立ち登っているのが見える。
煙の立つところが少数民族の村々で、独自の文化を持って、生活を営んでいるのだろう。
そんな彼らの生活を好奇の目で、見物に行くのはやはり好きではない。

 メーホーソンの遠景に満足して、再び重さにあえぐ可哀想なバイクで下界に降りた。オバサンにホテルではなく、ワットチョンクラーンまでといって、昨日と同じ池まで送ってもらった。
ビルマ風の寺院二つが連なって並び、その影を池に落とす景色は、何とも私の心を魅了してくれる。

 池を巡り、ワットチョンクラーンまで来ると、静かな境内を僧達が朝の掃除にいそしんでいた。
挨拶を交わしたインテリ風の青年僧は私に台湾? いやいや日本人ですよ。
彼にチョンクラーンは非常に美しいですねと誉めたところ、得意そうに微笑んでいた。

 この寺院の内部と博物館は入場料を取って、9時から見学が可能となっていたが、青年層は猫を一匹従えて、私を本堂に誘い、隅々までを案内をしてくれた。
開館一時間前、入場料免除、猫の案内い付きの破格の待遇であった。

 ホテルへ帰ると、トレッキングの出発時間で、ファラン (白人) の男女が賑やかにバンに乗り込むところだった。 やはりヤツラは好奇心丸出しの顔をしとった。

 静かになったホテルの食堂で、トーストに目玉焼き、コーヒーの、まことに質素な朝食をとって、
また今日の一人旅が始まる。

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メーホーソンの雨

 雨季の雨は山間の町でも例外なく、よほどのことがない限り 午後に3~4時間ほどは律儀なほどにやって来て激しく降っていく。

 マッサージを終えてホテルに帰ろうと、店から出てみるとかなりの雨の中を、三人乗りなどのバイクが5~6組傘をさして走っている。学校帰りと仕事帰りが重なっているからだろう。
こんな光景を日本の警官が見れば黙って見過ごすことはない。

 この大雨で、ボロ傘を差していても役に立ちそうにないので、近くの食堂に逃げ込んだ。
適当な料理を注文して、あと一品お勧め料理はないかと聞いてみると、「すき焼き」! これがうまいと男の店員がいう。本当かいな。

 物は試しと、、「すき焼き」を注文した。  出てきたのは、大きな丼茶碗に野菜、茸、卵、肉、その他をごちゃごちゃに入れたスープであった。こんなん、、「すき焼き」と違うやん。
日本のすき焼きを期待する方が間違っていた。それにしても大きな特製の丼であった。

 さて、このスープを一口飲んでみると、味が濃厚である。複雑でうまいのである。
辛い、酸っぱい、味噌の味もする、これは海老味噌かも知れない。 このすき焼きは次回来る機会があれば、また必ず食べるだろう。すき焼きは80円の料金で満足であった。

 
 日本より夜明けがかなり遅い。6時過ぎになってやっと明るくなってきた。まだ眠り込んでいた警備員に玄関を開けさせて、朝の散歩に出かけた。  あれほど降っていた雨も午前中は降らない。

 爽やかな朝の空気を満喫しながら歩く道々には、托鉢の僧侶の列が絶え間なく続いていて、これはこれで一幅の絵である。
それにつけても、こんなに托鉢僧が多い町は初めてだ。タンブン(喜捨)をする善良な仏教徒でも、毎日となると大変だろう。

 賑やかな市場があったので、さっそく覗いてみた。山で取れた食材を並べた山の人たち、まだ暗い山道を何時間も掛けて降りてくるのだから大変な事だろう。
川や沼で獲れた魚や蛙、亀、バッタ、タニシやゲンゴロウまでタンパク源になっている。

 動物や植物は毒性がなければ、全部食用になると頭では分かっているが、、鶏の足首とか芋虫や豚皮の天麩羅を買って帰る様子を見ていると、生育環境の違いに寄るのだろうが、食べてみようと云う気にはならない。

 

 

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ついに来たぞ メーホーソン

  ついにやって来ました。ビルマのすぐ側の山間の町は霧に覆われて神秘的だった。

 さっそく空港から遠くない、市場が近い、優雅な寺院にも一番近い、手頃なホテルに焦点を置き探してみた。。
 選んだのは木造のホテルで「 バイヨークシャレーホテル」 が希望に近かったので、宿泊することにした。朝食付き 600バーツ(1,700円)で清潔、機能的な山小屋風の部屋は快適で気に入った。
   
