タイでのあれこれ

空港からのアクセス 何でまた

 このブログは一昨年書いたものである。

 マニラ経由のタイ航空で定刻に到着し、ホテルに向かおうとするとき懐かしい事態に遭遇した。新しくできたスアンナプーム国際空港から、バンコク都内へのアクセスは、現在タクシーとエアポートバス しかない。これでは謳い文句のアジアのハブ空港が泣きまっせ。

 私が宿泊を予定しているホテルは、スクムミット通りにあるので、その通りを走る AE3 系統のエアポートバスに乗った。 このバスが、渋滞の名所である伊勢丹前を迂回してから、スクムミット通りに逆方向から入ってくることになっていたのである。 このことに気づいたとき、昔の苦い思い出が頭をよぎった。

Photo  空港を出てからしばらくは、広い道路を快調に走っていたバスが、バンコクの都心に近づくにつれて速度を落とし、道路が高架になった場所で大渋滞のため完全に停車した。 停車した車列はそのまま道路に張り付いて、なんと1時間40分経過した。

 昔のバンコクが戻っていた。これは懐かしい。  外国人旅行者はドアを開けろ! の大合唱だ。    運転手がやむなくドアを開けると、10数人いた乗客は高速道路にもかかわらず、停車している車の横を大きな荷物を背負って36℃の暑さの中、一列になって行儀良く歩き始めた。 

 私は夕食を取ってあとはホテルで寝るだけなので、バスの成り行きに任せて「まな板の鯉」を決め込んだ。その時車内に残ったのは、私を含めてたった2人だった。

 夜の帳が降りて、ホテルに着いたのは、空港を出て3時間20分後であった。日本からマニラまで3時間30分、マニラからタイまで3時間5分、空港からホテルまで3時間20分だ。

 空港からホテルまでの所要時間は、フィリピンからタイへ飛行機で来る時間より長くなってしまった。まさにバンコクの渋滞は国際級に逆戻りしたのである。

 赤シャツを着て道路を封鎖してみたり、のんきに空港連絡電車の完成を伸ばし続けたりしている場合か。空港とのアクセスである電車の開通が待たれているが、毎度の事ながら延々と遅れている。プミポン国王の誕生日である12月5日の開通予定も、当然のごとく延期された。 

 最近の公式発表では3月に開通となっていたが、今はもう4月でっせ。開通などは誰も信用してませんって。

 などと以前、私はブログでぼやいていた。 このエアポートバスAE3系統は、スクムミット通りを走って、客が降りたい最寄りのバス停で客を順次降ろしていくバスなのだ。便利なので150Bと少し料金は高いが使っていたが、何と巡回コースを逆にしてしまったのだ。

 空港を発車したバスは高速道路をバンコクの中心まで走って行って、そこから渋滞の中を牛歩のごとく、十分時間をかけてスクムミット通りをのろのろと空港方面に向かって走りながら客を降ろしていく。アホとちがうか。

 従来は空港から客を降ろしながら都心へ走っていて使い勝手が良かったが、もう乗るのは止めた。

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久しぶりのタイ

 九ヶ月ぶりのタイはマンゴーが全盛期を迎えていた。タイは3月から政情不安で荒れ狂っていた。海外の目から見れば、やっと終止符が打たれたかと目に映り、私も長かったのう。と呟きながらの訪タイであった。

 関西国際空港からバンコクに向かうタイ航空も、一日に2便と縮小されて寂しくなってしまった。現在もまだバンコクは非常事態宣言が出されたままで、そんなこと嘘でしょうと思われがちだが、やはりまだ警戒は必要だ。

 今回はバンコクに到着した日に、名刺を新たに作ろうと街にでかけた。BTS高架電 車のチットロム駅を降りると何だか騒々しい。思わず下を見ると地上が赤く染まっていた。

Photo_2 

 これはラチャダムリ通り(伊勢丹の前)で、タークシン派のデモである。陸橋を歩いてサイアムへ行こうとすると、陸橋の各所にこのような四人一組の警備がなされていた。

Photo_4 そして地上では交差点を中心に赤色の世界が広がっていた。

 何千とも知れぬ赤シャツ軍団が(タークシン派)大声で気勢をあげ、笛やクラクションを鳴らしながら派手なデモを繰り広げている。

 何百人もの警官が防弾チョッキを身につけ、楯を前に横隊を組んでデモ隊に進んでいくが、必死で阻止しようという気配はない。緊迫感が全く伝わってこないのだ。

道路脇では、赤シャツのお母さんやお姉さん達が、ミネラルウオーターやお菓子、果物の差し入れに余念がない。

 バンコクで読むことが出来る、翌朝の読売新聞の衛星版には、またまた騒乱か。と思わせるような記事が出ていたが、高架橋から見た限りでは、踊って歌って笛吹いて、赤いユニフォーム姿の田舎の大人が、バンコク都内の道路を占拠して、子供さながらに一日を楽しむお祭りとしか見えなかった。

