ピマーイ遺跡

綺麗に整備されたピマーイ遺跡

 イサーン高原にに残る、タイのアンコールワットと称されるピマーイ遺跡は、クメール帝国時代の様式を保つ寺院遺跡で、期待通りの荘厳で美しい立派はな遺跡であった。誰がいつ、こんな寺院を建立したのだろう。

Photo_4  すでに廃墟となった遺跡寺院も、国が遺跡公園として整備管理を怠らず、芝も樹木も崩れかけた寺院も非常に美しい。

 いつまで経っても昔の気分が抜けず、社会見学に来ている中学生に声をかけたり、先生の許しを得て写真に納めたりして楽しませてもらった。

 雨が上がって遺跡内の緑が鮮やかに輝くようだ。

 12世紀頃にピマーイの遺跡は1キロ四方もある大きな規模であった痕跡が残っているが、いつの間にか人々が特に多く集まる所だけをを遺跡と称したらしい。

Photo  しかしへそ曲がりのおじさんは、遺跡は往時の面影を色濃く残していないと気に入らない。

 これだけ綺麗だと、遺跡もあるただの公園のように見えてしまう。

 改めてガイドブックを開いてみると、なるほど「ピマーイ遺跡公園」と書いてあった。

すみません遺跡のある公園だったのですね。

 バスばかりの旅であるが、ゆったりした日程を組んでいるので疲れはない。南国の田舎の風景はとにかく興味深く面白い。ところどころに沼があって、日本ならば花見にくるような睡蓮の花の群生が見られる。

 その中に水牛が3頭もいて、踏みつぶしながら花ごと食い荒らしている。丸々と太った水牛がなんと美味そうに見えることか。

 道路沿いに中学校があって集会をしていた。ボーイスカウトのような制服を着用した生徒達が、暑いグランドで整列し先生の話を、一見熱心そうな顔で聞き入っている。

 タイの先生は、日本の先生に比べ社会的地位が高く尊敬され、みんなその指導に対しては全幅の信頼をおいている。つまり先生は偉いのである。

 日本で時々見聞きする 親が先生の指導にたいして、抗議をするようなことは夢にも考えられない。日本の中学校なんかは学校にもよるが、集会で話を聞く生徒を教師がそれとなく取り囲み、逃げられないように気を遣わねばならない。 タイの先生はうらやましい。

 コラートまで1時間30分、料金は90円くらいだった。 この都市はイサーンにしては非常に大きな都市で、正式名はナコンラチャシマーと言うのだが、イサーン高原の玄関口なので、コラート(高原の意味) との通称名が普段は使われている。

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クメール遺跡ピマーイ

 コンケーンを過ぎると、見渡す限り砂糖きび畑が広がっていた。昨年鮫島由美子さんのリサイタルで聞いた沖縄の歌、「砂糖きび畑」のメロディーがふと浮かんでくる。今回は時間的に可能だから、ピマーイ遺跡に寄ってみよう。

よし、そうしよう。 そして気がついた。 おらん。 コラートが来たら教えて欲しいと依頼していたた、賢い方の車掌がいつの間にか姿が見えん。胸を張ってOKと云ったのは嘘か。眠気も覚めて、頼りなさそうなもう1人の車掌の所に行って、ピマーイに行くことにしたので、コラートに着いたら教えてくれと改めて依頼した。

 この依頼で車掌も運転手も混乱した。どうしてコラートまで行くのだ。ピマーイはコラートの40㎞手前なのにどうしてそんな遠くまでいくのだ。 いやいやそれは尤もなご意見なれど、私にも事情がありますんや。

 バスは広い国道を南へ疾走している。ピマーイは国道から東に10キロ余り離れているから、こんな人家もないところで下車してしまうと、ピマーイ行きのバスかソンテウ乗り換えねばならない。

 停留所のない国道で、ピマーイと表示して走ってくるバスが私に止められるわけがない。まともに書かれていても読めない表示が、ミミズが柔軟体操しているようなタイ文字だから恥ずかしながら絶望的なんだ。だからコラート始発でピマーイ行きのバスに乗ろうとしているのだ。

 そうこうしているうちに、バスはピマーイに向かう三叉路まで来て停車した。左の道がピマーイへ行く道だからここで降りろという運転手。分かっているが尻込みしているおじさん。救世主というのは、言葉だけやなく存在するものだ。 

 やりとりを最前列で聞いていたインテル風な女性が、私に分かるようにゆっくりと話しかけてくれた。左の道を指して「 カンサーイ、ピマーイ、サーティーミニッツ 」 、今度は国道の向かい側を指して「 ソンテウ、ピマーイ、ハーバーツ 」、これなら私にだって分かる。

 皆さま大変お騒がせをしました。乗務員を始めインテリのおばさん大変お世話になりました。と言葉では表せませんが、とても感謝しています。 この三叉路で下車できたおかげで時間が2時間30分ほどは節約できた。

 バンコクへ向かうバスを見送って、国道を左に渡ると2台のソンテウが止まっていた。ピマーイまで行きたいというと隣のソンテウに乗れという。

 先客の娘さん2人に私を加えて待つ間もなく出発した。ソンテウは新たな客を次々に拾いながら、30分でピマーイの町に到着した。街中のカーブを曲がると遺跡の入り口が見えたので、屋根の鉄パイプを棒で叩くと停車してくれた。料金はおばさんが言っていたように5B(15円)だった。ノンカーイを出発して8時間後のことであった。

   今日はまたタイ人に世話になった。タイ語なんて流暢に出来なくっても、困っている人をほっていくようなタイ人ではない。一人で歩いていても、必ず何とかしてくれる。愚直なまでに仏をあがめる仏教徒、善根を施し得を積もうとするタイ人はクールだ。        

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