 今回なぜメーホーソンかと云うと、何万人もの有為な日本兵が無念の死を遂げた、白骨街道に近づき、少しでも鎮魂の意を表したいことと、ガイドブックには必ず紹介される、池の畔に優雅に建つビルマ風の寺院が見たかっただけである。

 ホテルの従業員が盛んにトレッキングを薦めてくれるのだが、私は首の長い女性には興味はないし、観光化した山岳民族の村に入村料まで払って、曲がりくねった山道を車酔いしながら、行く気もない俗に言うへそ曲がりである

 一休みすることもなく、綺麗な池の畔に立つ「ワットチョンクラーン」と「ワットチョーンカム」を見に行った。 ビルマ(ミャンマー)の影響を受け継ぐこの寺院は、美しい水面にその影を落して、とても美しい。 うん、見たかったのはこれなんだ。 目に焼き付ける風景ってあるもんだ。

 素晴らしい池畔で、寺院の落とす影を鑑賞したり金色の寺院に見とれたり、池にいる魚の群れに遊ばれたりしての2時間は、心休まるひとときであった。

 チョーンカムには光り輝く金色の重厚な仏像が安置されていて、黄色い袈裟を着けた老僧が座っていた。 暇そうにしていたので話しかけてみた。やはり人並みに退屈されていたようで、延々とお話は
続き止まるところをしらない。

 こんな長話では言葉も内容も理解が出来るわけがない。分かるかどうか判断もできない僧侶も情けないではないか。 私は退去の機を窺うのに大変だった。 言葉も十分に分からない私が、声を掛けたのはうかつでした。

 頭の中に入れ込んだメーホーソンの地図を広げて、いつもの事ながら古式マッサージを探した。
やはりタイである。どんな鄙びた山の中の町にも、人がいればマッサージ店もあるのだ。
昨日の午後自宅を出てから動き続けなので、2時間のマッサージのうち、後半は熟睡していたようである。

 促されて、目を覚ますと、凄い雷が大雨を連れて来ていた。  チップを渡して、出口付近にあった古ぼけた傘を手に取り、プルンニー(明日)というと頷いていたので、そのまま傘を手に飛び出した。






 

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いざメーホーソンへ

 長らくサーズの影響でタイへの足が遠のいていたが、久しぶりに動いてみた。やはりタイ航空の搭乗率は50%位と低調であった。

 関西空港を深夜便で出発したので、バンコクはまだ夜も明けぬ早朝だ。
 バンコクの午前5時は、まだ暗闇の中に蒸し暑さが同居していた。今回の旅は億劫であったり、毛嫌いしていたりして、これまでに訪れることを躊躇していた土地を訪ねるのがねらいである。

 入国審査を終え、スーツケースを空港の荷物預かり所に託して、チェンマイへ向けて出発である。

 チェンマイでは、更にメーホーソン行きの飛行機に乗り換えて30分のフライトで、山の中の小さな空港へ着陸した。首長族をはじめ少数山岳民族の村を訪れるトレッキング基地として有名なメーホーソンの村である。
 もちろん時差の関係もあるが、関西空港を深夜1時25分に出て、午前10時35分にはメーホーソンに着いていた。

 第二次世界大戦で、雨季のインパール作戦に破れた日本軍は、食料弾薬とも全く無く大敗北を喫して、ぬかるみの中を徒歩でタイへ向けて敗走を続けたが、殆どの将兵は飢餓にあえぎつつ、道路に倒れていった。この道路は今も白骨街道と呼ばれている。

 ビルマから続くメーホーソンも、その通過点であったので、あまりの悲惨さにメーホーソンを訪れるのが気乗りしなかったのだ。でもついに来てしまった。

 チェンマイからメーホーソンへのタイ航空は、一日2便しかなく座席はいつも満席で航空券の確保が難しい。 私は一ヶ月も前に淀屋橋のタイ航空へ出向いて、この航空券を購入していたので、これは大正解であった。

 淀屋橋で購入するチケットは日本円なので、レートの影響で日によって若干料金は変わるが大きな差ではない。 このチケットの料金と、タイのチケットカウンターでの料金も大差はないようであった。
 早くから希少なチケットの購入が出来るので、今後も大いに淀屋橋のタイ航空を利用することであろう。

 このメーホーソンへはタイ航空を利用すれば30分だが、バスでは曲がりくねった山道を何と8時間30分もかかる。 どうしても航空券が取りにくいはずである。


 

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