 いくらガス抜きとはいえ、はやく平静に戻ってほしいものである。

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旅に支障の多くあった年だった

 今年の2月には、タイ西部のメーソットへ行こうと計画をしていた。一昨年まで運行していた飛行機がなくなり、それではバスに8時間乗れば行けるだろうと、その気になって調べていくうちに、メーソットからタークにかけてマラリヤがかなり蔓延していることが分かり断念した。

 仕方がないのでメーソットは、顕著なマラリヤの兆候が収まってから行くことにして、北タイとバンコクの近辺の旅に切り替えた。そうして時期を待つうちに、赤シャツや青シャツがアメーバーのごとく街に氾濫して、非常事態宣言が出てしまった。

 バンコクではまだ非常事態宣言が出たままだが、やっと街の動きも平静になった。待ちに待って、もうよかろう。と熊が冬眠から目覚めたかのように、HISに行って航空券を購入してしまった。

 今回も一人旅、密かに策を練っていた。バンコクに着いたらすぐに北バスターミナルへ行ってメーソットまでのVIPバスのチケットを手に入れてしまおう。タークで1泊してメーソットで2泊くらいか。うまくいけばそのうちの1日くらいはビルマに入れるかも知れない。

 ところがビルマ (ミャンマー) はこの時期総選挙だ、メーソットとビルマのミャワディー間のイミグレーションは閉鎖されている。

 それでも勇敢なというか、無謀というか元気のいい人もいて、深夜小舟でモエイ川を渡り国内にビザ無しで入って、完全秘密下で実施されている総選挙投票所の様子を撮影した。当然拘束されて取り調べを受けたが、幸いにも昨日の夕刻メーソットで解放された。

 国外退去処分でタイに追放されたのは、東京のAPF通信社のYさんだが、日本人に対する規制の目がぐんと厳しくなることだろう。 今後の推移を見なければならないが、どうも今回もメーソットは難しそうである。

 メーソットにはこの前も、夜間に300人ほどの人がビルマから逃げてきていて、タイとの国境付近では逃げてきたビルマ人は15万人に達していると云われている。

 それにしても、困って逃げてきた人を、暖かくそのまま迎え続けているタイは、仏教国だけあって心優しい国民である。

 いつもブログに目を通していただき有り難うございます。 自分の目で見たいことも出来ましたので、投稿はしばらく休みます。

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思いがけぬ出会い

 この記事は過去に一度投稿したものである。バンコクで友人と話しているとき、チェンマイからスコータイまで小さな飛行機に乗って面白かったと云う話を聞いた。

 それなら私も一度は乗ってみたいものだと思っていたが、数ヶ月後にチェンマイに行くことがあって、これはチャンスとばかりに、飛行機の手配をした。そして翌日空港へ向かうのだが、ここから先を書くと私の前職が分かってしまうので躊躇したのだが、犯罪の前歴ではないのであえて書くことにした。

 私は公立中学校で教科の指導するかたわら、女子運動部の顧問兼監督を28年間やっていた。その間、何百人の部員と関わってきたが、運動技能に秀でた生徒と、若干運動には不向きな生徒がいることは事実であったが、まあこれは仕方がない。

 しかし能力的に優れていても、家庭の経済的な理由等によって、力が発揮できない部員だっている。この年もそんな生徒が在籍していた。

 彼女は2年生から3年生まで、用具やユニフォームも満足に整えられぬまま、先輩の残したものを使って、レギュラーの座を守り続けた非常に明るい生徒であった。この年は京都府で優勝はしたものの、近畿大会では力及ばず涙をのんだ年であった。

 しかし彼女にとっては、高校進学を断念しただけに、中学校のクラブ活動が忘れ得ぬ思い出となったはずである。 ところが卒業して間もなく、突然家族共々消息を絶ってしまい、いつまでも気になっていた生徒だった。

 さて、翌朝スコータイを目指して、チェンマイ空港へ行き航空券を搭乗券と引き換えて、搭乗案内を待っていると、今バンコクから到着した飛行機からたくさんの乗客が吐き出されてきた。

 その中には日本人のツアー客が何組かあって、初めてのチェンマイに、興奮気味な様子を見せながら賑やかに出てきた。

 そのツアー客の最後に出てきた女性、どこかで見たよう顔があった。その女性は「先生ですか!」と駆け寄ると涙が溢れ出て、しばらくは言葉が出なかった。 行方不明になっていた中学生に、日本を遠く離れたチェンマイで逢うことが出来た。

 私も万感胸に迫って、しばらく会話すらできない。彼女が中学校を卒業して38年ぶり、奇跡の再会であった。 

 今は滋賀県で家庭を持ち子供が2人いて幸せに生活していています。思いついて初めての海外旅行にタイを選びました。 嘘じゃあないですよね。

 彼女はツアー客を待たせ、私はボーディングが始まって、10分間の再開であったが、長い間の胸のしこりが消え去ったようで、ほんとうに嬉しかった。 これからも幸せに暮らせよ。

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急ぎの旅はしないで 本でも読もう

 私がタイへ行き始めた頃、バンコクには大丸、そごう、東急、伊勢丹などの百貨店があった。
今では大丸とそごうが撤退して、東急も衣料品のスーパーと化し、伊勢丹だけが隆盛を誇っているようだ。その伊勢丹の6階に紀伊国屋書店があって、あらゆる日本語の書籍や雑誌が手にはいる。

 私がタイへ行くときは、機内で気楽に読む事が出来る文庫本を一冊持参して、読み切ってしまうと、地方では日本語の本は、まず購うことが出来ないので、バンコクで古書を求めている。
 高架電車(BTS) のプロンポン駅の西側改札口をでて、高架上の通路を50メートルほど行けば、小さな日本語の本屋がある。

 このあたりは日本村と呼ばれるほど、日本人の駐在員やその家族が集中して住んでいる。多数の日本人が読み終わった本を売りに来て、新たに古書となった日本の本を安価に買い求めるのだ。

 ここでは、読み終わった文庫本なら 60円、90円、120円くらいで求めることが出来、本の種類も多くて皆さんが重宝している。 
 古書ならば非常に安いので、タイに関する書籍を買って、重いという難点はあるが、私も日本へ持ち帰ることがよくある。

 安価と云うだけでなく、タイに在住する日本人も観光で来ている人も、読む本はタイに関わる本が圧倒的に多いので、面白いタイに関する本が集まるこうゆう店は有り難い。

 さて、新書となるとスクムミット通りのソイ33の奥にある東京堂書店と、伊勢丹の紀伊国屋書店が日本の書籍、雑誌、ガイドブックなど、かなりの種類の本をそろえている。

 タイに関する新書を買うなら、タイで印刷発行された本だけを買うのがよい。書棚には日本で発行された本も多数並んでいるが、さすが海を渡ってきた本は、日本で買うよりはるかに高い。

 私は紀伊国屋で毎年 「歩くバンコク」 と 「バンコクバス路線図」 の2冊だけは必ず買うようにしている。
この本さえあれば、高架電車と地下鉄の沿線なら日本語でホテル、料理店、デパートなどは記載されているし、立派な地図として使える。

 バンコクバス路線図の方では、都バス254系統の全てが網羅されているので、この本を使えばバスでの移動は自由自在である。
時間の出来た昼下がり、バス路線図を片手にのんびり、都内の散策をされたらいかがだろう。日頃は目にしない、新しい発見がたくさん見つかるはずである。

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日本にはない 外国人価格

 ある時スクムミット通りから8番(現在は508番)のバスに乗って、サムップラカーンの終点まで行った。 ここからソンテウに乗り換えて少し行けばファームチョラケー(鰐園)がある。

 私は大人料金900円を払って入場券を購入したのだが、後ろに続いたタイ人のおじさんは180円の入場券で入園し、私に券を見せてニヤリと笑った。 ン やはりそうか。

 この鰐園には鰐が4万匹もいて、右も左も気味の悪い鰐がひしめいている。この鰐は最初は高級鞄やベルトの材料にするため飼っていたそうだが、後に公園にしてしまったらしい。雨季で洪水になる度に、下流に流されていく鰐も少なからずいるそうだから、物騒な話ではないか。

 またターチャン桟橋から運河ボートに乗るとき、船頭に料金はいくらかと聞いたら180円だった。その時もタイ人から受け取る料金は60円だった。次ぎに乗ったときタイ人と同じように60円を出すと、黙って受け取った。

 このような外国人価格なるものがタイにはあって。気をつけてみるといくらでも存在しそうで、枚挙にいとまがない。ほとんどの拝観料や入場料には大きな差がつけられている。日本では信じられぬ話である。

 私もうすうすは、気づいているのだが、ミミズが柔軟体操をしているような、難解なタイ文字が読めないので、実感できないだけである。
外国人への表記はアラビヤ数字で、タイ人に対してはタイ語の文字で書かれているから分からない。

 たとえば、日本の有名寺院の入場料が、10$ と表記されていて、その横に難解な日本語でさりげなく、日本人は弐百圓と書いてあったとすれば、外国人にこんな日本語が読めるわけはない。

 敬虔な仏教国であるタイは、豊かな者がお金を持っていない人より、多く支払うのは当然だ。建物の管理や整備などは、タイ人の税金でまかなわれているので、その分外国人は多く支払うあたりまえ。

 などと分かったような分からないような事を、理由にする人もいるようだが、この説明には無理がある。 まあ観光税と考えなければ腹が立つことである。

 付け加えるならばホテルの宿泊料金だ。全部とは云わないが、タイ人が宿泊する場合は驚くほど安い料金である。
 私の友人などは、親戚だと称してタイ人に申し込んでもらいタイ人価格で宿泊している。

 私はタイにしか行かないので、その他の国に外国人料金なるものが存在するかどうか分からないが、あったとしても文句の言える筋合いではないだろう。

 これは外国人価格ではないが、ホテルに一番高く泊まっている客はツアー客かもしれない。旅行会社からお叱りを受けるだろうが、タイでは一部屋に1人泊まっても3人泊まっても料金は同じである。

 2人が同じ部屋に泊まれば、宿泊料は当然部屋代の半額ずつが当たり前である。それなのに日本のツアーでは、一人部屋を希望すれば、なぜか別料金が請求される。まあこれは旅行会社の美味しいところだから、あまり詮索しない方がいいのだろうが。

 

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勉強するとすれば

 ご機嫌いかがですか? お逢いできて嬉しいです。 などの会話は出来るにこしたことはないが、出来なくても特に困ることではない。ツアーでなく数人の旅では、食べ物の名前は知っていた方がよいが、同行者に少し分かる人がいれば、旅はより円滑にいく。

 一人旅をするようになった最初の頃、数字が理解できないと致命的だと思うことが、毎日おこって途方にくれたものである。ホテルに宿泊するにも、乗り物に乗るにも、買い物をしても、必ず数字のお化けがついて回る。

 1~10までの数字を覚えても、更にその上があり、指をおってみても数え切れない。バンコクでの買い物なら、敵も心得ていて、電卓を持ってきてくれるので何とかなるが、田舎の食堂のオバチャン達ではそうもいかない。

 何度も思い知らされた私は、数字を何とか覚えようと心がけた。覚えるより忘れる事の方が早いのだが、これだけはと打ち込んでみた。

 結果は認知症の兆しが現れたのか、やはりすぐに忘れてしまう。そして机上の勉強で覚えた数字は、現地ではなかなか対応できない事を思い知らされて、悄然と帰国することが続いた。

 ところが田舎の寒村で泊まったり、屋台や食堂で食事をするとき、苦しみながら思い出して呟いてみると通用することもあるではないか。 おっ出来た。 こんな時に覚えた言葉や数字は、まず忘れることはない。かくして数字のお化けは私から次第に遠ざかっていった。

 その数字もレパートリーが広がって、10万以下であれば聞き取ることが出来、相手にも伝えることが出来るようになった。 それ以上の数字は、私には関係のない世界なので、覚える気はさらさらない。しかしやはり数字は生活必需品で、この必需品があってこそ旅が成立することがよくわかった。

 食事の注文に悩み、数字に悩んだ初期の頃が今では懐かしい思いでとなったが、こんな悩みなど意に介さず、悠々と行動される方もいらっしゃる。ある時一緒のグループの女性が、タイスキさん2時間ほど自分で動いてもいい? と云われて一人で大丈夫ですか。すると口がありますから大丈夫でしょう。と答えて外出された。

 タイの国に来たのは初めて、タイ語はどう贔屓目に見ても、全く出来ない女性である。言葉なんて分からなくても、同じ地球の上だ、と行動できる特殊な才能ってあるものだ。

 多少の不安を覚えて待つこと1時間30分、彼女は近くの美容院で見違えるように変身してホテルに帰ってきたのである。彼女には日本語を、世界の共通語に昇格させる能力が備わっていたのだ。

 グループで旅して、みんなでお土産を買うために、今はなきナライパンに出かけた。この中の女性の買い物を見て驚かされた。商品の値段を電卓で確かめて500バーツの言い値を確認すると、すぐに100バーツと電卓を打ち直して店員に渡した。しばらく日本語でやりとりして店員は250バーツまで下げた。彼女は2つ買うから300バーツにしなさいよ。

 見ていた私も店員も、どうなっているのかよく分からない状態で、店員はOKと云ってしまった。後でよく考えると500バーツの品物を、150バーツまで値切ってしまったことになるのだ。これがタイ語でなく日本語で出来る女性は、さすが日頃鍛えぬかれた日本の主婦である。

 タイへ旅するために、勉強してみようと思われたら、まず数字を理解することと、どうしても自分が食べたい料理の名前を、覚えることをお薦めしたい。

 

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エアポートリンク 2年遅れの開通

 アジアのハブ空港を標榜する、タイのスアンナプーム空港はアクセスが非常に脆弱で、これまで各国の観光客からひんしゅくを買ってきたが、予定より2年遅れて 2010年8月23日に開通した。

 空港へ到着して、市内へ入る主役となる高速鉄道が、正式名「エアポートリンク」 である。 このエアポートリンクは空港のB1階に駅が作られている。

 空港は、エアポートバスを利用する場合は1階の乗り場、2階は到着ロビー、3階はレストラン街、4階は出発ロビーと従来通りと変わらない。

 空港からエアポートリンクのエクスプレスライン(特急)に乗ると、ノンストップ15分で終点のマッカサン駅(伊勢丹のかなり北方)に到着する。

 空港からエアポートリンクのシティーライン(各停)に乗ると、7駅停車して終点のパヤタイ駅へ25分で到着する。この駅はBTSのパヤタイ駅(戦勝記念塔駅の一つ南駅)と直結しているので、ここからBTSを利用すれば、都内の移動はこれまでより格段に早くなる。

 この電車の運行時間は午前6時から午前0時までとなっていて、将来的には24時間営業の予定となっている。

 ただ今日の時点(8月31日)では、パヤタイ駅は利用できるものの、連絡通路は工事の遅れで使用不能である。BTSのパヤタイ駅へのアクセスは、もうしばらくかかりそうだ。

 ともあれ、従来は渋滞が常態化していたので、バスはもちろんタクシーを使っても、時間が読めなかった。それが安くて早い電車の開通となれば朗報である。

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足が地に着かない 飛行機は怖い

 今年も御巣鷹山で慰霊祭が行われた。今から25年前の8月12日羽田発伊丹へむかう日本航空の飛行機が墜落した。お盆の帰省で満席の航空機の墜落であった。航空機事故としては世界でも最大級の事故で死者は520名におよんだ。

 私の子供の頃、同じ日本航空の羽田発の福岡行きの木星号が。伊豆大島三原山の山腹に激突して全員死亡した事故を新聞で読んで、地上を走らない飛行機ってものは何て怖い乗り物だろうと思ったものだ。

 地上に足の着いた乗り物の事故も多発はするが、助かる確率もかなりある。地上の事故より航空機の方が事故の確率は低い。と云われるが重い飛行機が1万メートルもの上空を飛んでいるのだから、これは確かに恐ろしい。

 私のタイの旅はかなり多いので、タイの航空機事故はどうなのだろう。と調べてみると、あるはあるは、私が知らなかっただけである。

 プーケットで海に墜落85人死亡。  タイ航空コンケーンで墜落40人死亡。

 カトマンズ空港でタイ航空機が山に衝突113人死亡。 

 格安ワンツーゴープーケットで墜落80人死亡。 サムイ島で管制塔に激突して死亡。

 軽微な事故はかなりの数起こっていた。私のような者は「知らぬが仏」で乗っていたのか。そういえば十数年前私の乗ったタイ航空がランパン空港に着陸した衝撃で、天井が落下したことがあった。

 これもかなり前になるが、友人と3人でチェンライを訪れるため、タイ航空の最終便に乗ったときのことである。ドムアン空港を定時に出発するため滑走路の端まで移動して待機中、管制官の出発合図を待っていた。

 管制官の指示があったのだろう。飛行機はエンジンを全開にして滑走を始めた。次第にスピードを増して離陸体制に入って、ボンと大きな音がし急角度に滑走路を外れて芝の中に突っ込んで停止した。何が起こったのかと窓から外を見ると消防車が4台こちらへ向けて急行中であった。

 火が出ていなかったので、みんな落ち着いて乗務員の指示に従った。飛行機は乗客を乗せたまま牽引車によって芝生から引き出され、空港の出発ゲート前に移動した。詳しい説明はなされなかったが、どうも左の車輪がパンクをしたらしかった。

 しばらく点検していたが、この機は今日は飛ばないので降りてください。こんな飛行機は降りますが最終便ですよ。 代替機は出るのかと乗客は騒ぐものの、まだ決まっていません待合室でお待ちください。

 1時間余り待っていると、遠くからのろのろと代替機が引かれてくるのが見えたが、すぐには飛びそうにない。機内食や乗客の荷物の積み替えに時間がかかるためだ。その後で我々の再搭乗となった。翌日の新聞にはこれに関する記事は皆無であった。

 タイでは乗客を乗せた飛行機が、飛び立つ寸前に滑走路を飛び出した位では、事故の内には入らないのだろうか。 どうも安全運行の基準が日本とは異なるようだ。

 この時の飛行機の遅延は4時間10分、海外旅行損害保険の遅延適応は6時間以上なので、ここでも保険金の3万円は逃げていった。

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不思議なことがあるものだ

 娘に借りた群ようこさんの、東方見聞録という本を読んでいて、また思い出してしまった。  著書の一部を無断で引用させていただく事を、お許し願いたい。

 プーケットに行ってタイがことのほか気に入った著者が、新たに女性4人でサムイ島へ行く予定を立て、その前にバンコクで2泊したときの紀行エッセイの一部である。

 明日のために、その夜は早く寝た。ベッドに入るとすぐ寝られたのだが、明け方ふと目が覚めた。時計を見たら朝の4時50分。まだ早いから寝ようとしたとたん、部屋の隅でチリーンと綺麗な鈴の音がした。 

 はっとして気配をうかがっていると、また、チリーンと音がした。私はベッドの中で、絶対に寝ぼけてないよな、起きてるよなとつぶやいた。音のする方を見るのが怖いので、じっと身を固くしていると、今度はドアの前からチリーンという音が二度した。だんだん近づいてくる。

 しばらくすると、ドアの向こう側からチリーンと音がした。ドアは開いてないのに、音だけが移動していった。そして最後にばたん!と私達の部屋のドアが閉まる大きな音がした。 あまり大きな音だったので、私は誰かが入って来るんじゃあないかと、気が気ではなかった。しかしその後は何も起こらなかった。

 朝食をとりながらみんなに、明け方起きてグラスで水を飲んだりした? 鈴の音がしてたんだよ。と音の話をしたのだが、誰も気味悪がって知らないと云った。

 私は子供の頃から、妖怪とか霊のような話は怖わかったけれど、その存在は全く信じていない。ところが群ようこさんのこのような実体験などがエッセイとして出版されると、本当にあるのかなあ、と半信半疑になってしまう。

 実は私も7年ほど前に不可解な体験をしているので、お盆ということではないが再掲してみる。

 イサーンの旅の最後の夜なので、ウボンラチャタニー随一の高級ホテルであるライトーンホテルをめざした。これまでは、市場やムーン川に近い私にとって手頃なホテルばかりに泊まっていたが、いよいよウボン随一の高級ホテルかあ。

 身の程もわきまえず訪れたライトーンでは、私の姿が見えるとすぐ、ボーイの敬礼に迎えられて、フロントへ誘われた。つたないタイ語で部屋はありますか。と尋ねると、気の毒そうな顔で今日は満室です。 これだ。
 
 高級ホテルにしようなどと、生意気な考えを起こすからこうなるのだ。 そこで困ったときの隠し球を出してみた。

 日本のタイ語教室でタイ人に書いて貰ったメモ 「良いホテルがあったら紹介してください」。 を出すと、フロントの女性は即座に市内地図をだして印を付た。そして印の横にホテル名を書いて手渡してくれた。

 紹介されたホテルは NEVADA GRAND HOTEL と書いてあったので、念のためタイ語でも書いてもらった。(トゥクトゥクの運転手に見せるため)  しかし、この心配も杞憂の終わった。

 気の毒に思ったフロントの女性は、従業員を呼んでネバダグランドまで送るように指示をしてくれた。 ここで私は大きな送迎用バスの無賃客となった。 さすがは高級ホテルである。

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